森に入ると、檜の香りに包まれました。鏡のような姉妹譚(妹譚)、檜の映り込みが絶品です。高鉄嘉義駅から、ワゴン車で阿里山へ。途中、かなり厳しいくねくね道もありましたが、一気に、2千メートル超の世界へ。下界は、真夏日に向かいつつあるお天気でしたが、気温15℃、時折、ガスに包まれるような、気象状況。日本語ガイドさんに案内してもらい、見所を説明してもらいつつ、遊歩道をお散歩しました。かつて、ここの檜が日本に運ばれ、数々の神社の鳥居に使われました。そのために、嘉義から阿里山まで、森林鉄道を敷いた、当時の方々には、あっぱれの思いです。阿里山⇒沼平、神木⇒阿里山び二区間ですが乗車して、森林鉄道気分を味あわせてもらいました。奮起湖で、牧野富太郎博士で知られる、愛玉子を感慨深くいただきました。それから、台湾の方々は、あまり気にされないのか、放し飼いのお犬様多数。狂犬病清浄国ではないので、留意が必要です。朝、阿里山に向かう前に、嘉義のホテルの近くの廟を初めて参拝しました。
浪江町イメージキャラクターの「うけどん」です。地元で大人気のお米の妖精、生きたシャケの帽子にイクラの髪、大堀相馬焼きのどんぶりに乗って、やってくるそうです。2019年2月に、ふくしま応援ポケモンに任命された、ラッキーも公園にいました。浪江町は、津波の被害に加えて、福島第一原子力発電所の事故被害の地域。かつては、TOKIOが、ダッシュ村に取り組んでいたところでもあります。復興は、進んできたとはいえ、まだまだ、立ち入れない区域、耕作されない田んぼや、帰還されなくて、そのまま朽ちていく家屋、その反面、大規模な公共工事が行われていて、何か、違和感的なものもと、原発事故の悲惨さを感じました。道の駅内のお店は、10時開店。開店前から、ぽちぽちとお客さんが、ロービーで待ってありました。お土産と、お昼用に、なみえ焼きそばパンを購入。途中のSAで食べましたが、評判どおりでした。道の駅内に小さな醸造所と販売所も覗いてきました。津波で被災されて、山形で事業を継続されてた酒蔵です。厳重に立ち入れないようにしてあった原発の横を通り、常磐道を南進、首都高を抜けて東名、名神へ、多賀まで戻ってきました。
お寺の案内猫ちび太君、境内を巡回しています。平泉中尊寺です。早朝に登った男山よりも、激坂の参道で汗だくになりました。登って行くと境内の緑に、時折そよぐ風がいい感じでした。カミさん念願の金色堂を拝観してきました。下ってきてずんだもちを食べて、お寺から少し離れたところにある、日本で唯一の牛の博物館へ。世界の牛にまつわるもの、牛と人とのかかわり、地域の畜産について展示してありました。種牡牛の剥製は、感動ものでした。これだけの施設が、平成7年に、当時人口1万5千人の町立でつくられたということにも、びっくりでした。それにしても、政令指定都市の福岡市の油山牧場の牛の資料館は、利用が低いとされて、アウトドアショップに変えられてしまったのは、残念に感じます。再び、気仙沼へ出て、三陸海岸(復興道路)を南下して、仙台へ。牛タン定食を頂いた後、夕暮れの仙台の街を、少しぶらぶら。ちょうど、すずめまつりがあっていました。仙台の街は、来月の七夕まつりに向けて、盛り上がってきていました。
気仙沼大島大橋です。自家用車に積んできていた自転車で、ここから橋を渡って、大島をお散歩。朝ドラの「おかえりモネ」のロケ地、田中浜まで行きました。島内は、けっこうアップダウンがあり、押しチャリをしたりしながら、アスファルトの照り返しも受けながら、汗だくになりました。大橋まで戻ってきて、自家用車で気仙沼港へ移動。今度は、てくてくでロケ地めぐりのお散歩。「おかえりモネ展」も無料開催されていたので、観てきました。魚市場の展望デッキからは、ちょうど、かつおの水揚作業が観られました。興味深かったです。気仙沼港は、26年連続日本一の水揚げ量だそうで、港では、「気仙沼かつお祭」が開催されていました。お昼には、せっかくなので、かつおの定食をいただきました。再び自家用車で登米へ移動し。今日のロケ地めぐりの最期、風車を眺めて、宿泊地、薬師堂温泉へ。
どんよりとした感じの、朝の城山の風景です。くもりの予報でしたが、日中は、蔵のとスレート屋根に、雨音が響いていました。