朝の白樺湖です。蓼科は、雲の中。紅葉は、見頃。午前中は、なんとか天気はもつ予報です。朝ご飯の後、一周3.8キロのジョギングコースを、お散歩しました。紅葉を満喫しました。道の駅マルメロの駅ながとに立ち寄って、米、野菜、味噌などを購入。ミルキークイーンの新米2kgが、1,200円で、スーパーで買うより、お買い得でした。松本城へ。平日ながら、市営駐車場が満車。少し離れた民間の駐車場に駐めて、700円/人で、登城しました。雲に覆われていましたが、常念岳らしき山姿も観ることができました。塩尻まで移動中に、予報どおり雨になりました。桔梗ヶ原一帯は、ワイン造りが盛んなところです。何軒ものワイナリーがあります。今日は、井筒ワインに立ち寄って、カミさん試飲吟味のワインを購入。メルロー、ナイアガラ、ベリーAで醸したワインの渋みの違いを、教えてもらいました。いろいろ調べてみると、面白そうです。また、別のワイナリーにも行ってみたいと思っています。箕輪のスーパーに立ち寄って、惣菜ものを購入。多賀サービスエリアのホテルで、ささパーとしました。
昨日の昼過ぎに乗用車で出発して、多賀SAのホテルに宿泊。カミさんのオーダーで、久々の信州へ。10時頃、諏訪に着きました。残念ながら、雨です。でも、次第にやみそうな感じです。はずせない神社巡り。上社、前宮・本宮、下社、春宮・秋宮の四社まいりを。先ず、上社春宮からおまいりました。万治の石仏にも立ち寄り、近くに、御柱を紹介した「おんばしら館よいさ」ができていたので見学。諏訪人の7年に一度執り行われる御柱祭にかける思いに触れてきました。セラ真澄で、お酒を調達。上社本宮をまわるころには、雨は、やみました。改修工事が行われていました。実は、上宮の方が、分家であることを、「おんばしら館よいさ」で、知りました。まあ、いろいろな歴史的出来事があったんですね。上宮では、杉の木に花粉がたくさん生産途上。来春は、たくさん飛びそうです。この時期から準備、とびっくりしました。おまいりを済ませて、白樺高原へ。女神湖に着くと、乗用車の温度計は、肌寒い9℃。なぜか不機嫌なカミさんと、湖を一周。蓼科山は、雲の中でしたが。見頃の紅葉を楽しめました。宿泊地の白樺湖へ下りました。
雨は上がって、天気は回復基調です。台風10号は、数日前まで、関西から東海地方に上陸して、本州を縦断しつつ北海道に到達の予報でした。たぶん、どこかで遭遇すると思っておりましたが、昨日のうちに熱帯低気圧になり、秋雨前線に取り込まれる形で、午前3時に消滅とされたようです。気象庁が考えつかないような、迷走進路になり、不思議な遭えずじまいの結末で、個人的には、ラッキーな形になりました。旅先では、どうにも対応できないので、成り行きの、ケ・セラ・セラと思っていましたが、これも、ある意味、何か、糸のようなもかなぁ、とすると、人生、いろんな色の糸にからまれているようで。そして、自分の思いどおりには、いかないことが多いことばかり、と考えると、やはり、あきらめの…、寝起きのぼぉーとした頭で、テレビの天気予報を観つつ、理由のわからない思いが、ぐるぐるしておりました。今日は、我が家に戻ります。山陽道の福山で、大型トラックの衝突事故の火災により通行止めとなっていたので、中国道で帰ってきました。(全走行距離 4,820.9km 536km/ 日 燃料(軽油) 269.23ℓ 43,596円 燃費等 17.9km/ℓ 9.0円/km フェリー 13,850円✕2(往復)=27,700円 高速道路 54,230円 交通費合計 125,526円)
青い海公園に立ち寄りました。空も海もことのほか清々しく青く感じます。「ふたり」とタイトルがつけられている、公園のモニュメントです。青森市と函館市のツインシティー(双子都市)提携20周年を記念して、制作されたもので、旧制中学時代を青森市で過ごした太宰治(1909-1948)が小説「思ひ出」の中で、弟礼治と青森港桟橋から海峡を渡る連絡船を眺めながら、運命の女性と結ばれる“赤い絲”について語り合った挿話を基に、両市の大学生や高校生などの協力により、お互いの絆を深めるモニュメントとして、両港にそれぞれ設置されたものだそうです。太宰治『思ひ出』/1933年(抜粋) 秋の初めの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い絲について語り合つた。それはいつか学校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとえ往来で逢つても、この絲はこんぐらかることはない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。~ 2009年 赤い絲プロジェクト実行委員会 〜 足に繋げられた赤い紐は、意を汲んだ市民の方がサれたものでしょうか。それから、赤い糸は、手の小指のイメージですが、ネットで検索してみたところ、元祖は、足繋がりだったようです。そして、縄だったようです。それにしても、人生のこれまでのいろいろな糸、しみじみと感じておりました。今日は、日本海東北自動車道、北陸自動車道をひたすら走り、多賀サービスエリア泊です。
カモメさんが見送ってれています。函館山の雲は、夕焼けになっています。今日は、北海道最後の日になりました。土砂降りの雨の中、7時の営業開始に合わせて、いちかば、三角市場へ。狙いどおりお客さんは少なく、すぐに店内に入れてラッキーでした。縞ホッケ定食、半身でも大きく美味しく、お腹いっぱいになりました。シャケ定食のカミさんも、とても満足していました。昨日のリベンジを果たして、鰊御殿、日和山灯台を眺めて、小樽を後にしました。余市のニッカウヰスキーの工場へ。ミュージアムを見学。新樽での貯蔵、宮城蒸留所との蒸留方法の違い、ブレンディングとマリッジ、ピュアモルトなど、本邦のウヰスキー文化の定着に寄与されてきた、竹鶴氏のこだわり、熱意を感じました。素晴らしいです。函館まで戻り、赤松街道沿いの、らーめん屋まつ笠のあっさり塩ラーメンで、北海道の締めとしました。青函フェリーで、青森へ。
氷雪の門、稚内公園の朝景です。公園内には、他にも、九人の乙女の碑、昭和天皇の行幸啓記念碑、師範学校の教学の碑など、敗戦前に45万人の日本人が生活していた、樺太への想いが伝わってきます。母校の東農大の応援歌(団結節)にも、オース オース団結だ オース意気だよ その意気だ 北は樺太北海道 南は九州台湾の猛者が集まる 常磐寮・・・と詠われており、その想いも、5月の台湾旅行に感じたものとあわせて、少し実感できたような気がしました。イルカさんのモニュメントのノシャップ岬から、オロロンラインを走行。サロベツ原野から利尻富士を眺めつつ、サロベツ湿原センターの木道をお散歩。音別、かずのこ生産日本一の留萌の道の駅に立ち寄りつつ、小樽へ。8月最期の金曜日ということもあり、夏休みやインバウンドの旅人で賑わっていました。人ごみの運河で、カモメさんがぽつんと。三角市場で、何か美味しいものをとも思いましたが、狭い空間に酸欠になるくらいたくさん並んであったので、撤退。惣菜ものを買って、宿で、ささパーとしました。でも、地物なのでしょうか、ニシンの酢漬けが美味しかったです。
流氷とけて 春風吹いて 浜茄子さいて 浜茄子揺れる 宗谷の岬 旅に出て5日目、念願の日本最北端、宗谷岬に着きました。43km先は樺太です。温泉街や地獄谷をお散歩して、登別温泉を出発。道央道の北の終点まで走り、オホーツク海側抜けました。途中、中標津、浜頓別の道の駅に立ち寄りました。爆走してくる地元の車に道を譲りつつでしたが、信号がほとんどなく、快適なドライブでした。浜頓別から宗谷にかけては、シカさんとの衝突事故が多発しているとのことで、注意喚起されていました。でも、宗谷岬、稚内防波堤の公園は、シカさんたちのパラダイスで、それもうなずけました。稚内駅近くに泊。晩御飯を食べに、街中を徘徊。2軒、店を覗いてみましたが満員で、ご飯難民化しかけました。やっぱり、なかなかかなぁと思いつつ、3軒目のお店で、運よく、ぎりぎり入れてもらえました。地元の方々が、ご常連のようなお店でした。ラッキーでした。念願の縞ほっけを食べました。しみじみと、焼き魚の模様を確認していたら、店の対象から縞ほっけですよと。うれしいダメ押しが。そして、感激の美味しさでした。
秋雨前線で土砂降りになりました。函館港に、乗船した青森港8時10分発の青函フェリーが、入っていきます。乗用車でフェリーで移動するのは、初めてでした。自転車では、ありましたが。フェリーといえば、地元の大島フェリーは、たまに利用しますが、さすが、幹線ルートの大きなフェリー、安定して、揺れもあまり感じず、快適な4時間の船旅でした。お昼過ぎ、北海道上陸。ここまで、2日半の道のりでした。午後後から、ゆっくり函館市内をお散歩する計画でしたが、大雨洪水警報も。五稜郭をずぶ濡れになりながら、お散歩するのが、精一杯でした。少し残念でしたが、お天気には逆らえず、ということで。路上のカラーマンホール、3種類見つけました。
青函連絡船及び可動橋を眺めています。機械遺産にも登録されています。今日も、不安定なお天気。足柄SAで、ちらっと富士山に見送られながら、5時過ぎに出発。圏央道から東北自動車道へ。佐野SAで朝食、名物の耳うどんをいただきました。展望所からは、富士山は雲の中でした。夜中に線状降水帯が発生し、記録的短時間大雨情報が出されていた栃木県を、運よく何事もなく抜けて安達太良SAで休憩。昨年は、展望所からほんとの空が眺められましたが、今日は、雲でした。岩手山SAに立ち寄って眺めた岩手山も、裾野だけになりました。台風10号、進路予想が大きく変わって、北海道に滞在している間は、遭遇しない感じになりましたが、九州直撃予想。家に帰ると、外に出しっぱなしにしてきた植木鉢がひっくり返ったりしていないか心配ですが、対策のしようがないので、成り行きで。
富士川SAの富士山展望台からの眺望です。ここから富士山を眺めてと思っていましたが、台風10号の影響で、南から湿った空気が流れ込み、大気が不安定。山間部は、平野部よりさらに天気が悪くなっているようです。日本のてっぺんを目指して、カミさんと旅に出ました。ヒコーキで行けば、一日で到達できるかもしれませんが、まだ、気力体力があるうちに、自力で乗用車を運転して、ということにしました。当然ながら、青森、函館間だけは、フェリー利用です。初日は、高速道を東進、足柄SAで泊です。台風10号が、この後、北海道まで追いかけてくるみたいですが、成り行きで、また、旅のよき思い出となれば、ということで、トイトイトイです。
夜中に降ったようです。温泉からすぐ近くなので、雨上がりの但馬牧場まで上ってみました。但馬牛は、和牛改良に寄与してきたことで有名です。牧場内に設置されている博物館に興味がありましたが、時間前だったので、またの機会に。今日は、中国地方旅最後の日です。歩くと楽しそうな歴史の道100選の蒲生峠。入り口だけ見学。クマ道が途中にあるようなので、よく研究してから、また、お散歩に来たい感じでした。雨滝街道の幅員狭小・すれ違い困難区間連続の看板を確認。昨日は、すれ違いがなく、ラッキーを実感しました。道の駅いわみで休憩しつつ、鳥取県立博物館へ。展示物は、年季が入っていましたが、充実していて、見応えがありそうでしたが、キノコを、ささっと観ただけで、今日のところは。仁風館は、長期の休業中になっていました。それから、道の駅等で休憩をとりながら、一気に我が家へ。(乗用車走行距離 1,256km/4日)
日本海から昇る朝日が、最高でした。青空の大山、朝飯前に、日野川河口の海岸から眺めておりました。先ず、昨日訪れる予定だった、事代主神、えびす様の本宮でもある美保神社に。出雲大社とともに、えびすだいこく両参りができました。境外末社の和田津見社には、大綿津見神、豊玉彦命、豊玉姫命が。筑紫社には、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫が祀られていました。2020年にこの場所に遷宮されたみたいです。半島のどん詰まり、日本の灯台50選に選ばれている美保関灯台まで行ってUターン。境港の酒蔵に立ち寄り、地酒を購入。それから、次の予定地、伯耆一の宮を目指しておりましたが、予報どおり、外での活動が危険な気温に。乗用車の温度計も、39℃まで達したため、取りやめて、そのまま今日の宿泊地、湯村温泉を目指すことにしました。ナビのおすすめルートに従って、山陰道から、県道31号線の雨滝街道に入っていきましたが、十王峠から先は、舗装はされているものの、ガードレールがない、狭いくねくね道に。この道をゆけば、どうなるものかという感じになりましたが、なんとかなりました。ナビに鍛えられました。早めに宿泊地に着いたので、お散歩を楽しんで、温泉、夕食と、ゆっくりしました。
道の駅発祥の地や、須佐のホルンフェルスに立ち寄りつつ、島根県に。あくがれの神社を参拝しつつ、縦断して米子に到達しました。出雲大社。宗像大社の御祭神の多紀理比売命が、大国主大神と結婚されて、境内の神魂御子神社(筑紫社)にお祀りされています。宗像の歴史観光ツアーで、案内人の方に教えてもらったことですが、実際に訪れて、宗像と出雲の繋がりを実感。それから、八重垣神社、出雲国一の宮熊野大社。御祭神は素戔嗚尊。宗像三女神は、素戔嗚尊が天照大御神との誓約により生まれたとされており、宗像と出雲がここでも繋がっています。熊野大社では、白のカエルさんに遇いました。白ヘビさんと同じように、パワーをいただき、感謝です。最後に、黄泉の国と現世の境目とされている、黄泉比良坂を訪ねました。霊感を感じそうな所でした。