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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

花見より人見?

2025年04月28日 | 午後のティールーム


梅、桜、躑躅、藤・・・・・。この季節、日本には多くの花が次々と開花し、その美しさを求めて多くの人々が集う。素晴らしい季節だ。

なかには、スギ花粉、ヒノキ花粉などで、辛い季節となってしまう人たちもいる。それでも、防備をしっかりすれば、それぞれに美しい花々を楽しむことができる。イギリスから来た友人が、彼の地では春が来るとほとんどの花が一斉に開花するので、日本のように時間の経過とともに花を追って各地へ旅して、それぞれ異なった環境で花を楽しむ情景が生まれ難いと話してくれた。

日本へ初めて来た外国人でも、距離の移動を気にしなければこれからでも桜の開花を楽しむことができる。現に台湾、オランダから来た友人が札幌で桜を見た楽しさを語っていた。

花見といっても、梅や桜に限られない。例えば、今の季節、藤の花の美しさも特記すべきだろう。先週、東京都内のある場所(さて、どこでしょう→最下段)へ藤を見に行った。毎年ではないが、かなり以前から度々訪れてきた。

10年ほど前に見た時は、藤棚も整備が悪く、花も貧弱な感じがしたが、今回は手入れもよく、見違えるほどに改善されていた。驚いたのは社殿にシートが被せられ、大規模な改修工事が行われていたことだ。その財源がなにであるかは、週日であるのに境内を埋め尽くした人々を見れば、いわずもがなであった。土日だったら境内に入れないほどの大混雑だろう。

見るともなしに、御守りや祈祷を求める人々の列を眺めていると、数万円もする御守りや御札の類をこともなげに買う明らかに中国本土からと思われる観光客がいて驚かされた。中国本土の友人から現代中国の宗教事情について話を聞いたことを思い出した。諸事情で、このテーマ、このブログでは取り上げることができなくなってしまった。


亀戸天神の藤棚
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歴史を逆行するアメリカ:「児童労働」緩和の動き

2025年04月15日 | アメリカ政治経済トピックス


少女はなにを見ていたのだろうか

この写真(再出掲載)アメリカ労働史の一コマを今に伝える上で、筆者の好きな一枚だが、彼女はアリカの未来になにを思っていたのだろうか。今ほど、その聡明そうな視線の先が知りたい時はない。

歴史は逆行するのか
トランプ大統領の衝撃的な政策の導入で、世界は大きく激動し、「混迷の世紀」となった。TV、新聞などに「大恐慌」、「児童労働」の復活などの言葉が目につくようになった。大統領が作り出した「マッチポンプ」のような印象も高まっている。

筆者は、半世紀以前から「児童労働」「女子労働」の国際比較をひとつの研究課題としてきた。

ブログでもいくつかの例を紹介したように、現代アメリカでは「児童労働」は、禁止・消滅の方向へ向かっていると考えがちであった。ところが現実は異なるようだ。児童労働を緩和して認める動きが台頭している。

アメリカでは、「児童労働 」child labor は  Fair Labor Standards Act of 1938 では、全職業で16歳以下か指定された危険なあるいはwell-being あるいは教育関連で害を与える職業で16−18歳の労働者を
かせることを指す。

ひとつの例を挙げてみよう。最近では、フロリダ州で「未成年者の雇用」に関する規制緩和を求める法案が州議会へ提出された。16~17歳の子供に翌日学校がある場合でも、午後11時から登校日となる翌午前6時半まで働くことを認める法案である。さらに、学期中に働くことができる上限時間数を週に30時間とする規定を撤廃するほか、4時間働いた後に休憩をとる権利も取り消される。この法案を提出したジェイ・コリンズ州上院議員(共和党)は、単に連邦児童労働法(1938年制定)に合わせただけで、若者にとっても有益だと主張、「社会生活に必要なスキルを習得するため」と述べた

2021年から26年にかけて、31の州が児童労働の規制緩和を認める法案を提案した。反対にコロラド州のように規制強化を進める州もある。

アメリカ全土について、労働省統計をみると、不法に雇用されていた児童  minorsの数は2015年以降、上昇している。

「合州国」United Statesであるアメリカでは州毎の差異が大きいことを考えると、驚くべきことではないかもしれない。しかし、この動きは企業団体が主導する、移民が多数、強制送還される状況で、賃金上昇を緩和する狙いという。「児童労働」を賃金圧力を抑制する手段とするのは、歴史の流れに逆行すると考えざるを得ない(下掲『日本経済新聞』掲載記事)。

逆行への衝動
歴史上「児童労働」が多かった繊維や衣服産業では、18歳未満の夜間労働は19世紀前半に禁止された。しかし、今日、アメリカ全体の潮流とは言えないまでも、一部には1800年代へ逆戻りしたいとの動きが高まっているようだ。

世界的にも児童労働はほぼ20年ぶりに増加している。法定最低年齢未満の子供が雇用されたり、長時間労働が許可されていたり、危険な条件で働いている。これらは、国内法と国際法の両方の下で、児童労働法と子どもの権利に違反している。

かつて、アメリカは労働条件改善への試みでも、世界をリードする役割を果たしてきた。

密かに拡大する児童労働
アメリカの労働省は、2022年10月から2023年7月の間に不法に雇用された子供の数が44%増加したと報告している。2023年2月のニューヨークタイムズの調査では米国全土のサプライチェーンで子供たちが直面する悲惨な状況と危険な仕事が強調された。いくつかの有名な企業も関与している。

この報告書に対する政府の対応には、法改正、罰則の強化、雇用者に対するより厳しい執行の呼びかけ、新しい戦術を導入する計画、児童労働法の施行のためのさまざまな機関や外国政府とのパートナーシップが含まれていた。しかし、児童労働者の法的保護を水増したり制限したりするために、少なくとも2ダースの州レベルの立法イニシアチブがあり、そのうちのいくつかは成功裏に制定されている。

詳細を記す余裕は今はないが、社会の未来を担う子供たちが、現在の問題を緩和するために、過酷な条件下で働かせられることだけはいかなる理由であれ、許されるべきではないと改めて思う。働き方の将来に光を期待して、過酷な条件で働いていた子供たちの願いを裏切ってはならない。

サラ・オコナー、エンプロイメント・コラムニスト(Financial Times)「米国、児童労働緩和の動き」『日本経済新聞』2025年4月14日付)


goo blogが突然閉鎖されるようだ。本ブログも幕を下ろす時が近い。四半世紀近くお付き合いくださった方々も多く、ご意見をうかがいながら、今後を考えたい。



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遠く離れてしまった友人を偲んで

2025年04月06日 | 午後のティールーム


なんのことかと思われるでしょう!
実は最近、この変なブログ?のある古い記事『初夏のザールブリュッケン』および『Am Statenに突然アクセスがかなりあり、記事のその後を書いてほしいとのご依頼もありました。それは昨年世を去ったオーストリア在住の友人エーリヒ(Erich  Kaufer)に関連する思い出話にもつながっています。
* この記事の発端となったこれらの画像の出所についても、大変不思議とも思えるお話がありました。

この友人(オーストリア人だが、ドイツから移住)は、私が1960年代にアメリカにいた頃にふとしたことから親しくなりました。彼はドイツ、フライブルグ、フランクフルト、ザール、そして後年オーストリアのインスブルックに移住しました。

私も勉学や仕事で日本からアメリカ、カナダそしてフランスなどへせわしなく動いている時代でした。若い頃はどこへ行くのも楽しみで、移動も苦になりませんでした。飛行機に乗れること自体が嬉しい時代でした。アメリカへ行くのも、羽田からホノルルかアンカレッジを経由していた時代でした。知らない土地を訪れることで世界が大きく広がる思いがしました。そして後で振り返ってみると、予想もしなかった人生を過ごしていました。コロナ禍の間、しばらく音信が途切れたりした時が続いた後、昨年彼が亡くなったことを知らされました。半世紀を超える長い友人でした。

友人エーリッヒは、当初はドイツの新進経済学者として、産業組織論、とりわけ企業集中、カルテルやパテントの研究者として立派な業績を残していました。他方、私は最初はカナダの巨大企業と資本提携をした金属工業で働き、日本とカナダやジャマイカ、オーストラリアなど原料産地あるいは新興の中東諸国の間を往復したりしていました。その間、当該産業における独占の成立、企業分割の歴史、労働の国際比較、とりわけ労働の移動のあり方に関心を持つようになっていました。共通の話題がいくつか芽生えました。一時は北米大学院の寄宿舎で同じフロアーで生活していました。

お互いに親しくなり、何度か日本とドイツ、オーストリアを会議などで往復もしました。日本では奥日光やチロルの山々でトレッキングをしたり、彼がインスブルック大学の経済学部長の時には、私が卒業式に列席する機会もありました。彼はその後、経済学の領域を離れ、同大学の社会経済史研究所の所長を務めてきました。


インスブルック大卒業式

真に研究したいことに専念
私が大きな影響を受けたのは、インスブルックへ移住してからの彼の人生の過ごし方でした。若い頃から現代経済学の先端の研究に従事していたのですが、ある日突然、経済学の書籍を全部処分し、中世イタリア社会経済、宗教の研究に専念することを始めたのです。そのために、イタリア語の家庭教師について、イタリア語の習得を始めました。そして没年までこの分野でも立派な業績を残す学者になっていました。数冊の書籍が残っています。コロナの発生前に受け取った手紙には、自分の英語はほとんど消えてしまったと記されていました。

美術への傾斜
このブログの柱の一部を構成しているロレーヌの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画家人生にいつの間にかのめり込んだ私とつかず離れず、イタリアやロレーヌの美術のトピックスを紹介、探索にもしばしば同行してくれました。

インスブルックの空港を眼下に臨み、航空機が視野に入ってきてから家を出発しても離陸に間に合うよと、ご自慢の家に泊めてくれました。

ある日のインスブルック空港

最近、当時の資料の終活をしているときに、彼ら夫妻が案内してくれたドイツ・バイエルンに所在するオットービューレン修道院のオルガンに関するパンフレットに出会いました。修道院は764年に設立され、世界的にも大変著名なオルガンがあり、毎週土曜日のコンサートで演奏されていました。まさに天上の音楽に接した思いでした。
機会があれば、もう一度来たいと当時は考えていましたが、時が経ち、私にその時間はなくなりました。




危機の世界を思わせる昨今の騒然とした時代からいまや遠く離れた友人は、何のしがらみもなく天上のオルガンに親しんでいることでしょう。半世紀を超える友情を思い、ここに深い哀悼の意を表します。



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