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2005年2月17日(木曜日) 退場
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本日、都議会文教委員会というところの傍聴に出かけた。初めて行ったのである。
驚くことが多くあった。そのひとつは答弁する生活文化局の局長、参事の後ろになんとびっしりと役人が着座している光景である。その数ざっと50人を優に超す。何ともはや初めてその光景を見たせいか呆気に取られた。
皆畏まって資料を膝に置いている。笑うわけでもなく居眠りするわけでもなく真面目な姿勢で審議を聞いている。ありゃ一体何なのだろう。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」、細かな点のご注進に及ぶのであろうが、誰にも出番はない。部局に戻って仕事してたらどうなのか。ドア係りは人が出入りする度にバネ仕掛けの人形のように立ち上がってはドアを開閉する。暇な連中だというか、何と言っていいか分らない風景であった。
議員が殿様だ。役人を何十人も侍らせて何とも思っていない。かっこつけてノートを見ながら意見を言ったりする。壮大な税金の浪費以外のなにものでもない。
自分たちは気に食わない党派の議員の意見を野次ってるのに、傍聴者が一寸野次ったらそれこそ神経質に対応する。「議事進行動議」、退場だ。アホらしい。
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2005年2月16日(水曜日) 暗雲
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今日はキムジョンイルの誕生の日だという。
63歳になる。4月から翌年3月を同期とする日本の学制でいえば私と同期である。金日成は親父と同期である。妙な因縁である。
あの金正男を逮捕していればと時々考える。拉致された人々との交換が出来たのではないかと夢想する。惜しいことをしたものだ。
なんであのような国家が持続しうるのであろうか。今、北の状況を見て、「なんじゃ、あれは・・・」と言っているが、1940年代前半の日本の状況も同じように外国から見られていたのであろう。ヒトラーの集会も同じである。
戦う場合には皆が一体化して突撃せなばならぬ。そうであれば大なり小なり同様な民衆の一体化がなされる。
「君が代を全員起立して大声で斉唱せよ」というのも同じことなのであろう。異端は常に排除される。
北では政治犯収容所での終身強制労働であり、日本ではまだ職場追放と刑事裁判であるが、やがては長期収監が始まるのであろう。
ビラを投函しただけで75日も勾留が行われ、その無罪一審判決が当然のことのようにして控訴される状況は、まさに暗雲立ち込めていると言わざるを得ない。
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2005年2月15日(火曜日) 逃亡
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北海道に憧れて、北海道に就職した。7年過ごした。
7年ではまことに不充分であるがそれでもほんの少しは北海道を体験したと言えよう。貴重な体験であった。
空気の質が違う。空と大地に流れている雰囲気が違う。一言で言えば、都会で25年いたせいであるが寂しいのである。寂寥感に覆われているのである。草木、海、牛、皆寂しいのである。
出勤する前に煙草を売っている商店に立ち寄る。一箱の煙草を買う。同僚のK氏に言われた。「一箱だけ買うのは、都会の人間のすることだ」と。なるほど一カートン買えば毎日出かけなくとも済む。しかしそれは7年間一度も出来なかった。
まとめて買うという発想がないのだ。「煙草」は一箱づつ買うものだという感覚が体に沁みついてしまっている。生涯、この地に住むという当然の意識が欠けている。それゆえ結局は部外者と見られるわけだ。
東京に転勤するという挨拶を終業式の体育館でしたら、「逃げるのか」とY君に大きな声で怒鳴られた。どうも振り返ってわが人生、逃げてばっかりいるようなお粗末な人生であった。
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2005年2月14日(月曜日) 実情
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中学の時、生物の夏休み課題を出された。
蜘蛛について調べよ、というのである。夏の終りに図書館に行って蜘蛛の本を読みレポートを提出した。評価がひどく悪かった。あっと気付いた。蜘蛛を調べるのであって本を見るのではないのだ。
蜘蛛が巣を張っているのを見ると時にそのことを思い出す。見事な張り方である。それを何時間もじっと観察すべきであったのだ。遅ればせながらしばし見つめる。張り終わったらひたすら待っている。ただひたすら待つのだ。
アメリカの研究者が日本の政治について調べに来る。ある政治家の選挙につきあってひたすら実情を体験している。
なるほど調べるとはそういうことなのかと思う。本で理解するだけでは駄目なのだ。その中に入り込んで体験することが肝要なのである。
だからヤクザと政治家、銀行・企業・警察とのつながりについて実態的な著作を書き得る。日本人は知ってても書けない。怖いからである。
かくしてアメリカ人の本によって日本の実情を垣間見ることとなる。なんとも妙な話ではある。
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2005年2月13日(日曜日) 駅
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さいはての駅に降りたち、と歌われた駅もあれば、終日人の行き交う駅もある。
昔見た映画で、構内を見下ろす一角に公安の詰め所があった。なるほどああいう所で見張っているのかと妙に感じ入ったことがあった。
今四ッ谷駅麹町口改札数メートルの軽食コーナーにいる。コトコトダイナー四ッ谷店である。電話はあるが番地はない。新宿区四ッ谷無番地、JR四ッ谷駅構内とある。番地のない処も世の中にはあるのだ。
前面はガラス、改札を行き交う人すべてが見える。こちらに気付く人はまずいない。見ていると時に偶然出会う人がいる。お互い驚きあっている。その様を見ていて二十歳の頃のことを思い出した。
目黒駅で偶然小学校の同級生と出くわした。間違いない。体の大きな男と何ら遜色ない強い子であった。よく教室で相撲を取った。男子代表、女子代表といった感じ、いい勝負であった。その子だ。何とほっそりと優しげな女の子になっていた。
あれえ。一瞬こちらを確認して、声かける間隙を擦り抜け彼女は脱兎のごとく人ごみの中を逃走していった。あとには、はにかみの表情のみが残されていた。
2005年2月17日(木曜日) 退場
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本日、都議会文教委員会というところの傍聴に出かけた。初めて行ったのである。
驚くことが多くあった。そのひとつは答弁する生活文化局の局長、参事の後ろになんとびっしりと役人が着座している光景である。その数ざっと50人を優に超す。何ともはや初めてその光景を見たせいか呆気に取られた。
皆畏まって資料を膝に置いている。笑うわけでもなく居眠りするわけでもなく真面目な姿勢で審議を聞いている。ありゃ一体何なのだろう。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」、細かな点のご注進に及ぶのであろうが、誰にも出番はない。部局に戻って仕事してたらどうなのか。ドア係りは人が出入りする度にバネ仕掛けの人形のように立ち上がってはドアを開閉する。暇な連中だというか、何と言っていいか分らない風景であった。
議員が殿様だ。役人を何十人も侍らせて何とも思っていない。かっこつけてノートを見ながら意見を言ったりする。壮大な税金の浪費以外のなにものでもない。
自分たちは気に食わない党派の議員の意見を野次ってるのに、傍聴者が一寸野次ったらそれこそ神経質に対応する。「議事進行動議」、退場だ。アホらしい。
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2005年2月16日(水曜日) 暗雲
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今日はキムジョンイルの誕生の日だという。
63歳になる。4月から翌年3月を同期とする日本の学制でいえば私と同期である。金日成は親父と同期である。妙な因縁である。
あの金正男を逮捕していればと時々考える。拉致された人々との交換が出来たのではないかと夢想する。惜しいことをしたものだ。
なんであのような国家が持続しうるのであろうか。今、北の状況を見て、「なんじゃ、あれは・・・」と言っているが、1940年代前半の日本の状況も同じように外国から見られていたのであろう。ヒトラーの集会も同じである。
戦う場合には皆が一体化して突撃せなばならぬ。そうであれば大なり小なり同様な民衆の一体化がなされる。
「君が代を全員起立して大声で斉唱せよ」というのも同じことなのであろう。異端は常に排除される。
北では政治犯収容所での終身強制労働であり、日本ではまだ職場追放と刑事裁判であるが、やがては長期収監が始まるのであろう。
ビラを投函しただけで75日も勾留が行われ、その無罪一審判決が当然のことのようにして控訴される状況は、まさに暗雲立ち込めていると言わざるを得ない。
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2005年2月15日(火曜日) 逃亡
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北海道に憧れて、北海道に就職した。7年過ごした。
7年ではまことに不充分であるがそれでもほんの少しは北海道を体験したと言えよう。貴重な体験であった。
空気の質が違う。空と大地に流れている雰囲気が違う。一言で言えば、都会で25年いたせいであるが寂しいのである。寂寥感に覆われているのである。草木、海、牛、皆寂しいのである。
出勤する前に煙草を売っている商店に立ち寄る。一箱の煙草を買う。同僚のK氏に言われた。「一箱だけ買うのは、都会の人間のすることだ」と。なるほど一カートン買えば毎日出かけなくとも済む。しかしそれは7年間一度も出来なかった。
まとめて買うという発想がないのだ。「煙草」は一箱づつ買うものだという感覚が体に沁みついてしまっている。生涯、この地に住むという当然の意識が欠けている。それゆえ結局は部外者と見られるわけだ。
東京に転勤するという挨拶を終業式の体育館でしたら、「逃げるのか」とY君に大きな声で怒鳴られた。どうも振り返ってわが人生、逃げてばっかりいるようなお粗末な人生であった。
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2005年2月14日(月曜日) 実情
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中学の時、生物の夏休み課題を出された。
蜘蛛について調べよ、というのである。夏の終りに図書館に行って蜘蛛の本を読みレポートを提出した。評価がひどく悪かった。あっと気付いた。蜘蛛を調べるのであって本を見るのではないのだ。
蜘蛛が巣を張っているのを見ると時にそのことを思い出す。見事な張り方である。それを何時間もじっと観察すべきであったのだ。遅ればせながらしばし見つめる。張り終わったらひたすら待っている。ただひたすら待つのだ。
アメリカの研究者が日本の政治について調べに来る。ある政治家の選挙につきあってひたすら実情を体験している。
なるほど調べるとはそういうことなのかと思う。本で理解するだけでは駄目なのだ。その中に入り込んで体験することが肝要なのである。
だからヤクザと政治家、銀行・企業・警察とのつながりについて実態的な著作を書き得る。日本人は知ってても書けない。怖いからである。
かくしてアメリカ人の本によって日本の実情を垣間見ることとなる。なんとも妙な話ではある。
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2005年2月13日(日曜日) 駅
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さいはての駅に降りたち、と歌われた駅もあれば、終日人の行き交う駅もある。
昔見た映画で、構内を見下ろす一角に公安の詰め所があった。なるほどああいう所で見張っているのかと妙に感じ入ったことがあった。
今四ッ谷駅麹町口改札数メートルの軽食コーナーにいる。コトコトダイナー四ッ谷店である。電話はあるが番地はない。新宿区四ッ谷無番地、JR四ッ谷駅構内とある。番地のない処も世の中にはあるのだ。
前面はガラス、改札を行き交う人すべてが見える。こちらに気付く人はまずいない。見ていると時に偶然出会う人がいる。お互い驚きあっている。その様を見ていて二十歳の頃のことを思い出した。
目黒駅で偶然小学校の同級生と出くわした。間違いない。体の大きな男と何ら遜色ない強い子であった。よく教室で相撲を取った。男子代表、女子代表といった感じ、いい勝負であった。その子だ。何とほっそりと優しげな女の子になっていた。
あれえ。一瞬こちらを確認して、声かける間隙を擦り抜け彼女は脱兎のごとく人ごみの中を逃走していった。あとには、はにかみの表情のみが残されていた。
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