日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1297)「同一性」の「述語論理」の「研究」(Ⅲ)。

2024-01-15 13:30:59 | 論理

(01)
1     (1)∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→zy)]} A
1     (2)   日本の山a→∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→zy)]  1UE
 3    (3)   日本の山a                               A
13    (4)         ∃y[富士山y&最高峰ya&∀z(最高峰za→zy)]  23MPP
  5   (5)            富士山b&最高峰ba&∀z(最高峰za→zb)   A
  5   (6)            富士山b&最高峰ba                 5&E
  5   (7)                       ∀z(最高峰za→zb)   5&E
  5   (8)                          最高峰ca→cb     7UE
   9  (9)   ∃z(高尾山z&~富士山z)                       A
    ア (ア)      高尾山c&~富士山c                       A
    ア (イ)      高尾山c                             ア&E
    ア (ウ)           ~富士山c                       ア&E
     エ(エ)             c=b                        A
    アエ(オ)           ~富士山b                       ウエ=E
  5   (カ)            富士山b                       6&E
  5 アエ(キ)           ~富士山b&富士山b                  オカ&I
  5 ア (ク)             c≠b                       エキRAA
  5 ア (ケ)                         ~最高峰ca        8クMTT
  5 ア (コ)        高尾山c&~最高峰ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(高尾山z&~最高峰za)                   45シEE
1  9  (セ)   日本の山a→∃z(高尾山z&~最高峰za)               3スCP
1  9  (ソ)∀x{日本の山x→∃z(高尾山z&~最高峰zx)}              セUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→zy)]}。然るに、
(ⅱ)∃z(高尾山z&~富士山z)。従って、
(ⅲ)∀x{日本の山x→∃z(高尾山z&~最高峰zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが日本の山ならば、あるyは[富士山であって、xの最高峰であって、すべてのzについて(zがxの最高峰であるならば、zとyは「同一」である)]}。
(ⅱ)あるzは(高尾山であって、富士山ではない)。従って、
(ⅲ)すべてのxについて{xが日本の山ならば、あるzは(高尾山であって、xの最高峰ではない)}。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)日本の山は、富士山最高峰である。然るに、
(ⅱ) 高尾山は、富士山ではない。従って、
(ⅲ)日本の山は、高尾山は最高峰ではない
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 日本の山は、富士山最高峰である。
② ∀x{日本の山x→∃y[富士山y&最高峰yx&∀z(最高峰zx→zy)]}。
に於いて、
①=② であるからこそ、
(ⅰ)日本の山は、富士山最高峰である。然るに、
(ⅱ) 高尾山は、富士山ではない。従って、
(ⅲ)日本の山は、高尾山は最高峰ではない
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(04)により、
(05)
① タゴール記念会は、私理事長である。
② ∀x{タゴール記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→zy)]}。
に於いて、
①=② であるからこそ、
(ⅰ)タゴール記念会は、私理事長である。然るに、
(ⅱ)渡辺は、私ではない。従って、
(ⅲ)タゴール記念会は、渡辺は理事長ではない
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(05)により、
(06)
① タゴール記念会は、私理事長である。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
② 私以外は理事長ではない
といふのであれば、「必然的」に、
理事長は私である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① タゴール記念会は、私理事長である。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
③ タゴール記念会は、理事長は私です。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(09)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。 と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(04)~(09)により、
(10)
① タゴール記念会は、私理事長。
② ∀x{タゴール記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→zy)]}。
③ タゴール記念会は、理事長は私です。
に於いて、
①=② であるからこそ、
①=③ である。
従って、
(10)により、
(11)
換言すると、
① タゴール記念会は、私理事長。
② タゴール記念会は、理事長は私です。
③ ∀x{タゴール記念会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→zy)]}。
に於いて、
①=② であるからこそ、
①=③ である。



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