日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(372)「PならばQである」の「否定(P&~Q)」について。

2019-10-23 18:32:32 | 論理

(01)
(ⅰ)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
12(4)     Q  13
 2(5)    ~Q  2&E
12(6)  Q&~Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(ⅱ)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&I
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   35RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
従って、
(01)により、
(02)
①    P→ Q ≡PならばQである。
②  ~(P&~Q)≡Pであって、Qでない。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
①  ~(P→ Q)≡PならばQである。といふことはない。
② ~~(P&~Q)≡Pであって、Qでない。といふことはない。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
「二重否定」により、
② ~~(P&~Q)≡Pであって、Qでない。といふことはない。といふことはない。
③       P&~Q ≡Pであって、Qでない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①  ~(P→ Q)≡PならばQである。といふことはない。
③     P&~Q  ≡Pであって、Qでない。
に於いて、
①=③ である。
従って、
(05)により、
(06)
P=すべての人間がある金額の金を私にくれる。
Q=私は幸福になる。
であるとして、
①(PならばQである。)の「否定」は、
③(すべての人間がある金額のお金を私にくれたとしても、私は幸福にならない。)である。
然るに、
(07)
[2]命題「すべての人間がある金額のお金を私にくれるならば、私は幸福になる。」の否定はどれか、番号で答えよ、
(1)ある人間がすべての金額のお金を私にくれなければ、私は幸福にならない。
(2)すべての人間がある金額のお金を私にくれるならば、私は幸福にならない。
(3)ある人間がすべての金額のお金を私にくれたとしても、私は幸福にならない。
(4)すべての人間がある金額のお金を私にくれたとしても、私は幸福にならない。
(中内伸光、ろんりの練習帳、2002年、123頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
答へ」を見るまでもなく、
 ①(すべての人間がある金額の金を私にくれるならば、私は幸福になる。)の「否定」は、
 ③(すべての人間がある金額のお金を私にくれたとしても、私は幸福にならない。)であって、それ故、
(4)すべての人間がある金額のお金を私にくれたとしても、私は幸福にならない。 が「正解」である。
然るに、
(09)
答へ(202頁)」を見ると、
[2]xは「人間」の全体を動き、yは「金額」の全体を動くとき、「xがyという金額のお金を、私にくれる」という命題関数をp(x、y)とし、「私は幸福になる」という命題をqとすると、与えられた命題は、∀x∃yp(x,y)→qである。したがって、その否定は、~(∀x∃yp(x,y)→q)≡∀x∃yp(x,y)&~qとなり、答えは(4)である
(中内伸光、ろんりの練習帳、2002年、202頁改)
然るに、
(05)により、
(10)
もう一度、確認すると、固より、
①  ~(P→ Q)≡PならばQである。といふことはない。
③     P&~Q  ≡Pであって、Qでない
に於いて、
①=③ である。
従って、
(07)(09)(10)により、
(11)
[2]命題「すべての人間がある金額のお金を私にくれるならば、私は幸福になる。」といふ「仮言命題否定」を言ふ際に、敢へて、
[2]xは「人間」の全体を動き、yは「金額」の全体を動くとき、「xがyという金額のお金を、私にくれる」という命題関数をp(x、y)とし、「私は幸福になる」という命題をqとすると、与えられた命題は、∀x∃yp(x,y)→qである。
といふことを、述べる「必要」は、全く無い