ちょっとピンぼけ/倉敷界隈

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今日の見もの(豆富小僧)

2012年02月25日 08時05分42秒 | 見もの

豆富小僧(ブルーレイ版)
2011年 86分 日本

この映画は知っていた。と言っても名前だけだけど。

最近TSUTAYAで80円セールをしている時が多く(逆にゲオの50円セールは無し)、暇がある時には借りに行くことにしていた。と言ってもどうしても見たい作品があるわけじゃなく、準新作でいいものがあったら借りてもいいなぐらいのつもりだった。星を追う子どもが借りたかったんだけどその時はなく、隣にあったこれのブルーレイ版だけ残っていたので借りたわけだ。タイトルや雰囲気から、肩肘張らず時間つぶし的に楽しめるアニメだと思ったからだ。結果は随分違っていた。

江戸時代のこと、人間には何の危害も加えずお盆に乗せた豆腐を持ってただ立っているだけの豆富小僧がいた。間の抜けた外見と弱虫な性格から、妖怪なのに人を驚かすことができず、父親である妖怪総大将の“見越し入道”からはいつも怒られてばかりだった。

他の妖怪たちからも馬鹿にされ、慰めてくれるのは目付け役の達磨だけ。ある日、消えたおっかさんを探すため豆富小僧は旅に出る。すると突然目の前におっかさんが現れた。おっかさんに導かれ、達磨と一緒にお堂に入ると二人は閉じ込められてしまう。妖怪の長年の敵、狸の仕業だった。途方に暮れながらも、二人は出られる時をひたすら待っていた。閉じ込められた闇の中で「にらめっこ」を延々とこなし、ようやく勝利した時に轟音と共に外に出ることに成功。だが二人の前に広がっていたのは今まで見たことのない世界、それは200年後の現代だった。戸惑う二人。どこにも妖怪の姿を見つけられない現代で小僧は妖怪の見える少女、室田アイと出会うのであった。そして・・・。

こう言うのを可愛いとか一途で涙が出るとか言うのだろうか・・。まず自分の嫌いな3DCGというのがいやだった。この作品は3DCGと手書きアニメの融合をうたっているが、キャラが3DCGなので、融合もクソも全部3DCGに感じてしまい、そのマネキンが動いているような重量感の無さと無理に作った無表情の中の表情が気持ち悪い。他は3DCGでもいいけど、人間だけは手書きにして欲しいなぁ。融合をうたうならね。

キャッチコピーは「妖怪なのに 人を恐がらせることができない ─でも、キミにしかできないことがきっとある!」だそうで、言わんとすることはわかるし、子どもにはこういう映画も役に立つのかも知れないが、愛らしく一途で真面目な子どもであれば、例え不可能な夢でも叶うし、それを全員がサポートしてくれるというドラえもん的展開は、自分にはイヤに感じる。死者をよみがえらせるようなあってはならない展開はよくないのだ。夢で会えましたならいいんだけどね。

BD版のおまけなのか、DVD版にも同じく収録されているのかはわからないが、このエンディング以外にもボツになった別エンディングも見られた。どっちがいいかと言われたら、何とも言えない。どっちでもよかったかな。少しボツエンディングの方がいいんじゃないかなと思う。見られたら各自でご判断を。

『か弱い豆富小僧の成長を描きながら、自然への畏敬を忘れた人間たちに警鐘を鳴らしている作品でもある。』と書いてあったが、まぁそれもわかるけど、そんな深みを感じることはなかった。可愛いキャラ作品で売れるだろう的な安易な映画に感じたなぁ。まぁ自分の考えがひねくれているんだろう。

さてこのキャラ、実は江戸時代から続く本物の妖怪なのだそうだ。ウィキから転載してみると、

(豆小僧は)一般には頭に竹の笠をかぶり、丸盆を持ち、その上に紅葉豆腐を乗せた姿で描かれている。身にまとう着物の柄は、疱瘡(天然痘)除けとして春駒、だるま、ミミズク、振り太鼓、赤魚などの縁起物や、童子の身分を著す童子格子に似た格子模様も見られる。本来の草双紙などにおける豆腐小僧は、特別な能力などは何も持たず、町のあちこちに豆腐や酒を届けに行く小間使いとして登場することが多く、「豆腐小僧ハ化ものゝ小間使ひ」と川柳にも詠まれている。人間に対しては、雨の夜などに人間のあとをつけて歩くこともあるが、特に悪さをすることもなく、たいして人間に相手にされることもない、お人好しで気弱、滑稽なキャラクターとして描かれている。悪さをするどころか、軟弱な妖怪としてほかの妖怪たちにいじめられる例もある。平成以降でいうところの、癒し系キャラクターに相当するとの解釈もある。また、恋川春町による安永8年(1779年)刊行の黄表紙『妖怪仕内評判記』では、豆腐小僧はイタチが化けたものと記述されており、後の書物では、父は妖怪の総大将・見越入道、母は轆轤首などとされている。

豆腐小僧は安永年間に書籍類に突然登場した妖怪とされ、当時の草双紙や黄表紙、怪談本、玩具のキャラクターとして人気を博し、その人気は明治時代頃まで続いていた。前述の黄表紙『妖怪仕内評判記』が初出とされ、それ以前の文献に豆腐小僧は確認されていない。豆腐料理本『豆腐百珍』が刊行された天明2年(1782年)には、黄表紙や草双紙などの滑稽文学、漫画絵本に登場して有名な妖怪と化していた。

このような豆腐小僧の人気ぶりは、出版業界や芝居業界といった都市文化の中で生まれたこの妖怪が、いわば江戸の人々のために作られた妖怪という点が大きな要因と考えられ、江戸時代当時、安くて栄養に富む食品である豆腐が人々にとても好まれていたことを反映しているとも考えられている。歌舞伎の世界でも、歌舞伎役者・大谷徳治のような役者が豆腐小僧を演じている様が浮世絵などに描かれている事例もいくつかある。

とまぁこうなると、このキャラ設定や軟弱さも正しい描き方なのかなと思うし、可愛さで映画にすると言うのもいいのかも知れない。実際、私が「あの映画は・・」と言いかけたら、若い子は「面白いよね」「可愛かった」と言うので、いい映画なんだろうなと思う。小さな子に安心してみせられる映画でもあるしね。

ランク:自分はよいとは思わなかったけど、いいのだろう。
    小さな子に安心して見せられるという意味では価値がある。

ちなみに、声優を務めた人は大物揃いだ。深田恭子、武田鉄矢、松平健
、小池徹平、大泉洋、宮迫博之、平野綾、はるな愛、檀れい など。さすがに鉄矢と健さんは存在感がある。

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