日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(159)「三上章 著、象は鼻が長い、1960年」は「名著」ではない。

2019-04-05 19:04:07 | 「は」と「が」

―「記事(158)」の「続き」を書きます。―
(21)
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
といふ「日本語」は、それぞれ、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
(ⅱ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅲ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に「翻訳」される。
従って、
(21)により、
(22)
(ⅳ)タゴール記念会館はが理事長です。
といふ「日本語」は、
(ⅳ)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)}=
(ⅳ)すべてのxについて{xがタゴール記念会館であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zが私でないならば、zはxの理事長ではない。}
といふ「述語論理」に「翻訳」される。
然るに、
(23)
(a)
1  (1)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)} A
1  (2)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)&∀z(~私z→~理事長za)  1UE
1  (3)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)                 2&E
1  (4)                          ∀z(~私z→~理事長za)  2&E
1  (5)                             ~私c→~理事長ca   1UE
 6 (6)                             ~私c          A
  7(7)                                  理事長ca   A
16 (8)                                 ~理事長ca   56MPP
167(9)                           理事長ca&~理事長ca   78&I
1 7(ア)                            ~~私c          69RAA
1 7(イ)                              私c          アDN
1  (ウ)                              理事長ca→ 私c   7イCP
1  (エ)                          ∀z( 理事長za→ 私z)  ウUI
1  (オ)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)&∀z( 理事長za→ 私z)  3エ&I
1  (カ)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)} オUI
(b)
1  (1)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)} A
1  (2)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)&∀z( 理事長za→ 私z)  1UE
1  (3)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)                 2&E
1  (4)                          ∀z( 理事長za→ 私z)  2&E
1  (5)                              理事長ca→ 私c   4UE
 6 (6)                              理事長ca       A
  7(7)                                    ~私c   A
16 (8)                                     私c   56MPP
167(9)                                 ~私c&私x   78&I
1 7(ア)                             ~理事長ca       69RAA
1  (イ)                             ~私c→~理事長ca   7アCP
1  (ウ)                          ∀z(~私z→~理事長zx)  イUI
1  (エ)   タゴール記念会館a→∃y(私y&理事長ya)&∀z(~私z→~理事長za)  イウ&I
1  (オ)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)} エUI
従って、
(23)により、
(a)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)}
(b)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)}
に於いて、
(a)ならば(b)であり、
(b)ならば(a)である。
従って、
(23)により、
(24)
(a)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)}
(b)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)}
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(22)(24)により、
(25)
(a)タゴール記念会館は私理事長です=
(〃)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)}=
(〃)すべてのxについて{xがタゴール記念会館であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zが私でないならば、zはxの理事長ではない。}
(b)∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)}=
(〃)すべてのxについて{xがタゴール記念会館であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、zは私である。}
に於いて、
(a)=(b) である。
然るに、
(26)
(b)すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、zは私である。
といふことを、「普通の日本語」で言ふならば、
(b)xの理事長は私です。
といふことに、他ならない。
従って、
(25)(26)により、
(27)
(a)タゴール記念会館は私理事長です=∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z(~私z→~理事長zx)}。
(b)タゴール記念会館は理事長私です=∀x{タゴール記念会館x→∃y(私y&理事長yx)&∀z( 理事長zx→ 私z)}。
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(27)により、
(28)
(a)私理事長です=∀z(~私z→~理事長zx)}。
(b)理事長私です=∀z( 理事長zx→ 私z)}。
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(21)~(28)により、
(29)
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
といふ「日本語」が、それぞれ、
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
(ⅱ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
(ⅲ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に「翻訳」される。
といふことからすれば、
(a)私理事長です。
(b)理事長私です。
に於いて、
(a)=(b) である。
といふことは、「当然」である。
然るに、
(30)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念館は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(31)
 タゴール記念館は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である
といふ「論評」は、「述語論理」とは、関係がない。
従って、
(29)(30)(31により、
(32)
「日本語の論理、昭和38年」を書いた時点での、三上章先生は、
(ⅰ)象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅱ)象は鼻長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅲ)象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」を、知らないまま、「三上章 著、日本語論理」を書いてゐる。
従って、
(32)により、
(33)
「象は鼻が長い、昭和35年」を書いた時点での、三上章先生も、
(ⅰ)象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅱ)象は鼻長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅲ)象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「等式」を、知らないまま、「三上章 著、象は鼻が長い」を書いてゐる。
然るに、
(34)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
従って、
(33)(34)により、
(35)
三上章先生は、
(ⅰ)象は鼻は長い。
(ⅱ)象は鼻長い。
(ⅲ)象は鼻も長い。
といふ「日本語」を分析する上で、「現代論理学(述語論理)」の知識は、必要である。
としつつも、その一方で、これらの「日本語」を、「述語論理」に「置き換へる」ことを、怠ってゐる。
従って、
(33)(34)(35)により、
(36)
「三上章 著、象は鼻長い、1960年」といふ「著書」は、三上先生が意図したそれとは異なり、「現代論理学(述語論理)的」には、「不完全な著書」であると、言はざるを得ない。


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