《東京「君が代」第3次訴訟12・24第3回口頭弁論 陳述要旨<2>》
◎ 第4 本件訴訟においてピアノ判決を引用することの適否

「報告集会」 《撮影:平田 泉》
1 被告はいわゆるピアノ判決を引用し、ピアノ判決の法理に従えば、起立斉唱ピアノ伴奏を命ずる本件職務命令が原告らの思想・良心の自由を侵害するものではないことは、明らかであると主張しています。しかし、ピアノ判決の論理に対しては、これから述べるように,種々の問題点を指摘できます。
2 まず,ピアノ判決は、「入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろう」と認めつつも、「一般的には、これと不可分に結びつくものということはでき」ないとして、「本件職務命令が直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできない」と結論づけていますが,この判示は、精神的自由の重要性を看過しているものといわざるを得ません。
そもそも憲法19条が「思想良心の自由」が保障したのは、各人のもつ思想良心の多様性を尊重するためです。
この趣旨に照らせぱ,ある人の思想良心に基づく選択が「一般的には……(思想良心と)結びつかない」ものであるとしても、その人にとって思想良心と結びつくならば、憲法19条の保障が及ぶと解されなければなりません。
3(1)さらに,ピアノ判決は、「入学式の国歌斉唱の際に『君が代』のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであ」ると判示しています。
しかし、入学式等の式典において、国旗に正対して起立し、国歌を斉唱する行為及びそれを補助するピアノ伴奏行為は、客観的に見るかぎり、国旗および国歌に対して敬意を表しかつ賛美する性質を有していることは否定できません。したがって,ピアノ判決の前述の評価は、入学式等において「君が代」のピアノ伴奏をする行為が有する客観的性質を明らかに見誤っています。
(2)そしてピアノ判決は、今指摘したように、ピアノ伴奏行為のいわゆる思想の外部表明性を否定した上で、本件職務命令は、「上告人に対して、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもな」いと結論づけています。しかし、この判断は、ピアノ伴奏の強制が,「ピアノ伴奏できない思い」を持つ者にとっては、その者が「ピアノ伴奏できない思い」という思想、信条を有することを外部に示すことを余儀なくさせるという,いわゆる「踏み絵」と同様の結果をもたらすことを看過したものであって失当です。
5 ピアノ判決は違憲審査基準の定立とその具体的検討のいずれにおいても失当であること
(1)ピアノ判決は違憲審査基準を誤っていること
ピアノ判決は、単に職務命令の目的・内容の合理性のみを判断して違憲審査を行っています。しかし,思想良心の自由に対する「制約」の違憲審査が問題となる場面においては、その重要性から,制約目的及び制約の手段・方法等の両面について厳格な審査がなされなければなりません。したがって,ピアノ判決にはそもそも違憲審査に当たって採用した判断基準自体に誤りがあります。
(2)違憲審査基準への具体的当てはめに際してのピアノ判決の誤り
ア また、ピアノ判決は,①憲法15条2項や地方公務員法30条,32条に照らし、「上告人はA小学校の音楽専科の教諭であって、法令等や職務上の命令に従わなければならない立場」にあること,また,②入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは、小学校学習指導要領の国旗国歌条項等の規定の趣旨にかなうものであること等の諸事情を総合した結果として、「本件職務命令は、その目的及び内容において不合理であるということはできない」と結論づけています。
イ しかし、まず,公務員にも原則として人権の保障が及び、その人権制約が正当化されるのは重要な対立価値の保障を実現するためにやむを得ない例外的な場合に限られます。したがって,公務員であっても、「職務の公共性」や「全体の奉仕者」というような抽象的概念によってその人権制約を正当化することは許されません。それ故、ピアノ判決のように,上告人が、単に地方公務員としての「法令等や職務上の命令に従わなければならない立場」にあることを抽象的に指摘するだけでは、ピアノ伴奏命令の合憲性を基礎付けることはできません。
ウ また,ピアノ判決が,小学校学習指導要領の国旗国歌条項等の「趣旨にかなう」ことを理由として制約の不合理性を否定している点には論理の飛躍があります。なぜならば、子どもの学習権の充足を図る利益を究極目的として、卒業式等における国旗掲揚、国歌斉唱の指導という中間目的の設定が肯定されるとしても、これにより上告人に対するピアノ伴奏の強制の合理性が当然に肯定されるものではないからです。
(3)小括
以上のとおり、ピアノ判決の論理は憲法論の観点から見て説得力に欠け、先例となりうるような具体的事案における判断基準も充分に示されておらず、したがって、公務員の思想・良心の自由の制限に関する先例としての意義は乏しいものです。
7 本件事案はヒ。アノ判決の射程範囲外であること
そもそも,ピアノ判決が判断対象とした処分は,10・23通達及びそれに基づく職務命令が出される以前の事例であり,ピアノ判決は10・23通達及びそれに基づく職務命令について憲法判断をしたものではありません。
そして,ピアノ判決は、あくまで一校長が「君が代」のピアノ伴奏を一人の音楽教師に命じた事案に関する判断であって、本件のように都立高校に勤務する教職員全員を対象に、都教委の発した10・23通達に事実上裁量の余地なく拘束されて校長が,全校の教職員全員に一律に起立斉唱を命令した場合とはおよそ事案が異なります。
そうである以上,本件はピアノ判決の射程範囲外のものであり、仮にピアノ判決に公務員の思想・良心の自由の制限に関する先例としての意義を認めるとしても、ピアノ判決の存在は本件に何らの影響を与えるものではありません。
(続)
◎ 第4 本件訴訟においてピアノ判決を引用することの適否

「報告集会」 《撮影:平田 泉》
1 被告はいわゆるピアノ判決を引用し、ピアノ判決の法理に従えば、起立斉唱ピアノ伴奏を命ずる本件職務命令が原告らの思想・良心の自由を侵害するものではないことは、明らかであると主張しています。しかし、ピアノ判決の論理に対しては、これから述べるように,種々の問題点を指摘できます。
2 まず,ピアノ判決は、「入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろう」と認めつつも、「一般的には、これと不可分に結びつくものということはでき」ないとして、「本件職務命令が直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできない」と結論づけていますが,この判示は、精神的自由の重要性を看過しているものといわざるを得ません。
そもそも憲法19条が「思想良心の自由」が保障したのは、各人のもつ思想良心の多様性を尊重するためです。
この趣旨に照らせぱ,ある人の思想良心に基づく選択が「一般的には……(思想良心と)結びつかない」ものであるとしても、その人にとって思想良心と結びつくならば、憲法19条の保障が及ぶと解されなければなりません。
3(1)さらに,ピアノ判決は、「入学式の国歌斉唱の際に『君が代』のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって、上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであ」ると判示しています。
しかし、入学式等の式典において、国旗に正対して起立し、国歌を斉唱する行為及びそれを補助するピアノ伴奏行為は、客観的に見るかぎり、国旗および国歌に対して敬意を表しかつ賛美する性質を有していることは否定できません。したがって,ピアノ判決の前述の評価は、入学式等において「君が代」のピアノ伴奏をする行為が有する客観的性質を明らかに見誤っています。
(2)そしてピアノ判決は、今指摘したように、ピアノ伴奏行為のいわゆる思想の外部表明性を否定した上で、本件職務命令は、「上告人に対して、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもな」いと結論づけています。しかし、この判断は、ピアノ伴奏の強制が,「ピアノ伴奏できない思い」を持つ者にとっては、その者が「ピアノ伴奏できない思い」という思想、信条を有することを外部に示すことを余儀なくさせるという,いわゆる「踏み絵」と同様の結果をもたらすことを看過したものであって失当です。
5 ピアノ判決は違憲審査基準の定立とその具体的検討のいずれにおいても失当であること
(1)ピアノ判決は違憲審査基準を誤っていること
ピアノ判決は、単に職務命令の目的・内容の合理性のみを判断して違憲審査を行っています。しかし,思想良心の自由に対する「制約」の違憲審査が問題となる場面においては、その重要性から,制約目的及び制約の手段・方法等の両面について厳格な審査がなされなければなりません。したがって,ピアノ判決にはそもそも違憲審査に当たって採用した判断基準自体に誤りがあります。
(2)違憲審査基準への具体的当てはめに際してのピアノ判決の誤り
ア また、ピアノ判決は,①憲法15条2項や地方公務員法30条,32条に照らし、「上告人はA小学校の音楽専科の教諭であって、法令等や職務上の命令に従わなければならない立場」にあること,また,②入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは、小学校学習指導要領の国旗国歌条項等の規定の趣旨にかなうものであること等の諸事情を総合した結果として、「本件職務命令は、その目的及び内容において不合理であるということはできない」と結論づけています。
イ しかし、まず,公務員にも原則として人権の保障が及び、その人権制約が正当化されるのは重要な対立価値の保障を実現するためにやむを得ない例外的な場合に限られます。したがって,公務員であっても、「職務の公共性」や「全体の奉仕者」というような抽象的概念によってその人権制約を正当化することは許されません。それ故、ピアノ判決のように,上告人が、単に地方公務員としての「法令等や職務上の命令に従わなければならない立場」にあることを抽象的に指摘するだけでは、ピアノ伴奏命令の合憲性を基礎付けることはできません。
ウ また,ピアノ判決が,小学校学習指導要領の国旗国歌条項等の「趣旨にかなう」ことを理由として制約の不合理性を否定している点には論理の飛躍があります。なぜならば、子どもの学習権の充足を図る利益を究極目的として、卒業式等における国旗掲揚、国歌斉唱の指導という中間目的の設定が肯定されるとしても、これにより上告人に対するピアノ伴奏の強制の合理性が当然に肯定されるものではないからです。
(3)小括
以上のとおり、ピアノ判決の論理は憲法論の観点から見て説得力に欠け、先例となりうるような具体的事案における判断基準も充分に示されておらず、したがって、公務員の思想・良心の自由の制限に関する先例としての意義は乏しいものです。
7 本件事案はヒ。アノ判決の射程範囲外であること
そもそも,ピアノ判決が判断対象とした処分は,10・23通達及びそれに基づく職務命令が出される以前の事例であり,ピアノ判決は10・23通達及びそれに基づく職務命令について憲法判断をしたものではありません。
そして,ピアノ判決は、あくまで一校長が「君が代」のピアノ伴奏を一人の音楽教師に命じた事案に関する判断であって、本件のように都立高校に勤務する教職員全員を対象に、都教委の発した10・23通達に事実上裁量の余地なく拘束されて校長が,全校の教職員全員に一律に起立斉唱を命令した場合とはおよそ事案が異なります。
そうである以上,本件はピアノ判決の射程範囲外のものであり、仮にピアノ判決に公務員の思想・良心の自由の制限に関する先例としての意義を認めるとしても、ピアノ判決の存在は本件に何らの影響を与えるものではありません。
(続)
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