◆ 「台本営発表」「劇団記者クラブ」とも揶揄される首相記者会見
~初めて参加した記者が見た、そのおかしさとは? (AERA dot.)
「終わっちゃ駄目です」「質問に答えてください」――。3月14日の安倍晋三首相の記者会見。まだ多くの記者の挙手が続く最中、司会の長谷川栄一・内閣広報官が会見を打ち切ろうとした。その瞬間、複数の記者が声を上げ、会見場は騒然となった。首相会見の在り方が問われ、メディア不信が広がるなかで起きた今回の出来事。政治取材の現場でいったい何が起きたのか。
米軍基地建設をめぐる「政府の暴走」や、米軍機墜落現場でのメディアと米軍の対峙を描いた『ルポ沖縄 国家の暴力 米軍新基地建設と「高江165日」の真実』(朝日文庫)。その著者で、当日の首相記者会見にも参加していた沖縄タイムス編集委員・阿部岳がリポートする。
(略)
日ごろ沖縄で取材する私にとって、官邸は縄張りではない。政治部の取材ルールも全く知らない。
いきなり最高権力者の記者会見に飛び込むとは、当初考えもしなかった。
ただ、たまたま3月11日前後の原発事故被災地を取材しようと、福島にいた。羽田空港から沖縄へ帰る予定の14日に首相会見が設定され、時間もぎりぎり間に合いそうだ。こんな偶然は今後もないだろう。メディア全体の危機に、地方メディアだからと遠慮したり、お行儀良く振る舞ったりしている場合ではない、と覚悟を決めた。
当日朝、浪江町の民宿でファクスを借り、官邸に取材申請を送った。原発周辺区間で事故から9年ぶりに運行を再開したJR常磐線の特急1番列車に乗り、東京に向かった。
たどり着いた官邸はみぞれ模様だった。門外で警備の警察官に沖縄タイムスの社員証を託し、クリアファイルを頭の上にかざして待つこと5分ほど。ようやく取り次いでもらうと、金属探知機をくぐり、官邸に足を踏み入れた。
■ 「総理、これ会見と呼べますか」
午後6時、会見室に安倍首相が胸を反らせて入ってきた。菅義偉官房長官ら、居並ぶ高官が頭を垂れる。冒頭発言の原稿朗読が始まった。
私の席からは、安倍首相の顔がプロンプターのガラス板越しに見える。安倍首相はガラス板に表示される原稿を凝視しているから、私と目線が交わっているようで、交わっていない。
肝心の内容も空疎だ。言葉が踊るばかりで、具体策がない。初めての首相会見取材だというのに緊張が緩み、意識しないと集中力を維持できない。
官邸報道室は、記者クラブに会見全体の時間を「20分程度」と知らせていた。それを超える21分間、用意した冒頭発言の原稿を一方的に読み続けた。そのこと自体、後に続く質疑の軽視を裏付けている。私は会見の在り方についての質問を心の中で準備した。
幹事社質問の後、司会の長谷川榮一内閣広報官が顔見知りの記者を指名していく。やはり事前に質問が伝わっているのか、安倍首相は手元の紙を読み上げている。
私も広報官の真ん前で精いっぱい手を挙げ続けるが、当たらない。周りの男性記者はスーツ姿。私だけがいつも通り現場取材のための軽装で、「自分が司会でも警戒するだろうな」などと考える。
開始から44分、広報官が「はい、以上をもちまして」と会見を打ち切ろうとした。
私は「浮く」ことを覚悟で「まだ質問があります」と声を上げた。
しかし、声を上げたのは全く一人ではなかった。多くの政治部、フリーランス記者が同時に抗議していた。
「仕込んでない質問に答えてください」「終わっちゃ駄目ですよ」。
会場には怒号と気迫が満ちた。
「総理、これ会見と呼べますか」。私が続いて投げた声は、安倍首相に届いた。
今度は本当に目が合った安倍首相は「いや、それはちょっと」というような困惑した表情で、軽く左手を挙げた。
そのまま質問に移ろうというところで広報官が引き取り、「では最後に1問」と、やはり強く抗議していた京都新聞記者の日比野敏陽さんを指名した。
安倍首相が答え終わると、広報官はまた打ち切りを図った。
今度は朝日新聞政治部記者の東岡徹さんが「まだ、あります」と頑強に言い、安倍首相が「まぁいいんじゃない」と指名を促した。
そこからさらに3問。最初の打ち切り未遂からは4問、8分ほど延びて、会見は52分で終わった。
朝日新聞は会見を報じる記事で、官邸報道室から事前に質問内容を聞かれたが教えなかった、と明かした。逆に「質問が尽きるまで会見を行い、フリーの記者も含めて、公平に当てるよう求めた」という。
記者クラブ常駐の記者が官邸と対峙するプレッシャーは、失うもののない沖縄拠点の私とは比べものにならない。
あしたもまた官邸の関係者に会い、情報を取る仕事だから。それでも筋を通し、内幕を含めてきちんと読者に説明した。
今はまだ少数でも、先駆けとなった勇気に敬意を表したい。
(略)
省略なしの全文は下記で ↓
『AERA dot.』(2020/4/13)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200410-00000021-sasahi-pol&p=1
~初めて参加した記者が見た、そのおかしさとは? (AERA dot.)
「終わっちゃ駄目です」「質問に答えてください」――。3月14日の安倍晋三首相の記者会見。まだ多くの記者の挙手が続く最中、司会の長谷川栄一・内閣広報官が会見を打ち切ろうとした。その瞬間、複数の記者が声を上げ、会見場は騒然となった。首相会見の在り方が問われ、メディア不信が広がるなかで起きた今回の出来事。政治取材の現場でいったい何が起きたのか。
米軍基地建設をめぐる「政府の暴走」や、米軍機墜落現場でのメディアと米軍の対峙を描いた『ルポ沖縄 国家の暴力 米軍新基地建設と「高江165日」の真実』(朝日文庫)。その著者で、当日の首相記者会見にも参加していた沖縄タイムス編集委員・阿部岳がリポートする。
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(略)
日ごろ沖縄で取材する私にとって、官邸は縄張りではない。政治部の取材ルールも全く知らない。
いきなり最高権力者の記者会見に飛び込むとは、当初考えもしなかった。
ただ、たまたま3月11日前後の原発事故被災地を取材しようと、福島にいた。羽田空港から沖縄へ帰る予定の14日に首相会見が設定され、時間もぎりぎり間に合いそうだ。こんな偶然は今後もないだろう。メディア全体の危機に、地方メディアだからと遠慮したり、お行儀良く振る舞ったりしている場合ではない、と覚悟を決めた。
当日朝、浪江町の民宿でファクスを借り、官邸に取材申請を送った。原発周辺区間で事故から9年ぶりに運行を再開したJR常磐線の特急1番列車に乗り、東京に向かった。
たどり着いた官邸はみぞれ模様だった。門外で警備の警察官に沖縄タイムスの社員証を託し、クリアファイルを頭の上にかざして待つこと5分ほど。ようやく取り次いでもらうと、金属探知機をくぐり、官邸に足を踏み入れた。
■ 「総理、これ会見と呼べますか」
午後6時、会見室に安倍首相が胸を反らせて入ってきた。菅義偉官房長官ら、居並ぶ高官が頭を垂れる。冒頭発言の原稿朗読が始まった。
私の席からは、安倍首相の顔がプロンプターのガラス板越しに見える。安倍首相はガラス板に表示される原稿を凝視しているから、私と目線が交わっているようで、交わっていない。
肝心の内容も空疎だ。言葉が踊るばかりで、具体策がない。初めての首相会見取材だというのに緊張が緩み、意識しないと集中力を維持できない。
官邸報道室は、記者クラブに会見全体の時間を「20分程度」と知らせていた。それを超える21分間、用意した冒頭発言の原稿を一方的に読み続けた。そのこと自体、後に続く質疑の軽視を裏付けている。私は会見の在り方についての質問を心の中で準備した。
「国民の命に関わることを決めながら、なぜ質疑から逃げるのですか。台本を仕込まない真剣勝負の質問に、総理自らの言葉で答えることはできないのでしょうか」質疑の冒頭は、慣例で記者クラブの幹事社(当番の連絡役)が聞くことになっている。質問は「対応が後手に回ったという批判がある」「東京五輪は計画通り開催できるのでしょうか」というもので、本質を突いていた。しかし、内容が事前に伝わっているために、万全の準備ではぐらかされる。再質問も慣例で封じられ、畳みかけられない。
幹事社質問の後、司会の長谷川榮一内閣広報官が顔見知りの記者を指名していく。やはり事前に質問が伝わっているのか、安倍首相は手元の紙を読み上げている。
私も広報官の真ん前で精いっぱい手を挙げ続けるが、当たらない。周りの男性記者はスーツ姿。私だけがいつも通り現場取材のための軽装で、「自分が司会でも警戒するだろうな」などと考える。
開始から44分、広報官が「はい、以上をもちまして」と会見を打ち切ろうとした。
私は「浮く」ことを覚悟で「まだ質問があります」と声を上げた。
しかし、声を上げたのは全く一人ではなかった。多くの政治部、フリーランス記者が同時に抗議していた。
「仕込んでない質問に答えてください」「終わっちゃ駄目ですよ」。
会場には怒号と気迫が満ちた。
「総理、これ会見と呼べますか」。私が続いて投げた声は、安倍首相に届いた。
今度は本当に目が合った安倍首相は「いや、それはちょっと」というような困惑した表情で、軽く左手を挙げた。
そのまま質問に移ろうというところで広報官が引き取り、「では最後に1問」と、やはり強く抗議していた京都新聞記者の日比野敏陽さんを指名した。
安倍首相が答え終わると、広報官はまた打ち切りを図った。
今度は朝日新聞政治部記者の東岡徹さんが「まだ、あります」と頑強に言い、安倍首相が「まぁいいんじゃない」と指名を促した。
そこからさらに3問。最初の打ち切り未遂からは4問、8分ほど延びて、会見は52分で終わった。
朝日新聞は会見を報じる記事で、官邸報道室から事前に質問内容を聞かれたが教えなかった、と明かした。逆に「質問が尽きるまで会見を行い、フリーの記者も含めて、公平に当てるよう求めた」という。
記者クラブ常駐の記者が官邸と対峙するプレッシャーは、失うもののない沖縄拠点の私とは比べものにならない。
あしたもまた官邸の関係者に会い、情報を取る仕事だから。それでも筋を通し、内幕を含めてきちんと読者に説明した。
今はまだ少数でも、先駆けとなった勇気に敬意を表したい。
(略)
省略なしの全文は下記で ↓
『AERA dot.』(2020/4/13)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200410-00000021-sasahi-pol&p=1
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