◆ 「起立・斉唱は強制ではない」は
交渉でいくら言ってもダメ、生徒の前で言わなくてはならない!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/6d/4abec19ae300a39e3e20c4de4411f25f.jpg)
今年度3回目の県教委交渉を12月26日に行いました。
1回目は9月にオリンピック・パラリンピックへの生徒の動員、国威発揚の教育を行わないことを議題に、10月には即位礼・大嘗祭を前に学校に祝意の強制をしないこと、及び、「日の丸・君が代」「元号」の強制を行わないことについて話し合いを持ちました。
今回は前回の続きで「起立・斉唱」を強制しないとの回答をどう具体化するかに焦点を絞って話し合いをしました。報告します。
◆ 県教委:「生徒・保護者に対して『起立・斉唱』を強制しない。創意工夫できる」
昨年から県教委は生徒・保護者に対して「起立・斉唱」を強制しないことを明確にしていた。
さらに、卒業式・入学式における「国旗掲揚・国歌斉唱」については創意工夫ができることも明確にしていた(これについては文科省も2015年に文書回答している)。
従って、今回の話し合いは、私たちがこの4年間求めてきた「起立・斉唱」は“強制するものではない”ということを式前に生徒・保護者に伝えることについて、県教委がどのような検討を行ってきたのか、明らかにしてもらうことであった。
しかし、結論から言えば、検討はしていない、だった。
◆ 生徒・保護者にとっての起立・斉唱は「思想信条」の問題であることは認める
県教委は2007年段階で、不起立教員の氏名収集について「思想信条情報」と認めつつ、例外として取り扱えるよう神奈川県個人情報保護審議会へ諮問している。自ら思想信条の問題であることを明確にしているのだ。しかし、一方で服務の問題であるとも言って、そちらを優先させており、私たちの見解と対立している。
しかし、生徒・保護者に対しては服務関係はなく、高校教育課副課長も「思想・良心の自由」の問題であることは認めている。
◆ 判断材料や選択肢をあたえない教育は教育といえない
県教委は、生徒に不起立の自由はあり、強制しているわけではないから「思想・良心の自由」を侵害していないという。
しかし、司会が“全体の起立”を促していればそれはもう起立の強制でしかない。同調圧力もある中で生徒に選択の自由など実際はあり得ない。
新学習指導要領では生徒自身が主体的に考える授業が求められており生徒は自ら判断できるはずだと県教委はいう。
しかし、一方的な起立・斉唱の指示を与えるだけで、主体的に考えるべき教材も選択肢も与えておらず教育的でないことは明らかである。
私たちが本当に「主体的に判断できる生徒になっているという自信があるのか」とたずねると「そうなってほしいということで」と単なる願望であることをみとめた。願望と現実を意図的にごちゃ混ぜにして相手を煙に巻くようなことはしないでもらいたい。
◆ 県教委こそ生徒の主体性をつぷしてきた!
1980年代から2000年頃までいろいろな学校で、生徒による卒業式や入学式の自主的な取組が行われた(上図参照)。
それが、その後次々とつぶされ現在ではおそらくフロア対面方式など自主的に作り上げた卒業式は一校もできていないだろう。
1999年に教育課程研究集録第9集で式の形態を勝手に決めて、その通り実施することを迫り、つぶしてきたのだ。
式が終われば校長に「状況調査」を提出させ、さらに不起立者を報告させている。
県教委が生徒に自主性、主体性を求めると言うなら、まず自分たちがやってきたことの自己批判から始めるべきだ。
◆ 県教委は事前告知の具体的方法を検討すべき
かつては、校長が「思想・良心の自由」を生徒・保護者の前で述べたり、開式の前とか直後に「強制をするものではない」という趣旨のことを司会が述ぺたり、会場の入りロに同様の趣旨の看板を立てたりと、いろいろ工夫して、強制ではないことを伝えてきた時期もあった。
また、「よろしければご起立ください」という一言を発することにより、参加者の意思を尊重するような投げかけもあった。
このような工夫はやろうとすればすぐにでもできるのだ。
強制しないというなら、交渉の場だけで言うのではなく、生徒・保護者がいる前で言ってこそ県教委の強制しないという意図は通じるのである。
次回交渉までに強制しないという趣旨をどのように明示的に生徒・保護者に伝えるのか検討し回答するよう求めて話し合いは終わった。
『個人情報保護条例を活かす会 No.34』(2020年1月25日)
交渉でいくら言ってもダメ、生徒の前で言わなくてはならない!!
神奈川「個人情報保護条例を活かす会」事務局
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今年度3回目の県教委交渉を12月26日に行いました。
1回目は9月にオリンピック・パラリンピックへの生徒の動員、国威発揚の教育を行わないことを議題に、10月には即位礼・大嘗祭を前に学校に祝意の強制をしないこと、及び、「日の丸・君が代」「元号」の強制を行わないことについて話し合いを持ちました。
今回は前回の続きで「起立・斉唱」を強制しないとの回答をどう具体化するかに焦点を絞って話し合いをしました。報告します。
◆ 県教委:「生徒・保護者に対して『起立・斉唱』を強制しない。創意工夫できる」
昨年から県教委は生徒・保護者に対して「起立・斉唱」を強制しないことを明確にしていた。
さらに、卒業式・入学式における「国旗掲揚・国歌斉唱」については創意工夫ができることも明確にしていた(これについては文科省も2015年に文書回答している)。
従って、今回の話し合いは、私たちがこの4年間求めてきた「起立・斉唱」は“強制するものではない”ということを式前に生徒・保護者に伝えることについて、県教委がどのような検討を行ってきたのか、明らかにしてもらうことであった。
しかし、結論から言えば、検討はしていない、だった。
◆ 生徒・保護者にとっての起立・斉唱は「思想信条」の問題であることは認める
県教委は2007年段階で、不起立教員の氏名収集について「思想信条情報」と認めつつ、例外として取り扱えるよう神奈川県個人情報保護審議会へ諮問している。自ら思想信条の問題であることを明確にしているのだ。しかし、一方で服務の問題であるとも言って、そちらを優先させており、私たちの見解と対立している。
しかし、生徒・保護者に対しては服務関係はなく、高校教育課副課長も「思想・良心の自由」の問題であることは認めている。
◆ 判断材料や選択肢をあたえない教育は教育といえない
県教委は、生徒に不起立の自由はあり、強制しているわけではないから「思想・良心の自由」を侵害していないという。
しかし、司会が“全体の起立”を促していればそれはもう起立の強制でしかない。同調圧力もある中で生徒に選択の自由など実際はあり得ない。
新学習指導要領では生徒自身が主体的に考える授業が求められており生徒は自ら判断できるはずだと県教委はいう。
しかし、一方的な起立・斉唱の指示を与えるだけで、主体的に考えるべき教材も選択肢も与えておらず教育的でないことは明らかである。
私たちが本当に「主体的に判断できる生徒になっているという自信があるのか」とたずねると「そうなってほしいということで」と単なる願望であることをみとめた。願望と現実を意図的にごちゃ混ぜにして相手を煙に巻くようなことはしないでもらいたい。
◆ 県教委こそ生徒の主体性をつぷしてきた!
1980年代から2000年頃までいろいろな学校で、生徒による卒業式や入学式の自主的な取組が行われた(上図参照)。
それが、その後次々とつぶされ現在ではおそらくフロア対面方式など自主的に作り上げた卒業式は一校もできていないだろう。
1999年に教育課程研究集録第9集で式の形態を勝手に決めて、その通り実施することを迫り、つぶしてきたのだ。
式が終われば校長に「状況調査」を提出させ、さらに不起立者を報告させている。
県教委が生徒に自主性、主体性を求めると言うなら、まず自分たちがやってきたことの自己批判から始めるべきだ。
◆ 県教委は事前告知の具体的方法を検討すべき
かつては、校長が「思想・良心の自由」を生徒・保護者の前で述べたり、開式の前とか直後に「強制をするものではない」という趣旨のことを司会が述ぺたり、会場の入りロに同様の趣旨の看板を立てたりと、いろいろ工夫して、強制ではないことを伝えてきた時期もあった。
また、「よろしければご起立ください」という一言を発することにより、参加者の意思を尊重するような投げかけもあった。
このような工夫はやろうとすればすぐにでもできるのだ。
強制しないというなら、交渉の場だけで言うのではなく、生徒・保護者がいる前で言ってこそ県教委の強制しないという意図は通じるのである。
次回交渉までに強制しないという趣旨をどのように明示的に生徒・保護者に伝えるのか検討し回答するよう求めて話し合いは終わった。
『個人情報保護条例を活かす会 No.34』(2020年1月25日)
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