人生とは美しく刺激的なリッチ。

へんてこでも自分らしい生活。
美に感動、優に感謝、心に感性。

直島【人工と自然の調和こそ】。

2009-01-03 23:59:59 | 九州・中四国旅行。

16:00ごろ、帰路へ。
直島の美しさは、“人工と自然の調和”にあると想う。
旧い民家たち。それに“時間の経過”という自然の現象を加えることで花咲く深い輝き。“時間の経過”が創り出す表現は決して人工では作り出せない。だが、ただ自然に任せっきりにしてしまえば唯の風化-。人の手入れと管理があってこその“時間の経過”による輝き。
海。山。森。花。鳥。。。。
神社。民家。田園。バス。。。。
“利便性”とはかけ離れた旧の時間が流れる島。
しかし、そこにこそ、この島の美しさがあり、
心奪われるものが存在しているように想えた。
また、何かに迷ったとき、訪れたい、何かを気付きにー。

はいしゃ【新鮮な瓦礫のスクラップ】。

2009-01-03 23:59:39 | 美術館・博物館・シネマ。
直島・家プロジェクトの『はいしゃ』について。


かつて歯科医院兼住居であった建物を、その面影を全く失うまでアート改築されている。それを手掛けたのが大竹伸朗!ガラクタや巨大なゴミを媒介にしての作品を特徴とする彼らしい建物となっている。床には、雑誌や新聞、手紙、写真、旧札…等々がギッシリ敷き詰められている。それは一見、“美しい”とは程遠い世界であるが-、何故か懐かしく、そして同時に真新しい空間のように感じられる。壁は“船”をテーマとしているようで、船底などを想像する不思議な作品。狭き建物であるが、“巨大な”のイメージをもつモノが室内に点在するために妙な広さを感じてしまう。あ、そうそう。これは当スポットの案内人のガイドしてもらって気付いたことなのだが、所々に“鹿(シカ)”さんが隠れてる。これを探すのも遊び心があって結構楽しい。まぁーそんなこんなで何よりも、大竹氏の好きなよーに創造したってのが全面に出た“はいしゃ”であった。

南寺【深き暗闇の静寂】。

2009-01-03 23:58:59 | 美術館・博物館・シネマ。
直島・家プロジェクトの『南寺』について。

南寺は、その設計を手掛けたのが安藤忠雄氏であるが『安藤忠雄=コンクリート』の公式に反した木造建築で、外見は炭色の木造倉庫のようである。ココは1度に入場できる人数が少なく、しかも鑑賞に時間を要するために人数制限が激しい。入場可能時間が記載された整理券が配られる。今日の早朝においては鑑賞客が少なく、待ち時間無く入場出来た!

入口から…その中は真っ暗で、全く何も見えない。
自分が立ってる場所も理解出来なくなり、一歩踏み出すことさえ恐怖を覚える。この状況で、視覚で確かめることが出来ない“壁”を手で触れながら少しずつ内部へと進んでいく。少しずつ…少しずつ…、すると、ベンチらしきものが脚にカツンッ。脚にあたったベンチに座り、“静寂”の空間を過ごす、これが南寺での鑑賞。全くの静寂と、全くの暗闇。ただ、ただ、ただ“自分”というものの存在だけが感じられる。ボクの両目は真っ黒に塗られた世界で“黒”以外の何かを探そう必死に活動、そして頭も-。
静寂の空間で過ごすこと10分。
遠くの方に長方形をした光のスクリーンを感じられるようになる。目が暗闇に慣れてから出会う“わずかな光”、それは初めから存在していたのに-。このスクリーンが、ジェームズ・タレル氏の作品“バックサイド・オブ・ザ・ムーン”。

“光をモノとして感じてほしい。”という作者、しかし、ボクはむしろ“闇をモノとして感じた”空間であったように想う。何も見えない恐怖感と、妙に落ち着く静寂。この空間におかれた時、ひとは何を考えるのだろう。ボクは-、それは内緒だが、ここでしか出来ない思考の世界へ到達した。“自分を考える”、そんな時間が南寺には存在している。

護王神社【素晴らしき水平線】。

2009-01-03 23:58:58 | 美術館・博物館・シネマ。
香川県ベネッセアートサイト直島。
直島・家プロジェクトの4つめ『護王神社』について。

江戸時代から祀られている護王神社の改築にあわせ、本殿と拝殿の建物、また拝殿の地下の石室の設計を手がけたのが杉本博司氏!杉本氏が撮影した、いや創り出した写真たちを鑑賞したことがある人ならば、“彼が設計した護王神社です”と述べただけで上記の写真を食い入るよーに見るだろうね。ちなみにこれらの写真はボクが撮影したものだけどさ笑、当然か。杉本氏の作品群には“神仏”をテーマにしたものが多々ある。この“護王神社”もその1つであるが、あまりのアート性の強さに「しょせんカミもホトケもないかぁ…苦笑」と思うが、しかし、彼の作品に出会った後の帰り道の清々しさといったら、まさに寺巡りなど神仏の場を訪れた後の爽快感と似たり。杉本氏の作品についてはまた述べたい。さてさて、護王神社だけども-。

“護王神社”は本村(ほんむら)という集落の中で社寺仏閣が集中する城山の山頂にある。家プロジェクトの1つである“角屋”から見える鳥居、そこから石段を登っていくのさ。ハァハァ言いながら登り切ると、左側になんとアーティスティックな神社。本殿に結ばれた硝子の階段が有名なこの場所だが、なによりも少し違和感を感じるこの一体全部が“不思議さ”と“アート”を感じる。誰もいなかったので静寂に包まれたこの場所の本来の良さであろうものを楽しむことが出来た。

それから、
この拝殿の向かって右下に、もう一つのスポット、護王神社“石室”があるのさ。ここへはスタッフのおじちゃんが案内してくれるんだけど、普段は楽しめないんじゃないかな、人が込んでて。なんと恵まれたことでしょう貸し切り状態で、ボクが想う直島で最も感動を覚えるこの場所を心ゆくまで楽しめた!
ノーマル体型の人間がギリギリ入れる横穴(護王神社境内の下に掘られている)を通って奥へ。この洞穴は四方が建築家安藤忠雄風のコンクリートで作られており、全く恐怖感を感じない。懐中電灯を持って奥に進んでいくと岩盤があり、それからまたここにも硝子の階段がある。薄暗い中に透明な階段。それは神秘的な世界でね、美しい。自然と現代アートを上手く調和させた素晴らしき作品、いや景色だと思った。そして、それからそれから、この横穴を出口に向かって歩く…その目の前に広がる光景!!!!
それはまさに“神秘”という名のものだった

自分の横幅しかない真っ暗な横穴、その出口に広がる景色、
それは定規でひかれたかのような真っ直ぐな水平線
この横穴は目の高さに水平線がくるように設計させているとか。
しかし、この景色はね、人間の生の目でしかシャッターを切れない、そんな美しさ。決してカメラでは抑えることが出来ない感動。そこには“誰も”存在しないことが前提だけどね。杉本氏の代表的作品シリーズである“海と空を水平線で二等分割する写真”を想わせる、その景色が目の前に-。
出口から出れば、そこは暗闇からではなく、
光に包まれた場所から観る水平線。

“目の高さに水平線”。
この限りなく神秘的で、美しい景色に心底感動したボクでした。
たぶん、ここが人で賑わっていたら、その感動は少し薄れたものになっていたかもしれないが、静寂の中で出会ったこのアートにボクは心から感謝しまする、“素晴らしかったぁ、一生忘れない”。
最後にもう一度、護王神社の本殿に礼拝。
ココから見る海はほんの少しだけ、水平線がずれてら。。。