(01)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya& 長y)} 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya& 長y) 23MPP
5 (5) 鼻ba& 長b A
5 (6) 長b 5&E
7 (7) ∃x∃y(動x&鼻yx&~長y) A
8 (8) ∃y(動a&鼻ya&~長y) A
9(9) 動a&鼻ba&~長b A
9(ア) ~長b 9&E
8 (イ) ~長b 89アEE
7 (ウ) ~長b 78イEE
57 (エ) ~長b&長b 6ウ&I
13 7 (オ) ~長b&長b 45エEE
1 7 (カ) ~象a 3オRAA
1 7 9(キ) ~象a&動a&鼻ba&~長b 9カ&I
1 78 (ク) ~象a&動a&鼻ba&~長b 89キEE
1 7 (ケ) ~象a&動a&鼻ba&~長b 78クEE
1 7 (コ) ∃y(~象a&動a&鼻ya&~長y) ケEI
1 7 (サ)∃x∃y(~象x&動x&鼻yx&~長y) コEI
従って、
(01)により、
(02)
(1)全てのxについて、xが象ならば、或るyはxの鼻であって、尚且つ、yは長い。
(7)或るxは動物であって、或るyはxの鼻であって、尚且つ、 yは長くない。
(サ)或るxは象ではない動物であって、或るyはxの鼻であって、yは長くない。
従って、
(02)により、
(03)
(1)象は鼻は長い。
(7)或る動物の鼻は長くない。
(サ)象ではない、鼻が長くない動物が存在する。
然るに、
(04)
(1)象は鼻は長い。然るに、
(2)或る動物の鼻は長くない。従って、
(3)象ではない、鼻が長くない動物が存在する。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 象は鼻は長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
③ 全てのxについて、xが象ならば、或るyはxの鼻であって、尚且つ、yは長い。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)
「象は」といふ「語」は「象x」に「対応」し、
「鼻は」といふ「語」は「鼻y」に「対応」する。
然るに、
(07)
「述語論理」といふ「観点」からすると、
「象x」に於ける「象」は「述語」であって、「x」が「主語」であって、
「鼻y」に於ける「鼻」も「述語」であって、「y」が「主語」である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
「述語論理」といふ「観点」からすると、
① 象は鼻は長い。
といふ「日本語」に、「主語」があるとするならば、
① 象は鼻は長い。
といふ「日本語」には、
① 象x(xは象である)
① 鼻y(yは鼻である)
といふ、「二つの主語」がある。
といふ、ことになる。
然るに、
(09)
私には、「よくは分からない」ものの、
ところで論理学や文法の探求は、一方では分析哲学を論理学―― 数学的手法を駆使して論理を体系化していく学問 ―― に近づけ、他方では分析哲学を言語学に近づけると言えます(青山拓央、分析哲学講義、2012年、22頁)。
との、ことである。
従って、
(10)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」を、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」に、「置き換へて」みることは、それなりに、「正しい、探究の仕方」であると、思はれる。
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx& 長y)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya& 長y)} 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya& 長y) 23MPP
5 (5) 鼻ba& 長b A
5 (6) 長b 5&E
7 (7) ∃x∃y(動x&鼻yx&~長y) A
8 (8) ∃y(動a&鼻ya&~長y) A
9(9) 動a&鼻ba&~長b A
9(ア) ~長b 9&E
8 (イ) ~長b 89アEE
7 (ウ) ~長b 78イEE
57 (エ) ~長b&長b 6ウ&I
13 7 (オ) ~長b&長b 45エEE
1 7 (カ) ~象a 3オRAA
1 7 9(キ) ~象a&動a&鼻ba&~長b 9カ&I
1 78 (ク) ~象a&動a&鼻ba&~長b 89キEE
1 7 (ケ) ~象a&動a&鼻ba&~長b 78クEE
1 7 (コ) ∃y(~象a&動a&鼻ya&~長y) ケEI
1 7 (サ)∃x∃y(~象x&動x&鼻yx&~長y) コEI
従って、
(01)により、
(02)
(1)全てのxについて、xが象ならば、或るyはxの鼻であって、尚且つ、yは長い。
(7)或るxは動物であって、或るyはxの鼻であって、尚且つ、 yは長くない。
(サ)或るxは象ではない動物であって、或るyはxの鼻であって、yは長くない。
従って、
(02)により、
(03)
(1)象は鼻は長い。
(7)或る動物の鼻は長くない。
(サ)象ではない、鼻が長くない動物が存在する。
然るに、
(04)
(1)象は鼻は長い。然るに、
(2)或る動物の鼻は長くない。従って、
(3)象ではない、鼻が長くない動物が存在する。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 象は鼻は長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
③ 全てのxについて、xが象ならば、或るyはxの鼻であって、尚且つ、yは長い。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)
「象は」といふ「語」は「象x」に「対応」し、
「鼻は」といふ「語」は「鼻y」に「対応」する。
然るに、
(07)
「述語論理」といふ「観点」からすると、
「象x」に於ける「象」は「述語」であって、「x」が「主語」であって、
「鼻y」に於ける「鼻」も「述語」であって、「y」が「主語」である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
「述語論理」といふ「観点」からすると、
① 象は鼻は長い。
といふ「日本語」に、「主語」があるとするならば、
① 象は鼻は長い。
といふ「日本語」には、
① 象x(xは象である)
① 鼻y(yは鼻である)
といふ、「二つの主語」がある。
といふ、ことになる。
然るに、
(09)
私には、「よくは分からない」ものの、
ところで論理学や文法の探求は、一方では分析哲学を論理学
との、ことである。
従って、
(10)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」を、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」に、「置き換へて」みることは、それなりに、「正しい、探究の仕方」であると、思はれる。