朝ご飯に飯糰。台湾式おにぎり。特製全部入り60元。本邦コンビニおにぎりの2倍くらいの大きさです。ホテルの近くで購入。インディカ種の在来米の餅米のようです。もちもち感がおにぎりに合っているのでしょうか。台湾では、ジャポニカ米の蓬莱米の生産量が9割で、インディカ種の餅米はスーパーには、売ってないそうなので、食べたくなれば、飯糰屋さんに行くしかないような。今日は、二二八和平公園、博物館を散策して、帰宗しました。
台北植物園のリスさんです。なかなか可愛く撮れました。今日は、中正紀念堂と台北植物園を訪ねました。中世記念堂では、儀仗隊による屋外行進を観ました。これまでの衛兵交代式は、権威主義と個人崇拝の排除を目的に、2024年7月15日を最後に廃止されたそうです。植物園では、台湾的植物をたくさん観られました。リスさんにも会えましたが1回の訪問では、とても見尽くせない感じでした。
蓬莱米の父、広島県出身の磯永吉氏と蓬莱米の母、福岡県出身の末永仁(めぐむ)氏です。竹子湖蓬莱米原種田故事館です。磯氏が渡台直後に登った台北郊外の陽明山南麓の盆地竹子湖に、内地米の原種田を設けられました。盆地なので在来種との交雑や病虫害も防げる上、低湿度ながら雨量豊富、肥沃な地質が九州に似ていたので適地と考えられたようです。蓬莱米の名称は、蓬莱島と異名をもつ台湾島の名前からきています。インディカ種の在来米が主体だった台湾で、日本統治時代に、台湾での生産に適した内地向けの食味に合ったジャポニカ種の品種として、育種、普及されました。両氏の尽力により、当時、収量で2割、農家収益では30%のアップにつながり、蓬莱米普及前の大正10年75万トンだった生産量が、 普及後の昭和13年には147万トンに達し、単収が150キロから230キロに急増したそうです。今では、台湾米の生産量の9割が、蓬莱米だそうで、台湾の食生活の向上に大きく寄与されています。そのことにより、戦後も台湾から請われて台湾に残られて、研究を続けられたそうです。その足跡、敬意をこめて、午前中、 台北市民に愛される陽明山の最高峰、七星山1120mに登り、午後、竹子湖を訪ねてみました。七星山は、台北市の最高峰でもありあます。台北駅前からバスに乗って陽明山バス停で乗り換え、冷泉抗登山口へ。ここから七星山東峰、本峰を縦走して小油坑登山口へ抜けました。地元トレラン人、お散歩人、野外活動中小学生に追い越されたり、すれ違ったり、さすが市民に愛される、なかなかいい山でした。
阿柑姨芋圓の名物もちもち芋団子(芋圓)です。芋団子(芋圓)は「氷が入った冷たい芋圓」か「シロップをかけた温かい芋圓」が選べます。
トッピングは、あずき(紅豆)・緑豆・大豆(金時豆)の3種類。冷たい芋圓全部入りをいただきました。午前中のヒコーキで台湾桃園空港へ。台北のホテルにチェックインして、バスで初めて九份まで足を伸ばしてみました。九份はジブリ映画「千と千尋の神隠し」の舞台に似ているといわれています。坂道を上り下りして、歴史ある街並みや美しい景色が楽しみました。台湾は、4日間滞在の予定です。
北海道の旅最後の日です。今日の午後のヒコーキで帰ります。早朝、ホテルの近くの中島公園をお散歩。それから、〆に、エスコンフィールドを見学しました。きれいな芝生です。道内の小学校、修学旅行みたいな高校生、おとなの社会科見学も行われていました。天井が空いていましたが、霧雨が降ってきたので、天井が閉まっていきました。霧雨のミストも、まあ、いい感じではありましたが。往路は、梅雨前線が消滅した梅雨明けの福岡へ、すんなりと到着しました。(走行距離 74km/日 累計 1,357km 13,389歩/日)
早朝、ウトロの港にそそり立つ、高さ60mのオロンコ岩に登ってみました。オロンコとは、アイヌ語でそこに座っている岩という意味だそうです。知床の山並みにかかる雲の上から朝日が。一番右の三角の山が羅臼岳です。ちょうど港から漁船が出港しています。別れの日が来た知床の村にも・・・、という感じでながめておりました。今日は、網走経由で流氷館を見学して一気に札幌へ。(走行距離 549km/日 累計 1,283km 23,228歩/日)
納沙布岬です。対岸の歯舞群島、海上には、海上保安庁の巡視船でしょうか。複雑な気持ちになります。今朝3時過ぎには、すでに白み始め、3時38分の日の出を見た後、早々に支度をして、6時前には、岬に移動しました。岬周辺をぶらぶらお散歩。ふっと、路傍わ見ると、ハマナスの花が。知床の岬ではありませんが、ハマナスの花を観れました。それから、今日は、北方領土を時折眺めつつ、知床半島のウトロまで移動です。途中、北方原生花園、野付半島、羅臼のしおかぜ公園、羅臼峠、知床五湖に立ち寄りました。野付半島、羅臼に向かうにつれて、国後島がさらに近まっていきました。そして、何かしら「知床の岬に ハマナスが咲く頃⋯遥か国後に 白夜は明ける⋯。」運転しながら、頭の中に知床旅情のBGMが流れてきました。(走行距離 271km/日 累計 734km 13,389歩/日)
早朝、釧路駅前を、家畜の飼料を積んだトラックが、走っていきます。釧路は、飼料工場が集積しています。道東は、酪農や馬の生産が盛んな地域です。今日は、湿原を巡りつつ、生産地帯を通り抜け、根室に行く予定です。でも、釧路市湿原展望台では、クマの目撃情報があり、遊歩道を散策できませんでした、残念。ちょと先の温根内木道へ。ビジターセンターは、休館日でしたが、木道にはガイドさん付きのツアーの方々などが、あまた散策しておられました。次の湿原、霧多布湿原へ。こちらも、クマが出没したとのことで、木道は通行不可でした。それから霧多布岬をまわり、根室で宿泊。クマに振り回されましたが、霧多布岬では、風が強かったですが、野草が咲き乱れ、海上に小さくですが、ラッコさんが観れて、ラッキーでした。(走行距離 203km/日 累計 463km 19,386歩/日)
ホテルの窓から、夕暮れの釧路駅を眺めています。知床の岬に、ハマナスの花を観に行こうと思い立ちました。昨年と同じように、乗用車で行こうかな、と思っていました。でも、いろいろ検討するうちに、ヒコーキとレンタカーの方が低コスト、カミさんの承認も得られたので、こちらのパターンで、行くことにしました。福岡空港11時50分発のヒコーキで、14時すぎに新千歳空港へ。梅雨前線の悪天候で、機内ゆれゆれで、少し到着も遅れました。一転、爽やかなお天気の北海道。オリックスのレンタカーを借りて、19時すぎには、釧路に到着。早、自宅を乗用車出発していたら、4日かかるところです。コンビニで買い出しして、ホテルの部屋で晩ごはん。(走行距離 260km/日 7,039歩/日)
彦根城の天守です。ひこにゃんがおもてなしです。満開のサクラ、青空、そして、何よりも国宝、100名城、すばらしいお城でした。信州からの帰路、好条件が整っていたので、立ち寄ることにしました。京橋駐車場に乗用車を駐めて、大手門から登城。天守まで、なかなかの坂道、階段です。下を向いて歩いていると、タンポポが意外とたくさん。おおむね和タイプのタンポポのようでした。ニラのような若草の匂いが漂ってきます。春を感じます。天守台に登ると、サクラや彦根の城下、琵琶湖が展望できました。要衝として築かれただけあるなぁ、と普通に感じました。今回は、サクラめぐりでしたが、改めて、ゆっくりお城もめぐってみたいと感じました。夕方、帰着。5日間のサクラのめぐりお散歩、十分楽しめました。(乗用車走行距離 2,151km/5日)
花がちぎられてたくさん落ちています。花蜜を楽しんだ鳥さんたちの仕業でしょう。でも、春が来た喜びに満ち溢れるものを感じます。郷は、湯田中渋温泉郷から、少し登って残雪の志賀高原へ。まだまだ雪はたくさんありましたが、スキー営業は、3月31日できっぱり終ったみたいで、普通の平日の静かな感じでした。蓮池の周辺を少しお散歩。フキノトウが顔を出し、来春をかんじました。自然保護センターで、志賀高原の自然についての展示物を観させてもらいました。松本へ移動。ちょうど、お昼ご飯の時間帯になったので、人々が引けた感じだったのでしょうが、平日の金曜日にもかかわらず、あまたの花見人でした。外国から来られた方々も、あまた。北アルプスの眺望を期待して、天守台に登りましたが、雲に阻まれて少し残念でした。でも、満開のサクラに飾られた松本城を満喫でしました。塩尻へ移動。ワイン蔵に立ち寄り、ワインを。多賀まで戻り、宿泊です。
高遠城のタカトウヒガンサクラです。残雪の山々、青空、いい感じです。5分咲きですが、カミさん念願の風景。花に近づいて観察したり、平日とは思えないくらい賑わう、場内の花見の雰囲気を楽しんだり、午前中サクラを楽しみました。入口にいちばん近い駐車場は、千円。ちょっと下の資料館の駐車場に、ひとり200円で駐車させてもらえて、ラッキーでした。仙醸の蔵に立ち寄り、長野県で昭和39年に育成登録され、その後生産量が減少も、最近、見直されてきた「金紋錦」で醸された酒を購入。それから諏訪大社へ移動。参道にシカの灯籠がありました。先日観に行った映画「鹿の国」諏訪大社の四季の祭礼を追い、中世の秘儀を再現したドキュメンタリーが、思い出されました。パンパンして、高島城へ。まだ咲きはじめでしたが、天守から富士山が見えたので、気持ちが上がりました。白樺湖へ移動して宿泊です。
大津SAです。サクラを通して琵琶湖を眺めています。信州サクラめぐりの旅にでかけました。今日は、多賀SAで宿泊です。