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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

忘れられない授業、鶴彬の川柳

2004年11月25日 | 平和憲法
おなじみの http://6720.teacup.com/fuzita/bbs からの転載記事です。

忘れられない授業 投稿者:卒業生  投稿日: 9月25日(土)19時54分31秒

私が小4の時の体育の時間、その日は雨・・雨の日の体育は教室で過ごします。みんなで何をするか決めることができるので楽しみでもありました。体育の先生は赴任してきたばかり。29歳の若い先生はとても人気がありました。「今日は何がしたいですか?」の先生の問いかけに、「お話!」と私たちは答えました。すると、先生は考えながら「君たちは、ベトナム戦争を知ってますね。私は、ベトナム戦に韓国軍として派兵されました。その時の話をしましょう」と続きました。
「想像してみてください。戦場で怖いものは何でしょう?」・・「銃弾にあたって死ぬことです!」「捕らえられて殺されることです!」いろいろ意見が出たところで先生は「戦場では死ぬことは怖くないのです。死ぬ覚悟はできてるので銃弾にあたって即死なら良いのになどと思うのです。怖いのは生きてることです。今日も生きてしまったと思いながら眠りにつくのです。それが、戦場です。ベトナム戦のような戦争では、白人優位です。前線に黒人が送られます。黒人の前・・私たち韓国軍です。最前線に送られた私たちの使命は、敵の銃弾に当たることです。つまり、敵弾の盾として多くは死にました。もう一つ、怖いのは、ベトコンです。部隊でジャングルを前進していて、ふと、後ろを振り返ると、いるはずの隊員がいないのです。みんなで探しているうちに、木にぶら下がった無残な隊員たちの姿を見つけたりするのです。声も音もなく連れ去っていくのです。朝、目覚めると、隣にいるはずの隊員がいないのです。みんなで探しに行くと、やはり、変わり果てた隊員の姿を発見するのです。もし、私がそこに寝ていたら・・という恐怖に襲われます。彼らの殺し方はひどいものです。生きたまま、内臓をすべてえぐりだし、皮だけ残して木にぶらさげるのですから。戦争とはこういうものです。平和な世の中では決して想像できない世界なのです。だから、どんなことがあっても、戦争は絶対悪です。正しい戦争などないのです。犠牲になるのは、力のない人々です。私も、君たちと同じように戦後世代で育ち、同じように学校に通っていたのに、兵役の年齢になったころ、戦場に行けと言われたのです。こんなことが信じられますか?一旦、戦争がはじまると世の中はその方向に流れます。とめられなくなるのです。途中で、止めることができないのです。だから、絶対に戦争を始めてはいけないのです。それは、先の戦争からも人々は学んでいるはずです。なのに、戦争は絶えません。このような悲劇が起こらないよう君たちは学ぶのです。そして、賢くならなければなりません。賢という字は、仏教では分け与えるという意味だと聞いたことがあります。本当に学んで賢い人は、自分の持てるものを人々や社会に分け与えることのできる人です。そのような人になってください。君たちが、大人になる頃の世の中に、戦争の二文字が消えてることを願っています。」・・・終始、笑顔で穏やかに話されていましたが、忘れられない授業になりました。私の叔父も、ベトナム戦に派兵され、奇跡的に生還しました。

(その後、以下のような追記がありました。)

前の投稿「忘れられない授業」は、その前の「最も尊い自由は何?」を読んで・・憲法が守ってくれてる幸せを・・という内容から思い出したものです。日本は、9条によって、一般の人が兵役に取られ戦場に送られるということはありませんが、力のない国に生まれたというだけで、戦場にまで送られるという事に触れたかったものです。このとき、体育の先生は言われませんでしたが、韓国軍がベトナムでした残虐行為について、金大中前大統領は、公式謝罪し、真相究明がすすめられてます。内容の中に、ベトコンだけが悪いというような誤解を招く記述がありましたことをお詫びします。
編集済



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鶴彬の川柳 投稿者:熊  投稿日: 9月24日(金)18時31分41秒

高粱の実りへ戦車と靴と鋲
屍のゐないニュース映画で勇ましい
出征の門標が上がってがらんどうの小店
万歳とあげていった手を大陸へおいて来た
手と足をもいだ丸太にしてかへし
体内の動きを知るころ骨がつき
万歳を必死にさけぶ自己欺瞞
人間にハメル轡もって来い
華やかに名を売り故郷へ骨が着き
射抜かれて笑って死ぬるまで馴らし

「少なくとも川柳によって文学生活を営み、その川柳を娯楽の水準以上に高め、もって現代の正しい文化的創造へ参加しようとする僕らにとって、川柳は必死の生き方の一つの方法であり、その生き方をさえぎる敵をさす一つの武器でなければならない。ということはすでに良心ある作家に常識化されたイロハであるだろう。・・・」
鶴彬は川柳で抵抗したが、ついに官憲に殺された。こうした時代が来ました。卒業式だけでなく各行事、体育祭・文化祭にも「日の丸」「君が代」をと言っています。その内に教室にとも言い出すでしょう。桐蔭高校では、学校の終了時に「君が代」「日の丸」をやっていたが今はどうなったか。横山は桐蔭を目差している。
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