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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分前マレー半島コタバルで日本陸軍が上陸作戦を実行

2016年12月09日 | 平和憲法
 ◆ 今朝も『朝日』は「真珠湾で太平洋戦争開始」記事(社説も)の揃い踏み!
   皆さま   高嶋伸欣です


 今朝も安倍首相の真珠湾訪問の件で、各紙いろいろに報じていますが

 1)『産経』社説(主張)の「まず靖国参拝を再開せよ」はいかにも同紙らしい。それに1面コラム「産経抄」とそのすぐ上の記事のちぐはぐからも、この件の評価で社内が揺れている様子が見えます。
 2)醜態は『朝日』。今朝も社会面は、真珠湾の奇襲攻撃を目撃したという島民の証言集めという陳腐な話題の特集記事で、アジアのことは全く蚊帳の外
 その記事の出だしも「太平洋戦争の口火を切った75年前の真珠湾攻撃」。17Pの「オピニオン&フォーラム」面の特集も、リードの出だしが「75年前の12月7日(日本時間8日)、日本軍の奇襲で太平洋戦争が始まった。その戦地~」。
 その対面16Pの「社説」では「忘れてならないのは、アジアの人々への視線である」といかにももっともらしく言いながら、そのあとで「真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は~」とある。投書欄も締まりのない内容のもの。
 3)『朝日』は、頑として1時間以上前にマレー半島で戦闘がはじまったことを無視し続ける姿勢で、社内一丸(一億一丸?)の方針のようだが、それは歴史修正主義であることに気付いていないのか?
 4)手交遅れで米国政府・国民を一気に怒らせた日本側の対米通告文書は真珠湾攻撃の30分前当たる時刻に日本大使館から米国政府に手交するように指示されていた。それが大使館員の暗号の解読とタイプ打ちなどの不慣れな作業のおくれで、実際に手交したのは真珠湾攻撃よりもはるか後だった
 これを米国側が「だまし討ち!」と激高したことはよく知られている。

 5)上記4)の事実に加え、「実は真珠湾攻撃の1時間以上前に、マレー半島コタバルで日本陸軍が予定通りに上陸作戦を実行して、待ち構えていた英軍と激しい銃撃戦が始まっていたと、防衛庁(当時)が出版した公刊戦史にも明記されている」と、高校の授業で説明したところ、生徒が「質問!」と手を挙げた。
 6)「それならば、アメリカへの通告予定時刻よりもイギリスとの開戦時刻の方が早くなることは最初から分かっていたわけだから、イギリス向けの宣戦布告について、アメリカ向けとは別に用意されていて、伝達されていなければならないはずだけれども、どうなっていたのですか?」と。
 7)「言われればそうだ。今までそのことに触れた資料を見た記憶がないので、調べてみる。時間が欲しい」と私。
 その後、軍事史研究家などに当たるも「聞いたことない」の回答ばかり。

 8)やがては、「対英宣戦布告の事前通告は予定されていなかった」ことが判明した。
 その事実を証言したのは、当時海軍の中枢にいて開戦当時の事情に詳しい寺崎隆治・元海軍大佐だった。同氏は軍事史学会主催のシンポジウムで次のように語っている。
 9)「日本軍は真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分前の8日0200コタバル、シンゴラなどに上陸し対英作戦を開始していた。しかし、かねてから米国を戦争に引き入れて戦局を有利に展開しようと願っていたチャーチルは真珠湾攻撃の知らせを受けると『我勝てり』と喜んだという。このためか、イギリスは日本の無通告対英戦(真珠湾攻撃の1時間20分前)を騒ぎ立てることはなかった」と。
  (軍事史学会『軍事史学』27巻第2・3合併号、1991年12月15日)

 10)日本政府が、英米両国に宣戦布告をしたのは、12月8日午前11時45分のことだった。東京で両国の大使館員を呼んで布告を伝え、ロンドンとワシントンでも同時刻に日本大使館員が、それぞれの政府に出向いて通告したことが、公式に記録されている。
 (山田朗・他共著『ドキュメント 真珠湾の日』大月書店、1991年12月)

 11)これらの事実は、歴史修正主義者たちにとって、極めて不都合な事実を次々と浮上させることになる。
 12)一つは、当時の日本政府が、開戦に際して国際法による事前の宣戦布告義務を果たす気がなかったことが、明らかになった!「大東亜戦争」は最初から国際法違反の戦争であったという事実。
 13)当時の東條首相は、昭和天皇から何度も「開戦の詔書」に「国際法を守り」という文言の欠落を指摘されながら、「国際法を守らない予定なので、その言葉を入れることはできません」と拒否し、実際に宣戦布告の事前通告を実施しなかった。
 14)その経過を立証したのが徳川義寛・元侍従長証言で、同証言をスクープしたのが、『朝日』の1991年8月11日の記事だった。
 15) 同記事には、開戦の日に日本軍が独立国タイへ無断上陸し、タイの主権を侵害する国際法違反行為の実行を予定していたことも、明記されている。
 同記事から25年後の今日の『朝日』は、そうした事実に読者の関心が向かないようするかの如く、「真珠湾から開戦!」の歴史修正記事のオンパレード! 『朝日』の気概喪失はどこまで行けば止まるのか?
 16)「不都合な事実」の浮上はまだまだある。対英米宣戦布告だ8日の午前11時45分であったということは、問題の通告遅れの「対米覚書」は、宣戦布告ではなかったことを、意味している。
 17)同覚書(通告)の末尾の結論は、次の通り。
 「今後交渉ヲ継続スルモ妥結ニ達スルヲ得ズト認ムルノ外ナキ旨ヲ合衆国政府ニ通告スルヲ遺憾トスルモノナリ」
 18)これを見て日本大使館員たちは、「日米交渉の打ち切り通告にすぎず、今後は在米日本資産の凍結や大使館員の行動規制など、いろいろ厳しくなるだろう」などと想像はしたものの、これが最後通告(宣戦布告)だと思った館員は皆無だった、という。
 このことを、『読売』が1994年11月21日の紙面で詳しく報道している。

 19)当時の東條首相や外務省官僚たちも同様で、「日米交渉」を継続しながらの奇襲攻撃は「卑怯者」呼ばわりをされるので、奇襲30分前に交渉打ち切りを通告するという小細工を用意していたものに過ぎない。
 その証拠に、開戦後に交換船で帰国した大使館員たちはこの件で処罰をされていないし、戦後も外務省のエリート官僚として昇進を続けたのちに退官している。
 20)アメリカ側が「屈辱の日」として真珠湾奇襲を問題にする際にも、同「覚書」を宣戦布告に当たるとは、していない。「日米交渉」という話し合いを継続している最中に奇襲攻撃をしてきたのが、西部劇でいえば背中に向けて撃った卑怯な行為という意味に認識されているにすぎない。
 21) 日本側には今も、あの「覚書」は”事実上の宣戦布告だった”と執拗に主張する”有識者”やメディアが数多く存在する。元をただせば、昭和天皇を戦犯容疑者にしないで、その権威を米国の日本統治に利用するという占領政策に便乗して、天皇の軍隊による国際法違反行為の事実をうやむやにしようとする一部の保守勢力が、仕掛けた歴史歪曲のこじつけ論理でしかない。
 22)『朝日』がかれらと同様の意図を持っているのかどうかは不明だ。だが昨日・今日のように「真珠湾から太平洋戦争始まる~」と連発しているのであれば、結果としてこうした歴史歪曲・歴史修正主義に協力している、とみなされてもやむをえないだろう。
 23)ちなみに歴史修正主義者たちが編纂したことで知られる「新しい歴史教科書をつくる会」系の中学歴史教科書の、自由社版・育鵬社版のどちらも上記の対米「覚書」を「交渉打ち切りの通告」と事実通りに記述している。『朝日』がそのように事実通りに報道するようになるのはいつのことだろうか?
 24)安倍首相が真珠湾訪問を今月下旬に設定してくれたおかげで、今年はこの話題をまだしばらく続けることができる。『朝日』がこの間に名誉挽回の取り組みをするか、注目したい。まずは明日8日の紙面に注目を!。
   以上  今回の文責も高嶋です。     拡散・転載は自由です。

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