時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

心に残る絵それぞれ(1)

2005年04月21日 | 絵のある部屋


 人生の途上で訪れた国内外の美術館は、今になってみるとかなりの数に上る。ひとまず国内は別として国外で最も回数の多いのは、以前にも記したが、ロンドンのテート・ギャラリーであろうか。ほとんど30年近いつき合いとなる。2000年5月に、テムズ・バンクサイドの火力発電所跡に建造された現在のテート・モダンに移るずっと以前から機会があれば通いつめていた。ここは、ターナーのコレクションでも著名だが、ターナーについてはきりがないので、別の時にしよう。

 絵との出会い
テートには強く印象に残る絵が多いが、その中のひとつにサージェント(John Singer Sargent)の「カーネーション、百合、百合、薔薇」と名付けられた絵がある。最初にこの絵にお目にかかったのは、多分1967年、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに展示されていた時ではないかと思う。テートが誇る多くの名画の中では決してとりたてて目立った絵ではないのだが、最初見た時からなんとなくひきつけられてしまった。その後、ロンドンでのサージェントの特別展を含めて、この絵と対面した回数は一寸分からないくらいになった。1998年に東京都立美術館で開催された「テート・ギャラリー展」そして、滋賀県立美術館での展示にも出品されたらしいが、見る機会がなかった。

 東洋風の不思議な印象
作品自体はきわめて写実的だが、画面に漂う雰囲気がなんとなく幻想的であった。大変美しい絵なのだが、題材が非常に不思議に思えた。二人の少女が美しい花々の中で、東洋風の提灯に火をつけている。西洋的な美と東洋的な美とが混然となったような魅力を持つ絵である。そして、どことなく夏の夕方を思い起こさせた。なにが、そうした印象を私に与えたのかは実のところよく分からない。

やや思い当たることがないわけではない。子供の頃、お盆になると各家が門前に迎え火を焚き、それぞれの先祖の菩提寺まで行き、墓前に花を捧げ、家紋の入った提灯に火をともして戻ってきた記憶と重なり合ったのかもしれない。夕方になると、各家ごとの提灯を手にした人々が行き交っていた光景が記憶に残っている。家々は祖先の霊を迎えるために、花を飾り、お供え物をして、僧侶が忙しそうに檀家をまわっていた。

 イギリス風・フランス風?
どの絵画にも画家の活動している国の国民性や風土を反映して、特徴があるが、この絵を見た時の第一印象のひとつは、なんとなくイギリス風だなあと感じたことである。個人的な印象にすぎないが、ヨーロッパの他の国ではこうした絵はあまり受けそうにない。とりわけ、ラテン系の国々には、なんとなく合わない気がする

   この作品を所蔵するギャラリーがテートであるということを別にしても、やはりイギリス風なのである。ターナーをはじめとする有名な絵が多いこともあるが、テートでも通常はそれほど人だかりがない絵である。少なくとも私が惹きつけられた頃はそうであった。この周囲に溶け込んで突出して目立たないというのも、イギリス風なのだ。(余談になるが、昨年テート・モダンのショップに立ち寄った時、この絵とジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「生誕」がポスターの売れ行きベストテンに入っているといわれて、一寸驚かされた。)

後日、この絵がサージェントによって描かれた時の状況を知ることができたが、夏の夕方、ウースターシャーの友人邸に滞在した折、ローンテニスの合間に、友人の娘をモデルとして画家が想像のおもむくままに描いたものらしい。そして後に記すように、画家が「フランス風」にすぎるとの批判を受けて、定住を決めたイギリスの地で「イギリス風」への変革を試みたひとつの作品であると考えられる。画風が画家の活動する世界の影響を受けて、変容することを知る興味あるケースである。

 肖像画家としてのサージェント
サージェント(1856-1925)は19世紀後半から20世紀初めに活躍した画家だが、きわめて多くの有名人の肖像画を残した肖像画家ともいうべき特徴を持っていた。事実、ウッドロー・ウイルソン大統領、セオドア・ルーズヴェルト大統領、ジョン・ロックフェラー、ヘンリー・ジェ イムズ、画家のパトロンのイサベラ・スチュワート・ガードナーなど多くの有名人の肖像画が、この画家の手で描かれた。かつてアメリカにいるときにその傑作の一つといわれる「マダムX」や「ウインハム姉妹」などの絵を、これもメトロポリタン美術館で見た記憶があった。(「マダムX」は、1884年のパリ・サロンに展示された時に、露出度が高い、傲慢な表情などをめぐり、当時のパリではスキャンダルで不道徳な絵と悪評であった。今日の標準では、とりたてて、どうということはない。)
   
しかし、サージェントの肖像画以外の作品については、恐らく見ていたのかもしれないが、画家の生い立ちを含めて、ほとんど詳細を知らずに過ごしていた。肖像画は絵画の世界でひとつのジャンルを形成しているが、描かれた人や時代についての知識がないと、深い理解ができない。そのため、私は特定の絵を除き、あまり関心がなかった。だが、この東洋的な絵がサージェントの作品であることを知ってから、この画家の背景について、にわかに興味が生まれた。


サージェントはアメリカ人の両親の間に生まれたアメリカ人なのだが、生まれたのはイタリアのフローレンスである。そしてイタリア、フランス、ドイツで絵画の修業を積んだ。正規の絵画教育はパリの美術学校とフランスの著名な肖像画家であったキャロラス・デュランの下で受けた。その後、彼は人生のほとんどはイギリスで過ごした。両親の国であるアメリカには短期間の旅行しかしていない。ましてや、日本や中国に旅行したという記録もない。したがって、この絵も、想像の世界で描かれたものだろう。

 画家の評価
サージェントについての専門家の評価は1925年の画家の死後、低落していた。批評家の一部には、素晴らしい才能の持ち主だが、作品に深みがないという評価があった。しかし、毀誉褒貶は世のならいである。その後、作品のてらいのない自然さ、優れた技法が再評価されたのである。
 サージェントの作品は、大陸に活動の中心を置いていた前半とイギリスに移った後半で顕著に区分される。彼はパリ・サロンでの評価にみられた画壇での不評に見切りをつけ、30歳の頃からロンドンに移り住み、肖像画の比重を減らした。そして、ヨーロッパ、とりわけイギリスの風景を印象派風に水彩で描くことが多くなっていた。モネなどの印象派の画家たちとも親交を結んだ。しかし、イギリス画壇での彼の評判は当初芳しくなかった。ロイヤル・アカデミーに代表される伝統を重んじた画壇でも、「フランス風」であり、「モダーン」過ぎると批評された。

 ヘンリー・ジェイムズとの出会い
彼を救ったのはすでにイギリス文壇で確固たる地位を占めていたヘンリー・ジェイムズであった。ジェイムズはサージェントに好意的で「指の先まで洗練されている」と高く評価した。こうした支援に気をよくした画家は、精力的にイギリスでの画業に専念したようだ。し かし、その時はもはや肖像画専門の画家ではなくなっている。

「カーネーション、百合、百合、薔薇」は1887年のロイヤル・アカデミーに出展された作品である。そして、フランス風でイギリス人の好みではないという、それまでの彼の評価を覆し、大きな賞賛を勝ち得た。その後、サージェントはイギリスにおける印象派とみなされるようになった。しかし、この絵に観察されるように、中心となる人物はきわめて写実的に丁寧に描かれており、印象派の特徴である絵筆の使い方はアマチュアの私の目には、あまり感じられない。だが、大きな印象派の流れの中には、サージェントも位置づけられるといえるだろう。 


 次第に高まった評価
   サージェントは天賦の才能に恵まれ、技術的な卓越と当時の画壇における斬新な題材の選択など、この時期を代表する作品を多数残したという評価は、今日では揺るがないものになっている。かくして、サージェントは1925 年ロンドンにおいて69歳で死去するまで、多大 な名声と賞賛に囲まれた画家として生涯を送った。この時代のアメリカ、ヨーロッパを代表した画家であった。たまたま魅せられた一枚の絵であったが、それが導いてくれた背後の世界は、実に興味深く、飽きることがない(2005年4月21日記)。


 Information:
 John Singer Sargent に関する基本的な情報は下記の書籍に負うところが多い。なお、Kilumurray and Ormondの著作の表紙カバーにも、「カーネーション、百合、百合、薔薇」の絵が使われている。
Elaine Kilmurray and Richard Ormond eds. 1998. John Singer Sargent. Princeton: Princeton University Press.
Richard Ormond, et al. John Singer Sargent: The Early Portraits (The Complete Paintings, Vol.1).

Picture:Courtesy of Tate Gallery, London.


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