皆様へ、 日中友好と教育の自由のために〈中国通信1066〉を送ります。
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 愛情を込めて作ったラーメン
作者:庄? 原文:『読者2016・11』
2015年、日本に一つの言葉が生まれた。それは“爆買い”だ。中国人のこの狂乱的な買い物は、中国国内の商品への不信と日本商品への信頼を映し出した。
我々は当面の利益を求めて、長年の熟練によって商品の信頼を得る“職人気質”にかけているが、では日本人のそれはどんなものか。私は2年日本に住んで、日本人は消費者を隣人若しくは親戚と見て商品やサービスを提供していると感じた。
早稲田大学で一つの“学習会”に参加した時、私はこの親切を体験した。これは教授と学生の自発的なもので隔週1回、1冊の書物を読み討論する、どんな教室よりも豊かだった。
討論会後の会食はAA制(割勘)で、学生は先生の半分を払うもので、完全に村の敬老と養育の精神を表していた。
この感情は、見知らぬ人の間にも生きている。ある日の深夜一人で自転車で帰っていると、向こうから酔払いが来た。道は狭く、私は怖くて緊張していたが、その男は“こんな深夜に1人で自転車に乗るのは危ないよ!”と言ったのだ。その口調は、同じ村の伯父さんが若者に言うような心からのものだった。
まさにこの気持ちで日本人は商品やサービスを提供し、それが保証となっているのである。私はかつて山形県の佐藤さんの家に住んだことがあり、佐藤さんは毎週4,4回“学習会”に参加し、村人は最新の農業技術・経験を交換していた。新しい農産物の種を開発し、もしこれがなければその人は落伍する。
私は佐藤さんの奥さんと一緒にキューイ・キュウリを収穫した時、彼女は“いつの日か、みんなを感動させるものを作るんだ。”と夢見るように言った。1年後、私が日本に再び戻ってきたとき、本来横浜に私を訪ねてくる予定だったがかなわず、自分が作ったメロンを私の満1歳の娘へのプレゼントとして送ってくれた。
ある時農産品貿易市場で、一人の農民が、自分の商品を見ている私に自慢して言った。“これは私が愛情をもって作ったラーメンで、品質は正真正銘だ。”私は、このような武骨な人間が“学者ぶった”言い方で表現したことに驚いた。
しかし、私は、日本の農民が新製品を追求する背景には人を感動させたい、人を温かい気持ちにさせたいという一途な気持ちがあることに心から感動した。このような気持ちの根幹には消費者を自分の村の村民、故郷の同胞と同じように見る心情がある。
私は横浜で個人経営の留学生アパートに住んでいたが、そこには管理人として田村叔母さんがいて、私をかわいがってくれた。数年前、彼女に電話すると、夫が春に死去したこと、その時の様子を話してくれた。
その老人は、脳卒中で一時入院したが、医者からもう長くないから自宅で療養するように言われて、タクシーで家に帰った。そのタクシーの運転手は事情を聴いて桜が満開の山の坂に回ってくれ1時間余りとどまってくれた。
老人は咲き誇る桜を見て喜んで歌い始めた。彼はこの年ずっと病床にあって長らく桜を見ていなかった。
櫻は彼に若いころを想い起させたのだ。帰宅して数日後死去した。でも、田村さんは、夫は臨終のとき歌を口ずさみ、心はとても平安だったという。
この話を聞き、私はこのタクシーの運転手に厳粛な敬意を感じた。彼は一人の老人に感動的なサービスを提供し、そのようにも客を自分の親戚として考えたのだろう。
このように消費者を故郷の親戚とみなす気持ちこそ、まさしく日本の職人気質の源である。
(三造・埣羚颯縫紂璽好Εぁ璽・螢・佞・藝陵僉・ヒ
~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 《日露会談 共同経済活動交渉入り合意…首相「特別な制度」》
毎日新聞2016年12月15日
「会談終了後の首相発言・骨子
(1) 北方領土への元島民の自由訪問
(2)日露両国の特別な制度の下での共同経済活動
(3)平和条約の問題
--について、率直かつ非常に突っ込んだ議論ができた」
*国家間の“領土”のやり取りはもう時代遅れになってほしいものだ。ましてや、その“領土”に軍事基地をつくるなどもってのほか。(近藤)
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 愛情を込めて作ったラーメン
作者:庄? 原文:『読者2016・11』
2015年、日本に一つの言葉が生まれた。それは“爆買い”だ。中国人のこの狂乱的な買い物は、中国国内の商品への不信と日本商品への信頼を映し出した。
我々は当面の利益を求めて、長年の熟練によって商品の信頼を得る“職人気質”にかけているが、では日本人のそれはどんなものか。私は2年日本に住んで、日本人は消費者を隣人若しくは親戚と見て商品やサービスを提供していると感じた。
早稲田大学で一つの“学習会”に参加した時、私はこの親切を体験した。これは教授と学生の自発的なもので隔週1回、1冊の書物を読み討論する、どんな教室よりも豊かだった。
討論会後の会食はAA制(割勘)で、学生は先生の半分を払うもので、完全に村の敬老と養育の精神を表していた。
この感情は、見知らぬ人の間にも生きている。ある日の深夜一人で自転車で帰っていると、向こうから酔払いが来た。道は狭く、私は怖くて緊張していたが、その男は“こんな深夜に1人で自転車に乗るのは危ないよ!”と言ったのだ。その口調は、同じ村の伯父さんが若者に言うような心からのものだった。
まさにこの気持ちで日本人は商品やサービスを提供し、それが保証となっているのである。私はかつて山形県の佐藤さんの家に住んだことがあり、佐藤さんは毎週4,4回“学習会”に参加し、村人は最新の農業技術・経験を交換していた。新しい農産物の種を開発し、もしこれがなければその人は落伍する。
私は佐藤さんの奥さんと一緒にキューイ・キュウリを収穫した時、彼女は“いつの日か、みんなを感動させるものを作るんだ。”と夢見るように言った。1年後、私が日本に再び戻ってきたとき、本来横浜に私を訪ねてくる予定だったがかなわず、自分が作ったメロンを私の満1歳の娘へのプレゼントとして送ってくれた。
ある時農産品貿易市場で、一人の農民が、自分の商品を見ている私に自慢して言った。“これは私が愛情をもって作ったラーメンで、品質は正真正銘だ。”私は、このような武骨な人間が“学者ぶった”言い方で表現したことに驚いた。
しかし、私は、日本の農民が新製品を追求する背景には人を感動させたい、人を温かい気持ちにさせたいという一途な気持ちがあることに心から感動した。このような気持ちの根幹には消費者を自分の村の村民、故郷の同胞と同じように見る心情がある。
私は横浜で個人経営の留学生アパートに住んでいたが、そこには管理人として田村叔母さんがいて、私をかわいがってくれた。数年前、彼女に電話すると、夫が春に死去したこと、その時の様子を話してくれた。
その老人は、脳卒中で一時入院したが、医者からもう長くないから自宅で療養するように言われて、タクシーで家に帰った。そのタクシーの運転手は事情を聴いて桜が満開の山の坂に回ってくれ1時間余りとどまってくれた。
老人は咲き誇る桜を見て喜んで歌い始めた。彼はこの年ずっと病床にあって長らく桜を見ていなかった。
櫻は彼に若いころを想い起させたのだ。帰宅して数日後死去した。でも、田村さんは、夫は臨終のとき歌を口ずさみ、心はとても平安だったという。
この話を聞き、私はこのタクシーの運転手に厳粛な敬意を感じた。彼は一人の老人に感動的なサービスを提供し、そのようにも客を自分の親戚として考えたのだろう。
このように消費者を故郷の親戚とみなす気持ちこそ、まさしく日本の職人気質の源である。
(三造・埣羚颯縫紂璽好Εぁ璽・螢・佞・藝陵僉・ヒ
~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 《日露会談 共同経済活動交渉入り合意…首相「特別な制度」》
毎日新聞2016年12月15日
「会談終了後の首相発言・骨子
(1) 北方領土への元島民の自由訪問
(2)日露両国の特別な制度の下での共同経済活動
(3)平和条約の問題
--について、率直かつ非常に突っ込んだ議論ができた」
*国家間の“領土”のやり取りはもう時代遅れになってほしいものだ。ましてや、その“領土”に軍事基地をつくるなどもってのほか。(近藤)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます