パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 袴田事件再審裁判9・26判決公判は静岡地裁へ

2024年08月29日 | 人権

  《月刊救援から》
 ☆ 袴田巖さんを死の淵に追いやった静岡県警と検察官

 ☆ 権力が突き刺した牙

 先日、巌さんが足にケガをした。そのケガは私たちに見える傷に増して、いまだに権力の牙が袴田巖さんに心に深く突き刺さっていることを象徴するような傷とし私たちに見せつけられた。
 袴田さんが釈放され、二〇一四年六月から姉・ひで子さんと共に過ごすようになって一〇年が過ぎた。当初はほとんど家を出ることなく家の中を歩き続けることが日課だった袴田さんが、浜松市内をほぼ一日中歩き続ける生活が始まったのは釈放されて一年を過ぎた頃からだろうか。自分の意志で誰からも邪魔されることなく歩き続けることは、自分の自由を体で感じるためにどうしても必要だったのかもしれない。
 姉・ひで子さんによると、巌さんは、今でも毎晩家中の鍵、特に玄関の鍵がかかっているかどうか念入り点検するそうだ。冒頭の足のケガは、夜中に玄関の鍵がかかっているかどうか再度点検した際、足の親指が玄関の段差に引っ掛かって切れたキズではないか、とのことである。
 袴田さんの心には今でも、いつか自分の自由を奪い、死刑台に連れていく男どもが来るかもしてないという、恐怖の牙が深く突き刺さっている。

 ☆ 根拠なき見立ての果てに

 五八年前の一九六六年八月一八日早朝、袴田さんは清水警察署に任意で連行、その夜逮捕される。そもそも、袴田さんは、事件直後の七月四日に家宅捜索を受け、自分の部屋を徹底的に捜索されているばかりか、警察官は五点の衣類が発見された味噌タンクなど工場も捜索しそいる。にもかかわらず何も発見できなかったため、仕方なく袴田さんの部屋の夜具入れの中に無造作においてあったパジャマを、袴田さんに任意提出させた。わずかに醤油か鉄さびの跡らしきシミがついていただけであった。にもかかわらず、“血染めのシャツ発見”と大々的に報道させている。
 『わずかなシミ』が『血染め』になり、『任意提出』が『発見』と、いかにも警察の家宅捜索が正しかったと言わんばかりの報道をさせたのである。
 しかし、静岡県警は袴田さんを逮捕できなかった。“血染めのシャツ”と報道させたパジャマからは、血液型どころか血液かどうかも不明であったためだ。
 捜査関係者は事件直後から根拠なき見立て、元プロボクサーならやりかねないという予断と偏見で袴田さんを犯人視していたためだ。袴田さんを犯人とする報道をさせたために、どうしても袴田さんを逮捕しなくてはならなくなってしまった静岡県警は強引に袴田さんを逮捕し自白をさせることだけに力を注ぐことになる。
 証拠がなくても自白させれば十分だ、という静岡県警の確固たる意思は彼らが作った捜査記録の中にも誇らしげに記されている。

 ☆ 警察官・検察官が一体となって証拠をでっち上げた

 事件当時、主任検察官として、捜査・公判に関わった検察官の吉村英三は、袴田の自白によって、盗んだ金を預けたとされる女性と、焼けた紙幣との関係は〝秘密の暴露〟に当たりきわめて信用性が高いと考えていたにもかかわらず、五点の衣類の立証が出来なければ、無罪になる可能性が出てきてしまった、と二〇一四年七月、東京高検の調べに応じ供述している。
 そして、 事件後一年二か月を経た一九六七年八月三一日に発見された五点の衣類について、証拠を大急ぎで集め、事実関係を明確にするよう、警察官に指示をした、と述べている。
 奇しくも五点の衣類発見の時期が、パジャマのシミの再鑑定の結果、鑑定不能と出た時期の直後と重なる。犯行着衣と誇らしげに報道させたパジャマのシミからは血液型すら特定できなかったのである。
 吉村英三が言う無罪になる可能性が出てきたのである。
 吉村は五点の衣類発見九月一一日に裁判所に五点の衣類の証拠調べ請求を行う。また静岡県警は九月一二日に行った巖さんの実家の家宅捜索で、五点の衣類のズボンの裾の切れ端を「発見」してくる。九月一三日、急遽開かれた公判において吉村はこれまでの犯行着衣であったパジャマを、この五点の衣類に変更
 味噌タンクから発見された味噌漬けズボンと巌さんの実家から「警察官が発見」したズボンの切れ端が一致するとの鑑定結果は一二月まで待たなくてはならなかった。にもかかわらず、吉村は何のためらいもなく犯行着衣を変更したのである。吉村英三は、味噌漬けのズボンと巖さんの実家から「警察官が発見」した切れ端が必ず一致すると知っていたからこそ、このような変更ができのである。
 証拠のでっち上げは警察官と検察官の共同作業であったのだ。

 

 ☆ 九月二六日判決公判に結集を!

 一九八九年一月、島田事件の死刑囚・赤堀政夫さん(今年二月逝去)が再審無罪となり死刑台から生還した。静岡県警の歴史は冤罪の歴史と言っても過言ではないだろう。
 幸浦事件、二俣事件、島田事件はいずれも無罪となったが丸正事件は再審無罪が叶わなかった。
 清水市だけに限っても、小島事件、清水郵便局事件があり、いずれも冤罪であった。証拠のでっち上げは静岡県警のお家芸ともいえよう。なんとも罪深いお家芸だろうか。
 九月二六日は、戦後五番目の死刑再審事件、静岡県警では二例目の死刑再審事件に判決が下される。よもや有罪判決ではありえないと考えるが、ぜひ注目していただきたい。可能ならば九月二六日は静岡地裁に駆け付け、判決の行方を私たち共に見届けていただきたい。判決言い渡しは午後二時からであるが、傍聴整理券は午前九時ごろから配布される予定だ。

(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長山崎俊樹)

『月刊救援』(2024年8月10日)


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