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2005年1月12日(水曜日) 大地
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誰も自分の親を選ぶことは出来ない。気がついたらこの世だ。あらためて奇妙なものだと思う。何処の国に生まれるかも選べない。或る国の或る文化の中に放り込まれる。
若い頃の夢の一つは世界中を放浪することであった。行ったのは北海道7年とあとは東京だ。二、三日旅行で寄ってもたいして意味はない。
北海道は一言で言うと空気が透徹している。寂しさの限りの果ての終着駅といったところだ。樺太に住んだらまた違うであろうが。
東京は我が庭であったが変貌が激しい。もう駄目だ。地下鉄で迷ってこんな筈ではないと思ったがもう我が東京ではなくなった。ふるさとの喪失である。やはり電車を降りたらそのまま街に入っていくのでなくては駄目だ。
京王線を降りたらすぐ街であった。階段やエスカレーターなんてなかった。第一、京王線自体が甲州街道を走っていたのだ。もぐらじゃないんだからすべては地上にないと駄目だ。
十何階に住んでる人の家を訪ねたことがある。まるで観覧車の中に住んでいるようなものだ。心落ち着かないこと限りなしであった。
人はいつも大地に触れていないと駄目なのではないか。
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2005年1月11日(火曜日) 通報
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葛飾のマンション・ビラ撒き事件の起訴のニュースが流れた。12月23日に逮捕されすでに20日間勾留されている。
これは警察・検察庁と裁判所による刑の執行である。勾留は「罪証隠滅の恐れがある」、とする。裁判官は地検公安部の下僕なのか。隠滅のしようもないではないか。すでに家宅捜索を実施している。
立川のビラ撒きでも75日にわたる刑の執行である。保釈となる場合も200万円ほど払わなければならない。弁護士を依頼するから当然金がかかる。
組織のバックがない者はビラを撒けない。留置所に何日いても構わない状況にある人間でなければ、他人の郵便受けにビラを投入するという行為はできない。釈放されなきゃ困るという人間は資産家でなければならない。
地検は奇妙なことを言っている。「個人の私的な領域を知られたくないという国民が増え、セキュリティーの高さを理由にマンションを購入する人も多い。ピッキングなどの犯罪もあり、知らない人が玄関先にいれば不安を感じるのも当たり前だ」
今日も我家の庭の花を見ている人がいた。 怪しい。 通報して逮捕してもらおう。
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2005年1月10日(月曜日) 旗頭
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先の梅原猛氏に関する記述は正確さを欠いていた。あらためてその新聞記事を書き写してみたい。
1月7日、朝日、「対談」である。
五百旗頭 私は左翼リベラルにも不満だなあ。かつて私を現実主義で保守的だと批判していた人たちが、最近は右の極論に対して頑張らないじゃないですか。私への批判よりも迫力をもって戦わなければいけないはずなのに、時流でモノを言っている人のもろさかもしれませんね。
梅原 私のような「保守反動」がかろうじて持ちこたえている。おかしなものです。
五百旗頭 この時流の中でこんなことを言ったらたたかれるだけだと思ってはいけない。しっかりした考えを持って発言すれば必ず聞く耳を持った人がいます。・・・
現実主義、保守的及び保守反動のお二人の対談である。梅原は小泉の靖国参拝を批判し、義理と人情の別がまったく分っていないという。さらに神と仏が共存し、一木一草に神をみるのが本来の伝統であるとする。五百旗頭は、他国の尊厳を考えない偏狭なナショナリズムは排除されるべきとする。それにしても五百旗頭とは何であろうか。
2005年1月12日(水曜日) 大地
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誰も自分の親を選ぶことは出来ない。気がついたらこの世だ。あらためて奇妙なものだと思う。何処の国に生まれるかも選べない。或る国の或る文化の中に放り込まれる。
若い頃の夢の一つは世界中を放浪することであった。行ったのは北海道7年とあとは東京だ。二、三日旅行で寄ってもたいして意味はない。
北海道は一言で言うと空気が透徹している。寂しさの限りの果ての終着駅といったところだ。樺太に住んだらまた違うであろうが。
東京は我が庭であったが変貌が激しい。もう駄目だ。地下鉄で迷ってこんな筈ではないと思ったがもう我が東京ではなくなった。ふるさとの喪失である。やはり電車を降りたらそのまま街に入っていくのでなくては駄目だ。
京王線を降りたらすぐ街であった。階段やエスカレーターなんてなかった。第一、京王線自体が甲州街道を走っていたのだ。もぐらじゃないんだからすべては地上にないと駄目だ。
十何階に住んでる人の家を訪ねたことがある。まるで観覧車の中に住んでいるようなものだ。心落ち着かないこと限りなしであった。
人はいつも大地に触れていないと駄目なのではないか。
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2005年1月11日(火曜日) 通報
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葛飾のマンション・ビラ撒き事件の起訴のニュースが流れた。12月23日に逮捕されすでに20日間勾留されている。
これは警察・検察庁と裁判所による刑の執行である。勾留は「罪証隠滅の恐れがある」、とする。裁判官は地検公安部の下僕なのか。隠滅のしようもないではないか。すでに家宅捜索を実施している。
立川のビラ撒きでも75日にわたる刑の執行である。保釈となる場合も200万円ほど払わなければならない。弁護士を依頼するから当然金がかかる。
組織のバックがない者はビラを撒けない。留置所に何日いても構わない状況にある人間でなければ、他人の郵便受けにビラを投入するという行為はできない。釈放されなきゃ困るという人間は資産家でなければならない。
地検は奇妙なことを言っている。「個人の私的な領域を知られたくないという国民が増え、セキュリティーの高さを理由にマンションを購入する人も多い。ピッキングなどの犯罪もあり、知らない人が玄関先にいれば不安を感じるのも当たり前だ」
今日も我家の庭の花を見ている人がいた。 怪しい。 通報して逮捕してもらおう。
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2005年1月10日(月曜日) 旗頭
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先の梅原猛氏に関する記述は正確さを欠いていた。あらためてその新聞記事を書き写してみたい。
1月7日、朝日、「対談」である。
五百旗頭 私は左翼リベラルにも不満だなあ。かつて私を現実主義で保守的だと批判していた人たちが、最近は右の極論に対して頑張らないじゃないですか。私への批判よりも迫力をもって戦わなければいけないはずなのに、時流でモノを言っている人のもろさかもしれませんね。
梅原 私のような「保守反動」がかろうじて持ちこたえている。おかしなものです。
五百旗頭 この時流の中でこんなことを言ったらたたかれるだけだと思ってはいけない。しっかりした考えを持って発言すれば必ず聞く耳を持った人がいます。・・・
現実主義、保守的及び保守反動のお二人の対談である。梅原は小泉の靖国参拝を批判し、義理と人情の別がまったく分っていないという。さらに神と仏が共存し、一木一草に神をみるのが本来の伝統であるとする。五百旗頭は、他国の尊厳を考えない偏狭なナショナリズムは排除されるべきとする。それにしても五百旗頭とは何であろうか。
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