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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

福島判決と名古屋高裁判決

2008年05月28日 | 人権
 ◎ 憲法9条判断、 空白35年の理由
   長沼ナイキ基地判決裁判長 福島重雄さんに聞く


 航空自衛隊のイラクでの活動を違憲とした先月の名古屋高裁判決。憲法九条違反を認めた判決は一九五九年の「砂川事件」東京地裁判決、七三年の「長沼ナイキ基地訴訟」札幌地裁判決を含め、戦後三件しかない。三十五年もの間、裁判所が憲法判断を避け続けてきたのはなぜか。ナイキ判決の裁判長で現在弁護士の福島重雄さん(77)を訪ねた。 (橋本誠)

 ◎ 「違憲」出せば総攻撃 身分保障も口先だけ

 「長沼事件なんて思い出したくないし、なるべく触れたくない。だから、当時の新聞を読んだこともないし、資料も寄付してしまったんです」
 富山市内の弁護士事務所。自衛隊を違憲と断じた唯一の判決の裁判長は、穏やかな笑顔から、一瞬語気を強めた。歴史に名を刻む一方、癒やされない傷を抱えていた。
 富山市生まれ。十五歳のとき海軍兵学校で終戦を迎え、帰郷すると自宅は空襲で焼かれていた。京大を卒業し、司法試験に合格。弁護士志望だったが、誤判に興味を持ち、裁判官に。
 六九年、札幌地裁で判事になり、間もなくナイキ訴訟を担当。基地予定地の保安林解除の停止を求める仮処分の審理中、平賀健太所長(故人)から「農林大臣の判断を尊重すべきだ」などと書かれた手紙が届いた。

 ◎ 札幌地裁所長"認容するな"

 「最初は所長室や自宅に呼ばれ、口頭で『重要な事件だから、慎重に』と言われた。認容するなということです。所長と顔を合わせないようにしたら書簡が届いた。ブツまで突きつけられれば、なんぼなんでも裁判干渉になる。

行政庁(法務省)出身の平賀さんを札幌地裁の所長にした最高裁の意図は見当がついた」
 仮処分で「自衛隊は憲法九条の『戦力』に該当する判断もありうる」とする決定を出した後、平賀書簡が白日の下に。一気に圧力が強まり、国から裁判官忌避を申し立てられたり、高裁から注意処分を受けた。
 「裁判官の独立を守るためにやっているのに、ばかばかしい。こんな裁判所におれるか」と辞表を出したが、二日後に撤回。「思ったより『辞めるな』と世間が騒がしくなった。二、三年たって転勤し、忘れられたころに辞めようと思った」。「政治的」とレッテルを張られた訴訟を引き受ける後任裁判官は現れず、結局判決まで担当した。
 七〇年安保闘争の空気が残る時代。"自分で判決を書くため、異動を延ばした信念の裁判官"との誤解が広まり、激励と脅迫の手紙の束が自宅に。判決言い渡しを終えたときは、ただ安堵した。

 しかし、政府・与党は「予想された偏向判決」「自衛隊の運営や防衛力整備の方針に変更を加えるつもりは毛頭ない」と総攻撃。翌年、東京地裁の手形事件担当に異動。その後、福島と福井の家裁へ。裁判長として判決を書くことは二度となかった。
 裁判官は憲法で身分が保障され、裁判所法で「意思に反して免官、転官、転所」されないとされているが「そんなのは口先だけ。人並みの仕事もさせてくれない。ナイキ判決の後、ずっと辞めたかった」。判決の十六年後、依願退職したが、取材はすべて断った。

 ◎ 政治の意向に身任す 誰でも冷や飯食うのは嫌

 先月十七日のイラク訴訟判決は、弁護士仲間のメールで知った。「ここまで踏み込んでくれる裁判官が残っていたのは、一人じゃ寂しいですが、多少は心強い。五十年、六十年も違憲判決が出ないのでは、と考えないわけではなかったですから。消極ムードの中で、頑張って判決した」と評価する。
 イラク訴訟を担当し、判決前の三月に依願退職した青山邦夫裁判長を非難する声もあるが、「定年までニカ月しかないから、左遷を心配したわけではないでしょう。証拠に基づいて事実認定し、正道を踏んで書かれた判決。国が上告できないように(国側勝訴の結論を)意図したなら邪道だが、無理してそう書いたようにも見えない」と理解を示す。
 「そんなの関係ねえ」(田母神俊雄航空幕僚長)発言に代表される司法軽視に憤る一方、司法自身の政治追従、憲法判断回避を「怠慢、不作為」と嘆く
 ナイキ判決は、憲法判断回避が続けば「違憲状態の拡大を認めたのと同じ結果を招き、違憲審査権の行使も次第に困難にし、公務員の憲法擁護の義務も空虚にする」と"予言"していた。
 判決は、裁判所は政治的な判断をせず、ただ憲法に合うか否かだけを審査するものだと強調したが、多くの裁判官はついてこなかった。

 最高裁の長官や判事は、内閣に指名、任命される。「その最高裁が下級審を操る。どうしても政府の意向に沿うような流れになります。誰だって冷や飯を食うのは嫌だし、流れに乗って所長にでもなったほうがいいと思う。そういう裁判所の体制にしちゃったのがね…。本来もっと和気あいあいとした所だったが、司法行政がそういうふうにつくってしまった」
 ナイキ判決に対する自信は今も揺るぎない。「おかしな判決を書いたとは思いません」「法治国家なら憲法に従って社会制度をつくるのが当然。憲法の言う通り武力なしで努力することもせず最初から憲法だけを改正しようとするのは憲法に失礼だと思う」
 二〇〇三年、札幌市でナイキ判決三十年集会に参加したのを機に、少しずつ体験を語るようになった。偶然だが、イラク戦争が始まった年だ。
 「今でも嫌な思い出ですが、年も年だし後に言い残しておいたほうが、人のためになるかと思って…。何かを残しておかないとね」

 ◎ 「先輩の思い名古屋に伝わる」

 「長沼ナイキ基地訴訟」は、航空自衛隊の地対空ミサイル「ナイキJ」の基地建設が計画された北海道長沼町の保安林について、旧農林省が一九六九年、保安林指定を解除し、住民らが農林相に処分取り消しを求めて提訴した。
 札幌地裁は、自衛隊が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めた憲法九条二項に違反するとして処分取り消しを命令。
 札幌高裁は「一見極めて明白に違憲と認められず、司法審査権の範囲外」として国側の逆転勝訴を言い渡した。
 最高裁は、憲法判断に全く触れずに上告を棄却した。
 名古屋高裁の「イラク訴訟」違憲判決に、長沼町の薮田享町議は「先輩の福島さんの思いが裁判官に伝わって、勇気を持って違憲と言い切れたのでは」。

 旧ソ連の脅威に備えた空自長沼分屯基地のレーダーは昨年撤去された。「基地のミサイルはナイキから(湾岸戦争で使われた)パトリオットに替わっており、やがて(弾道ミサイル防衛の)PAC3になる。レーダーは基地の象徴として報じられたが、基地がなくなるわけではない」
 ナイキ訴訟弁護団の内藤功弁護士は「ナイキ判決後は最高裁もあからさまに合憲とは言えず、海外派兵や憲法改正の一定の歯止めになった。イラク判決は、ナイキ判決が認めた平和的生存権を損害賠償や差し止めを求められる権利と認め、活力を与えた」と話す。

デスクメモ
 裁判官は上司の言いなりにならなくてよいと、憲法で認められている異例の職業だ。でも、人事というニンジンに飛びつくヒラメ裁判官も少なからず、が現実なのか。それなら、本丸の最高裁に変身してもらうのが先決だ。まずは、最高裁判事の国民審査を、民意が反映する投票方法に変えることだ。(隆)


『東京新聞』(2008/5/3【特報】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008050302008490.html

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