2016年5月25日
◎ 私の恥宣言-沖縄から「醜い日本人」と言われる「本土」の住人として-
高嶋伸欣
私は「本土(他府県)」の日本社会に生を受け、一時期は沖縄に居住したが、これまでの人生の大半を「本土」社会の一員として無事に過ごすことができた。同時に、現在までの沖縄社会への日本政府と「本土」社会による差別政策・差別行為に対する責任の一端が自分にもあると意識し、さまざまな行動に同じ思いの人々と取り組んできた。
しかし、今般の米軍関係者による女性殺害事件は、日米両政府による事前対策の意図的とも言うべき手抜き行為に起因した犯罪であり、両政府の責任を厳しく追及するべき事柄であるだけではない。日本政府の不作為等を是正させられなかった点で、私たちの努力の不足を意味している。今改めて、「本土」社会の主権者である私たちの責任が、問われている。
こうなってしまったことを、私は恥じている。日本政府の責任を問いつつ、私たち自身が沖縄差別の払拭に向けて、何をすべきなのか。
ここに、これまでの私たちの取り組みが不十分であったが故の犠牲者と親族の方々並びに沖縄の人々に、力不足を謝罪するとともに、同じ思いの「本土」の人々へのさらなる取り組みの呼びかけを込めて、「私の恥宣言」を表明することにした。
私のこの宣言は、長年にわたり社会科教育に従事し、沖縄差別の実態を知った高校生や大学生たち若者の正義感に叱咤激励され鍛えられた認識にも基づいている。
最大の沖縄差別問題である基地問題の目下の焦点である辺野古新基地建設計画は、仲井真知事(当時)が辺野古沿岸の埋め立てを2013年12月に承認し、勢い付いた安倍政権の弾圧と懐柔の下で、事態は紛糾の極地にある。
この件で、沖縄県民の圧倒的多数が新基地建設に反対であることは、その後の国政選挙や知事選挙の結果、「オール沖縄」の圧倒的な勝利となったことで明確に示されている。
しかし、「本土」のマスコミ各社の世論調査では、いずれも知事の承認を肯定する割合が否定の側を上回っていた。さらに、2013年1月末、オスプレイ機強行配備に抗議する全県41市町村代表などによる「建白書」提出の東京要請団が銀座をパレードした際に、沿道から「非国民」などの罵声が飛び、帰沖した人々が「日本(本土)は根腐れを起こしている」などと、今も語り継いでいる事実がある。
これほどまでに、「本土」の住民はクーラーの効いた居心地の良い安全な部屋にいて、その室外機にあたる基地を沖縄に押し付け、熱風に晒し続けていることに、心の痛みを感じていないのか、と言われて久しい。
この間にも沖縄の人びとは、絶え間なく繰り返される基地被害に悩まされ、補償や責任追及における日本政府の対米従属ぶりに対して、抗議を続けてきた。
そうした抗議行動に「本土」からも連帯の意味を込めた参加はあっても、そこでは「沖縄県民がんばれ。応援にきたぞ」という掛け声以上の行動を示すものは、わずかでしかなかった。
沖縄の米軍基地は、「本土」での基地反対運動を受けて、日米政府の合意の下、「本土」から沖縄に県外移設されたものが少なくない。
海兵隊基地は岐阜県から移されたことが、今では繰り返し指摘され、「本土」でも比較的良く知られている。
にもかかわらず、「本土」社会に蔓延しているもの、それは日米安保体制は維持すべきだが嫌われ者の米軍基地は、自分の近くに置くことは拒否するという身勝手、自己中心の多数派による馴れ合いである。
これは「本土平和主義・本土民主主義」ともいうべき不都合な姿である、との指摘に弁解の余地はない。
人間として、社会人として恥ずべき状況を克服し、誇りある社会を次代の若者に引き継ぎたいと、私たちは努力を続けてきた。しかしその努力の不足を、「本土」社会の現状が如実に示している。
私たちの役割は、二度と事件を繰り返えさせず、責任の所在を明確にする社会を、「本土」政府に確立させることにある。
そのためにも、まずは現時点での最大の焦点である普天間基地問題で、安倍政権がこれ以上の沖縄差別政策を強行することに強く抗議し、辺野古新基地の建設の中止を求める。
加えて、日米安保体制を必要とするのであれば、当面の対応策として「本土」社会こそ応分の基地負担をするべきであるとの主張について、保守革新を問わずに議論する場の設定を、「本土」各地の各層各位に求める。
そこでは、「本土」社会のこれまでの身勝手な自己中心的馴れ合い行動が、沖縄からは「醜い日本人」と見られてきたことを、共通の認識とすることから始めたい。
沖縄県知事も務めた大田昌秀氏(元・鉄血勤皇隊員)は、日米両政府が露骨な沖縄差別政策を実施している時に、「黙認して、ろくに気にもとめないのが誰あろう、本土の多くの知識人であり一般国民ではないだろうか」と指摘した(『醜い日本人・日本の沖縄意識』サイマル出版会、現在は岩波現代文庫に収録)。1969年のことだった。それから間もなく半世紀になる。
私は、沖縄県民にこそ「本土」社会の私たちを批判的に観る資格が備わっていると、認識している。「本土」社会は戦前から沖縄差別で県民を苦しめた。沖縄戦の悲惨な住民被害もその結果であった、とする指摘も受け入れざるを得ない。
さらに戦後、連合軍の占領からの「本土」の主権回復も、沖縄を米軍の自由使用下に置き続けるとの条件があって初めて実現できたものだった。加えて、講和条約第3条によって県民はどこの憲法・憲章も適用されない無権利の「虫けら」状態に放置された。そうすることに暗黙の了解を与えたのは日本政府であり、「本土」社会だった。このことは、講和条約調印を喜ぶ当時の全国紙(『毎日新聞』1951年9月9日)の社説に「この問題を特に今日とり上げて強調しなければならないとも考えないのである」と明記されていることなどから、明らかである。
しかも、沖縄県民はその無権利状態に屈することなく、「我々は人間だ」と声を上げ続けた。
やがては内外の世論の支持も得て日米両政府を追いつめ、日本復帰、日本国憲法の適用を実現させた。
現在の日本社会で、素手で世界最強の米国の軍事支配に立ち向かい、「権利の章典」でもある日本国憲法を、無権利状態から獲得した人々は、沖縄県民だけである。
「本土」の私たちは、占領軍による天皇制の政治的利用と民主化政策という思惑の下で、ある意味「労せずして」日本国憲法を手にしたにすぎない。
その事実ゆえに安倍政権などによる「押し付け憲法論」に、効果的な反論がこれまで十分にできているとは言い難い。
しかし、沖縄県民には市民革命にも匹敵する歴史を自ら刻んできた実績がある。この点にこそ、現在の沖縄県民の様々な抵抗運動に対し、海外の被抑圧民族や民主化をめざす運動家などが注目し、連帯の手を差し伸べている理由がある。その誇り高い県民と比較して、私たち「本土」の日本人が道徳的に高い位置にあるはずはなく、同格であると言うのにも躊躇せざるをえない。
沖縄県民は民主主義の基本である人権を、自らの手で獲得し、さらなる民主化を日本社会に求め続けている。
沖縄から日本を変えようとする動きに呼応して、「本土」の私たちも足元の社会の民主化こそ自らの責務であるとの自覚を新たにするべき時が、今である。
その決意の証として、安倍政権がより顕著にした対米従属政策の打破と、辺野古新基地建設の強行策を含む沖縄への米軍基地偏在を改めるための「本土平和主義・本土民主主義」の是正に、固い決意をもって取り組むことを、ここに宣言する。
併せて、沖縄の人々との心からの連帯と共生の新たな取り組みの構築を、「本土」の心ある人々とともに目指したい。
そのためにも、多くの人々からの当「私の恥宣言」への賛否の表明を願ってやまない。
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