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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

《6・27東京「君が代」裁判 最高裁要請行動から》

2013年07月04日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 最高裁判所第2小法廷裁判官 殿
2013年6月27日
懲戒処分取消等請求事件 上告人 I

◎ ピアノ伴奏の職務命令の目的はあぶり出しにほかならないこと

 私は国歌不伴奏に対する戒告処分の取り消しを求めて上告しています。
 歌は、「歌詞の意味を考えて歌う」ものです。「君が代」は天皇の世の永続性を願う歌です。
 日本は「国民主権」の世に変わったにもかかわらず、天皇が神であり国の主権者だった時代と同じ「君が代」をなぜ、学校で処分をもって強制してまで生徒・教職員が歌わされなければならないのでしょうか?
 私が「君が代」伴奏をできなかったのは、①「君が代」が学校教育の中で果たした役割、子どもたちが天皇のために命を捧げて侵略戦争を担う「臣民」となるよう育てた歴史が、今の「君が代」「日の丸」強制にっながっていると考えるからです。
 また、②戦争が個人をいやおうなく巻き込むものだと、家族の歴史の中で知らされてきた、そのことが「君が代」を弾いてはいけないという思いと結びついています。
 この問題で裁判官に訟えたいことは主に2点あります。
 (1)音楽は心と切り離せない
 最高裁第2小法廷の千葉勝美裁判官は関連裁判の判決(2011.5.30)の補足意見において、敬意表明の要素を含む起立斉唱よりもピアノ伴奏の方が、核となる思想信条等との関連性が薄い、という趣旨の判示を行っています。
 しかしこの考えは「敬意」というものをあまりにも表面的に捉えています。演奏する曲目への敬意と愛は、音楽の根本です。
 世界的チェリスト、パブロ・カザルスは「音楽を心から敬いなさい。それが音楽の第一の掟だ。」(パブロ・カザルス「鳥の歌」ちくま文庫)という言葉を残しています。その曲目を理解しようと全力を尽くすこと、それが作品に対する敬意です。
 又「客観的に」見ても、ピアノ伴奏は指揮者のいない舞台に1人進み出て前奏することから始まり、生徒たちに「歌いましょう」と促す役割を負わされるのですから、「敬意の表明」の要素はむしろ強いと言うべきです。
 音楽は《心》と切り離せません。それは音楽をするものにとってあまりに「当たり前」のことです。
 「心と関係なく弾け」という命令は、それ自体が心の働きを命令権者がコントロールすることであり、演奏する人の「音楽に対する良心」を侵害しています。
 思想良心に照らして弾いてはいけないと考える「君が代」を「心を込めて弾け」という命令も「思想・良心の自由」の侵害ですが、「心と関係なく手だけ動かして弾け」という命令も「思想・良心の自由」の侵害であり、アイデンティティの根源を脅かす人権侵害なのです。
 自分の心を乗せていない「音」は教室で生徒の心に撥ね付けられ、そのような音楽では授業は失敗します。その経験を踏まえて音楽教員は生徒の心に届く「音」を身に付けようと全力を尽くしているのです。
 職務としての演奏だから本人の人間性と関係なくて演奏すればよい、と考えるのは、教育の現場を知らず、また音楽というものを理解していない人の机上の空論です。
 (2)「学凋指導要領」はピアノ伴奏命令の根拠にならない
 「教育課程の適正実施のため」と称して、生徒・教職員への強制を東京都教育委員会は進めています。しかし、学習指導要領には国歌斉唱をピアノ伴奏で行わなければならないとも、ピアノ伴奏を音楽科教論が行わなければならないとも書かれていません。
 また、高等学校芸術科音楽の学習指導要領に「国歌」は含まれていません。
 「学習指導要領」は変わっていないのに、「10.23通達」の前と後で、ピアノ生伴奏で国歌斉唱を行わなければ東京都の音楽科教諭は懲戒処分を受けるという重大な変化があるのです。
 1999年の国旗・国歌法成立後、都教委は全都立高校に「君が代」のCDを歌入り、歌なし、オーケストラ伴奏、ピアノ伴奏など数種類ずつ配布し、同じ学習指導要領の下で、CD伴奏でなんら不都合とされませんでした。今も全都立高校の約3割の音楽科教諭がいない学校では、CD伴奏で国歌斉唱が行われています。
 また国際儀礼や大相撲・スポーツの場面など、世間一般で国歌斉唱が行われるときピアノ生伴奏が行われることは余りなく、国歌のピアノ生伴奏は決して「慣例的」ではありません。むしろCD伴奏の方が「儀礼における慣例」だと言えます。
 また、もし仮に「教育課程の適正実施のために必要」であるとしたら、ピアノ伴奏は「誰が」行ってもよいはずです。しかし都教委は、他にピアノ伴奏をできる人がいても音楽科教論が伴奏しなければならないと言っています。
 2005年入学式の前に、羽村高校校長は国歌伴奏職務命令を出されても「弾けない」と言っている私ではなく別の理科教諭に伴奏をいったんは依頼しました。学区担当の都教委指導主事の了解の下に、「1度だけなら弾いてもよい」と申し出た理科教諭に校長が国歌の伴奏楽譜を渡して依頼したのです。
 しかし、入学式の少し前に指導主事から「やはり音楽科教諭のいる学校では音楽科教諭が弾かなければならない」と連絡が入り、私が弾かなければならなくなりました。
 この経過を羽村高校清原校長は束京都人事委員会審理(2007.8.28)で詳しく証言し、記録も証拠として提出されています。
 校長自身が「国歌ピアノ伴奏」は他教科の教諭でもよいと考え、他教科の教諭に依頼したのですから、そのまま指導主事が止めなければ、「学校秩序の維持」という観点からも私が伴奏しなくても問題はなく、私がこの戒告処分をうけることにはならなかったはずです。
 もし他教科の教員ではだめで「音楽科教諭が」ピアノ生伴奏をすることが「教育課程の適正実施」のために必要不可欠であるなら、全都立学校に音楽科教諭を都教委は人員配置する責任と権限があるはずです。しかし都教委はその措置をとっていません。
 「かわりに伴奏してもよい」という人に頼むことを止めて、「伴奏できない」と表明している私にあえて職務命令を出したということを見ても、ピアノ伴奏の職務命令の目的は「教育課程の適正実施のため」よりも「思想・良心に係るあぶり出し」に他ならないことは明らかです。
 最高裁におかれましては「憲法を命がけでやぶる」と公言した石原都知事の下で出された処分の本質を見抜き、司法の良心を示す判決を出されるよう、心から要請いたします。
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