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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

博物館のユリノキ

2025年05月17日 | 午後のティールーム


快晴の1日、かねて予定していた東京国立博物館へ出かけた。梅雨入り前の貴重な快晴の日である。目指すは、平成館で開催中の『蔦屋重三郎〜コンテンツビジネスの風雲児』展(2025.4.22~6.15)である。NHKドラマ『べらぼう〜蔦屋栄華乃夢噺〜』とリンクした特別展になっている。

と言っても、ブログ筆者は取り立ててこのテーマに関心があるわけではない。久しぶりの上野公園界隈、運動不足の解消もかねて出かけてみた。

初夏を思わせる晴天も手伝ってか、上野はかなりの混雑であった。土日ではなかったので、特別展も長時間待つこともなく鑑賞できた。3時間近くは館内にいただろうか。関連する展示まで含めると、一通り見るには半日近くかかるかもしれない。体力が限界になってくる。

外国人観客も多い。ドラマ「べらぼう」が放映中ということもあって、日本人には理解できたとしても、初めてこれほど多数の浮世絵を目にして、一般の外国人がどんな印象を受けたのだろう。詳しく聞いてみたい気がした。

特別展への感想は、別の機会としたい。本文だけでも385ページあるカタログは、充実していて読みがいがある。感想を記すにも、時間がかかりそうだ。



特別展もさることながら、筆者が楽しみにしていたのは、最近の上野(恩賜)公園かいわいの変化である。かなり頻繁に来ていた時期もあったが、このところ、足が遠ざかっていた。快晴も手伝ってか、木々の緑も美しく、爽快であった。

思いがけない出会いは、平成館前の大きな樹木ユリノキであった。しばらく見ない間に立派な巨木になっていた。

ユリノキ(百合の木、樹)というと、美しい草花の百合を思い浮かべるが、それとは違い、モクレン科ユリノキ属に属する落葉樹である。見上げるほどの巨木に成長していた。運よく開花期に当たり、薄いオレンジ色の花が美しく咲いていた。

銘板:
明治8、9年頃渡来した30粒の種から育った一本の苗木から明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は「ユリノキの博物館」「ユリノキの館」などといわれる。



子供の頃、不忍池で外科医の従兄とボートを漕いだ思い出が蘇る。当時見たユリノキは、辺りの普通の樹木とあまり違わなかった気がしていた。今は圧倒するような一大巨木になっている。上野公園に連れて行ってくれた従兄は数時間にわたる手術中、目前の仕事への集中と緊張感を維持するため、手術室へ入る前にグラスでウイスキーを飲んだことがあったと内緒で話してくれたことがあった。その従兄も若くして心臓疾患で世を去った。

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子供の日に思う:働く子供たち

2025年05月05日 | 仕事の情景
さら

大恐慌前にアメリカ綿工業で働く子供たちの姿を素描した作品と詩の一節。
富裕な大人の男たちがゴルフに興ずる光景を、工場の仕事の合間に眺める子供たち。
ルイス・ハインの写真と比較すると、迫真力に欠け、牧歌的な印象を与える。


The Golf Links
The Golf links lie so near the mill
That almost every day
The laboring children  can look out
And see the men at ply
Salah N. Cleghorn

ゴルフ場は工場のすぐ近くにあるので
毎日のように
働く子供たちが外を眺め
男たちが遊んでいるのを見ることができる

—サラ・N・クレグホーン

New York Call, November 11, 1917. Artist Boardman Robinson
quoted from Hindman,  pp.151-152

日本の今
身の周りに子供たちの姿がいつのまにか少なくなった。代わって目につくようになったのは、杖や手押し車を使ったり、ゆっくりと歩く高齢の人たちだ。それと筆者の周囲では、道を歩く人々の半数以上が外国人となった。外国人の子供たちだけの保育園も出来て、かなりの数を受け入れているようだ。コロナ後、明らかに日本の人口構成、そして労働市場は大きく変化した。

半世紀以上前の1960年代後半、アメリカで労働経済、社会政策の領域で研究生活を始めた頃、最初に取り組んだのは、産業革命を挟んでの子供や女性の労働の歴史と実態であった。工場や農場、街路など、いたる所で働いていた子供たちの姿が目に浮かぶ。過酷で悲惨な現実とそれに立ち向かう女性を含む大人や子供たち、そしてその絶滅のための立法改革に向けての動きが筆者の頭の中を絶えず去来していた。

アメリカでは、1938年、公正労働基準法(Faor Labor Standard Act; FLSA)が制定され、最低賃金、時間外労働の割増賃金、児童労働の禁止などが定められた。
公正労働基準法は、1938年にアメリカ合衆国において制定された連邦法であり、1940年に発効した。フランクリン・ルーズベルト大統領によって、この法律は1935年の米国社会保障法以来、最も重要なニューディール政策として讃えられた。米国労働局報告書『米国における女性および児童賃金労働者の状況に関する報告書1910-1913』19巻は、この当時の女性、児童労働の実態を知るには欠かせない。


画像の迫力:ルイス・ハイン
当時は未だPCもなく、世界の最先端といわれたコンピュータ学部でも、入力は紙に穴を開けるパンチ式と言われる手数を要するものだった。児童労働に関わる一次資料は豊富だったが、大変読みにくいマイクロフィルムに収録されており、今日のPCの画面の鮮明さ、操作性の容易さと比較すると、コピー1枚をとるにしても、およそ想像し難い労力を費やしていた。僅かに救いとなったのは、ブログでも何度か取り上げた有名な社会写真家ルイス・W・ハインが撮影したおよそ7,000枚の写真を見ることであった。そこには時代を超えて、さまざまに働く子供や女性の姿があった。

ハインの写真は、アメリカの産業化時代に存在した児童労働の実態を生き生きと証明しているだけでなく、過酷な労働条件の下で懸命に働いた子供たちの若さ、貧困、絶望のさまざまな場面を印象深く伝えていた。

史料探索に今日では考えられない時間と労力を要しただけに、そこに写された子供たちの表情、粗末な衣服、労働環境を見るたびに、児童労働の根絶は世界が取り組まねばならない最重要課題のひとつと信じて疑わなかった。しかし、時が過ぎ、世界の近年の動きを見ると、前々回に記したように、児童労働が新たな形で復活しつつあることを知らされ、その根源の根深さに呆然とさせられた

2021年に発表された『児童労働:2020年の世界推計、動向、前途』によると、緩和策を講じなければ、パンデミックによる貧困の拡大の結果、2022年末までにさらに890万人の子どもたちが児童労働に従事する可能性があるとされている。

今、世界で児童労働は根絶するどころか、新しい様相で復活しつつある。終わることのない凄惨な殺戮と破壊が続く傍で、子供たちがさまざまな形で働くようになっていた。歴史の軸は明らかに逆転をしている。


REFERENCE
「働く子供たち:未来を奪う現実」『朝日新聞』GLOBE, 2025 年5月4日

美術史家、東北大学名誉教授、田中英道先生が4月30日、お亡くなりになった。謹んで哀悼の意を申し上げます。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの日本における最初の本格的な紹介、研究者として、ブログ筆者は多大な影響を受けた。不思議なご縁だが、筆者は田中先生の下掲のご著書が刊行された1972年、パリに滞在中であり、同年オランジェリーで開催されたラ・トゥールの歴史的回顧展を見る機会にも恵まれた。更に、同先生は筆者が後年勤務した大学でも教鞭をとられていた。不思議なご縁に驚くばかりである。

田中英道『冬の闇-夜の画家ラ・トゥールとの対話-』新潮選書(新潮社、1972年)
田中英道『ラ・トゥール 夜の画家の作品世界』(造形社、1972年)

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