時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

消えゆくものの美しさ:北の旅から

2017年03月21日 | 午後のティールーム

 

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 春とはいえ、時には肌を刺すような寒気が感じられる日、遠く北を目指す旅に出る。初めての土地ではない。この10年くらいの間にも何度か訪れている。地縁や血縁などのようなつながりがとりたててあるわけでもない。最初はこの地に生まれた育った友人との縁で、観光を兼ねて訪れてからすでに半世紀を経過している。今はとりわけ親しい知人、友人も住んでいない。しかし、なんとなく惹かれるものがあって、学会などで近くに来るたびに格別用事がなくとも、足を延ばしてきた。上掲の写真からどこか推察いだだけるだろうか。北の海を目前にした海岸に並行する運河に沿って百年余りの風雪に耐えてきた倉庫群が並ぶ。

太平洋岸の明るい海の色とは異なる濃い灰色の薄暗い海の色を見ながら、列車は海辺をひた走る。線路と海辺の距離は狭いところは数メートルしかない。海岸線を小一時間走った列車は、上野駅を模したと言われる外観はかなり古びてしまった感じの駅に到着する。駅名は「小樽」。駅舎自体は寂れてはいるが、内部は改装され、繁栄した当時はさぞや賑やかであったろうと思う。

列車から降りてくる人のほとんどは旅行者風だが、最近はここでも多数の中国人観光客の集団を見る。一時の爆買いはなくなったようだが、それでも大きな荷物を持って車両から降りてくる。彼らにとっては、未だ雪が道路の両側に積まれたままで人影の少ない港町も興味津々のようだ。東京、京都などの大都市集中型の旅行ではなく、古き時代の日本が残るローカルな地を訪ねる動きが少しずつ増えているように思われる。

駅から海に向かって下ってゆくと、かつては鰊や昆布の交易、北方ロシアとの取引で賑わった地域が現れる。海岸近くの運河に沿って大きな倉庫群が連なっている。しかし、その多くはもはや倉庫の役割を終え、主として観光客相手の地元産品の店や食堂のようなガランとした店が並ぶ。春とはいえ、風は肌を刺すような冷たさだ。昼間はまだしも、夕刻には人影も少ない。

夜になって、かつて訪れたことのある一角を訪ねてみた。街灯も少なく、街は暗闇に沈んでいる。かつては町の中心であった。車がかろうじて通れるほどの狭い道には残雪が凍りつき、慣れないよそ者には大変歩きにくい。路上に人影はなく、店内も閑散とした店が並んでいる。店の数の多さだけが目につく。

この地の出身で何年かの修行の時を過ごした後、故郷へ戻り、昨年店を開いたという店主と話す。あたりの店は、どこを見ても、これで店が成り立つのかと思う人の入りだが、故郷が持つ力は不思議なものだ。客との何気ない会話にも都会では感じられない温かみがある。その日の客は私たちだけだという。明日は地元の高校の卒業式なので、少し騒がしいですよとの店主の言葉。しかし、その後は今晩とあまり変わりないようだ。それでも手を抜くことなく、丁寧な仕事ぶりに、もう一度来る機会があればと思う。それまで、ぜひ残っていて欲しい。帰り際にはシェフの主人とスタッフ一同が一段と寒気が増した戸外へ出てきて、その日唯一の客を見送ってくれた。東京などではもう見られない情景だった。



 

 

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「いかさま師」が生きる時

2017年03月09日 | 午後のティールーム


EN COUVERTURE
Leonard de Vinci (1452-1519)
Saint Jean Baptiste
Vers 1508-1519
huifle sur bois, 69 x 57 cm
Coll. musee du Louvre 

レオナルド・ダ・ヴィンチ
洗礼者聖ヨハネ』
Grande Galerie
表紙以下のイメージは同誌所収の紹介論説から引用。

イメージ拡大は画面クリック

 

 

着のルーヴル 美術館の月報 Grande Galerie, Le journal du Louvre (dec 2016-Janv/Fenv 2017)を眺めていると、興味深い記事に出会った。下掲の写真から、なんのことかお分かりでしょうか。

 

 

 なんとなく事務室のような空間に大きなパネルが置かれている。よくみると、その一枚は、あのジョルジュ・ド・ラトゥールの「クラブのエースを持ついかさま師」のコピーではないか。さらに読んでみると、どうやらルーヴル美術館とパリ市内の病院の協定で、の作品を様々に活用することで、病院の雰囲気、サービス環境、さらには治療効果の改善にも寄与しようとする試みのようだ。真作を展示することは困難があるとはいえ、3D技術なども活用して作品の面白さを見る人に提示しようと試みている。


このラトゥールの作品なども、痛み、恐れ、憂鬱、退屈などの病院にありがちな雰囲気を変化させ、患者に好奇心を抱かせ、自ら考え、回復への自立支援に役立てようとの視点から選び抜かれた主題といえる。フランスではあまりによく知られた作品ではあるが、実際にゆっくりと鑑賞した人はすくないだろう。

この作品は、17世紀の世俗画の範疇に入るが、見方によって現代に通じる多くの含意を読み取ることができる。戦争、飢餓、悪疫など、歴史的にも稀な危機の時代だった。その中で人間はいかに生きるべきか。

病院に展示されるルーヴル美術館の作品は、これに限らず、プロジェクトを企画した者が考え抜いたものだ。なかにはミロのヴィーナス像まで入っていて、病院の中庭に置かれている。思いがけない所で、予想もしなかった美しい作品を目にした関係者は、それぞれの立場で多くのことを考えるだろう。

 

美術館と病院の連携というのは、きわめてユニークだ。心身ともに不安や苦痛を抱えた患者も、診療や待機の合間に、世界最高レヴェルの絵画作品のイメージやヴィデオ解説あるいは様々に工夫された展示に接しながら、落ち着いた時を過ごすことができる。

病院の待合室は一般に雑然として、時に陰鬱な空気が漂っている。日本の病院などでも、壁に絵画作品を飾ったり、グランドピアノを置いて、日に何回かピアニストによる演奏を聞かせたりしているところもあるが、その数は少ない。これらの斬新な試みを目や耳にすることで、芸術が医療という行為やその過程に及ぼす効果を改めて考えさせられる。いつか、こうした実験の評価を知りたいと思う。


 

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ロボットから税金をとる日は

2017年03月03日 | 特別トピックス

 


今から10年以上前のことである。このブログに「ロボットから税金をとる時代は来るか:RURへの連想」というテーマの記事を書いたことがあった。その後の年月の経過と世の中の変化のスピードは想像を上回った。人間が進歩したとはとうてい思えないのだが、技術進歩の点に限ると、あながち奇想天外な思いつきであったとはいえない状況になった。最近、同じテーマを取り上げた記事に出会って、再び考えさせられた。

イノヴェーターが抱く恐れ
 今回、きっかけとなったのは、アメリカ、マイクロソフト社の共同創業者ビル・ゲイツ氏が、IT上のメディア・QUARTZのインタビュー
で示した見解だった。要約すると、近年の技術進歩、とりわけ自動化のスピードが速すぎ、適応できない労働者が多数失業するなど、社会的にも看過できない深刻な問題が発生するような状況に対して、各国政府はロボットへの課税を検討したらどうかとの問題提起だ。税収は技能再訓練や高齢者や病人の介護などを含む自動化が難しい分野での労働者の教育や医療の拡充などに使うという提案だ。世界に大変革をもたらしたこの偉大な事業家・イノヴェーターの目から見ても、この頃のロボットなどの技術進歩は省力化効果が大きすぎるのではとの不安がよぎるようだ。。

IT技術が創り出した変化は、計り知れない大きななものだ。その革新的創造に大きな貢献をしてきたビル・ゲイツの言葉だけに格別の重みがある。他方、本人は一代にして世界有数のビリオネアにもなった。ピラミッドの頂上から改めて下界を見下ろして見た時、自らも大きな寄与をした創造的破壊がもたらした凄まじい側面に気付かされたのだろうか。 

ビル・ゲイツとは異なった才能を発揮し、これもビリオネアとなり、タワーの最上階に立ったトランプ氏にも、多少同じ感想を持った。このたびのトランプ大統領の就任演説は、シナリオ・ライターの力も相当働いたとはいえ、大統領演説らしい重みを持っていた。なぜ就任当初から、こうしなかったのだろうと思わせるほどだった。骨子はこれまでのツイッター発言の内容と基本的に変わることはないのだが、見事に整理され、TVに映る大統領の顔を見直したほどだった。

アメリカン・ドリームの底辺
アイロニカルな見方をすれば、彼らは自らビリオネアへの道を駆け上がった今、その過程で無視されたり、踏み潰されてきた社会階層の惨状に多少気がついたのだろうか。この半世紀におけるアメリカの中間層の没落、格差の拡大については、その実態を垣間見てきた者として、信じがたいほどのものがある。

現代においてはラッダイトのように、目の前の新技術であるコンピューターやロボットを、自分たちの仕事を奪う敵として打ち壊す人々はいない。むしろ、その恩恵を享受してきた人たちの方が圧倒的に多いだろう。しかし、他方では新技術の展開の過程で、その省力化効果によって仕事を奪われたり、ついてゆけなくなった人々の数も極めて多い。正確さ、勤勉さなど、ロボットが人間を上回っている分野もある。

創造はコントロールできない
 ビル・ゲイツの提案は、現代の早すぎる技術の展開を社会的にコントロールする手段として、ロボット(あるいはその生産者)に課税することを検討してみたらどうかということである。しかし、これまで出てきた反応を見る限り、それに賛同する見解はあまり多くない。最大の理由は、課税は生産性改善を遅らせる、新技術の誕生、発達に悪影響を及ぼしかねないという憂慮だ。新技術には人間本来の創造性の発揮が深く結びついている。一口に言えば、「角を矯めて牛を殺す」ことを懸念するからだろうか。

新技術が雇用の数、質にとってプラス、マイナスいずれに働くかという議論は、現在のIT技術の先駆とも言える1980年代のマイクロエレクトロニクス(ME)革命と呼ばれた時期にも行われた。当時、その議論の一端に関わった一人として、改めて回顧してみると、この新技術が雇用にとって概してマイナスに働いたとは考えがたい。いうまでもなく、客観的な事後検証が改めて必要なことはいうまでもない。

当時、新技術がもたらす省力化については、技能再実修を含む教育の必要性が強調されていた。これまではロボットに人間の様々を教えこむ過程であった。しかし、舞台は大きく変わり、AIの発達もあって、人間がロボットから学ぶ時が急速に近づいている。ロボット先生と相対して、機械語を習う光景はかなり違和感がある。幸い、その日は経験しないですみそうなのだが。


References
https://qz.com/911968/bill-gates-the-robot-that-takes-your-job-should-pay-taxes/  
"Free exchange; I, taxpayer" The Economist February 25th 2017

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