日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(32)「∀x∃y愛(xy)」等の、3通りの、読み方。

2018-06-06 10:40:52 | 論理
(01)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
に於いて、
① ∀x[ ]⇒[ ]∀x
① ∃y〔 〕⇒〔 〕∃y
①  愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]⇒
① [〔(xy)愛〕∃y]∀x=
① [〔(xはyを)愛している〕といふyが存在することが]すべてxに対して成り立つ。
といふ風に、読むことなる。
(02)
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
に於いて、
② ∃x[ ]⇒[ ]∃x
② ∃y〔 〕⇒〔 〕∃y
②  愛( )⇒( )愛
といふ「移動」を行ふと、
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]⇒
② [〔(xy)愛〕∀x]∃y=
② [〔(xはyを)愛している〕ということがすべてのxについて成立する]ようなyが存在する。
といふ風に、読むことなる。
然るに、
(03)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
に於いて、
① ∀x[         ]の「内部」は、
①    ∃y〔愛(xy)〕 であって、
①    ∃y〔     〕 の「内部」は、
①       愛(xy)  であって、
①        (  )  の「内部
は、        xy   である。
(04)
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
に於いて、
② ∃x[         ]の「内部」は、
②    ∀y〔愛(xy)〕 であって、
②    ∀y〔     〕 の「内部」は、
②       愛(xy)  であって、
②        (  )  の「内部」は、
は、        xy   である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
といふ「論理式」を、
① [〔(xはyを)愛している〕といふyが存在することが]すべてxに対して成り立つ。
② [〔(xはyを)愛している〕ということがすべてのxについて成立する]ようなyが存在する。
といふ風に、「読む」といふことは、
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
といふ「論理式」の、「内部のほうから読んでいく」ということに、他ならない。
然るに、
(06)
① ∀x∃y愛(xy)
といふ「論理式」と、
② ∃y∀x愛(xy)
といふ「論理式」は、全く違う意味になります。大事なのは、「内部のほうから読んでいく」ということです。
① は、「xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ」ということになり、
② は、「xはyを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する」ということになります。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、205・206頁改)
従って、
(05)(06)により、
(07)
大事なのは、「内部のほうから読んでいく」ということです。
といふのであれば、
① ∀x∃y愛(xy)
② ∃y∀x愛(xy)
といふ「論理式」には、
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
といふ「括弧」が、なければ、ならない。
然るに、
(08)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(08)により、
(09)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
であるならば、
① ∀x の「意味」は、
①    ∃y〔愛(xy)〕
に及んでゐて、
①    ∃y の「意味」は、
①      愛(xy)
に及んでゐる。
然るに、
(10)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
といふ「述語論理」に於いて、
①       愛
は、「述語」である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
に於いて、
① ∀x は、「主語S」であって、
①    ∃y は、「補語O」であって、
①       愛 は、「述語V」である。
従って、
(11)により、
(12)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
といふ「述語論理」は、「日本語」と同じく、「左から右へ」、
① すべての人はある人を愛す。
といふ風に、「読む」ことが出来る。
従って、
(12)により、
(13)
(xとy)が人であるならば、
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
といふ「述語論理」は、
② ある人はすべての人に愛される。
といふ風に、「読む」ことになる。
(12)(13)により、
(14)
(xとy)が人であるならば、
③ ∀x[∃y〔愛(yx)〕]
④ ∃y[∀x〔愛(yx)〕]
といふ「述語論理」は、
③ すべての人はある人に愛される。
④ ある人はすべての人に愛す。
といふ風に、「読む」ことになる。
従って、
(01)(02)(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
③ ∀x[∃y〔愛(yx)〕]
④ ∃y[∀x〔愛(yx)〕]
といふ「述語論理」には、それぞれ、
① すべての人はある人を愛す。
② ある人はすべての人に愛される。
③ すべての人はある人に愛される。
④ ある人はすべての人を愛す。
といふ「読み方」と、
① xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ。
② xはyを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する。
③ yはxを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ。
④ yはxを愛している、ということがすべてのxについて成立するようなyが存在する。
といふ「読み方」が、あることになる。
然るに、
(16)
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
② ∃y[∀x〔愛(xy)〕]
③ ∀x[∃y〔愛(yx)〕]
④ ∃y[∀x〔愛(yx)〕]
といふ「述語論理」は、
① すべてのxに対し、あるyが存在し、 xはyを愛す。
② あるyが存在し、すべてのxについて、xはyを愛す。
③ すべてのxに対し、あるyが存在し、 yはxを愛す。
④ あるyが存在し、すべてのxについて、yはxを愛す。
という風にも、「読むこと」が、出来る。
従って、
(15)(16)により、
(17)
例へば、
① ∀x[∃y〔愛(xy)〕]
といふ「述語論理」は、
① すべての人はある人を愛す。
① すべてのxに対し、あるyが存在し、xはyを愛す。
① xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ。
といふ「三通り」に、「読むこと」ができる。
然るに、
(18)
言ふまでもなく、
① すべてのxに対し、あるyが存在し、xはyを愛す。
① xはyを愛している、というyが存在することが、すべてのxに対して成り立つ。
といふ「日本語」よりも、
① すべての人はある人を愛す。
といふ「普通の、日本語」の方が、「分りやすい」。

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