板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
□ 5/6『上告趣意補充書(1)』を提出。さらに欧州人権専門家のlegal opinionを追加提出予定。 □
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<5>

「メジロ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
5、「灯火管制中!灯を消せ!」
2004年3月11日、木曜日、板橋高校の卒業式当日、晴れ。
都教委は、指導主事5名を派遣した。
TBSのクルーも来た。 都議・土屋敬之もやって来た。
なぜ、TBSが来たのか。
取材申し込みに対して、都教委は、板橋高校を紹介したのだ。
言うまでもなく、「土屋先生」の雄姿を撮らせるためである。
不可思議な感がするが、当時の都教委は、殿様・石原、その子分・土屋に阿諛追従する下僕となり下がっていたのである。
官僚とは、こういうものなのであろうか?
気骨ある官僚もいたであろうに、それらの話は寡聞にしてか聞こえてこない。
校長は、朝の職員打ち合わせを行った。
教員より、テレビ局の取材に対して種々疑義が出されていたからである。
最終的に、来賓入場の場面まで撮って、テレビは退出する。
テレビカメラによって、卒業生は撮影させない。
卒業生は、9時45分の来賓入場時点で例年の待機場所、式場・体育館に隣接する格技棟ではなく、そこから3棟の左端を迂回して約50メートル離れた2棟内に先頭の1組を待機させ、カメラとの接触を不可とさせる。
よって、例年は狭い格技棟廊下に右2メートル程の歩行部分を残して、1~4、その後ろに5~7組とぎっしり詰まっていたのだが、この日は、最後7組は、1棟、脱靴場にあるという、長蛇の列となっていた。
9時40分、実施要綱に従い、校長は来賓を校長室前から、体育館に誘導を始めた。
1棟、廊下を右に進み出口を出て、直角に左へ進行したあたりで、指導主事・佐々木が注進に及んだ。
「来賓として来ている「F」が、ビラを撒いている」
校長・北爪幸夫は、教頭に先に行くよう促した。
教頭・田中一彦、佐々木が先行し、2棟を通過しとところあたりで英語教員・「S」が注進に来た。
ここでの田中は、少し歩を速めただけであったようだ。
なぜなら、佐々木供述書によると、教頭に、「もっと早く歩け」なる言葉を発している。
それで、発奮したのか否か、3棟を通過し格技棟に入った教頭は、早足で体育館に到着した。
そして、左端、保護者席、後ろブロックの最前列にいて、紙を渡している「F」に近づいて行った。
しかし、「F」は、そこで手持ちの紙が尽き、最後列に置いてあった紙袋に余分として取っておいたコピー(サンデー毎日・「卒業式の寒々とした光景」2ページ分を1枚に印刷したもの)10数枚を取るために去っていったのである。
その間、「F」は、教頭の接近及び離脱に気づかなかった。
教頭は、配布終了と考えたようで、「配布を阻止する彼の任務は終了」と判断したのであろう、体育館入口に歩を進めそこで全体を見渡し佇立することとなる。
この場面が公判では、この刑事事件での最大の争点となっていく。
簡潔に言えば、教頭は、
「保護者席中央で配布を「制止」し、かつそれに続いて保護者席最前列中央に至る「F」に付いて行き、発言の最初から、やめるよう「制止」し続けた」
と公判廷で供述したのである。
これは、まったくの「偽証」である。
「F」は、残部の10数枚をその間、だれの「制止」も受けることなく、左端、保護者席・後ろブロックに撒き終え、前方に進み右折して保護者席中央最前列に立って、しばし間をおいて約1分弱か、静かに話し始めたのである。
話している間も、誰も人は近づかずもとより「制止」の欠片すらなかった。
事実はこうである。
「F」が最後に、都教委のひどい状況を説明したあと、「出来ましたら国歌斉唱の際は、ご着席おねがいします」と言った直後、教頭が、「やめろ!」と言って近づいてきて、やにわに「F」の右二の腕をむんずと掴んだのだ。
「F」は、「もう、終わったよ」と、教頭に言い、さらに「手を離しな!」と教頭に言う。
教頭は、罰が悪そうな表情を浮かべて、つかんでいる手を離した。
これが、前段としての館内状況のすべてである。
後段は、校長による「退去命令」と、それに対する「F」の抗議、及び「退出」の場面となる。
東京地裁、東京高裁は、教頭の偽証を真実と認定し、この前段場面もまた「威力業務妨害」と判決文に書いた。
偽証を見抜けないような「刑事裁判官」は、ただちに法廷を去るべきである。
偽証を認定することが、政治的に得策であると考えているなら、裁判官は右翼のごろつきと何ら変わらない。
そうであるなら、検察・裁判所は犯罪を掣肘する機関ではなく、「犯罪を生産する」機関であるというほかない。
この裁判を経験して、一番強く思ったことは、実に多くの人びとが、「冤罪」にもかかわらず留置所・拘置所・刑務所に放り込まれているということだ。
なかには、「死刑」を執行されてしまった人もいる。
警察・検察・裁判所というところは、実におそろしい処である。
前にも書いた、99、998%の有罪率とは、なんと10万人に2人しか無罪の判決が出ないということである。
年間、100万人の刑事起訴とすると、年、20人だけが「無罪判決」の栄誉にまみえるのである。
これは、「宝くじ」である。
年末グリーンジャンボ宝くじで、「今年は当選券はありませんでした」と発表したら、それこそ暴動が起こるのではないか。
裁判官は、裁判所は、ときに「無罪判決」という「当選券」を出して、秩序を維持している。
公平・正義であるかのような偽装を行っているのである。
ここ数年、警察・検察・裁判官に対して、世間は疑いの目を向け出した。
あまりにもでたらめな事例が多発しているからであろう。
その点は紙幅があれば後述したい。
ところでこの「宝くじ」の当選金は、刑務所で無罪なのに働かされた日数による給付でしかない。
青春を奪われ、自由を奪われ、刑務所内の人間関係で苛められ、劣悪な環境ゆえに病気になって、それで「無罪」だったから、あいすまぬ、金を受け取れと言われて激こうしない人がいるであろうか。
私の場合は、高裁判決「罰金20万円」であるが、裁判となると多額の弁護費用がかかる。
それで万一、否、5万に1、「無罪」の「宝くじの当選」の栄誉を受けても一銭の当選金もない。
人は刑事起訴されただけで、めちゃくちゃ酷い目にあわされるのだ。
「無罪」を主張し続ける被告の有罪率は、97%という数字がある。
どのくらいの人数が年間、最後まで「無罪」を言い続け、ほんとに「無罪」となっているのか精査する必要がある。
なにしろ、「冤罪」を主張すれば、「反省がない」とされ、なかなか釈放されず、罪もまた重くなる現状では多くの人は、検察官・裁判官に迎合するしかないではないか。
警察・検察・裁判官が「犯罪の創造・でっちあげ」を行っている現状があることを踏まえれば、かれらは、「犯罪者の取り締まりをする者」ではなく、まさに「犯罪者」である。
私はかって都内ある署の刑事課長のもとにいた退職警察官に聞いたことがある。
「ところで、冤罪って何割ぐらいあるんでしょうね?」
「4割ぐらいじゃねえか、なにしろ課長がこういうことで罪にしろと決めてくるんでー」
「調べてて、どうも違うなあと思っても、どうにもなんねえよ」
この冤罪にはもちろん、完全な無罪だけでなく、事実と違うより重い罰則の適用も含んでいる。
この話を聞いた時の「唖然たる感」は、もう10年以上経つが今も鮮明である。
(続)
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
□ 5/6『上告趣意補充書(1)』を提出。さらに欧州人権専門家のlegal opinionを追加提出予定。 □
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<5>

「メジロ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
5、「灯火管制中!灯を消せ!」
2004年3月11日、木曜日、板橋高校の卒業式当日、晴れ。
都教委は、指導主事5名を派遣した。
TBSのクルーも来た。 都議・土屋敬之もやって来た。
なぜ、TBSが来たのか。
取材申し込みに対して、都教委は、板橋高校を紹介したのだ。
言うまでもなく、「土屋先生」の雄姿を撮らせるためである。
不可思議な感がするが、当時の都教委は、殿様・石原、その子分・土屋に阿諛追従する下僕となり下がっていたのである。
官僚とは、こういうものなのであろうか?
気骨ある官僚もいたであろうに、それらの話は寡聞にしてか聞こえてこない。
校長は、朝の職員打ち合わせを行った。
教員より、テレビ局の取材に対して種々疑義が出されていたからである。
最終的に、来賓入場の場面まで撮って、テレビは退出する。
テレビカメラによって、卒業生は撮影させない。
卒業生は、9時45分の来賓入場時点で例年の待機場所、式場・体育館に隣接する格技棟ではなく、そこから3棟の左端を迂回して約50メートル離れた2棟内に先頭の1組を待機させ、カメラとの接触を不可とさせる。
よって、例年は狭い格技棟廊下に右2メートル程の歩行部分を残して、1~4、その後ろに5~7組とぎっしり詰まっていたのだが、この日は、最後7組は、1棟、脱靴場にあるという、長蛇の列となっていた。
9時40分、実施要綱に従い、校長は来賓を校長室前から、体育館に誘導を始めた。
1棟、廊下を右に進み出口を出て、直角に左へ進行したあたりで、指導主事・佐々木が注進に及んだ。
「来賓として来ている「F」が、ビラを撒いている」
校長・北爪幸夫は、教頭に先に行くよう促した。
教頭・田中一彦、佐々木が先行し、2棟を通過しとところあたりで英語教員・「S」が注進に来た。
ここでの田中は、少し歩を速めただけであったようだ。
なぜなら、佐々木供述書によると、教頭に、「もっと早く歩け」なる言葉を発している。
それで、発奮したのか否か、3棟を通過し格技棟に入った教頭は、早足で体育館に到着した。
そして、左端、保護者席、後ろブロックの最前列にいて、紙を渡している「F」に近づいて行った。
しかし、「F」は、そこで手持ちの紙が尽き、最後列に置いてあった紙袋に余分として取っておいたコピー(サンデー毎日・「卒業式の寒々とした光景」2ページ分を1枚に印刷したもの)10数枚を取るために去っていったのである。
その間、「F」は、教頭の接近及び離脱に気づかなかった。
教頭は、配布終了と考えたようで、「配布を阻止する彼の任務は終了」と判断したのであろう、体育館入口に歩を進めそこで全体を見渡し佇立することとなる。
この場面が公判では、この刑事事件での最大の争点となっていく。
簡潔に言えば、教頭は、
「保護者席中央で配布を「制止」し、かつそれに続いて保護者席最前列中央に至る「F」に付いて行き、発言の最初から、やめるよう「制止」し続けた」
と公判廷で供述したのである。
これは、まったくの「偽証」である。
「F」は、残部の10数枚をその間、だれの「制止」も受けることなく、左端、保護者席・後ろブロックに撒き終え、前方に進み右折して保護者席中央最前列に立って、しばし間をおいて約1分弱か、静かに話し始めたのである。
話している間も、誰も人は近づかずもとより「制止」の欠片すらなかった。
事実はこうである。
「F」が最後に、都教委のひどい状況を説明したあと、「出来ましたら国歌斉唱の際は、ご着席おねがいします」と言った直後、教頭が、「やめろ!」と言って近づいてきて、やにわに「F」の右二の腕をむんずと掴んだのだ。
「F」は、「もう、終わったよ」と、教頭に言い、さらに「手を離しな!」と教頭に言う。
教頭は、罰が悪そうな表情を浮かべて、つかんでいる手を離した。
これが、前段としての館内状況のすべてである。
後段は、校長による「退去命令」と、それに対する「F」の抗議、及び「退出」の場面となる。
東京地裁、東京高裁は、教頭の偽証を真実と認定し、この前段場面もまた「威力業務妨害」と判決文に書いた。
偽証を見抜けないような「刑事裁判官」は、ただちに法廷を去るべきである。
偽証を認定することが、政治的に得策であると考えているなら、裁判官は右翼のごろつきと何ら変わらない。
そうであるなら、検察・裁判所は犯罪を掣肘する機関ではなく、「犯罪を生産する」機関であるというほかない。
この裁判を経験して、一番強く思ったことは、実に多くの人びとが、「冤罪」にもかかわらず留置所・拘置所・刑務所に放り込まれているということだ。
なかには、「死刑」を執行されてしまった人もいる。
警察・検察・裁判所というところは、実におそろしい処である。
前にも書いた、99、998%の有罪率とは、なんと10万人に2人しか無罪の判決が出ないということである。
年間、100万人の刑事起訴とすると、年、20人だけが「無罪判決」の栄誉にまみえるのである。
これは、「宝くじ」である。
年末グリーンジャンボ宝くじで、「今年は当選券はありませんでした」と発表したら、それこそ暴動が起こるのではないか。
裁判官は、裁判所は、ときに「無罪判決」という「当選券」を出して、秩序を維持している。
公平・正義であるかのような偽装を行っているのである。
ここ数年、警察・検察・裁判官に対して、世間は疑いの目を向け出した。
あまりにもでたらめな事例が多発しているからであろう。
その点は紙幅があれば後述したい。
ところでこの「宝くじ」の当選金は、刑務所で無罪なのに働かされた日数による給付でしかない。
青春を奪われ、自由を奪われ、刑務所内の人間関係で苛められ、劣悪な環境ゆえに病気になって、それで「無罪」だったから、あいすまぬ、金を受け取れと言われて激こうしない人がいるであろうか。
私の場合は、高裁判決「罰金20万円」であるが、裁判となると多額の弁護費用がかかる。
それで万一、否、5万に1、「無罪」の「宝くじの当選」の栄誉を受けても一銭の当選金もない。
人は刑事起訴されただけで、めちゃくちゃ酷い目にあわされるのだ。
「無罪」を主張し続ける被告の有罪率は、97%という数字がある。
どのくらいの人数が年間、最後まで「無罪」を言い続け、ほんとに「無罪」となっているのか精査する必要がある。
なにしろ、「冤罪」を主張すれば、「反省がない」とされ、なかなか釈放されず、罪もまた重くなる現状では多くの人は、検察官・裁判官に迎合するしかないではないか。
警察・検察・裁判官が「犯罪の創造・でっちあげ」を行っている現状があることを踏まえれば、かれらは、「犯罪者の取り締まりをする者」ではなく、まさに「犯罪者」である。
私はかって都内ある署の刑事課長のもとにいた退職警察官に聞いたことがある。
「ところで、冤罪って何割ぐらいあるんでしょうね?」
「4割ぐらいじゃねえか、なにしろ課長がこういうことで罪にしろと決めてくるんでー」
「調べてて、どうも違うなあと思っても、どうにもなんねえよ」
この冤罪にはもちろん、完全な無罪だけでなく、事実と違うより重い罰則の適用も含んでいる。
この話を聞いた時の「唖然たる感」は、もう10年以上経つが今も鮮明である。
(続)
※ 顛末記の過去ログは、
顛末記(4) http://wind.ap.teacup.com/people/4011.html
顛末記(3) http://wind.ap.teacup.com/people/3892.html
顛末記(2) http://wind.ap.teacup.com/people/3872.html
顛末記(1) http://wind.ap.teacup.com/people/3853.html
20回くらいの連載になる予定です。
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