時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

人はなぜ移動しないのか:EU経済の課題

2005年04月23日 | 移民政策を追って

  2004年5月のEU拡大後、東欧諸国など新加盟国から、イギリス、フランス、ドイツなどのEU中心国へ働く場所を求める移民労働者はどのくらいの数になるか。大変予測が難しかったことは、以前にイギリスを例に検討した通りである。今回は、少し別の視点から考えてみたい。
  ヨーロッパ最大の経済規模を誇ってきたドイツだが、現在は戦後最悪の経済的苦境に陥っている。今年1月から、就業能力のある社会扶助受給者を算入した新しい失業率統計に移行したが、それによると失業率は12.1%、失業者数でも500万人台という記録的な水準となった。旧東独地域は、20%近い失業率である。しかし、旧東独地域からの労働者の移動・流出は、東西統一後のピーク以降、増加せず、停滞しているという。

人々を引き留めるものは
  ここで、ひとつの疑問が提示される。失業している労働者は、雇用の機会を求めて、なぜ、国内あるいはヨーロッパの他の地域へ移らないのか。この問題は、ドイツに限ったことではない。イタリアでも、失業者の多いシチリア、南イタリアから雇用機会の多い北イタリアのトレントやヴェローナなどへ労働者は移動して行くことはほとんどない。カルロ・レーヴィの「キリストはエボリにとどまりぬ」Cristo si e' fermato a Eboli, 1945(岩波書店、絶版)で、悲惨な状況として描かれた南イタリアほどではないにしても、南北の格差は消滅したわけではない。人は自分が生活する地域や文化に、それぞれの深い愛着やしがらみを感じて生きている。
  地域や産業間での労働力移動が柔軟に行われないという硬直した労働市場は、ヨーロッパ経済における最大の障害とされている。いまやEU活性化にとって最重要課題となった労働市場改革の目指す方向は、労働力の流動化である。確かに、失業者など仕事の機会に恵まれない労働者が雇用機会のある場所へ移動すれば、いうまでもなく失業者は減少する。しかし、人は期待した通りには動いてくれない。なにが、人々を地域に引き留めているのだろうか。

中国・アメリカとの差異
  ヨーロッパは特殊なのか。確かに中国、アメリカなどでの労働力移動の実態とは顕著に異なる。中国における春節時の都市から農村への労働移動は、極端な例かと思うが、シリコン・ヴァレーのようなハイテク集積地域においても、技術者・専門家などの熟練労働力の出入はかなり激しい。
  ヨーロッパでも、中間管理者層やプロフェッショナルの地域間移動は増加しているが、それでも、アメリカなどと比較すると、人々は地域に固定されている。地域の生んできた文化の影響力は大きい。18年前からエラスムス・プログラムの名の下に、奨学金つきの多国間・交換留学プログラムが実施されてきた。目標は、ヨーロッパの大学生全体の5%をこのプログラムに参加させることとされているが、達成は困難とされている。
  こうした状況の背景には、形の上ではEUという歴史的な地域統合が実現したとはいえ、実際には国や地域という障壁が自由な移動を妨げていることが分かる。事実、EUのほとんどの加盟国は人の移動にさまざまな制限を付している。昨年の拡大EU実現後も、以前からの加盟国はすべて、国境を越える人の移動について、暫定措置を選択し、入国を制限している。

人が動くか・産業が動くか
  その背景には、これまでの国家としての国民に対するサービスのあり方などが、各国ごとに異なっていることを指摘できる。教育制度、専門職資格、労働法、医療保険制度や社会保障・年金制度などもEUとして統一されていない。
 かつて、イギリスのサッチャー首相政権下における産業・雇用政策が思い起こされる。サッチャー首相が政権の座についた時は、イギリスは産業界にも活気がなく、失業者も多く、停滞の色が濃かった。ロンドンなどの大都市も、今日の活況をおよそ想像できないような陰鬱さが漂っていた。チェアリングクロス街の路上で炭坑夫組合がスト資金のカンパをしており、警官が来ると隠れたりしていた光景が目に浮かぶ。
  停滞した地域から人が動かないならば、産業を持って行こうという政策が成果をあげ、地域の活性化が始まった。現在、日産自動車の工場がある北東部のワシントン・サンダーランドを開所式の頃に訪れたことがあった。少しずつ部品企業などが進出していたとはいえ、あたり一面広漠とした野原のようであった。テープカットに誰がくるか秘密にされていたが、当日サッチャー首相が自らヘリコプターでかけつけた。資本に色はない、イギリス人のための雇用機会が生まれるならば、外資は大歓迎という方針にも驚かされた。他方で、イギリス資本の自動車企業はなくなってしまうという反対の声もかなり高かったからである。労働力が動かないならば、産業が移動するという政策転換が行われていた。
  労働力移動が大きな社会が望ましいか否かは、多分に関係者の価値観によるところが大きい。故郷や故国を失った漂泊の民のような人々が増えるのも好ましいことではない。ディアスポラ(家族や国家の離散)は、グローバル化の進行とともに深刻な問題となっている。
  かくして、「人はなぜ移動するのか」そして「人はなぜ移動しないのか」という問いは、労働の世界を学ぶ者にとっては、興味が尽きないテーマである(2005年4月21日記)。

コメント
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