日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(367)「私が大野です(大野は私です)」の「述語論理」。

2019-10-11 14:47:35 | 「は」と「が」

(01)
(ⅰ)
1 (1)∃x(男子x&学生x) A
 2(2)   男子a&学生a  A
 2(3)   男子a      2&EI
 2(4) ∃x男子x      3EI
 2(5)      学生a   2&E
 2(6)    ∃x学生x   5EI
 2(7)∃x男子x&∃x学生x 46&I
1 (8)∃x男子x&∃x学生x 127EE
(ⅱ)
1  (1) ∃x男子x&∃x学生x A
1  (2) ∃x男子x       1&E
 3 (3)   男子a       A
1  (4)      ∃x学生x  1&E
  5(5)        学生a  A
 35(6)   男子a&学生a   35&I
 35(7)∃x(男子x&学生x)  6EI
13 (8)∃x(男子x&学生x)  357EE
(ⅲ)
1  (1) ∃x男子x&∃x学生x A
1  (2) ∃x男子x       1&E
 3 (3)   男子a       A
1  (4)      ∃x学生x  1&E
  5(5)        学生  A
 35(6)   男子&学生   35&I
 35(7)∃x(男子&学生)  6EI   は、「反則」であり、
13 (8)∃x(男子&学生)  357EE も、「反則」である。
然るに、
(02)
「男子学生」がゐるならば、 「男子学生」がゐるが、 逆に
「男子学生」がゐるとしても、「男子学生」がゐるとは、限らない
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ∃x(男子x&学生x) ├ ∃x男子x&∃x学生x
② ∃x男子x&∃x学生x ├ ∃x(男子x&学生x)
に於いて、
① は、「妥当」であり、
② は、「妥当」ではないが、「不可能」ではない。
従って、
(03)により、
(04)
① ∃z(彼z&大野zx)├ ∃z彼z&∃z大野zx
② ∃z彼z&∃z大野zx├ ∃z(彼z&大野zx)
に於いて、
① は、「妥当」であり、
② は、「妥当」ではないが、「不可能」ではない。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1     (1)∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx&∀z(z≠y→~大野zx)]} A
1     (2)   ここにゐるa→∃y[私y&大野ya&∀z(z≠y→~大野za)]  1UE
 3    (3)   ここにゐるa                            A
13    (4)          ∃y[私y&大野ya&∀z(z≠y→~大野za)]  23MPP
  5   (5)             私b&大野ba&∀z(z≠b→~大野za)   A
  5   (6)             私b                      5&E
  5   (7)                大野ba                 5&E
  5   (8)                     ∀z(z≠b→~大野za)   5&E
  5   (9)                        c≠b→~大野ca    9UE
   ア  (ア)      ∃z(彼z&~私z)                     A
    イ (イ)         彼c&~私c                      A
    イ (ウ)         彼c                          イ&E
    イ (エ)            ~私c                      イ&E
     オ(オ)              c=b                    A
    イオ(カ)            ~私b                      エオ=E
  5 イオ(キ)            ~私b&私b                   6カ&I
  5 イ (ク)              c≠b                    オキRAA
  5 イ (ケ)                            ~大野ca    9クMPP
  5 イ (コ)         彼c&~大野ca                    ウケ&I
  5 イ (サ)      ∃z(彼z&~大野za)                   コEI
  5ア  (シ)      ∃z(彼z&~大野za)                   アイサEE
13 ア  (ス)      ∃z(彼z&~大野za)                   45シEE
1     (セ)   ここにゐるa→∃z(彼z&~大野za)               3スCP
1  ア  (ソ)∀x{ここにゐるx→∃z(彼z&~大野zx)               セUI
(ⅱ)
1      (1)∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx&~∀z(z≠y→~大野zx)]} A
1      (2)   ここにゐるa→∃y[私y&大野ya&~∀z(z≠y→~大野za)]  1UE
 3     (3)   ここにゐるa                             A
13     (4)          ∃y[私y&大野ya&~∀z(z≠y→~大野za)]  23MPP
  5    (5)             私b&大野ba&~∀z(z≠b→~大野za)   A
  5    (7)             私b                       5&E
  5    (8)                大野ba                  5&E
  5    (9)                     ~∀z(z≠b→~大野za)   5&E
  5    (ア)                     ∃z~(z≠b→~大野za)   9量化子の関係
   イ   (イ)                       ~(c≠b→~大野ca)   A
   イ   (ウ)                       ~(c=b∨~大野ca)   イ含意の定義
   イ   (エ)                         c≠b& 大野ca    ウ、ド・モルガンの法則
   イ   (オ)                              大野ca    エ&E
    カ  (カ)          ∃z(彼z&~私z)                  A
     キ (キ)             彼d&~私d                   A
     キ (ク)             彼d                       キ&E
      ケ(ケ)              d=c                     A
     キケ(コ)             彼c                       クケ=E
   イ キケ(サ)             彼c&大野ca                  オコ&I
   イ キケ(シ)          ∃z(彼z&大野za)                 サEI
   イカ ケ(ス)          ∃z(彼z&大野za)                 カキシEE
  5 カ ケ(セ)          ∃z(彼z&大野za)                 5イスEE  
13  カ ケ(ソ)          ∃z(彼z&大野za)                 45セEE
1   カ ケ(タ)   ここにゐるa→∃z(彼z&大野za)                 3ソCP
1   カ ケ(チ)∀x{ここにゐるx→∃z(彼z&大野zx)}                タUI
従って、
(04)(05)により、
(06)
① ∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx& ∀z(z≠y→~大野zx)]},∃z(彼z&~私z)├ ∀x{ここにゐるx→∃z(彼z&~大野zx)}
② ∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx&∀z(z≠y→~大野zx)]},∃z(彼z&~私z)├ ∀x{ここにゐるx→∃z(彼z& 大野zx)}
に於いて、
① は、「妥当」であり、
② は、「妥当」ではないが、「不可能」ではない。
従って、
(06)により、
(07)
「日本語」で言ふと、
① すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるyは私であって、xの大野であって、すべてのzについて、zがy(私)以外であるならば、zは大野ではない。然るに、あるzは彼であって、私ではない。従って、すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるzは彼であって、zはxの大野ではない。
② すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるyは私であって、xの大野であって、すべてのzについて、zがy(私)以外であるならば、zは大野ではない、といふわけではない。然るに、あるzは彼であって、私ではない(が、d=cである)。従って、すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるzは彼であって、zはxの大野である。
に於いて、
① は、「妥当」であり、
② は、「妥当」ではないが、「不可能」ではない。
従って、
(07)により、
(08)
「普通の日本語」で言ふと、
① ここでは、私は大野であり、私以外に大野はゐない。          然るに、彼は私ではない。従って、ここでは、彼は大野ではない。
② ここでは、私は大野であり、私の他に大野はゐないといふわけではない。然るに、彼は私ではない。従って、ここでは、彼も大野かも知れない
といふ「推論(連式)」は、「妥当」である。
従って、
(08)により、
(09)
① 彼は私ではない。従って、彼は大野ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であるためには、
① 私は大野であり、私以外は大野ではない
といふ「命題」が、「本当」でなければ、ならない。
然るに、
(10)
① 私以外は大野ではない
といふことは、
① 私でないならば大野ではない
といふことである。
然るに、
(11)
① 私でないならば大野ではない
の「対偶(Contradiction)」は、
① 大野ならば私である。
である。
然るに、
(12)
① 大野ならば私である。
といふことは、
① 大野は私である。
といふことである。
従って、
(09)~(12)により、
(13)
① 彼は私ではない。従って、彼は大野ではない。
といふ「推論」が、「妥当」であるためには、
① 私は大野であり、大野は私である。
といふ「命題」が、「本当」でなければ、ならない。
従って、
(01)~(13)により、
(14)
① ここでは、私は大野であり、大野は私である。⇔
① ここでは、私は大野であり、私以外に大野はゐない。⇔
① ∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx&∀z(z≠y→~大野zx)]}⇔
① すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるyは私であって、xの大野であって、すべてのzについて、zがy(私)以外であるならば、zは大野ではない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(15)
(3) 未知既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
 私大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをで承けた。それゆえこの形は、
 大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① ここでは、私大野です。⇔
① ここでは、私は大野であり、大野は私である。⇔
① ここでは、私は大野であり、私以外に大野はゐない。⇔
① ∀x{ここにゐるx→∃y[私y&大野yx&∀z(z≠y→~大野zx)]}⇔
① すべてのxについて、xがここにゐるならば、あるyは私であって、xの大野であって、すべてのzについて、zがy(私)以外であるならば、zは大野ではない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(17)
「大野さんはどちらですか。」
といふ「質問」は、
「ここには、ある一人の人がゐて、その人の名前以外は大野ではない。」
といふ「前提」に、立ってゐる。
従って、
(18)
既知未知」といふ「問題」よりも以前に
「ここには、ある一人の人がゐて、その人の名前以外は大野ではない。」
といふ「前提」が、無いのであれば、その場合は、固より、
Q:大野さんはどちらですか。
A:私が大野です(大野は私です)。
といふ「会話」は、成立しない。