時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アメリカ移民法改革:打開の道は

2010年11月29日 | 移民政策を追って

 アメリカの移民法改革は急速に推進力を失ってしまった。最大の原因はオバマ大統領が就任後、アフガニスタンでの戦争、メキシコ湾原油流出、医療改革などに手間取ってしまい、主要な政治課題である移民法改革に、ほとんど着手できなかったことだ。さらに、中間選挙で上院、下院の双方で議席を大幅に失った民主党政権にとって、構想としてはほぼ出来上がっていた包括的移民法改革だが、その線に沿った立法化はきわめて困難になってきた。すべて、政治的決断の時を誤った結果だ。

 
現在、アメリカが直面する移民問題は大別すると、解決すべき4つの主要領域から成っている。第一は、南のメキシコとの国境から不法に越境入国する移民の阻止、第二は、従来から主としてメキシコなどヒスパニック系労働者に依存していた農業、果樹栽培、建築業など、総じて不熟練労働分野で働く労働者の受け入れ、第三にアメリカのIT産業などが必要とする高度な熟練を持った労働者、技術者の受け入れ、そして第四に、最も難題とされるのが、その数1100万人ともいわれる入国に必要な正式書類を保持せずに、アメリカ国内に居住している人たちへの対応だ。この不法滞在者といわれる人々の多くは、すでにかなり長くアメリカに滞在し、しばしばアメリカ人がやりたがらない仕事を引き受けてきた。

 こうした問題は、人口減少、少子高齢化が切実な課題となっている日本にとっても基本的にあてはまるものだ。しかし、日本ではこれまで枠組みの提案はあっても、具体的な次元まで見通した政策としては、ほとんど詰められていない。たとえば、高度な技能・技術を持つ技術者、専門家の受け入れ拡大が提唱されても、現実には日本の高等教育・研究機関を第一志望としたり、定着する高度な人材は決して多くない。日本の大学、研究機関、企業などが彼らにとって十分魅力ある存在となりえていないことが原因のひとつだ。一流の外国技術者、研究者は、日本を選ぶ前に欧米諸国へ流れてしまう。移民(受け入れ)政策には、高等教育・研究機関などの世界的レヴェルへの質的向上など、単なる国境管理段階の政策にとどまらない総合的な政策としての視点が不可欠なのだ。

 
さて、オバマ政権にとっては、上述の四本の柱から成る移民政策を一体化して、包括的移民改革として制度化できれば、ブッシュ政権がなしえなかった改革に目途をつけることができると思われていた。しかし、共和党が多数を占める下院を前にして、この方向を貫徹することはきわめて難しくなっている。共和党議員が増加した上下院では、熟練度の高い技術者・専門家などを受け入れる部分については、産業界の要望もあって賛成者も増えるかもしれない。不熟練労働者を受け入れる問題については、かつてのブラセロ・プログラムのような一定数の限定的受け入れというような妥協が可能かもしれないが、アメリカ経済が不振をきわめている現段階では、積極的に議案を詰めようという機運に欠けている。

 第四の不法移民への対応について、オバマ大統領は犯罪歴、アメリカ在住歴、職歴などを審査の上、順次アメリカ市民権を付与する方向を考えているようだが、共和党員の間には強硬な反対もあり、これだけを立法化するだけでも問題山積といえる。改選によって議席を去る民主党議員が在籍している間に、包括的移民改革法に近い議案を強行成立させる道もないわけではないが、任期後半に入り追い込まれているオバマ政権にその覚悟はあるだろうか。恐らく、個別の領域ごとに立法化、制度化を図るという道をとらざるをえないだろう。この領域に存在する問題の実態、政策方向を少しずつ検討してみたい(続く)。




Reference
”Let them have a DREAM” The Economist November 27th 2010.

 

 

 

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多文化主義の彼方には

2010年11月21日 | 移民政策を追って

閉ざされる国境

 アメリカのみならず、ヨーロッパのドイツ、フランスなどで移民受け入れの道標としての「多文化主義」 multi-culturism が揺らいでいる。それぞれの国が直面する問題の背景には各国固有の問題があるが、異なった文化を背負った移民とそれを受け入れている側との間に、摩擦や断裂が目立ってきた。受け入れ国側が「多文化主義」を標榜していると否とを問わず、国境の扉は閉じられようとしている。

  その中で注目を集めているのが、1990年10月3日に東西ドイツが再統一してから20年が経過したドイツだ。EU最大の政治・経済力を手中にしたドイツは、域内での発言力を強めた。東西ドイツの統一は、なんとかコントロールできる範囲にまでになった。しかし、他方では依然として大きな問題もある。しかも、国家的管理可能な域を逸脱しかねない難しさを含む。

 そのひとつは移民問題である。問題に難しさを加えた根底には、キリスト教とイスラム教の間の壁が横たわっている。多文化主義を掲げた統合は機能せず、ただ分かれて住んでいるだけという現実が存在する。もっとも、ドイツの社会にこうした現実が根を下ろしてから、すでにかなり長い年月が経過している。管理人が移民問題に関心を抱くようになったきっかけのひとつになったのも、この国の移民受け入れの実態と政策のあり方だった。

変容する多文化主義の街

 ひとつの例として、フランクフルトの南西の都市、ウイスバーデンのことを思い出した。目抜き通りウエルリッツ街には多くの移民が商店などを開いている。その数は100店以上。40年前はほとんどドイツ人の町だったという。しかし、1968年中頃にゲストワーカーとしてやってきたイタリア人のピザの店が開店後、住人の国籍は増加し25カ国以上になった。トルコ、モロッコ、アフガニスタン、コンゴ、イタリア、パキスタン、ポーランド、アルバニアなどである。しかし、まもなくケバブの店に圧倒され、今日、通りは実質トルコ人の掌握するものになっているとのこと。

 ウイスバーデンに限らず、ドイツは大戦後、多くの移民を受け入れてきた。2009年の時点で、人口に占める外国人比率は11.6%とフランスを上回り、アメリカに次ぐ。とりわけトルコからの移民は多く、移民の中でも最大の比率になる。その中にはドイツのパスポートを所持し、なめらかにドイツ語を話すが、どこにいてもヒジャブを着ている「ゲストワーカーの子供」といわれる人たちがいる。彼らはドイツにいながらも、どこかでドイツ人になることを拒否している。

築かれるモスレムの壁

 こうした状況で、イスラムの移民と最下層階級の度を過ぎた増加が、近年のドイツの低落をもたらしていると非難する出版物が現れた。その代表例が、最近までドイツ連邦銀行理事だったザラツイン氏の見解だが、多数の賛成者を得た反面、同氏は理事の座を失った。

 最近では、メルケル首相までもが「多文化主義はまったく失敗だった」と発言するまでになっている。ここでの「多文化主義」とは、簡単にいえば、移民はドイツにおいて彼らの独自の文化を再生させることができるという意味だ。たとえていえば、ドイツという花瓶の中で、それぞれの花を咲かせることができるというイメージと考えられる。しかし、ドイツに限ったことではないが「多文化主義」は機能していない。人々は分かれて住んでいるにすぎない。表面的な断裂ばかりでなく、精神的基層は冷え切っている。

 他方、ドイツには移民を経済力維持の戦略的要因としなければならない事情がある。ドイツの労働力は減少に向かっており、とりわけ今後の発展を担う熟練労働力の不足は厳しい。これは、ドイツばかりでなく、日本を含めてこれまでの先進国が負う課題でもある。すでに躍進目覚ましい中国やインドに迫られ、追い抜かれつつある。優秀な外国人を誘引するどころか、日本の高度な技術者などが逆に引き抜かれる始末だ。

 ドイツへ働きにきた移民の2世、3世の実態は、はかばかしいものではない。教育水準でも、ドイツ人の平均に遠く及ばない。いずれは母国へ戻ると思われた外国人肉体労働者の子供たちが、ドイツの社会の主流へ加わることはきわめて困難だろう。

イスラムといかに生きるか

 ドイツ人になろうとしないイスラム教徒への風当たりは強いが、すべてのイスラム教徒が非難の対象になっているわけではない。問題とされているのは、一部の原理主義者、そしてキリスト教、ユダヤ教さらに民主主義への反対者など限られている。ドイツは2000年に移民が市民権を取得する道を開いた。2005年以降、移民は600時間のドイツ語習得を含め「統合へのコース」を受講することを求められている。貧しい国からの配偶者は到着前にドイツについての知識を習得しなければならない。

 「ドイツ人であるとはいかなることか」とのドイツ人の考えも変化しなければならない。しかし、多くのドイツ人はその準備ができていない。メルケル首相は「モスクはドイツ文化の「原風景」となるだろう」と述べ、イスラム教徒に対する理解を示しているが、ドイツ人の多くがそこまで達観できるまでには多くの山を越えねばならないだろう。

 「統合」 integration、「共存」 co-existence そして「隔離」segregation という概念の相互関係がいかにあるべきか、その答はまだ得られていない。「人種の坩堝」化と「ゲットー」化を生み出す要因はどこにあるか。

 先進国の中で、移民問題を国民的論議の課題としてとりあげていないのは日本ぐらいだ。一部の外国の人口学者などからは、人口減少社会を迎え、活力の低下が著しく、将来に不安感が色濃く漂う日本は、移民を受け入れない限り、活力再生の切り札はないとまでいわれている。世界の高いレベルの科学者、専門家、技能労働者を吸引できるような拠点構築を、国家的視野から実施しないかぎり、縮小、衰退の道から脱却することはきわめて難しい。しかし、この国の政府は外国人労働者、移民の問題を国民的議論の課題とすることを極力回避してきた。他の問題と同じように、なるべく大きな議論とせず、なし崩し的に対応することで本質的課題には踏み込まないという姿勢だ。

  政治家の質の劣化に国民の失望がつのるばかりのこの頃、移民問題を国家戦略の次元で考えることなど当面考えられないのが、日本の現実だ。他方で人口減少、高齢化は容赦なく進む。日本の高齢化は、すでに危機的段階に達しており、他国がその轍を踏まないようにとの例に挙げられているほどだ。人口に占める外国人比率は、まだ西欧社会よりはるかに低く、受け入れのあり方を検討する余地は十分にのこっているのだが。壁を高く維持するばかりでは、相互理解は決して進まない。しばらくドイツのお手並みを眺めているしか道はないのだろうか。




References

* Thilo Sarrazin (Autor). Deutschland schafft sich ab: Wie wir unser Land aufs Spiel setzen, 2010.

'Multikulturell? Wir? 'The Economist November 13th 2010.

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断裂深まるアメリカ(2)

2010年11月13日 | 移民政策を追って

アメリカ移民法改革を脅かす影

 

麻薬は人間ばかりか社会、国家を破壊する。人生のさまざまな苦しみ、苦難から逃れようと深く考えることなく、そして多くは単なるはずみで麻薬に手を伸ばし一時の快楽を得たとしても、問題はなにも解決しない。それどころか次第に深みにはまり、人間の肉体も精神も蝕まれ、挙げ句の果てに破壊される。

 こうした人間の弱みにつけ込む麻薬ビジネスが次第に蔓延する。さらに暴利を求めて、麻薬シンジケート間での激しい抗争が生まれる。こうした組織犯罪集団の間での争いは、次第に激しさを増し、組織間の覇権を争って、贈収賄、殺人などの犯罪が、警察や軍隊、そして政治家、企業家など社会の上層部まで深く浸透する。行き着く先は社会の深部からの退廃、国家の崩壊・破滅へと進む。このような論理で麻薬が国家を破滅に追い込むと考える人は多くないかもしれない。しかし、アヘン戦争の歴史を顧みるまでもなく、麻薬はしばしば国家の破綻に関わってきた。そして、今でも国家崩壊の淵にさらされている国がある。

 
麻薬がもたらす社会への害悪は、ある段階までは善良な市民の目には見えない。しかし、次第に直接、間接に市民生活に弊害を及ぼすようになる。近年、コロンビアなどの南米諸国、メキシコ、アフガニスタンなどでみられる事態は、まさにこうした国家を破滅に導きかねない舞台の一場と考えられている。とりわけ、最近のメキシコの麻薬禍は「麻薬戦争」といわれるまでに拡大し、この国を急速に衰亡させている。

 メキシコの人口は世界で11位、経済規模では14位に位置する。一時はBRICsの後を追うといわれていたが、いまやその勢いはない。そして、大麻、コカイン、LSDなどの多種、多様な麻薬の不法貿易は、メキシコの貿易収入の半分近くに達するといわれる巨額なものになっている。

 

長年にわたる麻薬問題の撲滅を宣言して、200612月カルデロン大統領が政権に就いて以来、麻薬をめぐる抗争のために、およそ28千人が死亡したといわれ、大統領は、事態の収拾と犯罪・暴力防止のために5万人の軍隊を展開している。

 

メキシコで麻薬密貿易が注目され始めたのは、かなり以前のことである。このブログでも再三にわたりその一端を記したことがあるが、1970年代にはすでに大きな問題となっていた。しばらくの間はアメリカ・メキシコ国境近辺に集中した国境密貿易に関わる犯罪と見られてきた。しかし、現実には組織犯罪は、地方政治、警察、軍隊などを蝕み、その解決を日に日に困難にしてきた。組織の魔手は中央政府にまで延びていた。そして、彼らのビジネスもグローバルな次元へと拡大した。  

 たとえば、カンナビス
(インド大麻)といわれる麻薬の原料は、シンジケートが保有するメキシコ国内の秘密の栽培地ばかりでなく、世界の麻薬の主たる供給地のひとつコロンビアからセスナ機などで輸送され、メキシコ国境近くの砂漠の拠点に供給されたりもする。

 麻薬問題がかくも拡大した背景としては、多くのことが指摘されているが、重要な問題のひとつは、麻薬犯罪を取り締まる法制度とその執行がきわめてずさんであり、銃砲などの所持についても野放し状態であったことにある。さらに、究極の問題として誰が麻薬を必要とし、その拡大に関わっているかについて探索・撲滅のメスを入れることを怠ってきたことにあるといわれる。カルデロン大統領は警察組織の中央集権化、分散した地方の裁判所の整理などをおこなっているが、さしたる効果が上がっていない。

 

結果として、メキシコには世界でも最も強力な麻薬のシンジケートが拡大、はびこってしまった。政治とシンジケートの関係は中央政府にまで深く潜伏して進行し、贈収賄、拉致、暴力行為などを伴い、警察、軍隊にまで影響力を持つまでになった。カルデロン大統領は、警察力では制圧不可能とみて、軍隊を投入し、撲滅作戦に当たっているが、その効果がいつ出てくるか、まったく定かではない。国内に仕事が無く、隣国へ不法移民をしなければならない若者たちが、麻薬取引を仕事としないように、教育や社会政策も根本的改善が必要だ。

 そして最も重要だが困難なことは、最大の麻薬消費地であるアメリカがいかに麻薬の害悪を認識し、それから脱却できるかという点にある。ペンタゴンはメキシコが麻薬のために、「
破綻国家」 failed stateとなる可能性まで示唆しているのだが、当のアメリカが全体として麻薬問題をいかに考えているかについては、メキシコとの間で距離があるようだ。不法移民問題の根は、雑草のごとく執拗に広がり、改革は先延ばしにするほど難しくなっている。移民法改革の行方は、アメリカという大国の根幹に関わっている。

 

 



References

‘Mexican waves, Californian cool: Drugs and security in North America’ The Economist. Oct 16 2010.

 ‘Organized Crime in Mexico Under the Volcano’ The Economist

 

Malcolm Beith. The Last Narco: Hunting El Chapo, the World's Most Wanted Drug Lord,

Grove and Penguin, 2010.

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断裂深まるアメリカ(1)

2010年11月07日 | 移民政策を追って


失意の中から
  アメリカ中間選挙の結果は、政権の座にあるオバマ大統領にとって、2年前のあの熱狂は幻のように見えたのではないか。大統領にしてみれば、想像を大きく上回る敗北だったのだ。かなりの落胆ぶりが映像でもみてとれる。高揚が大きければ、失速の落差も大きい。

 今回の上下院における大敗北は、後半の政権運営をきわめて厳しいものにした。医療保険制度改革を始めとして、オバマ政権が最大の柱として苦労して積み上げた成果が押し戻される、あるいは殆ど解体されてしまう可能性も高まってきた。

 しかし、共和党が逆手をとって「進路を変える」Change the Courseとした方向に光が見えるわけでもない。民主、共和両党間の政治的抗争は膠着し、泥沼化する可能性が高い。さらに勢力を取り戻した共和党自体、一枚岩ではない。なかでもティーパーティ・グループは、思想的、論理的基盤においてかなり異質の存在だ。こうした政党、グループ間の思想的乖離はきわめて大きく、政治上の妥協を求めることもかなり難しい。 長らく父親が共和党の有力者でもあったある友人は自分も共和党員であることを公言しているが、ティーパーティは共和党ではないという。共和党として統一性を保って行くのは、かなり大変なようだ。アメリカは政治的にも社会的にも統合失調症状態にあるとの評も聞かれる。

 他方、オバマ政権にとって、今回の選挙の最大の敗因とされる経済の回復の遅れにしても、政策の再構築は至難なことだ。中国などからの低価格品の輸入がアメリカ国内の雇用を奪っているとの声に対応できる政策の構築と転換は、短期間には達成できない。アメリカ産業の國際競争力はかなり脆弱になっている。保護主義の動きがさらに強まるだろう。貿易に限らず、外交、移民政策などでも、アメリカは一段と閉鎖性を強めることになりそうだ。


追い込まれての移民法改革
 オバマ政権が任期後半の2年間に対応しなければならない問題は数多いが、焦眉の急の経済問題に続いて、大統領の任期前半になにもできなかった移民法改革にはどうしても着手しなければなるまい。中間選挙においては、この問題を避けて通った民主党政権だが、そのためにヒスパニック系選挙民の多くはかなり冷めた対応をしたと考えられる。大統領選の時にはオバマ政権はヒスパニック系を票田として大きく頼ったのに、その後はなにもしてくれないのだと思ったかもしれない。

 他方、アリゾナ州における不法移民への厳しい州法導入にみられるように、不法移民が国内労働者の仕事を奪っているという受け取り方は、当否は別として経済停滞の要因のひとつとしてかなり広く信じられている。

 メキシコ経済の不振もあって不法移民の流入と集中は絶えることなく続き、アリゾナ州の州都フェニックスのように、住民の40%近くがヒスパニック系という状況が生まれている。ヒスパニック系への市民の目は次第に厳しく、冷たくなっている。不法移民として保安官に逮捕されると、テント仕立ての刑務所へ収監され、男子でもピンクのシャツ、靴下、一日二食の粗食など、屈辱的な待遇を受ける。二度と越境をさせないような罰則的意味を持たせているというが、アメリカでもまだこうしたことが許容されているとは、信じがたいほどの対応だ。

 アメリカが受け入れている移民の主流となっているのは、人道上の観点から家族のつながり family reunificationである。すでにアメリカに合法居住している市民の家族、配偶者を優先的に受け入れている。短期農業労働者受入のブラセロ・プログラムがなくなった今日では、農業などの不熟練労働者は、合法的経路では受け入れていない。ヒスパニック系を中心とする不法入国者が主として就労している。

 アメリカの産業競争力を回復、強化する上で産業界から要望が強い、高い熟練、専門性を持つ外国人労働者を雇用することについては比較的異論が少なく、特別の割当枠を設定して受け入れている。しかし、これについても、優秀なインド人が来なくなったなどの変化も指摘され、新たな議論が生まれつつある。

 これらの諸次元を包括する移民法改革は、ブッシュ政権末期に実現はしなかったが、輪郭はほぼ描かれている。オバマ政権になっても、今年3月民主党と共和党上院議員による超党派の包括的移民法案の素案が検討のため提示された。かつて、故ケネディ上院議員とマケイン上院議員が提案した案に近い。この考えは現代のアメリカが抱える移民の多様な問題へ包括的に対応しようとしたものだ。国境管理を厳しくする一方で、不法滞在者に市民権獲得の道を準備する。そして産業界の要望に応える道として、アメリカの大学で科学、技術、数学などの学位を取得した学生に自動的なグリーンカード(定住認可)を供与することにし、従来の国別グリーンカードの割り当てを廃止するという内容だ。この考えにオバマ大統領は直ちに賛意を表したといわれるが、未だ法案にもたどりついていない。その後、見解の相違点が生まれ、草案作成者の一方であったグラハム共和党議員が手を引いてしまったためだ。

 オバマ大統領が今後いかなる形で移民法改革に着手するか。いまや明らかなことは、下院の過半数を占めることになった共和党との協力関係を確立せずして実現は期待できないことだ。高度な熟練・専門性を持った労働力、不熟練労働力の受け入れについても、ビジネスに近い改革案の方向が模索されるだろう。しかし、不法滞在者の合法化のあり方、不熟練労働者の確保など、個別的分野でも難問は多い。

 日増しに高まる他民族間の軋轢を緩和、回避しながら、移民法改革を達成することができるだろうか。そして、アメリカ自らを統合する精神的・文化的靭帯を再びしっかりと確保できるだろうか。
これらの点については、今後少しずつ確認してみたい。



Reference
‘Green-card blues’ The Economist October 30th 2010.

BS1 「今日の世界」2010年10月
 23日


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すぐに忘れる国

2010年11月02日 | 雑記帳の欄外

 


  今回の尖閣列島問題をめぐる議論を見ていると、人口1億2
千万人の日本と13億人の中国が地続きだったら、どんなことになっているだろうかと思う。アメリカとメキシコの比ではないはずだ。ある段階から「数は力となる」。管総理は「一衣帯水の国」だからと努めて冷静を装うが、完全に手の内を読まれている。
 
 
個人的に憂鬱なことは、かなりの時間をかけた後に、やっと率直に話ができるまでになった中国の友人・知人たちとの関係が、こうした事件ひとつで、堅苦しい距離を置いた関係へ逆戻りしてしまうことだ。10月にも訪中して久しぶりに歓談しようと思っていたが、出端をくじかれてしまった。

 中国は
70年代から何度も訪れ、限られた分野とはいえ、かなりの知人・友人も増えた。繰り返し、話を重ねる間に心のわだかまりのようなものも消えて行き、相当深くしかも冷静に、二つの国の間にある問題点も話し合えるようになった人たちもできた。中国ではお互いの間に「信頼」がなければ、本当のことはなにも話してもらえない。しかし、ひとたび人間としての信頼が生まれれば、驚くほど道は開ける。

 しかし、今回のような問題が生まれると、とたんに気まずくなり、お互いに解説者のようなあたりさわりのない話に戻ってしまう。せっかく率直に話せるようになってきたと喜んでいた矢先に、吹き込んだ一陣の冷風で空気は一変してしまう。お互いにやはり信頼できない相手方なのだという冷めた次元へ転換してしまう。

 中国政府も国内事情があるとはいえ、大人げない。国の権益維持と正当化のためには、通常の外交手段以外のあらゆるものを動員する。これが大国のすることかと思うが、国民の情報管理をしている国にとっては痛痒も感じないらしい。発動も早いが、國際世論の批判の前に、利われにあらずとなると、引くのも素早い。内容の当否は別として、国家戦略として運用されていることが直ちに分かる。

 あの食品安全問題にしても結局どうなったのだろうか。事件の印象が遠く薄れた頃まで責任の押し付け合いをし、結論を引き延ばし、結局うやむやにされてしまう。日本はのど元過ぎれば熱さ忘れるという国だ。なんでもすぐに忘れてしまうこの国の将来が心配になってくる。国家戦略室もすっかり忘れられている。

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