=沈思実行(144) 週刊新社会=
☆ 「本土」の沖縄化・本番
鎌田 慧
大江健三郎さんが他界した。「さようなら原発」運動に積極的に参加していただいていたので、打撃は大きい。
沖縄への自衛隊配備が急ピッチになつて、『沖縄ノート』を読み返した。
刊行は「復帰前」だった。謝花昇、伊波普猷、古堅宗憲など、著者の沖縄の抵抗者たちにたいする若々しい共感が、心を打った。
「復帰」から51年たって再読すると、沖縄はすでに十分に「本土化」したはずなのに、沖縄と「本土」との本質的な関係は、まったく変わっていないことを知らされた。
「本土」とは、沖縄と「内地」、沖縄と「日本」との関係を曖昧にする便法である。
復帰前、「本土の沖縄化」が、本土に住む人間の不安だった。核基地付き返還にたいする反対が、革新運動のスローガンだった。
しかし、大江さんが、かつてアメリカで、核戦略の専門家と会ったとき、彼が描いた極東の地図では、日本列島は沖縄の十分の一にもみたない、ちっぽけな存在でしかなかった。
大江さんは、「核基地沖縄のしっぽに、日本列島が縛りつけられている状態」と書いている。
たしかに「核つき返還」は一応、排除された。
沖縄や米軍三沢基地に常備されていた核爆弾は、撤去された。緊急時の「再持ち込み」が懸念材料だったが、それもなかった。
しかし、いま、安倍晋三元首相の露骨な「核共有」論がでてきた。
1972年の「復帰」前とまったくおなじように、いや、さらにつよく、「中国」と「北朝鮮」の恐怖が煽られている。
いまや、防衛費の年間10兆円超への倍増が唱えられ、米軍との「集団的自衛権行使容認」が閣議決定され、「敵基地攻撃」まで解禁されようとしている。
巨大ミサイルの発達と原発設置の拡大は、もはや沖縄だけを「犠牲区域」にして本土は安泰、とはさせていない。
「本土の沖縄化反対」とは、沖縄の犠牲を本土には及ぼさせたくない差別だったのだ。
本土の基地は沖縄へ移設された。これから予想される沖縄の悲惨を防ぐには、対米従属外交をやめ、平和外交の道しかない。
『週刊新社会』(2023年4月26日)
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