時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アフリカを離れて

2005年04月12日 | 移民政策を追って
大卒者流出の多い国
 「アフリカを離れて」Out of Africa. これはあの有名な映画(*)のタイトルではない。OECDの統計を見ていて、ひとつの衝撃的な統計に出会った。世界のOECD非加盟の主として開発途上国における大学卒業者のうち、外国に居住している者の比率である。まず、自国の大卒者のうち、ほとんどが海外に住んでいる者の比率の高い国のグループをみると、ギアナ(83%)、ジャマイカ(81%)、ハイチ(79%)、トリニダッド・トバゴ(79%)、フィジー(61%)などであり、その後にアンゴラ、サイプラス、モーリタス、モザンビーク(50%)、ガーナ、ウガンダ、タンザニア、ケニヤ、ブルンディ、シェラレオーネ(39%)などが続いている。一見して、アフリカ諸国および島国(island nations)が多いことが分かる。

流出の比較的少ない国
 他方、大卒者が外国に居住している者の比率が低い国、言い換えると自国に留まっている比率が高い国を見てみよう。エジプト(4.4%)、シリア(4.2%)、コスタリカ(4%)、ヴェネズエラ(3.2%)、中国(3.2%)、ヨルダン(3.1%)、インド(3.1%)、ボリビア(3.1%)ネパール(2.2%)、バングラデッシュ(2%)、以下、パラグアイ、インドネシア、タイ、ブラジル、ミャンマー(1.8%)の順である。
 これらの事実はなにを意味するのだろうか。一般にいずれの国においても、大学卒業者はその国の高度な知識・専門能力を持つ人材であり、さまざまな意味で母国の発展に寄与することが期待しうる層である。

「良い循環」を生むために
 最近、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本など、多くの先進国がIT分野などを中心に高度な専門家、技術者について、特別枠など優遇措置を設けて受け入れ拡大に努めている。受け入れ国側としては、国際競争力強化をめぐって激しい競争をしている自国の産業の要望に応えての措置であり、教育・養成に時間とコストのかかる高度なマンパワーを他国から受け入れることで充当しようと意図が働いている。開発途上国から先進国へ仕事の機会を求めて出国する人たちは、自国に自分たちの知識や能力を発揮する場所が少ないこと、先進国は報酬水準が高いことなどがきっかけになって、海外に滞在する。
 先進国にとっては労せずして高度な人材を自国の経済発展のために活用できるなど、メリットが大きいが、送り出す開発途上国としては多大なコストと時間を投入した自国の人材が流出してしまう損失は大きい。「ブレイン・ドレイン」(頭脳流出)といわれてきた問題である。
 高度な能力を備えた人材が母国に寄与する道としては、1)帰国して先進国で蓄積した先端の知識や技術を自国の発展に活かす、2)海外で働くことで得た報酬を自国の家族などへの送金を通して自国に環流し、生産的な用途に流入させる、などの選択肢がある。これらの仕組みがうまく機能すれば、「良好なサイクル」が形成されて、高度な能力を持った人材の一時的な海外流出も、自国発展の経路に位置づけられる。しかし、現実をみるかぎり、その実態は厳しい。
 「アフリカを離れて」Out of Africaは映画のタイトルであるが、今のままでは本来母国が最も必要とする高度な能力を持った希少な人材から自国を離れて、先進諸国に定住してしまい、せっかくの人材が母国の発展のために生かされることがない。悪循環が進行、定着している。最近では、本人ばかりでなく家族も流出してしまう事態が増加していることが報告されている。その間に母国は経済的にも疲弊し、北と南の格差はさらに拡大するという「悪循環」が加速されてしまう。
 日本がこれからの世界で知的面あるいは産業の競争力において、世界に伍して発展してゆくためには、外国からみて知的・文化的に魅力があり、吸引力を持った国となることを目指さねばならないことはいうまでもない。その場合に、日本にやってくる人々が得た経験や能力が、彼らの母国にいかに還元され貢献できる仕組みになっているかについて、これまで以上に考える必要がある(2005年4月12日記)。

* "Out of Africa" は日本での上演タイトルは「愛と悲しみの果て」という甘ったるいものになっていた。「アフリカを離れて」の方がずっと良かった。シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ主演。
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