時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

急転・切迫するアメリカ不法移民問題

2010年07月31日 | 移民政策を追って

アメリカ最近の世論調査:「あなたはすでにアメリカに居住している不法滞在者にアメリカ市民としての法的地位を与えることに賛成ですか、反対ですか。」
賛成: 59%
反対: 39%
分からない: 2%
Source May 7-11 2010, A P-GfKPoll.

  包括的な移民法改革への意欲を喪失しかけていたオバマ大統領だが、この2-3日の間の急変に、中間選挙後の来年度延ばしという悠長な構えでは間に合わなくなってきた。不法移民に厳しいアリゾナ州不法移民対策法(SB1070)の施行(7月29日)の前日、7月28日に、連邦地裁は条文の大部分を差し止める仮処分命令を下した。

 これに対して、アリゾナ州政府(州知事ブリューワー氏)は29日、仮処分命令に対する不服申し立てを連邦控訴裁判所(高裁)へ提出した。州法が復活する可能性もある。かくして、不法移民問題は、違憲審査という連邦レベルの大きな課題として急浮上してきた。

  アメリカ経済の回復に伴わない雇用改善に、いらだちを強めている国民は、不法移民へ厳しく対応するようになっている。これは最近のイギリスなどにも見られる変化だ。アリゾナ州の新法に賛意を表する国民や他州民は多い。いくつかの世論調査が示すように、国論はほぼ二分している。アリゾナ州法に近い州法制定を考えている州は18州に上るといわれる。ブリューワー・アリゾナ州知事の人気は急上昇している。

 他方、ヒスパニック系を重要な票田と考えるオバマ陣営、そして野党である共和党も同様に、急転、移民問題を重視し始めている。アリゾナ州新法に強い反対の意を表明したオバマ大統領としては、ブッシュ政権以来の「包括的移民改革」の路線を基本的に踏襲する以外に道はないが、高まる反移民という動きにいかに応えて行くか。医療保険改革に劣らない、アメリカ社会の仕組みを大きく変える可能性を秘めた問題だ。

  医療保険改革の議論の折に、オバマ大統領が大統領選に敗れたマケイン上院議員に「選挙は終わった」と宣告した折のマケイン氏(アリゾナ州)の表情が印象的だった。二人の間に超党派の協力が生まれる可能性は少ない。マケイン議員は移民法改革への熱意を失ったのか、すでにかつての改革案を提起することをやめてしまっている。故ケネディ上院議員亡き後、与野党が連携し、超党派で法案をまとめ上げるだけの政治力を持った議員は少ない。オバマ大統領はアリゾナ州の問題を軽く考えすぎた。移民問題はアメリカの政治・社会を大きく揺り動かす可能性を秘めている。この2-3ヶ月の議会の動きから目を離せない。

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火を吹いて酷暑を忘れる

2010年07月28日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋


 気象情報が記録的猛暑かと予報するある一日、かねて予定していながらなかなか機会に恵まれなかった『カポディモンテ美術館展:ナポリ・宮廷と美』(国立西洋美術館)に出かける。この美術館自体は一度訪れたことがあるのだが、その華麗さには感銘したが、さほど強く印象に残る作品には出会わなかった。まだ若い頃で関心の在処も今と異なり、他に見たい所が多数あったことに加えて、南国の気候が影響して少し集中力を欠いていたのかもしれない。その注意力不足の一端を図らずも今回発見した。



エル・グレコ 『燃え木でロウソクを灯す少年』
Domenikos Theotokopoulos El Greco.
Ragazzo che accende und candela con un tizzone (El soplón)
1570-72, oil on canvas , 60.5 x 50.5cm Q192



 今回の美術展で、展示されているこの小品を見た時、即座に思い出したのが、下に掲げるラ・トゥールの「火を吹く少年(坊や)」と題する作品だ。この「火を吹く少年」のテーマが当時のバセロ家の好みで、ルーベンス、テルブルッヘンなども同種の作品を制作していることは知っていた。大きな宗教画などの大作は購入できないまでも、裕福な個人が家族の心のゆとりと豊かさを求めて制作を依頼したのだろう。特に、宗教上の理由があるとは思えない。少年が暗闇の中で、手で風を避けながらランプの火を吹いておこしているだけの光景だ。しかし、目を細め、口をつぼめて無心に火を吹いている表情がなんともほほえましい。わずかな光に映し出された衣服の陰影も美しい。ラ・トゥールの作品らしく、闇と人物の調和が絶妙だ。居間にでも一枚架けられていたなら、さぞかし心も和むことだろう。

 このラ・トゥールに帰属する作品は、1960年、セムル Semurで個人の所蔵品の中から発見され、19世紀末までその家が所有していたが、1968年にラ・トゥールという画家を歴史の闇から救い出した、あの
ヘルマン・フォス Hermann Voss が、ラ・トゥールの真作と鑑定。その年ブランヴィル家(Pierre & Kathleen Branville)が取得し、同年のオランジェリー展にも出品された。筆者はここで初めて、この坊やに対面したことになる。

  他方、上掲のエル・グレコの作品、現地で見た記憶はどうもない。改めて来歴を見てみると、画家の確定を含めて、かなりの変遷をしたようだ。ローマのファルネーゼ家のお抱え画家ジュリオ・クローヴィオに帰属されていたが、その後、フランス軍の略奪、ローマの美術市場での発見された後、ホントホルストの作品ともされた。確かに、ホントホルストとしてもおかしくない。ヴェネツイア派のヤーコポ・パッサーノに帰属されたこともあったようだ。

  その後、1852年になってエル・グレコの作として帰属された。エル・グレコは1570-72年頃に、ローマのフアルネーゼ宮に滞在しており、その当時の作品とみられる。

  このエル・グレコの作品は、下掲のラ・トゥール作品よりも光の効果が多用されている。燃え木の光が少年の容貌、衣服の細部を微妙な影を伴って映し出す情景は、なんとも美しい。宗教的含意などは感じられないが、光の持つ効果が最大限に試みられている。



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『ランプの火を吹く坊や』
Georges de La Tour. Le Souffleur a la Lampe.
A Boy Blowing on a Charcoal Stock
Musée des Bealux-Arts, Dijon (Granville Bequest)
Oil on Cambus 61 x 51 cm, Signed [Or. 16]

 同じテーマを扱いながら、エル・グレコの作品も、ラ・トゥールの作品もそれぞれの画家の画風の差異が明瞭に感じられて、甲乙つけがたい。この二枚の作品の文化史的関連について、管理人はひとつの仮説を持っているのだが、長い話になるので今回は省略する。いずれにせよ、酷暑を避けて、暑さしのぎに出かけた美術館で、火を対象として描いた作品を眺めていたが、暑さなどすっかり忘れていた。格別の銷夏法だった。

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失われたエネルギー:アメリカ移民法改革

2010年07月24日 | 移民政策を追って

 政治家の人気は移ろいやすい。オバマ大統領当選の頃のあの熱狂的人気は、どこへ行ってしまったのだろうか。この頃の日本の首相ほどではないが、アメリカでも大統領支持率は著しく低迷している。  

 オバマ大統領は、大事業であった医療改革はなんとか形をつけたが、アメリカが関わるイラク、アフガニスタンの状況は、ヴェトナム戦争以上に暗澹としている。このことは何度か、このブログでも記した。大統領は最近ではメキシコ湾岸の原油流出事故への対応で日夜忙殺され、大分消耗したようだ。訪米したキャメロン英首相との対話も精彩を欠いていた。  

 先延ばしにしてきた移民問題は、アリゾナ州での保護主義的な州法制定などで、やっかいなことになってきた。改革に早急に着手してこなかったつけが回ってきた。メキシコ国境に隣接する諸州は、目前の問題に自分で対応するしか方法がなくなってきたのだ。  アメリカ国内に居住する不法移民の数は公称1,100万人に達している。一時は全員を一度出身国へ送還するという強硬案まであった。ブッシュ政権下では、犯罪歴がないなど、一定の条件を設定した上で、審査し、段階的に合法的なアメリカ国民へ組み込んで行くという「包括的移民法改革」の方向へほぼ収斂してきた。しかし、レームダック化したブッシュ政権は法案成立にいたらず退陣した。  

 オバマ政権は移民問題へは、ほとんど実質的に着手することなく、今日になってしまった。今では、不法移民へ強硬な対応を主張する共和党議員もおり、国内に滞在する不法移民へ全面的なアムネスティを与える環境にはない。唯一、手がかりとなりうるのは、ブッシュ政権末期から具体化してきた「包括的移民法改革」といわれる方向でなんとか改善を図るしかない。全体的方向として、移民法改革に関するかぎり、オバマ政権とブッシュ政権の間に政策方向として実質的な差異はない。  

 ここまで煮詰まっているのに、オバマ大統領は中間選挙前に改革に着手する気はないようだ。実際、未だ法案も提示していない。口頭でいわば約束手形を与えた程度の対応しかみせていない。  こうした状況を生み出しているいくつかの点を指摘できる。かつて、亡くなったテッド・ケネディ民主党上院議員と超党派で法案成立を試みたジョン・マケイン共和党上院議員のような蜜月状況は、いまや消滅してしまった。マケイン議員は大統領選後、元の保守路線へと戻っている。他の共和党議員にマケイン議員に代わるような動きはほとんどない。  

 最大の問題は、不法移民の大部分を占めるヒスパニック系への配慮だ。11月の中間選挙を目前に控え、彼らの支持を確保することは、人気低落のオバマ政権にとって欠かせなくなった。先の大統領選においても、ヒスパニック系選挙民へは最大限の配慮をはかった。移民法改革はアメリカにとどまらず、多くの西欧諸国でも複雑な反応を引き起こしかねないため、選挙前には課題としたくないのだ。  

 他方、改革着手を先延ばしにしてきたがために、アリゾナ州などで不法移民、とりわけヒスパニック系に厳しい州法が制定されるようになった。オバマ大統領は連邦最高裁の違憲判決を期待しているようだが、国民の60%近くはアリゾナ州法に支持を表明している。ヒスパニック系住民がこうした厳しい州法へ反対していることはいうまでもない。  

 オバマ大統領は、包括的移民法改革への輪郭だけはなんとか維持しているが、それを早期に実現しようとの熱意はすっかりさめてしまっているようだ。11月の中間選挙票に影響しかねないデリケートな問題は手をつけないだろう。なんとか問題を荒立てることなく、2011年まで持ち越そうというのが、次第に見えてきた現政権の選択のようだ。しかし、ヒスパニック系に限らず、最近の農務省勤務の黒人女性に対する差別的処遇をめぐる事件のように、人種差別への国民的関心が高まっている気配もある。移民法改革へのエネルギーは明らかに失われているが、思いがけない出来事から急転する可能性は残されている。失われた移民法改革へのきっかけをどこに見出すか。オバマ大統領を待ち受ける次の課題だ。

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酷暑からの連想

2010年07月20日 | 絵のある部屋

  
  パリから着いたばかりの友人夫妻と会う。今年はフランスも大変暑いらしい。完全に夏バテ状態だったという。日本は涼しいと思っていた?が、あいにくこの列島も梅雨明け、酷暑の状態となった。ヨーロッパばかりかアメリカも暑く、先日ニューイングランドへ戻った別の友人のメールも、ひどい暑さと伝えてきた。どうも地球を熱波が襲っているようだ。酷暑で報じられる熱中症に関連して、ひとつ話題が生まれた。最近明らかにされた16-17世紀の画家、カラヴァッジョの死因についてのニュースだ。

  芸術家の場合によく見られるように、一般に時代を遡るほどに、その生涯の詳細は分からない部分が多くなる。その生涯に、ほとんど自分の作品が世に認められることもなく、一生を終わった画家も少なくない。確認することは難しいが、実際にそうした画家はきっと多いのだろう。他方、その時代には大変有名な画家であっても、時代の経過とともにすっかり忘れられてしまった場合もある。 

 有名な画家でも、最初の作品が世に認められるまでの年月になにをしていたのか不明なことも多い。このブログでしばしば登場するベランジェ、ラ・トゥール、プッサンなどにしても、その生涯の輪郭が浮かび上がってきたのは、作品が世に認められたり、成人して教会関連の代父や保証人など、記録に残るような役割をつとめた時からだ。

情報に恵まれた現代の人たち 
 大変興味深いことは、しばしばその画家と同時代 contemporary に生きていた人々よりも、現代人の方が、画家や作品についてよく知っていることだ。情報量が格段に増加、蓄積されてきた結果だ。これは美術史家、批評家、美術館学芸員、画商、鑑定者、収蔵家など、多くの人々の努力の集積がもたらしたものだ。カラヴァッジョばかりでなく、フェルメール、ラ・トゥールなどについても、少しずつ新たな知見が増えている。 

  カラヴァッジョに話を戻そう。今では16-17世紀を代表する大画家のひとりだが、画家が生存し、活動していた時にはどんな人間であるか、一部の人々の間でしか知られていたにすぎなかった。この画家に限ったことではないが、当時のヨーロッパにおける情報の普及の過程は、きわめて興味深いテーマだ。 

 カラヴァッジオは1610年7月18日か19日のいずれかにイタリア、ポルト・エルコレ で一生を終わった。画家を知るものは誰も看取ることなく、収容されていた修道院での孤独な死であったので、正確なことは伝承以上に分かっていない。しかし、今の人々は少なくもこの画家に多少の関心を持つかぎり、当時の人々よりも画家のことをはるかに良く知っている。

 近年、イタリアとマルタでの調査が進行した結果も反映している。これまで画家の死因は、灼熱の太陽の下で時に無謀とも思われる旅を続ける途上、熱病(映画などではマラリア)にかかって急死したとされていた。しかし、ローマで今年6月に発表された画家の遺骨の検視結果によると、死因は直接的には熱射病だが、すでに罹病していた梅毒と彼が絵の具に混入していた鉛中毒の結果がもたらした結果だったようだ。画家の破天荒で乱れた生活ぶりは、今日まで伝わっているから恐らくその通りだろう。 

 カラヴァッジョは死亡に先立つ9ヶ月前、自分が犯した殺人に絡み逃亡したが、復讐をはかるマルタの刺客に追われ、ひどく傷つき、ナポリ郊外の庇護者の別荘で療養を続けた。その後、ローマへ戻ることを企てた。しかし、身体は回復していなかった。ローマに近い港町ポルト・エルコレまでやっとの思いでたどりついたが、炎天下に追っ手や窃盗を避けながらの旅は厳しく、熱射病にかかったのだろう。土地の修道院で看病されたが、その効なく38歳で死亡した。遺骸の引き取り手もなく、近くの墓地に埋葬された。 今回の調査は、この遺骸を精査した結果のようだ。 

 カラヴァッジョは生存中は毀誉褒貶が甚だしい画家だった。その作品が広く評価されるにいたったのは、画家の死後かなり経った後だった。聖人を聖人らしく描かずに市井のモデルを描いたことを嫌う画家もいた。  

蓄積される知見
 ベランジェやラ・トゥールのように、日本では注目度がいまひとつの画家についても、少しずつではあるが新しい知見が付け加えられている。ラ・トゥールは夫妻ともに1652年1月に相次いで死去している。死因は公的記録では簡単に肋膜炎(胸膜炎)pleurése とされているが、当時の状況から感染症のインフルエンザなどが死因だったのではないか。享年59歳というのは、彼の生きた苛酷な時代では長生きした方であった。この時代の疫病に関する研究も進んでおり、新たな情報が付け加えられる時もくるかもしれない。

 こうした画家たちが今、自分たちの生涯の記録を見る機会があるとしたら、一体何と言うだろうか。

 

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仕事と道楽

2010年07月15日 | 労働の新次元


 雇用情勢の厳しさは、緩和されることなく続いている。政治の行方はまた混迷してきた。こうしたことを反映してか、就職にかかわる相談やプロジェクトが増えてきたような気がする。

 最近は、その中で仕事にやりがいを感じられないという訴えに注目してきた。人生における仕事の占める重みは大きい。仕事がつまらない、関心が持てないということは、働く本人にとっても、経営者にとっても不幸なことだ。自分のしていることが、社会の役に立っているのか分からなくなったという感想も聞かれる。

 世の移り変わりとともに、仕事そして職業の内容も大きく変化してきた。当然、労働者や経営者の仕事についての考え方も変化してきた。その中でどうすれば、自分の仕事や職業にやりがいを見いだせるのだろうか。毎日が充実し、楽しくてしかたがないという恵まれた仕事はなかなか見つかるものではない。仕事がやりがいがないという問題にどこで線を引くかは、判定上かなり難しいところがある。さまざまなことを考慮しなければならない。答は簡単には見つからない。

 しばらく前から少しずつ読み直している夏目漱石の著作で、興味深い小品に出会った。『道楽と職業』というタイトルで、明治44年8月に明石で行われた講演を書き下したものだ。「道楽」と「職業」という一見奇妙な組み合わせに惹かれた。この作品、時代が時代だけに、今日では不適切と思われる表現も含まれているが、その点に留意して少し紹介してみる。(ここでとりあげる問題以外にも興味深い点が数多く含まれているが、詳細は原作をお読みください)。そこには現代にも十分通じる労働観や仕事観が平易な言葉で述べられている。

 漱石は冒頭、次のように云う。「道楽」という言葉が与える意味は、受け手によってかなり変わるかもしれない。そして、次のように述べている。「道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない。もう少し広く応用の利く道楽である。善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分かるだろうと思う。」 

 このように、飄々として行方定まらぬような出だしから、結論につなぐ話し方は、さすがなものだ。漱石は先ず、日本に今(明治末の段階)職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に増えているかということを知っている人は恐らくないだろうと述べ、産業の発展に伴い、多数の新しい職業が生まれていることに言及する。そして、学卒者などの仕事を求める人が、その変化に対応できていないことを指摘する。せっかく苦労して大学などを卒業したのに、職に就けず親元で無為に過ごしたりしている人たちである。明治末年、100年近い昔にも似たような問題はあったのだ。

 この問題に対応するために、漱石は「かつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。」と述べる。別にこの考えにならったわけではないが、今日多くの大学は「キャリア教育」などと称し、学生に世の中の職業に関わる情報を提供するサービスを行っている。それがどれだけ信頼に足るもので、意義があるかはかなり問題なのだが、ここではとりあえず触れない。

 さて漱石は、専門化の進展とともに、博士の研究のように「多くは針の先で井戸を掘るような仕事をする」ことが増え、「自分以外に興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思えます。」と、「末は博士か大臣か」といわれた当時の世の風潮を皮肉っている。博士を拒否したといわれる漱石の面目がうかがわれる。

 他方で、文明が発達して行くにつれて、人間の相互の依存関係も深まり、「自分一人ではとても生きていられない人間が増えている。」、そして 「内情をお話すれば博士の研究の(中略)現に博士論文と云うのを見ると存外細やかな題目を捕らえて、自分以外に興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思えます。」 とも述べている。こうして一方では便利になる反面、暮らしにくくなる世を乗り切る道として、「我田引水のように聞こえるが、本業に費やす時間以外の余裕を挙げて文学書を御読みにならん事を希望するのであります。」と述べる。ここまできて、漱石先生の掌中に取り込まれたなと思い当たる。

 漱石はさらに続けて、「文明が発達して行くにつれていやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違いないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。」 ここで、読者は「道楽」と「職業」の間に惹かれた厳しい一線にはたと気づかされる。

 この厳しい世の中で道楽を追求するには、自分の意志の確立と対象への専念が不可欠だ。自分の仕事に興味を見いだせない人は、この点を良く考えてみることが必要なのだろう。道楽という概念、思想を、現代の職業の中にどれだけ取り込むことができるか。先が見えなくなり、やりがいが感じられなくなっている仕事に光を取り戻すために、道楽の要素をどれだけ取り込めるか考えることは、大きな意義があるように思える。


 

夏目漱石『道楽と職業』、明治44年8月明石にての講演

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ロレーヌの画家ベランジェを追って

2010年07月10日 | 絵のある部屋

  日本で開催される西洋美術展の実態を見ていると、選択される画家や時代がかなり偏在していると思う。時代では印象派以降がきわめて多い。画家の名前が知られ、分かりやすいこともあるが、またかと思うこともしばしばだ。オランダ絵画というと、いつもフェルメールを借りてくる。レンブラントより見た人が多いのでは。企画もマンネリ化している。最近もわざわざ時間を割いて出かけたが、失望した展示がいくつかあった。集客を第一とする企画とそれによって創り出された日本人の好みが相乗効果をもって影響していることはいうまでもない。近年は多少変化の兆しもあるが、これまでの国内研究者の専門化の弊害もかなり影響していると思う。

 こうした傾向に多少反発(?)して、日本ではあまり知られていない画家や忘れられた作品に、少々関心を持ってきた。 そのひとりが、ジャック・ベランジェJacques de Bellangeだ。17世紀最後のマニエリストといわれる銅版画家である。日本では美術史の専門家でも知る人は少ない。少し旧聞になるがその企画展が2008年から2009年にかけて、あのヴィック・シュル・セイユのMusée departemental Georges de Latour とナンシーのMusée Lorrainで開催された。

 ベランジェは、もしかしたら、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールがその工房で画業修業をした可能性もある、この時代(17世紀初め)の大画家のひとりだ。ロレーヌ公の画家でもあり、当時はヨーロッパでも著名な画家・銅版画家だった。しかし、時代の変化とともに、ラ・トゥールと同様に急速に忘れられていった。

 そして20世紀に入って、少しずつ注目を集め、再評価されるようになった。油彩画家でもあったが、作品はほとんど失われ、わずかに残る銅版画が今日に継承されているにすぎない。フランスでも小規模な企画展が2001年レンヌ、2004年パリで開催されている程度だ。しかし、その作品を見た人は、その絶妙な美しさに魅了される。どこの国の人を描いたのかと思われる不思議な衣装と容貌の人々。トルコなどイスラム系らしい人々の姿も描かれている。実際にモデルがいたのか、判然としない不思議な姿をした人々。宮廷人と思われる美しい貴婦人たちの不自然なほどに膨らんだ衣装。現実と空想がどの程度まで混じり合っているのか、興味は一段と深まる。



Jacques Bellange. L'Annonciation. Eau-forte rehaussé au burin
335 x 314 num au trait carré
Nancy, Musée Lorrain.


 2008年から2009年にかけて、開催された企画展カタログでは、ラ・トゥールが『辻音楽師の喧嘩』の着想を得たと思われる、あのちょっと驚く光景が表紙になっている
。ラ・トゥール研究の大御所でもあるピエール・ローザンベールが紹介を書いている。

  企画展のタイトルが「ジャック・ベランジェ:線の魔術」と題されているように、この画家の版画の線は絶妙に美しい。今日の目で見ると、エキセントリックとも思える作品もあり、決して万人向きの版画ではない。好き嫌いはかなりあるだろう。しかし、17世紀初め、当時(contemporary)のヨーロッパの人々が、どこに魅力を感じたのか、時代を遡って考えることが必要だ。ラ・トゥールと同時代の銅版画家ジャック・カロにつながるところでもある。ベランジェについては、なにしろ、ラ・トゥール以上に作品も史料も残っていないので、謎が多い画家だ。ある年彗星のように現れ、また消えていった。その有り様はラ・トゥールと似たところもある。新たなカタログでもこれまでの情報に付け加えられるところは少ないが、年譜の整理、充実などがなされている。なによりも、忘れられていた画家のひとりが新たな観点から見直され、そのあるべき場所に落ち着きつつあることが大変喜ばしい。

* Sandrine Herman. Jacques de Bellange: la magie du trait. Musée départemental Georges de Latour, Conseil Général  de la Moselle.

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ブッシュの政策しかなくなったオバマ大統領

2010年07月04日 | 移民政策を追って

 

 オバマ大統領が就任以来ほとんどなにも着手していないと批判されている分野がある。移民法改革である。最大の問題はいうまでもなくメキシコ国境の問題であり、毎日のように国境のメキシコ側での殺人事件や国境地帯でのパトロールとの衝突が報じられている。

 オバマ大統領は、無為無策との批判に、7月1日、ようやく移民法改革に着手する旨の演説を行った。
 
 新政権成立以降、連邦レベルの政策の空白に業を煮やした州や地域が独自に対応して新たな問題を生んでもいる。最近ではアリゾナ州の不法移民への厳しい対応やネブラスカ州の町での騒動が論議を呼んでいる。これらの地域には、それぞれの理由もある。アリゾナ州は不法越境するメキシコ人にとって、通過点になっている。そのためもあって、麻薬取引なども発生しやすい。アリゾナ州の厳しい新法では、アメリカ生まれのラティーノでも自動車免許証を携帯せずに外出すると、逮捕される可能性もある*1。 

 他方、ネブラスカの例*2を挙げると、この州の小さな町フレモントに最近食肉加工の工場が進出してきた。土地の安さと労働組合が組織化にあまり関心を寄せていないことが主たる理由だ。ところが、工場の進出を追いかけるように仕事を求める移民労働者が流入してきた。 

  2007年時点でネブラスカ州の外国人比率は5.6%と1990年の3倍以上になった。全体の比率としては、さほど高くはないが、移民労働者が集中する地域では問題が頻発している。たとえば2008年にはヒスパニック系とソマリア人の食肉加工労働者の間で衝突が起きている。 

  就任以来今日まで、さしたる手段を講じてこなかったオバマ大統領にとって、取り得る対応は少なくなっている。今回オバマ大統領が述べたことはほとんどブッシュ前大統領が「包括的移民法改革」として提案していた内容と変わりがない。すなわち、国境の安全保障・警備を強化するとともに、1100万人ともいわれる不法移民を審査の上、アメリカ国民に受け入れてゆくという方向だ。 

 しかし、ハッチ議員のようにこの方向に反対の議員もおり、議会も法案再検討の意欲を失っている。あのマケイン上院議員はアリゾナ州の新法に賛成しているようだ。ケネディ上院議員を失った今日、民主、共和両党をとりもつ実力者もいない。オバマ大統領としては中間選挙を控え、実質的な提案と推進の努力が求められているが、手の内にはブッシュ政権の残骸しか残っていないようだ。
(アメリカ司法省は7月6日、アリゾナ州新移民法は違憲として、同州連邦地裁に提訴した。州法は7月29日が施行日となっている。)

 ところで、日本の入国管理政策では、富裕な中国人観光客の懐頼りというさもしい施策が話題を呼んでいる。アメリカとメキシコのように、日本が中国と地続きでないことを喜ぶべきなのだろうか。



*1 アリゾナ州の新法は同州在住の移民について、外国人登録証の常時携帯を強制する一方で、不法滞在者か否かの職務質問を警官に義務づけている。


*2
Reference

'Our town' The Economist June 26th 2010

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