時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

頓挫したEUサービス労働者の自由化(2)

2005年04月27日 | 移民政策を追って
  このシリーズの第一回でとりあげたように、EUの欧州委員会は、域内経済活性化の手段としてサービス分野の自由化を構想し、その実現のために「サービス(業務)指令」service directiveを加盟国に提示してきた。これはEU域内でサービス業務を展開する場合に、従来から存在した行政手続きや各国ごとの規制を簡素化・統一することを内容としている。
  より分かりやすくいうと、加盟国内で薬局を開設する場合、国ごとに異なった規制措置がある。また、特殊なケースだが、フランスでチョコレート店を開業する場合には、地元の商工会議所などで構成する委員会の許可が必要とされる。地元の店舗などの権益を擁護するためだろう。こうした規制を簡素化し、域内ではほぼ同じ条件にすることがサービス指令の目的である。さらに、サービス業に従事する人々が、国境を越えてEU域内を自由に移動できるようにすることも、指令が目指すところである。
  この指令は、欧州委員会が指令を採択した当時の欧州委員の名前から「ボルケシュタイン指令」と呼ばれている。そして、指令のカバーする範囲は、金融や通信・運輸を除くすべてのサービス分野に及んでいる。

自由化の効果
  大部分は目に見えないために気づかないが、例にあげたように、各国にはさまざまなサービス業務についての規制がある。このため、サービス分野はEUの経済活動の約7割を占めるが、国境を越える取引の中では約2割にすぎない。欧州委員会は自由化で競争を促せば企業や個人の消費が0.6%増加し、差し引き60万人分の雇用が生まれるとしている。
  しかし、ドイツ、フランスなどの先進地域の国では、この指令への反発は強い。なかでも自国の法規に抵触さえしていなければ、域内の他の国でも同じ条件でサービスを展開できるとした条項に強い懸念が示されている。自国で形成してきた労働基準などを、他国から流入してきた企業や労働者に適用できなくなるおそれがあるためである。ドイツ、フランスなどEU域内の「先進地域」にこうした懸念が高まっている。

大きな賃金格差
  JETROによれば、旧加盟国の労働者の平均賃金は月額で約2500ドル(約27万円)だが、中・東欧などのポーランドやチェコなどでは500-700ドル(約54000―76000円)であり大きな格差が存在する。サービス分野は人件費がコストの大半を占めるので、中・東欧から労働者が流入すれば、失業や賃金低下を招くと懸念する西欧の政府、労働組合などが強く抵抗している。
  言い換えると、EU域内において、以前からの構成国である西欧(ドイツ、ベルギー、イギリス、フランス、スペインなど)と中・東欧(ハンガリー、チェコ、スロバキア、ポーランド、エストニアなど)との間に経済格差があり、労働コスト(賃金水準)なども、顕著な段差が存在する。そのために、中・東欧圏から西欧に向けて、サービス分野での進出をはかる場合に、格差の存在は中・東欧にとっては有利な武器(低労働コストを背景とする出稼ぎ労働者の雇用増加など)として働くが、西欧諸国にとっては自国民の雇用を奪われ、社会の負担が増加するなどの悪影響が懸念される。とりわけ、前回のシリーズで記したサービス供給の「原産国」、すなわち中・東欧諸国の労働条件を維持することが最低条件となると、受け入れ側の西欧諸国がこれまで達成してきた労働条件が侵蝕されることになりかねない。

国境をくぐり抜ける「一人企業」
  2004年5月の拡大EUへの移行に際して、以前からの加盟国は労働者移動についていずれも留保・制限措置を設けた。しかし、国境の網目をくぐり抜けるさまざまな方途が仕掛けられている。そのひとつは、中・東欧諸国の個人(労働者)が「一人企業」という形で、旧加盟国内に「企業」として登録し、仕事を請負って、サービス業務を提供することが行われている。この場合は、労働者でなく、「企業」として進出するために、旧加盟国の定める最低賃金や労働時間などに束縛されずに、安く仕事を請け負うということが行われている。近年、アメリカなどで、増加が著しい「独立業務請負業」とほとんど同じである。建設、清掃、長距離運転・輸送など、労働コストの比率が高い分野で拡大している。
  暗礁に乗り上げた事態を打開するため、欧州議会とEU理事会がサービス分野の自由化法案の修正を検討中であり、今後、欧州委員会と加盟国間の調整を進めることになっている。しかし、リスボン・サミット当時は、「サービス分野自由化」に賛成であった西欧、とりわけドイツ、フランスが自国の経済状況の悪化もあって、とりわけ「サービス指令」に強い反対を示しているため、自由化は頓挫している。

日本についての示唆
  EU拡大については、しばしばその光の側面だけが伝えられ、過大な幻想を抱きがちだが、現実には多くの困難が存在している。それらの問題は、日本にとって縁がないように思えるかもしれないが、日本の施策のあり方について示唆する部分も多い。
  たとえば、日本の最低賃金制度は、日本列島という地理的にも決して広くない領域を都道府県別あるいは産業別に細分し、政策としての透明度もきわめて悪い。経営者など労使の関係者で、自分の事業所が所在する地域の最低賃金を知らない人も多い。形骸化が著しい。このように制度化が行き過ぎ複雑化し、運用も硬直化すると、無駄な行政コストもかかる。厚労省研究会は制度見直しの提言をしているようだが、現行制度の柱である地域別最低賃金にしても、地域区分の都道府県別などはいまや時代錯誤であると思う。セフティネットとしての最低賃金制度は、EUの実態をみても必要と思うが、日本の制度の内容や運用が明らかに時代遅れになっていること自体を、関係者は厳しく反省する必要があろう(2005年月25日記)。

参考:
“Outlook Gloomy” The Economist, March 30, 2005.
“From Lisbon to Brussells” The Economist, March 17 2005.
「サービス分野自由化:EU、内部対立深まる」『日本経済新聞』2005年4月15日
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