日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(414)「強調形」としての「私が」について。

2019-12-02 17:32:23 | 「は」と「が」

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                               A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                  5&E
  5   (7)             私b                         5&E
  5   (8)                理事長ba                  5&E
  5   (9)                       ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (ア)                          理事長ca→b=c    9UE
   イ  (イ)       ∃z(倉田z&~私z)                      A
    ウ (ウ)          倉田c&~私c                       A
    ウ (エ)          倉田c                           ウ&E
    ウ (オ)              ~私c                       ウ&E
     カ(カ)                b=c                     A
    ウカ(キ)              ~私b                       オカ=E
  5 ウカ(ク)              ~私b&私b                    7キ&I
  5 ウ (ケ)                b≠c                     カクRAA
  5 ウ (コ)                         ~理事長ca        アケMTT
  5 ウ (サ)          倉田c&~理事長ca                    エコ&I
  5 ウ (シ)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   サEI
  5イ  (ス)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   イウシEE
13 イ  (セ)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   45スEE
1  イ  (ソ)   T会の会員a→∃z(倉田z&~理事長za)               3セCP
1  イ  (タ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}              ソUI
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
② ∃z(倉田z&~私z)。従って、
③ ∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}。
といふ「推論」は「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
② あるzは倉田であって、zは私ではない。 従って、
③ すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは倉田であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(04)により、
(05)
① タゴール記念会は私理事長です。 然るに、
② 倉田氏は私ではない。 従って、
③ タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① タゴール記念会は私が理事長です。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(07)
① あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふことは、要するに、
① y(私)以外に、z(xの理事長)はゐない
といふ、ことである。
然るに、
(08)
① y(私)以外に、z(xの理事長)はゐない
といふことは、
① z(xの理事長)はy(私)である。
といふ、ことである。
従って、
(01)(06)(08)により、
(09)
① タゴール記念会は私理事長です。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。
といふ「等式」からすれば、
よく知られているように、
① 私理事長です。は、語順を変え、
② タゴール記念会の理事長は私です。
とすることが出来る。といふことは、「当然」である。
然るに、
(10)
① タゴール記念会は私理事長です。
② タゴール記念会の理事長は私です。
に対して、
③ 私タゴール記念会の理事長です。
といふ「言ひ方」も可能である。
従って、
(11)
① タゴール記念会は私理事長です。
② タゴール記念会の理事長は私です。
③ 私タゴール記念会の理事長です。
に於いて、
② は、③ の「」であり、
③ は、② の「」である。
従って、
(11)により、
(12)
④ タゴール記念会は私会員です。
⑤ タゴール記念会の会員は私です。
⑥ 私タゴール記念会の会員です。
に於いても、
⑤ は、⑥ の「」であり、
⑥ は、⑤ の「」である。
然るに、
(13)
②「タゴール記念会の理事長が、一人である」のに対して、仮に、
⑤「タゴール記念会の会員が、五千人である」とする。
然るに、
(14)
は必ずしも真ならず(The reverse is not necessarily true)。」
といふことは、「真(本当)」である。
従って、
(10)~(14)により、
(15)
① タゴール記念会は私理事長です。
② タゴール記念会の理事長は私です。
③ 私はタゴール記念会の理事長です。
④ タゴール記念会は私会員です。
⑤ タゴール記念会の会員は私です。
⑥ 私はタゴール記念会の会員です。
に於いて、
① タゴール記念会は私が理事長です。
② タゴール記念会の理事長は私です。
③ 私はタゴール記念会の理事長です。
⑥ 私はタゴール記念会の会員です。
の「4つ」は、「真(本当)」であるが、
④ タゴール記念会は私が会員です。
⑤ タゴール記念会の会員は私です。
の「2つ」は、「偽(ウソ)」である。
従って、
(15)により、
(16)
① タゴール記念会は私が理事長です。
③ 私はタゴール記念会の理事長です。
に於ける、
① タゴール記念会は私が理事長です。
の場合は、
③ 私タゴール記念会の理事長です。
を「選択せずに、
① タゴール記念会は私が理事長です。
を「選択」して、
① タゴール記念会は私理事長です。
といふ風に、言ってゐる。
然るに、
(06)(07)により、
(17)
① タゴール記念会は、私理事長です。
といふことは、
① タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
① 私理事長です。
③ 私は理事長です。
に於いて、
① は、「私以外は理事長ではない。」といふことを、「強調した、言ひ方」であって、
③ は、「私以外は理事長ではない。」といふことを、「強調しない言ひ方」である。
といふ、ことになる。
従って、
(18)により、
(19)
② 私以外は理事長ではない
といふことを、「強調」しようとする際には、
③ 私は理事長です。
よりも、
① 私理事長です。
の方が、「相応しい言ひ方」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(20)
① 私理事長です。
③ 私は理事長です。
に於いて、
①「私」の「」は「音」であって、
③「私は」の「は」は「清音」である。
然るに、
(21)
音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(20)(21)により、
(22)
① 私理事長です。
③ 私は理事長です。
に於いて、
①「私」の「」は「音」であって、「音」は、「清音」よりも、「心理的な音量が大きく」、
③「私は」の「は」は「清音」であって、「清音」は、「濁音」よりも、「心理的な音量が小さい」。
従って、
(19)(22)により、
(23)
① 私理事長です。
③ 私は理事長です。
に於いて、
①「私」の「」は「音」であって、「音」は、「清音」よりも、「心理的な音量が大きい」が故に、
② 私以外は理事長ではない。
といふことを、「強調」しようとする際には、
③ 私は理事長です。
よりも、
① 私理事長です。
の方が、「相応しい言ひ方」である。
といふ、ことになる。
従って、
(23)により、
(24)
① 私理事長です。
③ 私は理事長です。
に於いて、
③「私は」に対する、
①「私」は、「強調形」である。
といふ、ことになる。