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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

離職する新人教師たち

2010年06月04日 | 人権
 《子どもの権利条約カウンターレポート(DCI)》から VIII-10-5(2)
 ◎ 離職する新人教師たち


 上にみてきた日本の教師がおかれている異常な勤務実態、学校における管理主義の問題をより克明に示しているのが、新任教員の離職率の増加である。
 日本の公立学校教員は新規採用年度の1年間、条件附任用期間として初任者研修にあたることが義務づけられている(教特法12条、23条)。そして、この1年間の実質的な試用期間を経て「良好な成績で遂行したときに」正式採用となることが定められている(地公法22条)。
 ところが近年、こうした厳しい条件附採用期間を経た新人教師が、正式採用を受けずに退職に至るケースが増加している。表3は、2000年度から2007年度までの条件附採用期間から正式採用に至らなかった新任教員の推移を示している。
 1年間の条件附採用期間は、教師としての能力実証の確認を制度目的としているが、実際には、この確認期間の後に任命権者の側から不採用とする事例は、2000年度から2007年度まで1名から最大でも7名の間で推移するに過ぎない。
 一方、新任教員の側から依願退職するケースは、2000年度はわずか33名であったものが、2007年度には293名へと実に9倍近くも増加しているのである。
 中でも深刻なのは病気を理由とする依願退職者数の増加である。2000年度に5名に過ぎなかった病気による依願退職者は、5年後の2005年度には65名へと13倍に増加し、2007年には103名へと20倍に急増している。
 日本の教員採用試験の競争率の高さは周知のところであり、2000年のピーク時にみるならば、小学校では採用倍率が12.6倍に達し、中学校では17.9倍にも達した。2008年度の数値をみても小学校で4.3倍、中学校で9.1倍という数値を示している。こうした難関を乗り越え、晴れて子どもたちとの教育活動をはじめた新人教師達が、着任1年後の正式採用を受けることなく、病気等を理由として自ら退職していく状況は、学校現場の管理主義の弊害と異常な勤務実態を如実に反映するものといえる。

 また、数値的にはわずかではあるが、さらに深刻なのが、新任教員の死亡数の増加である。2004年度以降には、5~6名の新任教員が、正式採用を得る前に死亡しており、その中には、教師としての仕事を苦に自ら命を絶った者もある。
 2004年9月、静岡県の小学校の新任女性教諭(24歳)が車の中で焼身自殺した。
 2005年には、埼玉県越谷市の小学校で、新任間もない4月に男性教諭が自殺した。
 2006年6月には、東京都新宿区立小学校の女性教諭(25歳)が自宅アパートで自殺を図り、死亡した。

 この女性教諭は、午前7時半には出勤、夜8時頃まで学校で残業、テストの採点等で休憩や給食もとれないこともあり、自宅にも仕事を持ち帰り、超過勤務は月100時間を超えていたという。彼女の新任教員研修ノートには「頑張りが足りないと分限免職になる」という記述があり、初任者研修をはじめとする学校における管理主義が如何に大きな圧力を一人の新人教師に与えていたのかが示されている(基礎報告書035)。
 日本の教師達は、子どもたちとの相互的な人間関係を形成するための条件を与えられるどころか、その生命すら奪われかねない危機に瀕している。教員採用の難関を乗り越え、子どもたちとの教育活動に胸をふくらませた新人教師たちが、正式採用を得ることなく自ら退職し、あるいは自ら命を絶つという状況は、日本の学校現場の異常な実態を示している。
 VIII-10-6 まとめ
 以上のように、近年の教育政策は、教師間の同僚性や人間的な関係性を奪い、教育活動の基礎となる労働条件、身分保障を崩壊させてきた。これらの施策は、教師の専門職としての人格、労働者としての人格、そして人間としての人格を阻害し、その生命をも奪うものとして機能してきたのである。
 そして、こうした学校現場における教師の全般的恒常的な人格阻害は、教師の子どもに対する応答責任を不能とし、大人との相互的な人間関係を形成する子どもの固有な権利を奪い、さらには学校における子どもの成長発達の権利、学ぶ権利を侵害しているのである

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