時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(6)

2015年08月25日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

アルブレヒト・デューラー『メランコリアI』 銅版画、1514


 ラ・トゥールの『ヨブとその妻』は、前回記したように、ヨブと妻の対話、ヨブの神を疑うことのない信仰心の篤さについて、夫と妻がお互いに見つめ合い、真意を確認しあう構図がきわめて斬新である。加えて、ヨブの目の奥を覗き込むような妻の位置どり、身につけている衣装の美しさがきわめて印象的である。初めてこの作品に接した時から妻の衣装は、どことなく彼女が聖職にかかわっている、あるいはなんらかの祭儀の折の装束のように思われた。

16-17世紀の他の画家たちの手になる作品では、ヨブの妻はほとんど例外なく年老いた、美しくない女として描かれてきた。衣装も粗末なものが多い。『ヨブ記』のストーリーが、かなり素朴な形で社会に受容されていたことを思わせる。

ラ・トゥールはなぜ従来、社会に流布してきた世俗的理解とは異なる形で、この主題を描いたのだろうか。筆者はこの作品に出会って、深く感動するとともに、作品に秘められた謎に長らく疑問を抱き、探索を続けてきた。その結果、謎を解くひとつの鍵は、あのアルブレヒト・デューラーの同主題の作品にあるように思われた。デューラーの作品では、ヨブの妻はラ・トゥールの作品に類似したルネサンス風の明るい衣装を身につけ、腰帯に鍵の束をつり下げていた。

鍵は「鍵」に
キリスト教美術における「鍵」はしばしば重要な意味を持たされてきた。聖ペテロの「天国への鍵」はよく知られているが、今回のような女性の場合についてみると、パリの守護神とされてきた聖ジュヌヴィエーヴ St. Genevieveは、しばしば鍵をアトリビュートとして手にしたり、帯に下げている。また、聖マルタやローマの聖ペトロニラなどのように鍵束をアトリビュートとしている聖女もあり、彼女たちは家事・家政を受け持つ主婦や奉公人の守護聖人とされてきた。近世の家庭における夫と妻の関係において、妻が果たす役割について一定の評価がなされていたことをうかがわせる。デューラーの作品で妻がつり下げている鍵束は、そうした点を反映し、夫ヨブが試練に耐えている間、家庭を守る主婦として夫ヨブと対等の立場を保持していることを意味しているのではないだろうか。

さらにデューラーより少し時代を下った、北方オランダ北方ルネサンスの画家ヤン・マンディンJan Mandyn(ca.1500-1560)の作品の場合、作品の解釈が難しい部分があるが、画面左側(全体は本ブログ記事最下段掲載)に描かれたヨブと妻についてみると、妻は白い帽子と衣装を身につけ、鍵束を持つなど、デューラーの作品に類似する部分がある。妻の衣装も日常着とは異なり、不思議な形の帽子を被り、祭儀の衣装のような感じを受ける。鍵は財産など特別なものを保護するために、鍵の持ち主が他人が立ち入れない領域(ドメイン)を支配していることを意味している。その点で、ヨブの妻がそうした特別の領域に関わっていることが推察できる。

ヤン・マンディン『ヨブとその妻』 部分


侮蔑か慰めか
デューラーそしてマンディンの作品には、専門家の間でも解釈が異なる部分がいくつかある。たとえば、デューラー作で、妻がヨブに桶で水をかけている場面を、ヨブに対する妻の侮蔑、残酷な行為とみるか、妻の救い・慰めの行為とみるかで、判断が分かれる。筆者は後者をとり、ここまで神に対して真摯な信仰を持ち続ける夫ヨブへの妻の慰めの行為と解釈したい。水をかける行為も背中にかけており、頭からかけるような乱暴な行為には見えない。妻の表情も嘲笑や侮蔑感という印象は受けない。

マンディンの作品(下段に全体を再掲)の右側の楽師たちの描写にしても、苦難に耐えているヨブを、嘲笑している光景なのか、ヨブと妻を慰める演奏を行っているのか、その含意に定説はない。

関連して、デューラーのヤーバッハ祭壇画の2人の楽師の画面は、同様にヨブへの慰め、癒しの意味を持つのではないか。ヨブの家、財産が焼失している背景に、小さく悪魔(サタン)のようなものが描かれている(画面左奥、燃えさかる火炎の前)。サタンが自らヨブに与えた業火の中に滅失しくいくことを含意していると考えるのは現代的すぎるかもしれない。しかし、その後の画家たちの画面からも、サタンのような存在は消えている。

ラ・トゥールの作品では、妻は蝋燭以外に鍵束のようなアトリビュートは身につけていない。しかし、デューラーの作品における妻の衣装に共通する部分がある。特別の衣装から明らかに聖職などに関わっていることを暗示しているようだ。必要最小限のものしか描き込むことをしなかったラ・トゥールの画風からすれば、この衣装だけで、当時の人々にはその意味を十分伝達できると考えたのだろう。このブログ・サイトが一貫して重視している「コンテンポラリー」の意味を改めて考えさせられる。ラ・トゥールは16-17世紀に多い凡庸な画題の表現を、根底から考え直し、きわめて美しく感動的な画面へと大きな転換をもたらした。

続く


 

ヤン・マンディン『ヨブとその妻』


References
Katherine Low, The Bible, Gender, and Reception History: The Case of Job's Wife, London: Bloomsbury, (2013) 2015pb.

デューラー(前川誠郎訳)『ネーデルラント旅日記』岩波書店、2007年。 

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ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(5)

2015年08月14日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋




ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『ヨブとその妻』部分(上半分)
クリックして拡大




 
今年の夏の異常な暑さにとりまぎれて、このブログでは中途半端のままに放置されているシリーズが2,3ある。そのひとつは『ヨブ記』の解釈をめぐるデューラーやラ・トゥールの位置づけである。これまでの話と少し重複するが、おさらいしながら続けてみたい。

  『ヨブ記』におけるヨブとその妻の世俗の評価は、17世紀になってもかなり固定したイメージであったようだ。要約すれば、ヨブの妻は、ヨブが財産や家族に恵まれ、豊かな暮らしをし、家族も健やかにあった時には良き妻であったが、ヨブが神の手先のような専横な振る舞いをするサタンの横暴、非道な策略によって、すべての財産を奪われ、子供たちも失い、家庭も破壊されてしまうと、冷酷無情に夫を嘲罵する悪しき妻に変貌してしまったというストーリーである。

広がってしまった世俗的理解
 中世以降、世の中に広まっていたこうした一般的理解に従って、多くの画家たちも、ヨブをひたすら神への信仰を失うことなく、いかなる苦難にも耐え忍ぶという忍耐の権化のようなイメージで描いた。持てるもののすべてを失い、炎天下で堆肥や塵芥溜まり(ラ・トゥールの場合は(塵芥桶)の上に座り、ひどい皮膚病に苛まれながらも、土器のかけらでわが身をかきむしって苦痛に耐えているという姿だ。他方、ヨブの妻については、苦痛に苦しむ夫ヨブをいたわり、励ましてもよいはずなのだが、夫の神への疑心のまったくない信仰の姿にあきれたのか、嘲罵の言葉を投げかけるまでになる。


 世俗の世界の話に置き換えてしまえば、ヨブの妻の対応も理解できないではない。設定さえ変えれば現代でもあり得る話ではある。ヨブの妻はそれまでの幸せな妻としての座を失い、ひたすら神への信仰に心身を捧げてゆくヨブのあり方に愛想がつき、切れてしまう。世俗の妻であったならば、さもありなんと思われる。かくして良妻賢母のイメージはたちまちにして悪妻へと反転、転落してしまう。『ヨブ記』では主役はやはり信仰篤いヨブであり、妻は脇役の位置にある。そのため、妻はヨブを引き立てるような役割を負わされてしまった。画家や後世の美術史家たちの関心は、ヨブにひきつけられてしまった。

 ヨブの妻はその後しばしば年老いた女の姿で描かれることになる。しかし、『ヨブ記』には、ヨブがサタンに打ち克ち、神の信頼を確保し、かつての幸せな生活を取り戻した後における妻のことにはなにも記されていない。ヨブのもとを去ったとも描かれていない。聖書の話だから、すべて仮想の組み立てである。

ラ・トゥールの新しい試み
 ここで、ラ・トゥールの『ヨブとその妻』を画題としたと思われる作品について、立ち戻ってみる。この作品に最初に接した時に、作品の与える不思議な美しさに感動させられた。

 デューラーをやや別とすれば、従来の画家たちによる『ヨブとその妻』を題材とした作品とラ・トゥールの大きな違いは、次の点にあるように思える。(1)ヨブと妻との対話の構図の形成、(2)妻の容姿が大変美しく描かれ、醜い年老いた女性のイメージではまったくない。少なくもヨブと対等する位置が与えられている。一見すると聖職に携わっているような雰囲気さえ見る者に感じさせること、そうだとすれば、(3)妻の社会的役割はなんであるのか、ラ・トゥールは『ヨブ記』の伝統的解釈にいかなる革新を導いたのかなどの諸点に関心が集中する。

 第一のヨブと妻の対話の構図については、この主題を絵画化した16-17世紀の作品のほとんどは、肥料桶や堆肥などの上で、皮膚病とたたかいながら、神の真意を深く考えているヨブの姿(多くは下を向いて考えている)に対して、妻とおぼしき年老いたあまり美しいとはいえない女性が、厳しい形相で対している構図である。そこに見られるのは神から苛酷な試練を課せられた夫ヨブに、口汚く罵り、あざけるような表情である。

 これに対して、ラ・トゥールの作品では、神へひたすらの信仰心を抱いて苦闘している夫と、その様子を憂い、真意を確かめに来た妻という対話の構図が初めて採用されている。

 従来の画家の作品では、ヨブは炎天下の堆肥などの上で皮膚病に苦しみながら、下を向いて、じっと耐えているポーズが多い。他方、妻はすっかり切れてしまって、夫を嘲笑するみにくさが前面に出た姿で描かれてきた。

 さらに、16-17世紀の絵画では、ヨブに計り知れない苦難を与えているサタン(悪魔)のような奇怪な存在もしばしば大きく描かれている。デューラーの作品にも、よく見ないと気づかないほど小さな姿ではあるが、サタンとみられる怪しげなものが背景に描き込まれている。しかし、デューラーの場合は、妻が炎天下のヨブに桶で水をかけてやっている構図であり、ヨブを嘲るような表情ではない。妻の衣装もルネサンス風の美しいものだ。ヨブとその妻をめぐるストーリーの受け取り方は、時代が経過しても地域や画家の受け取り方次第で大きな差異がある。ラ・トゥールと同時代のジャック・ステラはヨブを嘲笑する妻という従来の解釈をそのまま受けとっている。16-17世紀の画家たちはほとんどがヨブの妻を年老いた美しくない女性として描いている。

 デューラーとラ・トゥールの間には、およそ1世紀近い時空の経過がある。ラ・トゥールがデューラーの作品(祭壇画)を見る機会があったか否かについては、確たる証拠はなにもない。しかし、デューラーという偉大な画家についての情報は、カラヴァッジョについての情報同様に、ラ・トゥールが生きたロレーヌの地にも届いていた可能性は高い。ヨブとその妻を題材としたデューラーの作品には、前回記したように,右側にヨブを慰める楽師たち(そのひとりはデューラー自身の像といわれる)が描かれていた。この作品にはひたすら苦難に耐えるヨブを慰めようとする画家の心情がこめられているように思われる。炎天下のヨブに水をかけてやる妻にも、嘲笑や愚弄の色はない。背景に描かれている悪魔のごとき存在も、次第に小さくなっている。ヨブの忍耐と信仰の篤さが、勝利を収めようとしていることを暗示していると考えられないか。

 デューラーからほぼ1世紀を経て、ラ・トゥールは同じ主題を取り上げた。ラ・トゥールはいわば17世紀ヨーロッパ画壇にひとつの革新をもたらしていた。この画家は決して安易に時流に流されなかった。同じ主題であっても、深く考えていた。長い因習にとらわれていた人々には、その点が読み抜けなかった。そのこともあって、この美しい作品は、長い間画題が定まらず、『天使によって虜囚の身から救い出させた聖ペテロ』といった誤った評価すら与えられてきた。

 ラ・トゥールのこの作品を理解するには、描かれた新しいヨブの妻のイメージについてさらに踏み込む必要があるだろう。そのためには、ヨブと彼の妻が置かれた社会的位置と役割について、バランスのとれた理解が求められる。

続く 

 

 

 

 

 

 

 

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暑さしのぎに:「イミテーション・ゲーム」の世界

2015年08月12日 | 午後のティールーム

 


  酷熱の日、暑さしのぎを兼ねて映画を見に行く。かねてから見たいと思っていた作品である。題名は『イミテーション・ゲーム』。これだけでは、作品の内容は推測しがたい。話題になってから時間も経ち、多分、空いているだろうと、やや高をくくって出かけた。ところが、予想が外れる。切符売り場には長い列が出来ており、なんとか入れた館内もかなり混んでいた。単なる暑さしのぎの客ばかりではないことはすぐに分かった。この難しい?映画を見たいと思っている人たちが多数いることに気づいた。さすがIT時代、情報の伝達の速さに驚くとともに、こうした水準の高い作品への知的好奇心の集中は喜ばしいことである

 映画は、「エニグマ」とイギリス人天才数学者の公私にわたる秘密を描いた作品だ。2015年アカデミー賞脚色賞を受賞している。そのほかでも、ゴールデングローブ賞で5部門ノミネートなどを受賞しているようだ。「エニグマ」とは、1920年代初期にドイツで開発された暗号機械のことであり、第二次世界大戦中ドイツ軍や枢軸国軍に幅広く使用された。

ある思い出
 映画の筋書きは他にまかせるとして、この映画の背景には、かなり以前からさまざまな興味を抱いていた。記せばきりがないのだが、ひとつはイギリス人のパズル好きとのつながりだ。発端はもう半世紀前にさかのぼる。当時、旅の途上で滞在していたロンドンのホテルのカフェで、たまたま隣に座って新聞を読んでいた自分よりはかなり年配に見えたご婦人から、これ分かりますかと聞かれたことがあった。彼女の手にした新聞に掲載されていたクロスワードパズルのある項目だった。多分、日本か中国に関連するキーであり、彼女はそこで苦労していたようだ。なんのキーであったかは、まったく覚えていないが、なんとか答えられたようだ。彼女は大変喜んで、お茶をご馳走してくれた。

 小さな出来事であったが、この時の印象は強く、それ以後多少注意していると、イギリス人がこのゲームをことのほか好んでいることに気づいた。後年、ケンブリッジに滞在するようになってからは、さらに強く感じるようになった。隣家の奥さんも大変なクロスワード好きなようで、暖かな日の昼下がりなどに、バックヤードでクロスワードを解いているのをしばしば見かけたことがあった。

天才はひとりで走る時、最も早く走る
 映画の主人公となるのは、アラン・チューリング(Alan  Mathison Turing, 1912-1954)なる実在の人物である。スマートフォン時代の今、コンピューターの淵源をたどると、アメリカのENIACを思い浮かべてしまいがちだが、実はイギリスにあった。チューリングは第二次世界大戦中、解読不能とドイツ軍が考えていた暗号に、驚異的な頭脳で対抗し、戦争終結とコンピュータ開発に貢献した。最近、日本の外交上の暗号はアメリカ側に筒抜けとかいう話が新聞種になっていたが、実際どうなっているのかと思ってしまう。

 ドイツ軍のエニグマ設定の可能性の数は文字通り天文学的数字であり、その全設定を 試すには、10人のティームが毎日24時間かけても2000万年を要し、しかもドイツ軍は毎日午前零時に設定を変えてしまうとされていた。画面に登場する暗号解読器は見るからに時代がかっていて、これで対抗できるのかと思わせるが、チューリングという天才の頭脳は機械を上回る速度で回転していたようだ。この希有な天才チューリングには他人の速度に合わせて仕事をしていることは耐えがたかった。

 「天才はひとりで走る時最も早く走る」といったのは、確か経済学者シュンペーターであったと思うが、世界一の数学者をもって自負するチューリングも、グループ作業は苦手であり、日常行動はかなりエクセントリックでもある。要するに、同僚の思考ペースでは遅すぎるのだ。結局、グループでの作業ではいらいらして、マイペース、自己中心的になる。こうした天才を抱えているメンバーも、それが分からず衝突する。

厳しい天才の人生
 実際、チューリングにはいわゆる世渡り上手はなく、波風立たない生活は難しかった。 彼にはその生涯で普通の家庭生活は訪れなかったらしい。チューリングはインド生まれと記した文献もあるようだが、実際には両親は上流階級であり、父親は当時イギリス領であったインド帝国に赴任していた高等文官だった。母親の妊娠とともに、子供の将来を考えてイギリスに帰国、ロンドンで出生している。しかし、両親はイギリスとインドを往復する生活を続けたため、アランと兄のジョンはイギリスにいる友人に預けられていた。それにもかかわらず、幼少期から数学、科学などに抜群の才能を見せたという。

 その後、チューリングは「天才」とはこういうものか、と思わせるような人知の限りとも思えるような高度な才能を発揮した。この映画を少し深く理解して楽しむには、第二次大戦の「エニグマ」問題の重要性、イギリス社会の実態などについて、ある程度下調べなどをして見た方が一段と興味深いかもしれない。 それは、チューリングの個人的問題についてもいえる。

 この天才には、当時の社会環境において、絶対に彼自身だけに秘めておかねばない秘密があった(チューリングは当時社会的に表ざたにはなしえなかったゲイであったらしい)。1954年6月7日に、しばしば「白雪姫と林檎の話」に暗喩されるような形で、世を去っている。この問題の展開と顛末については、後年2009年ゴードン・ブラウン首相が政府として正式な謝罪を表明、2013年末にはエリザベス女王の名で正式恩赦が発効した。さらに最近では2012年にキャメロン首相が、チューリングの功績を称える声明を発表したことも知られている。映画の題名『イミテーション・ゲーム』の謎(パズル)は解けただろうか。



この映画でアラン・チューリングを演じるのは、人気男優ベネディクト・カンバーバッチ Benedict Cumberbatch, そして女性の数学者でクロスワード・パズルの天才といわれたジョーン・クラークを演じるのは、キーラ・ナイトレイ Keira Knightley (『ベッカムに恋して』(2002) で映画批評家協会賞英国新人賞受賞)。さらに、チェスの英国チャンピオンとなったヒュー・アレグザンダーをマシュー・グート Matthew Goode が演じている。こうした主要配役の教育歴を見ると、子役の時からTVドラマや映画に出演(キーラ・ナイトレイ)しているか、著名な大学で演劇を専攻していることが分かり、俳優の世界も幼児からの教育や高学歴化が必要なのかと考えさせられる。



 

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ラ・トゥールに射す光:暑中お見舞い

2015年08月04日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 


暑中お見舞い申し上げます。

日本は亜熱帯になっ
たような異常な暑さ。それでなくとも間延びしてきたブログもさらに間が抜けて夏休み状態。

その中で庭の片隅に5年ほど前に植えた百合カサブランカは、いつも花屋や近隣の家々よりはかなり遅れたペースで、しかし前年よりも一段と大きく開花しました。時々水をやるくらいでほとんど世話をすることはないのに、自然の摂理はどこかでしっかりと働いています。今年の猛暑も、自然界の変化の大波の中では、小さな波なのかもしれません。見事な開花を見せた後は、本体は枯れて球根となり、地中で力をたくわえ、再び新たな輝きを見せる時を待ちます。

閑話休題 

さて、あのラ・トゥールの『ヨブとその妻』 で、妻が着ている美しい衣装、当時としても普通の人が日常着ているものとは明らかに異なる感じがします。それまでは、ヨブの妻はしばしば年老いた女性、当然若い女性、美女とは異なり、美しくない 女性として描かれてきました。しかしデューラーやラ・トゥールは、美しい衣装をまとった不思議な雰囲気を秘めた女性として再登場させます。なにが、こうした変化をもたらしたのでしょう。

この絵に限らず、ラ・トゥールが残した数少ない作品は、一枚、一枚が深い謎や物語を背後に秘めており、その奥深さは今は亡きラ・トゥールの大研究者テュイリエ教授が東京展のカタログに残したように、フェルメールの比ではありません。

画家の生涯もまた文字通りドラマティックなものでした。この画家を理解するに欠かせない小さな特別展が、今夏、画家の生地ヴィック・シュル・セイユのジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館で開催中です。実際に訪れてみると、小さな、小さな美術館ですが、この画家のファンにとっては一度は訪れる価値があります。今回の催しのポスターに使われているとなったのは、あのレンヌの『生誕』です(前回ブログの最後に掲載)。この作品、見れば見るほど魅入られます。作品表題が『生誕』(聖誕)
nativityに定まるについても議論は尽きませんでした。しかし、今は疑う人はありません。

このブログを開設するに当たり、この画家をご存知ない方のために、『生誕』が子守歌を集めたCDアルバムの表紙に使われている小さな本を取り上げました。長年、私の仕事場に掲げられたこの作品のポスター、もう私の命あるかぎり取り替えられることはないでしょう。 

 

 

県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館のロゴ。
モダーンなデザインの意味を考えてみてください。

いまや17世紀フランスを代表するラ・トゥールには、最近新たな関心が高まってきたような気がします。これについても、晩夏の時を待ちつつ、ゆっくりと考えてみましょう。

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