時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(13)

2005年04月04日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

「手紙を読む聖ヒエロニムス」
St. Jerome Reading
Georges de la Tour,Saint Jerome Reading, c.1624, the Royal Collection, Hampton Court Palace, Her Majesty Queen Elizabeth II.

できの悪いラ・トゥール?
 ラ・トゥールの作品の中で、この「手紙を読む聖ヒエロニムス」は、実物に接する機会が最も少ないもののひとつかもしれない。というのは、作品の所有は1662年頃、チャールスII世によって購入された後、イギリス王室に帰属しているのだが、絵の状態が度重なる修復作業などで痛みがひどく、美術館での展示には耐え難くなっているためといわれている。購入当時は、「アルブレヒト・デューラー風」の絵として、ラ・トゥールとは思われていなかったらしい。後に、美術史家ケネス・クラークは「できの悪いラ・トゥール」と評したといわれる。

  最後に美術展に出品されたのは、1972年のオランジュリー展といわれるから30年以上前になる。私自身がラ・トゥールに大きな関心を持ったのは、まさにこの展覧会であったから実物に出会えたのはきわめて幸運であったのかもしれない。という状況のため、今日では一般にはカタログなどの印刷物で見ることになる。

多数ある聖ヒエロニムス像
 もっとも、聖ヒエロニムスを主題とした作品は、ラ・トゥールの工房で多数制作されたとみられ、使徒が手紙を読むテーマについても、ルーヴル美術館が所蔵する模作といわれるもの(どくろ、書籍などアトリビュートが多い作品)、ナンシー歴史美術館が所蔵する息子エティエンヌの作品ではないかとされるもの(「夜」の作品、細身の使徒像、サインあり)などが残っている。前者は、私のようなアマチュアが見ても、構成その他ラ・トゥールらしくない。

  後者は、比較的近年までフランスの旧家が所蔵していたもので、専門家の間にもまったく知られていなかった作品である。1992年のオークションでロレーヌ歴史美術館が取得した。しかし、ラ・トゥールらしい微妙なブラッシュさばきがないとして、息子のエティエンヌの作品ではないかとする専門家(たとえば、Thuillier 1997)もいる。私自身はこの絵は使徒像の中では比較的好きな方である。描かれた人物も、王室コレクションの作品よりは、はるかに聖書学者風?ではある。

  聖ヒエロニムスは、ほぼ4世紀の人であり、しばしば「初期キリスト教会の父あるいは博士」ともいわれてきた。ヘブライ語およびギリシャ語からの聖書のラテン語訳を20年かけて完成したと伝えられるからである。ラ・トゥールは1620年代半ば、「アルビの使徒」シリーズとほぼ同じ時期に、この作品を手がけたと推定されている。この聖人は、反宗教改革の過程でとりわけ重要な人物として浮上してきた。有名なトレント会議が、最も重要な使徒の一人と定めている。
  
修復しすぎ?
 画集などで、この絵を改めて見ると、確かに画面の痛みのひどさは、直ちに伝わってくる。大変に画面があれている。しかし、ラ・トゥールの細部にいたる綿密な検討と、それを可能にした絶妙な技法は片鱗がうかがわれる。とりわけ、画家は人物の髪とか、紙や手指の透明さなどの描写に素晴らしく秀でていた。他の作品でより明瞭に感じられるが、現在の写真に匹敵するといってよい精密さである。この絵も半透明の紙に記された手書きの文字を読む使徒の姿が、実に真に迫って描かれている。

 ラ・トゥールは学者としての聖ヒエロニムスの特徴を強調したと考えられる。使徒の時代では珍しかったに相違ない、眼鏡で文書を読む姿が描かれている。「アルビの使徒」と同じ頃の作品らしく、描かれた手の無骨さなどは、普通の人をモデルとした他の使徒の場合と同じといってよい。確かに、ラ・トゥールの現存作品の中では、それほど図抜けたところがない。しかし、「できのわるい」のはラ・トゥールではなくて、下手な修復家の方ではないかとも思ってしまう。世間の目は、天才に厳しい。

 ヨーロッパ美術の伝統にならい、聖ヒエロニムスは、初期の教会における基本教理の確立者のひとりとの位置づけがなされてきた。それとともに、聖ヒエロニスムスは禁欲主義の人としても知られ、自ら、世俗世界と肉体を否定し、シリアの砂漠へ3年近く引きこもったと伝えられる。ラ・トゥールは、この側面を描いた作品も残しているが、別の機会にとりあげたい。



コメント (2)
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