日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(33)「二項述語における量記号」の読み方。

2018-06-08 17:03:19 | 論理
(01)
ある人αが、すべての人に愛される。のであれば、
すべての人は、ある人αを愛す。ことになる。
従って、
(01)により、
(02)
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
に於いて、
① ならば、② である。
然るに、
(03)
1 (1)∃x∀y愛(yx) A
 2(2)  ∀y愛(ya) A
 2(3)    愛(ba) 2UE
 2(4)  ∃x愛(bx) 3EI
1 (5)  ∃x愛(bx) 124EE
1 (6)∀y∃x愛(yx) 5UI
従って、
(02)(03)により、
(04)
確かに、
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
に於いて、
① ならば、② である。
cf.
(沢田 允茂、現代論理学入門、1962年、146頁、第11図:二項述語における量記号の変換規則)
然るに、
(05)
すべての人が、それぞれに、αや、βや、γと言った、異なる、ある人を愛す。のであれば、
ある人αが、すべての人に愛される。といふことには、ならない。
従って、
(05)により、
(06)
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される
に於いて、
② ならば、① である。
といふことには、ならない。
然るに、
(07)
1 (1)∀y∃x愛(yx) A
1 (2)  ∃x愛(bx) 1UE
 3(3)    愛(ba) A
 3(4)  ∀y愛(ya) 3UI
 3(5)∃x∀y愛(yx) 4EI
1 (6)∃x∀y愛(yx) 235EE
然るに、
(08)
 3()    愛(a) A
であるため、
 3(4)  ∀y愛(a) UI
は、「マチガイ」である。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
確かに、
② ∀y∃x愛(yx):すべての人はある人を愛す。
① ∃x∀y愛(yx):ある人はすべての人に愛される
に於いて、
② ならば、① である。
といふことには、ならない。
cf.
(沢田 允茂、現代論理学入門、1962年、146頁、第11図:二項述語における量記号の変換規則)
従って、
(01)~(09)により、
(10)
① ∃x∀y愛(yx)
② ∀y∃x愛(yx)
といふ「述語論理」に対する、
① ある人はすべての人に愛される
② すべての人はある人を愛す。
といふ「日本語訳」は、「正確」である。
従って、
(10)により、
(11)
① ∃x∀y愛(yx)
② ∀y∃x愛(yx)
といふ「述語論理」に対する、
① あるxが存在し、すべてのyについて、yはxを愛す。
② すべてのyに対し、あるxが存在し、 yはxを愛す。
といふ「読み方」や、
① yはxを愛する、ということがすべてのyについて成立するようなxが存在する。
② xはyに愛される、というxが存在することが、すべてのyに対して成り立つ。
といふ「読み方」は、要するに、
① ある人はすべての人に愛される。
② すべての人はある人を愛す。
といふ「意味」に、他ならない。
従って、
(12)
① ∀x∃y親(xy)
② ∃y∀x親(xy)
③ ∀x∃y親(yx)
④ ∃y∀x親(yx)
といふ「それ」であれば、
① すべての人はある人の親である。
② ある人はすべての人の子である。
③ すべての人はある人の子である。
④ ある人はすべての人の親である。
といふ「意味」になる。
従って、
(13)
② There is a y such that y is child of all x(すべてのxの、子であるところの、yが存在する).
③ Take any x: then there is a y such that y is parent of x(任意のxを選ぶにせよ、するとxの親であるところのyが存在する).
といふのであれば、
② ∃y∀x(xy)=ある人はすべての人のである。
③ ∀x∃y(yx)=すべての人はある人のである。