日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(112)「述語論理(人工言語)・訓読」。

2018-11-28 21:15:57 | 「は」と「が」
― 先ほどの「記事」を、(29)以下で、「捕捉」します。明日も、「記事」を書きます。―
(01)
昨日(11月27日)も、書いたやうに、
(ⅰ)象は鼻は長い= ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅱ)鼻は象が長い= ∀x{∃y(~象y&鼻xy)→~長x}。
(ⅲ)象が鼻は長い= ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅳ)象も鼻は長い=~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
(ⅴ)象は鼻が長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅵ)象は鼻も長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅶ)象が鼻が長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
(ⅷ)象が鼻も長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
従って、
(01)により、
(02)
① 象は鼻は長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象が鼻は長い= ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い= ∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑦ 象も鼻は長い=~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑧ 象も鼻が長い=
⑨ 象も鼻も長い=
従って、
(03)
象(は・が・も)鼻(は・が・も)長い。
に関しては、昨日の時点で、
⑧ 象も鼻が長い=~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い=~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「二つ」が欠けてゐる。
然るに、
(04)
(a)
1 (1)象が鼻は長い。といふわけではない。           A
1 (〃)~∀x{ ~象x→ ~∃y(鼻yx&長y)}      A
1 (〃)すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い。といふことはない。といふわけではない。 A
1 (2)∃x~{ ~象x→ ~∃y(鼻yx&長y)}      1量化子の関係
 3(3)  ~{ ~象a→ ~∃y(鼻ya&長y)}      A
 3(4)  ~{~~象a∨ ~∃y(鼻ya&長y)}      3含意の定義
 3(5)  ~{  象a∨ ~∃y(鼻ya&長y)}      4DN
 3(6)     ~象a&~~∃y(鼻ya&長y)       5ド・モルガンの法則
 3(7)     ~象a&  ∃y(鼻ya&長y)       6DN
 3(8)  ∃x{~象x&  ∃y(鼻yx&長y)}      7EI
1 (9)  ∃x{~象x&  ∃y(鼻yx&長y)}      238EE
1 (〃)あるxは象ではなく、あるyはxの鼻であって、yは長い。 238EE
1 (〃)象以外にも、鼻が長い動物が存在する。          238EE
(b)
1 (1)象以外にも、鼻が長い動物が存在する。          A
1 (〃)∃x { ~象x& ∃y(鼻yx&長y)}       A
1 (〃)あるxは象ではなく、あるyはxの鼻であって、yは長い。 A
 2(2)     ~象a& ∃y(鼻ya&長y)        A
 2(3)  ~{  象a∨~∃y(鼻ya&長y)}       4ド・モルガンの法則
 2(4)  ~{~~象a∨~∃y(鼻ya&長y)}       4DN
 2(5)  ~{ ~象a→~∃y(鼻ya&長y)}       5含意の定義
 2(6)∃x~{ ~象x→~∃y(鼻yx&長y)}       6EI
1 (7)∃x~{ ~象x→~∃y(鼻yx&長y)}       237EE
1 (8)~∀x{ ~象x→~∃y(鼻yx&長y)}       8量化子の関係
1 (〃)すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い。といふことはない。といふわけではない。 8量化子の関係
1 (〃)象が鼻は長い。といふわけではない。
従って、
(04)により、
(05)
(a)~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
(b) ∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
(a)ならば(b)であり、
(b)ならば(a)である。
従って、
(05)により、
(06) 
(a)~∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
(b) ∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
⑧ 象も鼻が長い=∃x{~象x&∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い=∃x{~象x&∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
然るに、
(08)
(a)
1 (1)鼻でなくとも、長い。 A
1 (〃)~∀z(~鼻zx→ ~長z) A
1 (〃)すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。 A
1 (2)∃z~(~鼻zx→ ~長z) 1量化子の関係
 3(3)  ~(~鼻cx→ ~長c) A
 3(4) ~(~~鼻cx∨ ~長c) 3含意の定義
 3(5)   ~(鼻cx∨ ~長c) 4DN
 3(6)    ~鼻cx&~~長c  ド・モルガンの法則
 3(7)    ~鼻cx&  長c  6DN
 3(8)∃z(~鼻zx&長z)    7EI
1 (9)∃z(~鼻zx&長z)    238EE
(b)
1 (1)鼻以外も長い。 A
1 (〃) ∃z(~鼻zx&  長z) A
1 (〃)あるzはxの鼻ではないが長い。 A
 2(2)    ~鼻cx&  長c  1UE
 2(3) ~~(~鼻cx&  長c) 2DN
 2(4) ~(~~鼻cx∨ ~長c) ドモルガンの法則
 2(5)  ~(~鼻cx→ ~長c) 4含意の定義
 2(6)∃z~(~鼻cx→ ~長c) 5EI
1 (7)∃z~(~鼻cx→ ~長c) 236EE
1 (8)~∀z(~鼻zx→ ~長z) 7量化子の関係
従って、
(08)により、
(09)
(a)~∀z(~鼻zx→~長z)
(b) ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
(a)ならば(b)であり、
(b)ならば(a)である。
従って、
(09)により、
(10) 
(a)~∀z(~鼻zx→~長z)
(b) ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(03)(10)により、
(10)
⑧ 象も鼻が長い=∃x{~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い=∃x{~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
従って、
(02)(06)(10)により、
(11)
① 象は鼻は長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象が鼻は長い=∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑦ 象も鼻は長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)}。
⑧ 象も鼻が長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
⑤ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
の場合は、すなはち、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
⑥ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない、といふことはない}。
である。
然るに、
(12)により、
(13)
⑤ 象が鼻が長い=象の鼻は長く、象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外は長くない。
⑥ 象が鼻も長い=象の鼻は長く、象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外も長い。
然るに、
(14)
1    (1)象が鼻が長い。A
1    (〃)∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1    (〃)すべてxについて{xが象であるならば、そのときに限って、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。 A
1    (2)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} 1Df.⇔
1    (〃)すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。 1Df.⇔
1    (3)   象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
1    (4)                 ~象a→~∃y(鼻ya&長y)              3&E
 5   (5)ピーターは兎である。        A
 5   (〃)∃x(Px&兎x)         A
 5   (〃)あるxはピーターといふ兎である。  A
  6  (6)兎は象ではない。          A
  6  (〃)∀x(兎x→~象x)        A
  6  (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 A
   7 (7)   Pa& 兎a             A
  6  (8)   兎a→~象a             6UI
   7 (9)   兎a                 7&E
  67 (ア)         ~象a          89MPP
1 67 (イ)         ~∃y(鼻ya&長y)  4アMPP
1 67 (ウ)         ∀y~(鼻ya&長y)  イ量化子の関係
1 67 (エ)           ~(鼻ba&長b)  ウUE
1 67 (オ)           ~鼻ba∨~長b   エ、ド・モルガンの法則
1 67 (カ)            鼻ba→~長b   オ含意の定義
    キ(キ)                 長b   A
    キ(ク)               ~~長b   キDN
1 67キ(ケ)           ~鼻ba       カクMTT
1 67 (コ)            長b→~鼻ba   キケCP
1 67 (サ)         ∃y(長y→~鼻ya)  コEI
156  (シ)         ∃y(長y→~鼻ya)  57サEE
1567 (ス)   Pa&兎a&∃y(長y→~鼻ya)  7シ&I
1567 (セ)∃x{Px&兎x&∃y(長y→~鼻yx)} スEI
156  (ソ)∃x{Px&兎x&∃y(長y→~鼻yx)} 57セEE
156  (〃)あるxはピーターと言ひ、そのxは兎であり、あるyが長いのであれば、yはxの鼻ではない。 57セEE
156  (〃)ピーターラビットの鼻は、長くない。     57セEE
といふ「推論」の場合は、
1    (2)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
ではなく、
1    (2)∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
であったとしても、
156  (ソ)∃x{Px&兎x&∃y(長y→~鼻yx)} 57セEE
156  (〃)あるxはピーターと言ひ、そのxは兎であり、あるyが長いのであれば、yはxの鼻ではない。 57セEE
156  (〃)ピーターラビットの鼻は、長くない。     57セEE
といふ「結論」は、変はらない。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
(1)象が鼻が長い。然るに、
(5)ピーターは兎である。然るに、
(6)兎は象ではない。故に、
(ソ)ピーターラビットの鼻は、長くない。
といふ「推論」を行ふ上では、
⑤ 象が鼻が長い=象の鼻は長く、象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外は長くない。
⑥ 象が鼻も長い=象の鼻は長く、象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外も長い。
ではなくも、
⑤ 象が鼻が長い=象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外は長くない。
⑥ 象が鼻も長い=象以外の鼻は長くなく、象は鼻以外も長い。
であれば、良いことになる。
従って、
(12)~(15)により、
(16)
(1)象が鼻が長い。然るに、
(5)ピーターは兎である。然るに、
(6)兎は象ではない。故に、
(ソ)ピーターラビットの鼻は、長くない。
といふ「推論」を行ふ上では、
⑤ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
ではなくとも、
⑤ 象が鼻が長い=~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い=~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
であれば、良いことになる。
従って、
(12)(16)により、
(17)
① 象は鼻は長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ 象は鼻も長い=∀x{ 象x→ ∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象が鼻は長い=∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ 象が鼻が長い=∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑥ 象が鼻も長い=∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑦ 象も鼻は長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)}。
⑧ 象も鼻が長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い=∃x{~象x& ∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
であっても、良いことになる。
然るに、
(18)
例へば、
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」を、『左から右へ読んでも』、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
といふ「日本語」にはならない。
(19)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
ではなく、
⑤ ∀x{x象→∃y(yx鼻&y長)&x象~→∃y(yx鼻&y長)~&∀z(zx鼻~→z長~)}。
といふ「述語論理」であれば、『左から右へ読む』と、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
といふ「日本語」になる。
然るに、
(20)
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑩ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)皍、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
⑩ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
従って、
(20)により、
(21)
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文(大學 伝五章)」も、『左から右へ読んでも』、
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「語順」にはならない。
然るに、
(22)
「私が信じる所」からすると、
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文(大學 伝五章)」等の「漢文」には、『実際に』、
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「括弧(管到)」が、初めから有って、その「括弧(管到)」に従って、
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ風に、「訓読」してゐる。
従って、
(18)~(22)により、
(23)
『左から右へ読んでも』、「意味が取れない」といふことに関しては、
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「述語論理」も、
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文」も、『同じ』である。
然るに、
(24)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「述語論理」を、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
といふ風に読んでも、「誰も、文句を言はない」。
然るに、
(25)
かつて漢文科かつて漢文学科だった学科や漢文学専攻は、いま、そのほとんすべてが中国文学科や中国文学専攻になってしまっている。そこでは、当然、中国語も履修することになっていて、そこで学んだ方々は、古代の中国文も現代の中国音で発音できるし、またそういう出身の先生は、得意げにそういうように読んでも聞かせたりするもののようである。そこで、日本文学科出身の国語科の先生や、教育学部の国語専修などの出身の先生は、漢文は嫌いではないのだが、生徒からなにか、偽者のように思われて辛い、と聞くことがあったりするのである(中村幸弘・杉本完治、漢文文型 訓読の語法、2012年、36頁)。大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)。
従って、
(24)(25)により、
(26)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「述語論理」を、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
といふ風に「訓読」しても、「誰も、文句を言はない」ものの、その一方で、
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑩ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)皍、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「訓読」を行ふと、「偽物あつかい」を受け、蔑まれる。
然るに、
(27)
日本語や英語、中国語(現代でなく、過去の中国語も含む)は、自然言語である。しかし漢文は、自然言語を土台にした人工言語だ(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、8頁)。中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
同じく、『人工言語』であるにも拘はらず、
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「人工言語(述語論理)」を、
⑤ すべてxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、そのyは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyは長い、といふことはなく、すべてのzについてzがxの鼻でないならばzは長くない}。
といふ風に「訓読」しても、「誰も、文句を言はない」ものの、その一方で、
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「人工言語(漢文)」の場合は、
⑩ Shì yǐ dàxué shǐ jiào bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ ér yì jí zhī yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風に、読まなければ、ならない。
然るに、
(29)
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「論理式」を、
⑤ ユニヴァーサル・シンボルエー、ブラケット、イグジステンシャル・シンボルワイ、ブラケット、エイチワイエックス、アンド、アイワイ、ブラケット、アンド、ノット、エフエックス、インプライズ、ノット、イグジステンシャル・シンボル、ワイ、ブラケット、エイチワイエックス、アンド、アイワイ、ブラケット、アンド、ユニヴァーサル・シンボルエー、ブラケット、ノット、エイチゼットエックス、インプライズ、ノットアイゼット、ブラケット、ブラケット。
といふ風に、読めたからと言って、
⑤ ∀x{Fx→∃y(Hyx&Iy)&~Fx→~∃y(Hyx&Iy)&∀z(~Hzx→~Iz)}。
といふ「論理式(人工言語)」を、理解してゐることには、ならない。
従って、
(28)(29)により、
(30)
同様に、
⑩ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文(人工言語)」を、
⑩ Shì yǐ dàxué shǐ jiào bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ ér yì jí zhī yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風に、読めたからと言って、
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文(人工言語)」を、理解してゐることには、ならない。
然るに、
(31)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである
(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
然るに、
(32)
じつは日本の、ご存じだと思いますが、荻生徂徠という、悪くいえばけったいなというか、よくいえば非常にすばらしい学者が江戸時代にいたんです。この人は江戸が鎖国時代であるにもかかわらず中国語ができた。それは長崎の通詞(通訳)を通して勉強したんだと思いますけれども。漢文というものをやってみるとわかるんですが、現代中国語をしゃべれないような人はほんとうは漢文は読めないんです(https://yellow.ap.teacup.com/kadowaki/248.html)。
従って、
(28)~(32)により、
(33)
「現代中国語をしゃべれないような人はほんとうは漢文は読めないんです。」といふ風に、思ふのであれば、「その人の、気のせい」に、過ぎない。
従って、
(34)
しかし、倉石の鋭さは、なによりもまず先にも触れた「漢文訓読塩鮭論」に余すところなく現われていると言える。それはすなわち次のような一節である。
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。
といふ「見解」も、「気のせい」に、過ぎない。
従って、
(35)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
といふ「主張」は、「韓国を見習って、漢字を廃止して、日本語は、ヒラガナ(ハングル)だけで表記すべきだ。」といふ「主張」と、「同じ程度に、間違ひ」である。