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パーフェクトワールド

現在はゆっくりの更新ですがよろしくお願いします。

疑問15 集会出席の要求

2007-05-21 22:57:00 | ●教理への疑問
定期的に集会に出席することはライフライン。

マインドコントロールには定期的な情報操作が理想的だから。ということはもう皆さん承知のうえです。

今日はそれを別にして

「発展途上国の人に集会の要求が果たせるか。果たせないとしたらそれはそもそも神の要求なのか。」

ってことについて。


JWというのはアメリカの宗教だし、よってある程度生活が確立された国でしか通用しない決まりがあると思います。その再たるものが集会。

たとえばこれは中国での話しですが、住むところもたず、ビルの建設現場で寝泊りする夫婦をテレビでみました。建設現場でペイントなどの仕事をしているのですが、ビルの建設が終わると同時に次の職場(であり、宿泊の場である)ビルに移ります。

例えばこういう人がエホバの証人になれるんでしょうか。

旅行しながら仕事をする類の人は、結局その職を辞めて「定期的に集会をとらえることができる仕事」を選ぶよう協会から励まされますが、

全ての人が(特に上のような発展途上国の人)沢山休みをとり、9時から5時の仕事にうつれるのか。というと違うと思う。

アメリカにうつった中国の人は大抵中国に残った家族のために、仕事を2つも3つもかけ持ちしている。中国の人はキリスト教という概念が新しいので、すぐ研究に応じてくれるけど、

集会の段階になってこの教会の要求が不可能であることに気付いてやめてしまう人が多い。

私がJW時代に非常に疑問に思っていたのはこの点で、

定期的ひとつの会衆にとどまり、毎週集会に出るというライフスタイルが確保できない人は

エホバの証人になる、(でいる)資格はないのだろうか。

こういうと周りのエホバの証人は

「それはそういう人たちがエホバのために職を変えたり、見つけたりしてこなかったので、大変な生活をしている。

集会にいきたという正しい願いのもとで、良い職をさがしていなかったから、エホバの助けがなかっただけ。エホバの助けがあれば不可能なことも可能。」

という。

ところが実際香港などでは飲食店で働くJWが多く、夜の集会の支持率がほとんどなくなって、平日に朝から晩まで(奉仕会、神権宣教学校、公開公演、物見の塔、書籍研究の5時間コース)集会をする。

という会衆ができてきている。

アメリカでも中国人のためにこうした集会形式がぼちぼち誕生しているらしい。
(ちなみに、今でもあるのかどうか分かりませんが、日本でも英語会衆はこの形式をとっていたと思います。)

忙しく働き、休みの日は朝から晩まで集会。

こうした生活がいつまで続くのか、ということしかり、、またこういう形式になると、崇拝を楽しむというより、とにかく要求をこなす

という感じになるんじゃないかと思う。

私にとっては、エホバ証人がほんとうに神が用いている組織だと思えない理由のひとつです。ある状況の人にはできて、ある状況の人には難しい。そんな崇拝形式を本当の神が選ぶはずがない、、って。

宣教学校・奉仕会のなぞ2

2007-05-17 01:33:36 | ●教理への疑問
神権宣教学校と奉仕会について。

神権宣教学校の旧教科書は好きでした。JW時代JW教理本にあきあきしていた時に、教理色の一番薄い本でしたし、そういう意味で読んでいても嫌な気持ちになったり責めれる気持ちになったりしなくてすむので、安全本でしたね。私には。

それに結構実用的なところがあったと思います。新しい本になってまわりはわいたけど、私てきには新しい本は嫌いです。やたらとでかいだけで簡潔さがない。表現も無駄に回りくどいようなきがして、単なる水増しだった印象。


ところで、神権宣教学校ですが、、2世の中にはこれが世で結構役にたったという人がいます。

私もそう思っていたんですが、親の反対を押し切ってアメリカの大学に入った時に(事情があってすぐやめました)最初のセメスターでこれと全く同じようなことをやるんです。ちなみに大学に入らなくても準備コースでこれと全く同じ授業を受けられます。いわば単位に入らない科目ですから。

いわゆる、スタディースキルというやつで、プレゼンのしかた、レポートの書き方、というやつですね。でもこれが神権宣教学校とそっくりなんです。

JW唯一の財産だったプレゼンスキルがたった週数時間、1学期であっさり網羅されてしまうんだなあ。って拍子抜けでした。

しかも

JWの神権宣教学校の割り当てって卒業がないですよね。

私なんか小学生からやってるから、何度クリアしたか分からないけど、まだまだきます。終わりがないんです。

いわゆるスタディースキルだけを永遠に勉強しているようなもので、

無駄です。

エホバの証人で良かったこと、にこの神権宣教学校を挙げてる人はよく考えてください。

考えて見るとエホバの証人で良かったことなんてない。って結論に私はなりました。

奉仕会については先に書いたように戸別訪問ビジネス集会と代わりないんだけど、「組織」会でもありますね。この集会に出てないとJW活動の日程がわからず、久々にいくと浦島太郎です。他の集会は家で出版物読んでるだけでクリアできるんだけど、これだけはちょっと違うと思います。

ものみの塔組織と密接に通じている集会です。組織の見かた、組織のお知らせ…エトセトラ。

そんな点でやっぱりどうしてもこれらの集会が「神を崇拝する」ための集まりとは思えない。

ホームスクーリングをすすめるエホバの証人

2007-05-15 00:36:00 | ●教理への疑問
集会にいったのでいろんなネタが仕入れられました!(笑)

まだ元群れ司会者の失礼な態度には気持ちが収まらないし、これからのことを考えると憂鬱ですが…パニックになってばかりもいられないので、、記事書くことにしました。

先週訪問講演者が来たらしく、ある姉妹から一部始終その話を聞かされましたが、この人は外国人妻と国際結婚し世界中に旅行しながら奉仕してるそうです。

別に巡回監督とかじゃありません。ただのヒラですが、この夫婦に小学生くらいの子供がいるんです。

なんとホームスクーリングをさせてるんです。

みなさん覚えてますか?かなり前に雑誌にちょくちょく出ましたよね。最近は出ないので問題が起こってたんでしょうか。

でもまだいました、これやってる人が。

ホームスクーリングはつまり、子供を学校に行かせないで家でネットなどを通して学習させる方法です。

いじめにあった子とか僻地に住んでいて交通手段がない子、体に障害があって動けない子のための教育システムですよね。

でも、健常者にはこれ、どうなんでしょうか。

小学生という一番感性が磨かれる時に、家に隔離されてるんですよ。そして会うのは全てJW.

これ…って将来障害が出ないと思うのがおかしい。

JWはホームスクーリングについて「世からの影響を受けることがない。」とか「集会時間が確保される」とかいって奨励してましたが、いろいろな問題点があると思います。

●ネットからの学習の難しさ。


私はパソコンの前で学ぶのは大人にも難しいと思います。
学び取るのも難しいけれど、集中すること、時間の割り振りを自分で決めることなど、

通信大学が費用が安いのに対し、卒業が難しいのはその理由もあるんじゃないかな。しかし通信大学の場合はすでに受講生のほとんどが社会人です。

まだものの「概念」もわからない子供にいきなり、PCやネットから(教材は送られてくるとはいえ)学ばせるのは難しい。いわゆる読み書きの基本からネットなんですよ。

大人にも分からないことをネットできこうと思って、ふと「なんて表現すればいいの???」と途方にくれること、、ってありませんか?

ホームスクーリングでは分からないことを聞けるから、といったって、質問するのってかなり大変なんですよね。学校なら周りの子の発言や間違いを通して理解が助けられるってことが沢山ありました。

 ● 第二に、子供は概念を教えること。簡単な算数なんかも概念がないと子供に理解させるのが難しい。しかもこの子は同じ年代の子と学校で会うこともないわけですから、実際には概念というものを遊びの中から学ぶのに、その機会も極端にない。

 ● 第三に

ホームスクーリングは親の教育指導が大きく関わっているのに、ほとんどのJW
親には教育がありません。

大体ホームスクーリングを選ぶようなJW親は狂信的に決まってますから、ホームスクリーニングをしているからといって、ずっと子供と一緒にいて勉強を毎日たすける、というようなことはしないと思います。

だいたい、障害がないのにホームスクーリングを選ぶ親は、それなりの教育があり、現教育体制に納得がいかない、自分のやり方で子供をより良く指導したい、という親なんです。

つまり、親のほうにもフルタイムの先生の仕事のようなことをする、自己犠牲と
熱意があっての取り決め(笑)のはず。


ほとんどのエホバの証人の親にはそいう気持ちはないと思います。


かわいそうな子供だな。と思いました。

このことを話した時、会衆の姉妹は「遊びたければ会衆の子と遊べるし」なんて気のない返事をしてくれましが、授業中一緒に方を並べて学ぶこと、毎回休み時間の人と話す刺激、学校のイベントやいろんな先生に出会うこと、朝、嫌々ながらでも登校する、こういった貴重な経験は会衆の子と遊ぶのとは違う。

二度書きますが、ホームスクーリングを選ぶJW親のほとんどが

「世の影響をうけさせないように」

という理由で子供を学校に行かせないんですよね。

すごいことです。

私は2世だったけど、学校に行かせてもらえて本当よかったと思います。
親にそれは感謝しなくちゃ。と思いました。

疑問12 神権宣教学校と奉仕会

2007-05-10 21:18:57 | ●教理への疑問
日本とアメリカの王国宣教って同じなのかな、、しっかり見比べたこともないので分かりません。

アメリカでも集会中にガムかむな、とか集会にふさわしい服装とかの記事が周期的に出ます。

これ、反発を感じる人とそうでない人といますが、私はどちらのいい分も正しいと思います。

と、いうのは、世の教会ではノースリーブなどは不敬ってことで禁止ですが、エホバの証人は結構着てる。ジーンズ生地の服も労働用の服ってことでだめだけれど、ジャケットならならJWは着てる、

世の教会が観光客でもこういう格好をしている場合お断りなのに、エホバの証人はノースリーブやスリット、ひざ上のいわゆるビジネススーツとスカートのような格好もOKです。

と、いうのも、、、、

JWの集会って崇拝なんですか?


すごい義にがちがちなJWですが、こういうところ抜けてるのは多分、JWの集会が崇拝の場って感じがしないから手落ちになっちゃうじゃないかなと思います。

たとえば、黒人の方に多いけれど、JWを他のキリスト教と同じだと思って集会に来てくれる人がいます。こういう人はJWの他のキリスト教との差別化なんて知ったこっちゃないって感じで、ある意味正統はなんですが、

集会に来ているのにJWになる気配がない人たち(笑)がいるんですけど、

こういう人たちは、日曜日にはきちんとした服を着てきますが、

神権学校と書籍研究にはジーンズで来たりします。

つまり、神経宣教学校奉仕会と書籍研究は崇拝行為ではない


ってはっきり思ってるわけなんです。


それって正しい。

だって、神権宣教学校なんてただのスピーチクラスです。奉仕会なんて個別訪問セールスの集会とかわんないし、書籍研究って、その存在理由自体、、、これまた個別訪問セールス奉仕会の延長だし。(定期的に出版物読み返すと、研究司会の時役立ちますよね。)

神権宣教学校が崇拝の場である、というなら、どうして心からお話をつくって、エホバに感謝してる、、人の話を割り当ての適応にそってないから努力、ってことにするのは変。

これを崇拝とごっちゃにするのはやはり変です。やりたいなら、集会後に学校としてどっかの会館ででもすればいい。


こんな風にスピーチ学校とセールスミーティングを崇拝だと言ってるから、参加してる人も混乱するんですよ。ガム噛むな、とか、敬意を表す服装をしろっていっても、大体何に敬意を払わないといけないのか。敬意を払わないといけないような、世の教会のように神聖な気持ちになるような集会じゃないんですもん。

だから、ばりばりJWでもたまに服装とかガムとか指摘されないと、忘れてしまうんですね。

(ところで、めまいするくらい眠い内容できちんと意識を失わずおきてるためには、、ガム必需品。)

大会だとあんな長い時間崇拝してろっていうのが、そもそもハードな要求だと思う。世の教会のミサなんか短いですから。それくらいだったら、私も敬意を表してガムとかかまないから。



疑問11 集会-拘束時間の長さ

2007-04-18 04:54:59 | ●教理への疑問
疑問です。どうしてこんなに長い時間集会・奉仕に要求されているのか。

もちろん、これに大会やその他の形態の(交わりやピクニックなど)”要求時間”はふくみません。

とにかく長い!

この一言に尽きる。イスラエル国民やイエスの時代だって一般人はこんなに要求されてなかったのに、今の時代だけなぜ?と思う。

しかも大体出ていればいいというわけじゃなくて、奉仕だって普通の伝道者は10時間くらいが「普通」15時間あれば文句なし。

今の時代一体どれくらいの人が毎週の集会をやりくりして、普通に就職したりできるのか、不思議です。できたとしても息もつけないスケジュールになるのではないでしょうか。そしてそれを一生続けてゆくんだから、途中で燃えつきてもおかしくありません。

集会、短縮して欲しいです。

もちろん短縮されたからと言って組織にとどまるのかというと、もちろんそんなつもりはなくって、自分はやはり組織の言うとおり、「献身するかしないか」だと思っているので、どんなに内部が変わっても組織をさるつもりです。(いつかは分からないけど。)

残る2世のために。

書籍研究がなくなるだけでも、一晩の外出が防げる。それって大きいですよね。たった1時間といったって、前後含めるとかなりの時間の出費ですし、本当に少しだけだとしても出かけなくてはいけない、というプレッシャーはけっこうなもの。

JWにはそれが三日もある。プラス奉仕。

● 集会がこれだけあるのは霊的な食物を絶え間なく与えて、成員を鼓舞するため、、といういい分を信じていました。何事も集中しないと達成できないから、
協会が絶え間なく集会にでるよう励ますのは(嫌だったけど)理に叶ってると思っていました。

よく考えてみると、こうして毎日、毎週耐えず食べさせてもらわなければ死んでしまう信仰なんて、ないも同然じゃないかと思えます。

今思えば病気なんかで集会に数回でないと、かなり過激派JWでも「霊的」に弱るんですよ。ものすごいばりばりの開拓姉妹が引っ越しなんかで数週間集会に出られないとぱったりそのままやめたり…って話よくありますよね。

JWの呪縛を切るのは意外にも簡単なのかもしれない。
集会を絶てばいいだけなのかもしれない。

集会はJWにとってタバコのようなもの。少しJW集会フリーの期間があれば…だれでもすこしは健康になって、うまくいけば誰でも禁JWに成功するかもしれない。


疑問10 攻撃的なクリスチャン・エホバの証人

2007-04-05 04:45:35 | ●教理への疑問
エホバの証人を知れば知るほど、彼らの攻撃的なところが目につくようになるんじゃないでしょうか。

エホバの証人が自分たちが真のクリスチャンだと証明するとき

愛があるのが真のクリスチャンの印。JWは愛があるから真の宗教。

という証明の仕方をしますね。


こう書いてみるとめちゃくちゃ「自己申告」で証拠もなにもあったもんじゃないです。

でも私が現役JW(今は中にいますけど、JW用語でいえば背教者ですよね)だったころはこれがJWが真のクリスチャンだと思う理由でした。

だってJWていい人が多いから。

と思っていました。

2世で若く、オトナとして扱ってもらってなかったから、見えなかったんでしょう。

長老が

そうなんです。JWってわりといい人が多いんです。長老以外は。

にこやかで優しい、気遣いがある、兄弟たち。

長老になるとだんだん変わってゆく。それについていけない良い人はいずれ長老を降り、田舎に帰ってゆく。


最近昔なじみと会う機会がありました。彼は女の子みたいに優しい人だったんだけど、お医者さんになっていて、性格がびっくりするほど変わってました。威圧的とうか。聞いてみると「これは職業病のようなもの。病院では責任あるから毅然としてなきゃいけない。最初のうちは演技なんだけどね、それがイタについてくるんだよね。しかも周りからちやほやされないっていったうそでしょ、。エゴも大きくなる」

って。

これって長老にも当てはまるかな、と思いました。

最初は会衆のことを思うやさしい兄弟でも、会衆で立場をえると変わってゆく。
ちやほやされる。

困ったことは医者とちがって長老たちにはなにもちやほやされる理由がないこと。
だからどうしようもない人間なのに勘違いして人をいためつけたりする長老が出てくる。そしてどんどん手の付けれらない人間になってゆく。

加えてJWは実をいえばかなり攻撃的な人格を培うよう促されている。

排斥された家族に「毅然と」接するようにとか、他のキリスト教をバビロンだと”臆することなく糾弾”する勤めがあるとか、

こういう攻撃的なことを煽られていて、一方で穏やかに優しくいられるわけがないです。

特に演壇からのお話で他の教会の”罪”に言及する時の荒々しさといったら、悪意がみなぎってる。英語だとさらに話し方が誇張され、この人は本当にクリスチャンか。って思う。

大会だともっともっと激しくなる。そして普段底辺として”世”であぶれているJwはそれに興奮する。

やはり優しさとか愛とかよりも、憎しみや怒り、憤りといった感情のほうが簡単に人をハイにさる。集会後、興奮した面持ちの人たちがいかにキリスト教が腐敗しているか話あう。

人の悪口は話がもりあがりますよね。こうやってうかばれない日常から非日常感をえる。

外国は日本より気性がはげしいから、如実です。分かりやすいです。

先回の巡回訪問で、エホバは必要なものを備えられる、って題の話がありました。

ダビデが武器なしでどうやって敵を倒したかという話だったのですが、ダビデの隊は武器をもってなかったそうです。しかし信仰をもって向かった結果、最初の敵を倒した時、残った武器があった、それをとって闘った。こうしてエホバは必要なものを備えられた。

監督は妙にうれしそうにこの話をしてました。

話としては戦争物PCゲームとなんらかわりない。それをみんな興奮した面持ちで聞いていました。



疑問9 パウロとは何者なのですか

2007-04-03 00:19:18 | ●教理への疑問
表題の通り

「パウロって何様?」

という記事です。

パウロは世間一般でも「女嫌い」で知られているようですが、それ以外にも過激な行動や発言で問題の人物。(笑)

(”女嫌い”でいつも思い出すのはトマス・ハリスの小説「ハンニバル」。(羊たちの沈黙の続編)で主人公の女性FBI捜査官クラリスをねたんだり(惹かれたり)するポールというう名の上司が最後のシーンで正気を失ってお祈りをするんですが・…

クラリスを馬鹿にしたお祈りの内容なんですよね、

その時クラリスが「(他の)ポールでも(パウロの英語名)なかなかできないようなお祈りね」とか、そんなジョークを言ってました。余談です。)

パウロについていいたいこと

●ステファノ殺害を容認

したことになってるけど、私は密かにパウロもステファノ殺しに参加したと思う。
「男も女も引きずりだして」積極的に迫害していたパウロだから、この時にかぎりステファノの殺害を見守ってただけとは・…言わせないし。

気性の激しい人だから他の殺害にも関与してるかもしれない。

していなかったかもしれないけど、人殺しに積極的に関与しておいて後のほうではえらくでかい態度

淫行批判する前に人殺しについてなんかコメントとか反省とかないし、名前まで変えちゃって出来ればサウロは違う人ってことに・…なかった事にって知らん顔。私は淫行よりも人殺し
のほうが責められるべき罪だと思います。が。


ものみの塔前身のような人だと思います。

ものみの塔パウロの引用異常に多い。

気が合うんじゃないでしょうか。


●ギリシャ語聖書のほとんどがパウロによる執筆

マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ・使徒、ペテロ1,2ヨハネ1,2、ユダ、啓示を除いては全てがパウロによって書かれた。

あまりに主観的なコメントかもしれませんが、私はパウロが書いた部分を読むとかならずむかむかします。

まあ、パウロもかなり主観的なむかむかで書いてるところあるから同じレベルかもしれません。

私はパウロが書いた部分ははっきりいって霊感を受けてるとは思えない。よって聖書とも思ってません。

他の部分はまだ一応私の中では保留(聖書が霊感を受けた神の言葉かどうか)なのですが、パウロの執筆部分について、またそれに言及してる研究記事は心穏やかに無視できるようになりました。

●上の記事につけたし。

集会中時間があったので、すこし聖句を調べて見ました。(笑)
これは女嫌いのゆえんとされる聖句…っていうか聖句なのかな、「パウロの偏見
に満ちた手紙」ではあるけど、これが神からの言葉かというと、違いと思います。

コリ(1)11:3 「男のかしらは切りスト、女のかしらはおとこ」
コリ(1)14:34 「女は会衆で黙っていなさい」
テモ(1)2:11 「女は全き従順をもって静かに学びなさい」

以前は女預言者とかいましたよね…。

というか、イエスは以前の律法をはいして、ベターなものにしたはず、なのに、パウロによってぶち壊されてる気がします。聖書もキリストの直接の記録だけだったら今の”キリスト教”(とくにJW!)がだいぶ変わったものになってたと思うのです。

パウロの特徴としては
●攻撃的(まあひとこ○しくらいとわない人ですから)
●ネガティブ
なところがありますよね、


疑問8 排斥は愛ある処置?

2007-03-29 22:03:58 | ●教理への疑問
排斥という言葉を洞察で調べて見ると、その項はなくって、代わりに追放,追い出すという項目がでてくる。

そこには

「非行者を共同体もしくは組織における成員としての立場および交わりから裁定によって放逐する,すなわち排斥すること。宗教社会にあっては,これはその社会の本質的な原則ならびに権利であり,国家や地方自治体が行使する,死刑や追放,除籍といった権限に類似しています。」(洞察より引用)

とかいてあります。

死刑といった権限に類似。

そう、その通りですよね、社会的、または感情的、そして信仰上の死刑。

ところがエホバの証人は「排斥は愛ある処置」という。

実際聖句には排斥者を再び受け入れるという聖句はなく、出版物ではだいたい変わって「放蕩息子の例」がでてきます。

または「過度に悲しみに飲み込まれないよう」受け入れる、という聖句などを出してきます。が

結局はお得意の聖句の切り張りモザイク。


聖書にある排斥は、そう、ストレートに腐敗したものを取り除くというもの。

モーセの律法下での死刑と同じ。

以下、洞察よりの引用です:

律法下では,切り断つという罰を執行するには,少なくとも二人の証人の口によって証拠が確立されねばなりませんでした。(申 19:15)それら証人たちには,有罪とされた人に最初に石を投げることが要求されました。(申 17:7)このことは,神の律法とイスラエルの会衆の浄さに対する彼らの熱心さを実証するものとなり,偽りの,いい加減な,あるいは軽率な証言を抑止するものともなったことでしょう。(引用終わり)

それならそうと

なぜ、変に「愛ある」処置などとすり変えたりするんでしょう。

(ところで、上の引用は”証人”も死刑に加わる、だから軽い気持ちで証言しないようにっていいたいんでしょうが、相手が死刑になるんです。当たり前だと思うけど。)



協会は弱虫なんですね…。


信者に殉教をたきつける一方で、自分たちは周りから悪く言われることが怖い。

伝道者には「家の人や研究者から排斥についてのトピックをだされたら、はじめの段階では話さないように」と指示されます。

愛ある組織の愛ある処置なら

愛の印として最初から話てもいいと思います。


あと…余談ですが、排斥者が悔い改めた時の試験期間みたいなのは、聖書的根拠ゼロですよね、1年まてとか3ヶ月でいいとか、


疑問7 エホバの証人の「2世」教育

2007-03-18 05:37:46 | ●教理への疑問
目覚めよ!3月号「今日の若者の必要を満たす」から引用です。(この雑誌活用できますね…。)ちょっと長くなりますが、以下↓引用。太字はめざめよ!誌で太字だったものです。(わかりやすく大きくしてあります。


■若者にはアイデンティティが必要。

成長する上で非常に重要なのはアイデンティティー-ある人を他の人と異ならせる独自性-を確立することです。(略)親であるあなたの仕事の一つはお子さんの心に正しい原則を教え込むことです。

(略)愛のこもったこらしめと「精神の規整」とによって新しい人格を身につけるようお子さんを助けることができます。そうすば、子供は成長してひとり立ちするにつれ、「新しい人格」を自分の”服装”として選び、それを真に美しく魅力的なものとみなすようになります。

 こう自問してください。「うちの子供たちは神の言葉の中で教えられている価値感について本当はどう感じているだろうか。(略)

目標とすべきなのは表面だけ従順な子どもに育てることではありません。ある子供たちは一見、何でも親から言うとおりにでき、質問することも、文句をいうことも、逆らうこともありません。しかし、今日は親の望む通りにするとしても明日は世の望むとおりにするかもしれません。

ですからお子さんの「理性」を培うように訓練しましょう。聖書の原則がなぜ健全でどのようにわたしたち全てを益するかを理解するように助けるのです。

 そうでうす、必要を満たせるように若い人を助けるには努力が必要です。しかし、そうするだけの価値は十分あります。子供たちがあなたの教え込んだただしい原則によって生きるなら、あなたは心からこう言うことができるでしょう。子供たちは本当に「エホバからの相続物」であると。」

引用終わり。


最後の結びの節が強烈ですね。この文書を読んで気分が悪くなった方も沢山いると思います。

最初に「若者にはアイデンティティーが必要」と理解のありそうなことを言っていますが、結局は親がそのアイデンティティを意図的に選ばせる、つまりアイデンティテイの押し付けが協会では公に勧められている。

 「今日は親の望むとおりでも、明日は世の望むとおりにするかもしれません。」

ここで分かることは、協会は”若者””2世”を生まれつきどうしようもない、アイデンティティーを与えてやらなければならない”物”のように扱っていること。

親に逆らうことも文句をいうこともしない若者の気持ちを考えたことがあるんでしょうか。葛藤しながら、周りから迫害に会いながら、自分の将来を棒にふってまでも親の信仰を支持したい、と思うからです。親への愛からです。

”明日は世の望む通りにする”かもしれない理由を考えたことがあるんでしょうか、、、。2世がJWをやめるということは、世が楽しいからとか、いわゆる”快楽にふけりたい”からなんていう簡単な理由からではありません。

子供の頃から教えられたアイデンティテイと肉親への愛をふりきり、友人のほとんどと関係を立たれる、これだけの代償を払ってまでそうしなければいけない、そこまで追い詰められているから、そこまでするんです。

 「ですからお子さんの理性を培うよう訓練しましょう」という前にこれが純粋な人権損害であること、その可能性を親であるJW、組織には考えるべきだと思います。

● 「聖書の原則がなぜ健全かを理解するよう助ける。」

 これはエホバの証人という組織全体が2世教育に対して失敗した点だと思います。演壇や大会で「私たちは世の人が持っていない高い道徳基準をもっています!」と鼻高々に宣言することが、イコール高い道徳を得ることではない、、。

結局は”罪”を犯すと、聖書時代には死刑にされた、とか、現代ではこんな病気になるとか、罪の結果の脅かしや恐怖、JW社会での制裁などをもちいて、有無をいわさず押さえ込んでいるだけで、「なぜそれが悪いか、なぜそれが罪なのか」を説明できない。

それがものみの塔だと思います。

というのも、自分が道徳的に感覚のない人間だからです。

最近、「エホバの証人と性」のエントリーにコメントを下さったmasaさんの言葉でこの記事を書く勇気がでました。

感覚がないんです、、。以前も「世」の人から「高い道徳基準といっても、大体の社会でJWのやってることは常識だし、だからといって高い基準と自慢したりはしない、それどころか、こう言っては悪いけど、あなたはこれはいいけど、これはOKゾーンというように、道徳を心ではなく”テクニカル”に解釈しているように聞こえます。」と言われたことがありました。

 エホバの証人の子供はmasaさんのコメントにもあるように感じることが許されていない、その前にいい、悪い、を他人から決めつけられる。だから私のように、聖書や世間で悪とされていることも、頭では理解しているけれど、心では理解できない、そんな人を作りだす教育をJWはしている。

それは自分に対する言い訳かもしれないんですが、100%否定はできないと思います。聖書では人間が善悪の知識の木から食べて罰せられた。自由意志を与えられていながら、善悪を判断することが許されていない。思えば、それが神の原則でしたね。その点では、それをしっかり守っているエホバの証人は”真”に聖書を守りおこなってる集団かもしれません。

 陰山英男さんの本(「学力低下を克服する本」という本でした。)で、簡単な算数でも理解するには日常遊ぶという実体験がないと、概念というものが理解できない、というくだりがありました。

簡単な算数にも日常体験が必要なのが人間、その日常での体験や感じることを子供の頃から(ある人は生まれた時から)否定されているエホバの証人2世が、人格に問題を持たないわけがないと思うのです。感じなければ学べない、だから表面では品行法制、オールドファッションと言われるくらいに道徳には保守的のように見えて、実はそうではない、そんな子供ができる、のかもしれない。



 普通の人間のように感じられない。道徳にも快楽にも鈍感で、どう感じていいのかすらわからない。それが自分です。むやみにホラーをみまくった時期もあります。うまく理由を説明できないけれど、無感覚をいくらかでも刺激したい気持ちか、究極の無感覚まで達したいという気持ちか、、

人間の一番根本の感覚は恐怖だといいます。恐怖を感じることで、自分の悩みを忘れたい、という気持ちだったかな、、。よく分かりません。

うまく書けませんでした、、ごめんなさい。

自分にもし子供ができたとしたら、絶対エホバの証人として育てたくない。だって、こんなどろどろと心に闇がいつもうずくまってるような苦しい思いをしてもらいたくないから、、。

疑問6 輸血拒否

2007-03-02 04:47:19 | ●教理への疑問
エホバの証人が神の唯一の組織ではない、とはっきり気付いたきっかけになったのが輸血問題です。

ところで、人生のほとんどをエホバの証人として過ごしてきて、今までどうして気付かなかったのか、指摘されても気にならなかったのか考えてみました。

●輸血問題はなんとなく難しそう。
●調べるのがめんどう

理由はこの2つに限ります。実際アメリカのJWの中には、自分の良心が許すフレグメントはどれか、そしてその理由は(そんなのないんですが笑)?ということを考えて輸血拒否カードにサインしなければならないのが、面倒で何年も昔の拒否カードを惰性で持ってるだけ、という人が結構います。

ちなみに日本人は「カードはいつも肌身はなさず、首からかけろ」なんて言われますよね、プラスティックのカードにいれて首からさげている人もいました。私も母から強制されていたけど、体にぴったりした感じの服を着るとプラスティックカードケースがごつごつ見えるし、第一肌にあたって痛いので、すぐやめましたが、キチンとこれを守っている人もまだ沢山いますよね。

アメリカでは保険がないと治療してもらえないので、事故があった時にはまず財布をみます。保険書と一緒にしておいたほうが体につけてるよりも確実ということで、財布に入れている人が多いです。

ヨーロッパでは最近のセクト取り締まり強化のため、輸血拒否カードは集会所で各々サインする方法では無効になったそうです。弁護士により用意されたいくつかの書類にサイン、もちろん弁護士代も日本円でサインを見てもらうだけで1万円ほどだとか。

1年に一度やってくる輸血拒否カード記入まつりみたいな中で「サインしないとやっぱりだめだよね」という雰囲気がなくなるだけでもフェアですね。ノースアメリカは集会後サインをもらって回ることはなく、家で個人でやるように勧められています。

さて、2世はJWの法律が世界の全てなので、輸血拒否が筋の通ったことかどうか、は大体調べないと思います。JWが宇宙の法則だから、世の人が「人は生まれて、いつかは死ぬ。悲しいけどそれは変えられないから受け入れるしかない。それに逆らっても無駄」と考えるのと同じように、

輸血はだめ、だめと決まってるからしょうがない。だから追求しない。

という態度です。

1世はというと、99言ってることが正しいから後の1つも自動的にただしいの法則で、
JWは大体(全部じゃない。予言とか外れてるけど、謝ればチャラ。)いいことをいってるから「血を拒否」することもなんか神が益を思って思ってやってるから、従ってればいい。ちょっと「?」って思うことも、全部理解できなくても、時にただ「従順」に組織に従うことが求められるから・

と、血のフレグメント問題でめちゃくちゃ言われても気にしない。


● 問題は血の問題は難しいと思われている

ことにあると思うんです。誰も調べようとしない。難しいからパス、と決めこんでるから「私は血は全面受け付けません。(私って霊性高い)」か、「組織がOKなものは、あやかって全部とにかくOK]という人まで、”難しいからひとまとめにして全部OKか全部だめ”という態度には変わりない。

● 考える時期が短い

輸血拒否は命に関わる問題なのに、JWとしてそれを考えるのはこの「サイン」の時期だけ。そのちょっと前に思い出したように血に関する雑誌がでたりするだけ。それが終わるとみんな忘れさってしまうか、考えないようにしているか、講演でもものみの塔研究でもほとんど取り上げられることがない。

毎日の生活で輸血が必要な場面が少ないからでしょう。ただ、急に具合が悪くなった時などJWには「あ、考えてなかったけど、輸血問題が」って病気以外に非常にストレスになる。「後回しにして何もしなかった、調べなかった」という罪悪感も常にある。

実は調べても調べなくても同じなんです。めちゃくちゃを言われてるだけだから。

でもJWはそう思わない。自分が分からない、調べなかったという後ろめたさで、いざ必要になる時に医療委員の兄弟のいう事を鵜呑みにする。

●根拠のない選択肢、禁止項目

まず輸血拒否の根拠となる聖句にあまり説得力がないのは、みなさん感じておられると思います。一番新しい折込でやはり気になったのが、手術の前に自分の血をとっておく(笑。日本語の折込ないのでなんというか分かりません。笑)方法はダメなのに、手術の時出た血を集めて、濾して使うのはOK.という点です。

自分の血を取って、オペ当日に使う方法は、採血が少なくとも1日以上前に行われるからダメ?体の外に出た血は3時間以内なら、まだ自分の血で~す。とかいう決まりがあるんでしょうか。あ、24時間外にあったからアウト!とか。

今の組織は血がある程度すぐ体に戻る場合はOK,一夜おいたらだめ、みたいなスタンスのようですね。人工透析はよってグレーゾーンだけど輸血にはならない。

しかし人工透析をグレーゾーンだとしらず、公にOKだと思っている人も沢山います。それは人工透析をしている人がJWにも大勢いる、それをグレーゾーンだ、とはっきり言うと間接的に「死ね」ということになるので、バッシングが怖いのでしょう。輸血拒否もある意味「死ね」という意味なんですが、事故の場合突発的に起こるので、人工透析のように週に3回かならず必要、という処置よりも言い逃れができる。

最近も講演者が「神の組織や教えによって人間は濾され、きれいになる」という例えで人工透析の例えを使った兄弟がいます。グレーゾーン、グレーゾーン。(笑)

●アルコールを点滴する挿絵のトリック

医者から「アルコール飲んではいけない」といわれて、飲まないけれど体の中にいれてもいいという人はいない。JWが好んで使うたとえです。これに「そのとうり」と納得して輸血拒否を受け入れてしまうJWが沢山います。私もそうでした。

実際には食物のように体の中で分解されるアルコールと、食物として胃に入った時の吸収のされかたと、血管に入れた時では全く違う血では比べることができないのに、なんか理論的に聞こえますよね。

●自己責任

そして最後は自己責任というオチ。拒否カードが配られた日、集会で実演がありました。教会の資料をうずたかくつんだ姉妹が拒否カードを前にして自問自答というあれです。

そこで血液フレグメントについて述べるのかと思いきや、「毎年、後まわしにしていたけど、今日こそ時間をとって、資料に目を通さなければ。自己責任なのだから、」

と協会はフレグメント云々よりも、自分たちにつけが回ってこないことを、第一問題にしているんだ。

この日、集会を後にした時、私の心は晴れ晴れとしていました。もう、終わった。って思っていました。