時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり:EU難民問題の行方(9)

2015年11月20日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


短かった夏の盛り
 夏はどうしてこれほどはやく過ぎてしまったのか。できることなら時計の針を止めたい。ドイツのアンゲラ・メルケル首相の心中を推し量る。世界は激流に翻弄されている。主要国の首脳は傍目にも忙しくなっているようだ。前回とりあげたメルケル首相の表情にも疲労の影がうかがえる。
ハノーヴァーでのドイツ・オランダ代表のサッカー親善試合は中止になり、首相が緩やかな時を楽しむ機会も奪われた。中止についての説明が不十分だとの批判も相次いだ。息つく暇を与えない変化である。

首相の座について10年目を迎えるメルケル首相は、先進主要国首脳としては抜群の長さである。しかし、難民問題の激変に、国際政治の舞台での発言も目に見えて少なくなった。国際世論を刺激しないようにとの配慮か、発言を意識的に抑えているかにみえる。難民問題がクローズアップされた9月の段階では、風は首相にとって追い風であった。しかし、いまや激しい逆風にさらされている。

今年の夏、シリアなどの難民への対応が世界的課題となった時、メルケル首相の言動は自信に満ちていた。EUに大挙押し寄せる難民に、人道主義的寛容さをもってドイツが主軸となりEU諸国で分担して受け入れるという強い信念の表明は、世界的にも歓迎されたように見えた。この考えは、戦後のドイツが醸成してきたwillkommenskultur (訪れる人に好意的・歓迎的な風土・文化)として知られてき概念と重なるものもある。今年の9月の段階で、メルケル首相はその旗手として象徴的存在に見えた。どこかロシアのプーチン首相と重なるところがあると批評されたメルケル首相には、東独時代からの冷徹な計算もあったのだろうか。

あのシリア難民の幼い子供が、波打ち際に顔を伏せて溺死していた一枚の写真が、多くの人の感情を揺り動かした。EUの難民政策に人道主義ともいうべき一条の光が射し込んだかに見えた瞬間だった。しかし、夏の日は短かった。

舞台は暗転する
途切れなく続く難民・移民の流れに、国境を閉じる国が相次いだ。これまでドイツと並んで多数の難民、移民を受け入れてきたスエーデンも、これ以上の難民受け入れはできないと表明する。EUが割り当てた移民受け入れ枠を承諾した国は、ほとんどなくなった。
フランスを経由してイギリスを目指す道も閉ざされている。

そして、決定的事件が起きる。11月13日金曜日、パリに無差別な殺戮を行う同時テロが発生した。多くの犠牲者が生まれた。判明したかぎりでは、9.11同時多発テロ以降、流行語となった homegrown terrorism (国内で生まれ育ったテロリズム)であった。首謀者はシリア、ベルギー、フランスなどを、チェックされることなく往復していたらしい。

そして、18日のサンドニでのテロリストとフランス警察との間で、互いに容赦ない殺戮へとつながった。5000発の弾丸が使われたと聞いて、言葉を失う。メディアによると、ISは19日にも、モンマルトルでのテロも計画していたといわれる。フランスは国家非常事態を3ヶ月間に延長した。首謀者も射殺されたテロリストの中に含まれていたと発表されたが、逃亡中の実行犯もいるとされ、緊張度は異様なまでに高まっている。

ロシア航空機の墜落もISの引き起こしたものであることが判明した。ニューヨーク、ワシントンでの新たなテロ活動の可能性も明らかにされた。アメリカも急遽、入国審査の強化に動き出した。オバマ大統領が目指す「包括的移民政策」も、前途が厳しくなっている。日本も標的のひとつであることが報じられている。対岸の火事どころではない。ISが世界を敵にした狂気の集団であることが明らかになった以上、標的とされている国の国民は潜在的恐怖に対する心構えが求められている。

ドイツも変わるが......
フランスのオランド大統領に次いで、当面、最も厳しい立場におかれているのが、メルケル首相であることは改めて言うまでもない。急速に高まったメルケル批判に、ドイツのとりうる選択肢も少なくなった。考え得るのは他のEU諸国あるいは世界の主要国と同様な方向への静かな転換ではないか。それをいかに行うかは、政治家としての評価につながる。逆風が吹き始めた時から、ドイツは実務レヴェルで難民の入国審査を厳しく実施し、大多数は入国を認めない政策に移行している。

難民とテロリズムを重ねることは、いうまでもなく誤りであり、それ自体危険である。しかし、難民の流れにテロリストが身を潜める可能性はかなり高いことも、すでに明らかになっている。EUの各国が国境管理を厳しくするに伴い、行き場を失った難民の鬱積した不満や怒りは、どこに向かうか。シリア難民のおよそ3人に1人は、正規のパスポートを所持しないといわれる。庇護申請者の審査に格段の時間とコストがかかることは避けがたい。

短かったとはいえ、難民受け入れに寛容であったメルケル首相の立場は、他のEU諸国とは異なるものがある。戦後のドイツには移民・難民に開かれた国であることを提示し、実現することをもって、ヨーロッパ、世界での存在意義を確立することを目指してきた。その方向をいかに守り抜くか。注目したい。

「城砦国家」化する世界
不安が支配する不条理な時代がどれだけ続くかは、誰も語ることはできない。しかし、かなり明らかなことは、世界が「城砦の時代」に逆戻りしていることではないか。各国が国境管理をきびしくすることで、国境という城壁は急速に強化され、高くなっている。EU加盟国が「バルカン化」することは避けがたい。ヒトの域内移動は著しく制限されることになる。それがEUの理想にどれだけ反することになるか。一段と見えがたくなった近未来を見通す努力は続けねばならない。ヒトの移動についてみるかぎり、世界は「城砦国家」ともいうべき高い障壁と狭い城門から出入りする17世紀的状況に逆行するかのようだ。

References

REUITERS Nov.15, 2015
US House GOP Refugee Bill

続く 

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終わりの始まり(8):EU難民問題の行方

2015年11月14日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 



  ドイツ連邦共和国のアンゲラ・メルケル首相は、今どんな思いでいるのだろうか。EUに押し寄せる難民の状況は、メディアに頼れば目前の光景のように映る。疲れ切って異国の道をただひたすら歩く人々の長い列。ほとんどの人たちは、さしたる持ち物もない。子供を連れている人もいる。母国を離れる時にはあったかもしれないわずかな金銭や貴金属、装身具なども、旅の途上で悪質なトラフィッカーなどに奪い取られていることも多い。そして、終わりの見えない旅の途上で、彼らが頼りとするヨーロッパの国々は、次々と国境を閉ざしている。不確かな情報を頼りに、彼らを受け入れてくれると期待するドイツやスエーデンを目指して歩き続ける。その行く手は急速に暗さを増している。これが21世紀の現実なのだ。このブログがひとつのテーマとしてきた17世紀ヨーロッパの光景が重なって見えてくる。

折しも、11月10日、ドイツ連邦共和国のヘルムート・シュミット元首相が逝去された。同氏を追悼して、フランスのオランド大統領は、シュミット氏を「偉大なる欧州人」と、その功績を称えた。ヨーロッパの文化の深さを感じさせた偉大な政治家であった。

シュミット氏の逝去より少し前に発行されたThe Economist (November 7th-13th 2015)が、アンゲラ・メルケル首相を表紙に掲げ、「かけがえのないヨーロッパ人」 "The indispensable European" と評していることを思い起こした。メルケル首相はいまやヨーロッパの運命を大きく左右する政治家となった。EUの多くの国が、政治、経済などの面で、分裂、不安定化し(「バルカン化」)、ヨーロッパ全体を構想するキャパシティを失っている中で、メルケル首相の率いるドイツのみがその力を保持し、影響力を拡大してきた。

見方によっては「ヨーロッパのドイツ、ドイツのヨーロッパ」となっている。これまでのドイツは、そうした評価がなされることをできるかぎり回避してきた。しかし、このたびの難民問題で、各国は自国の問題で精一杯で、今回のようなEU全域にわたる問題は、メルケル首相の力量とそれを支えているドイツ連邦共和国の基盤に期待する以外になくなっている。

2015年11月13日、金曜日
フランスのオランド大統領も、足下がおぼつかなく、独自の方向を示すことはできない。今はメルケル首相との形だけの二人三脚?で、なんとか体面を保っている。このブログを書いている時に、パリでの同時テロが勃発、フランスは国家非常事態宣言の下で、国境も封鎖されることになった。

このようなテロ活動の根源も、移民問題とどこかでつながっている可能性はある。メディアにはISの犯行との推測も流れているが、今それを確かめることはできない。ただ、フランスがこうした事態を迎え、事態の掌握と対策に手間取る間、EUを支える重責は、一段とメルケル首相の両肩にかかることになった。ドイツ国内でも、難民受け入れについては、反対の動きが急速に高まっている。そのことは、当然メルケル首相にも伝わっていることであり、ドイツ連邦共和国も国境管理を厳しくし、難民の受け入れも9月頃の状況とは様変わりしている。メルケル首相自身、事態がこれほどまで拡大、悪化するとは想定していなかったのではないか。

難民・移民問題は、その原因や結果について、経済学などの力を借りて論理的な推論は出来ても、現実にはきわめて対応が難しい政治課題だ。図らずもこれまでのメルケル首相の政治経歴を思い起こしていた。

メルケル首相の行動からみえてくるもの
2000年4月に彼女がCDU党首に就任する前から、ドイツの友人たちからアンゲラ・メルケル女史のことはかなりつぶさに聞かされ、また関心も抱いてきた。最初の党首就任当時は、大変地味な印象であった。「コールのお嬢さん」 Kohls Mädchen と呼ばれていたことも思い出した(その後は「鉄のお嬢さん」 Eisernes 。Mädchen に変わったようだ)。そのコール元首相とも、一時は対立していた。当時も今もほとんど変わらない簡素なデザインの服装で、きわめて地味な印象を与えてきた。

政治の舞台に登場した当初から、アンゲラ・メルケル首相の言動からは、亡くなったサッチャー首相や、オバマ後の大統領を目指すクリントン女史のような派手さや言動の振幅はあまり感じられない。東ドイツ出身でプロテスタント教会の牧師夫妻の家庭に生まれ、物理学の学位を持つ背景も、その後の行動様式に影響を与えたのだろうか。

政治の世界に登場した頃から今日までの政治活動を見ていると、きわめて強靱な精神の持ち主であることが分かってきた。時には保守系でありながら、驚くほどラディカルなネオリベラルな方針を維持し、ひとたび舵を切ると、かなり頑強にその維持に徹してきた面も感じられる。それでも、党勢不利などの政治的潮目における転換は、きわめて迅速であった。今回の難民問題は、事態を読み違えた感がある。しかし、事態の理解と政策の力点については確かなものであると感じられる。他の加盟国の反対も承知の上で、トルコを政策上の最大拠点に考えている。これはトルコの外交上の立場を強めることになるが、EUにとっても残された数少ない選択だろう。トルコ国内でほとんど充満状態にあるシリアなどからの難民が、トルコから一挙に流出することになれば、EU諸国の混乱はさらに加速することになる。折からG20サミットも、トルコで開催されることになっており、テロ問題も難民問題と併せて議論の俎上にのぼることは間違いなくなった。

難民・移民はそれが「問題」となる前の段階で、対処しなければならない。シリア難民のようにシリアが自らの力では事態を収拾、沈静化することができないほどになってしまうと、国民が難民、移民として国外流出することになり、国際的に問題化する。さらに、現在進行中の事態のように、ISを含めた外国勢力の争奪の場となってしまうと、もはや手遅れとなる。 シリアの内戦が終結し、海外に難民・移民として逃れた国民が母国へ戻ってくるまでには、長い年月を要することになる。

流浪の民と化す難民とEU
今回のパリの同時テロも、テロリストへの厳戒の下で起きたといわれる。国外から入り込むテロリストを未然に防止するため、国境管理は一段と強化されることは間違いない。難民への寛容な対応を説いてきたメルケル首相は、いかなる対応をみせることになるか。国境管理の強化などの対策は抜け目なく手が打たれていることだろう。次第に行き場を失うシリアなどからの難民がいかなることになるか。シリアやエトルリアの戦火が終息する見通しはまだ見えていない。混迷が深まる中で、メルケル首相は文字通りヨーロッパにとって「かけがえのない人」となった。その采配にヨーロッパはさらに依存を深めることになる。


続く

 



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終わりの始まり(7):EU移民問題の行方

2015年11月06日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方


10年一昔



日本人に理解しがたかった乱闘騒ぎ

  ハロウインのなにか虚しい渋谷駅前での大騒ぎに先だって、同じ東京、渋谷(渋谷区神宮前)でほとんど関心を集めることなく終わった、もうひとつの騒動について少し記したい。


先月10月25日の東京、渋谷のトルコ大使館前での大乱闘について、11月1日ようやくその全容が明らかになってきた。メディアが伝えるところによると、当日は4回にわたり、日本に在住するトルコ人とクルド人の間で乱闘があったようだ。彼らが集まったのは、トルコ本国での総選挙にかかわる在外投票が動機だった。集まった者の数はおよそ600人と伝えられているが、その正確な数字はもとより明らかではない。大多数がトルコ人であることは判明している。

在日のトルコ人、クルド人の間にはそれぞれコミュニティができており、かなり以前から同国人の間では投票への参加 を促す勧誘と、ネット上などではトルコ人、クルド人の間で激烈な論戦も行われていたことが明らかにされた。乱闘の現場も一部放映されたが、かなりすさまじい殴り合いだった。警官2人を含む10人近くが負傷するほどの激しいものだった。クルド人ひとりは鼻の骨を折る重症と伝えられている。


双方とも、参加者は小型のバスなどを動員して、大使館にやってきたらしい。警備に当たる警察などには当然事前の情報があったと思われるが、外国人が多くなった東京で、雑踏にまぎれてしまえば、トルコ人とクルド人とを見分けることなどとてもできない。一時はかなり緊迫した激しいい対決状況だったようだ。

トルコ人とクルド人との間にある対立の背景などを知る日本人はきわめて少ない。この突如として起きた乱闘に対してどう対処すべきか、まったくお手上げ、ただ傍観していただけであった。こうした状況は本国トルコでも近年頻発している。今回の選挙後も、クルド人が多い南東部ディヤルバクルでは、選挙結果に抗議するクルド系政党HDP支持者らと警官隊が衝突した。

過半数は事態を悪化させる?
11月2日(日本時間)には、前日11月1日にトルコで行われた総選挙の結果が日本でも報道された。結果は各国のメディアも伝える通りだが、一院制、定数550議席のうち、与党であった公正発展党(AKP)が317議席を獲得し、選挙結果は以前の258議席より59議席増加し、過半数を取り戻した。前回6月の総選挙で、2002年の政権発足時以来初めて過半数を割ったAKPが、窮余の策としてとった選挙だった。ヨーロッパの有力メディアの中には、トルコ国民はAKPには投票するなとあからさまに論じたものもあったほどだ。そのため、今回の選挙結果を想定とは異なったと感じたヨーロッパの人たちは多かったようだ。

他方、クルド系の人民民主主義党は前回の80議席から59議席へ、大幅に議席を失った。世俗派の共和人民党(CHP)は131から134議席とほぼ議席を維持した。残りは極右の民族主義社会行動党(MHP)で79から40議席へと減少した。

この数字だけを見ると、与党が目指した通り、過半数を獲得し、表向きは安定政権の基盤が確立されたかに見える。メディアはトルコの有権者は「自由」より「安定」を選択したと述べている。この場合、「自由」は、議論は活発だが、騒乱の多い、不安な社会情勢を暗示している。しかし、「安定」の象徴として国民が考えた議席数は問題を解決しないようだ。

「少数派」が今後を定める
特に、トルコの将来を左右するのは、少数派をいかに処遇するかにかかっているとみられる。なかでも、人口の約18%を占める少数民族クルド系住民にいかに対するかが死命を制する。現政権のエルドアン大統領は、今夏クルド系の非合法武装組織「クルディスタン労働者党」(PKK)の拠点への空爆を再開し、PKKも報復攻撃を繰り返してきた。2013年から模索されてきた和平交渉も破綻している。今回の選挙前にも、過激テロの爆発事件がメディアでも生々しく報道された。

トルコのダウトオール首相は10月26日、シリアのクルド系軍事組織「人民防衛隊」(YKG)を初めて越境攻撃したことを明らかにした。この意味はきわめて大きい。難民を受け入れる段階から進んで、トルコがシリアへ積極介入したのだ。トルコはYPGをPKKから軍事支援を受けるテロ組織とみなしている。他方、トルコの同盟国である米国は、シリア北部の過激派組織「イスラム国」IS 掃討作戦で、地上部隊の役割をYPGに委ねている。当事者でないと、きわめて判別しがたい難しい問題だ。選挙で失地回復したAKP政権が、国内のクルド系勢力への攻撃を強めるなどの動きに出れば、当然アメリカとの関係は緊張を強め、難しい事態となることは必至だ。

折しも、ロシアの航空機がシナイ半島で爆発、墜落するという事故が発生した。関係筋の中には、これには「イスラム国」ISが関与したとの推測が生まれ、ISの関連組織が犯行声明を出しているともいわれている。フライト・レコーダーは回収されたようだが、破損しているらしい。真相の確認は、かなり難しいと思われる。乗客の大半がロシア人であることもあって、ロシアとISの関係は一段と厳しくなることが推定しうる。今日の段階では、ロシアは慎重な対応を見せている。

トルコはおおかたの日本人が考える以上に、重要な役割を背負った国である。一般にヨーロッパというと、東はギリシャまでと考えられている。ボスポラス海峡を境に、トルコは宗教の点でもイスラムの国であり、文化の点でも東西を分かつ重みのある地域に位置している。そのトルコはEUの安眠問題の渦中で、大きな注目を集めている。

ヨーロッパが直面している難民・移民の大奔流の中で、200万人以上のシリア難民を国内に抱え込んでいるのがトルコであり、その今後のありようは、ヨーロッパの将来を大きく定める。そのトルコはかねてからEU加盟を望んできた。この小さなブログを開店したころ、トルコのEU加盟問題について、記したことがあった。その時、トルコの加盟は早くとも9年先とされていた。すでに10年近い年月が経過した。10年一昔である。分裂、崩壊の危機をはらんで大きな転機にあるヨーロッパ、そして破壊と発展が同時に進む中東イスラム社会の最前線に位置するトルコ。歴史の舞台は大きく転換しようとしている。


References

”Heightening the contradictions” The Economist October 17th 2015

”Sultan at bay" The Economist October 31st

”Voting to the sound of explosinons" The Economist October 31st 2015


続く


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