時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

新年のご挨拶

2020年12月31日 | 特別記事
古代ベコ 福島

新年おめでとうございます
良い年になりますように

2021年(令和3年)


年頭に当たって:

この小さなブログでは開設以来、「最初の危機」と言われた17世紀ヨーロッパ、そしてグローバルな世界の社会を背景に、今日まで世界史に刻まれた「危機の時代」「恐慌の時期」のトピックスをとり上げてきた。とりわけ、美術を中心としてそれを取り囲む社会・文化史的な断片を柱として記してきた。今日までこの行方定まらぬブログ記事を読んでくださった皆様に御礼申し上げたい。ブログに幕を下ろす時も遠くない。
新年、2021年が、新型コロナウイルスという新たな感染症が生み出した「世界的危機」を、ついに克服した年として、後世の世界史に刻まれるよう心から祈りたい。




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「くるみ割り人形」の舞台裏

2020年12月24日 | 書棚の片隅から


E.T.A. Hoffmann, Nutcracker, Pictured  by Maurice Sendak, London: THE BODLEY HEAD, 1984, pp.102

新型コロナウイルスの猛威に押し潰されそうな世界。多くの国で人々は外出も制限され、クリスマス・シーズンも家庭で静かに過ごすことを余儀なくされている。例年、どこからか聞こえてくる「第9」もほとんど聞こえず、全体に静かな年末だ。クリスマスで例年は賑やかなシーズンだが、外出するすることも適わないということになる。することも限られてくる

偶々、海外ラジオ番組を聴くともなしに聴いていると、チャイコフスキーのバレエ組曲『くるみ割り人形』が響いてきた。クリスマス・シーズンの西欧諸国では「第9」よりも「くるみ割り人形」の方がポピュラーだ。

バレエ音楽なので、華やかで心も多少は軽くなる。チャイコフスキーの3大バレエ『白鳥の湖』『眠りの森の美女』『くるみ割り人形』は、いずれもこのシーズンに聴いていて楽しい。

『くるみ割り人形』の組曲を聴いている間に、一冊の絵本のことを思い出した。断捨離した記憶はないので、例のごとく、どこかにあるはずと未整理の書籍の山を崩し始めた。幸い比較的大型の本であったので、なんとかみつかった。チャイコフスキーは何を手がかりにこのバレエ音楽を作曲したのだろうか。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
NB
*1 
くるみ割り人形は日本人にとってすぐに思い浮かぶものではない。元来ドイツの伝統工芸品で、テューリンゲン州ゾンネンベルク、エルツ山地のザイフェン村など、山間部の地域の特産品として知られてきた。木製の直立した人形で、顎の部分を開閉させて胡桃を噛ませ、背中のレバーを押し下げて殻を割る仕組みになっている。しかし、日本の胡桃は殻が硬く、この人形では割れない。



※2 
実は作曲家ピヨトル・チャイコフスキーは、童話作家ホフマン (E.T.A. Hoffmann )が1816年に書いた童話『くるみわり人形とねずみの王様』Nusknacker und Mausekonig を思い浮かべ、作曲の発想をしたようだ(ホフマンのこの著作には複数の邦訳もある)。ホフマン版はストーリーの展開が、夢と現実の区別があいまいで想像力を掻き立てられるとの評があるが、かなり難解のようだ。ブログ筆者はホフマン版を読んだことはない。チャイコフスキーが直接参考にしてしたのはホフマンの原作ではなく、アレクサンドル・デュマによるフランス語版小説(小倉重夫訳「くるみ割り人形」東京音楽社、1991年)とされている。さらに、チャイコフスキー作曲、プティパの振り付けで成功を収めた『眠れる盛りの美女』(1890年)の次作として、サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場の支配人であったイワン・フセヴォロシスキーが構想し、チャイコフスキーに再度作曲を依頼したものであった。
チャイコフスキーが作曲したのはバレエ音楽であり、演奏時間は短く約1時間半(作品番号71)くらい。バレエ組曲ならば約23分である。

初演は1892年12月18日、サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場だった。

当初はあまり人気が出なかったが次第に盛り返し、チャイコフスキーの主要作品のひとつとなった。バレエばかりでなく、多くのアニメ、映画、音楽作品が生まれている。

余談ながら「外出自粛の夜に オーケストラ孤独のアンサンブル」(NHK BS 2020/12/30)でも「花のワルツ」を演奏している奏者もいましたよ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、このブログ記事で取り上げている絵本は、ホフマンの作品をモーリス・センダック Maurice Sendack が児童向け絵本として描いたものだ。ストーリーも挿絵もなかなか面白い。しかし、英語は1800年代のもので、それほど容易ではない。センダックは2012年に没した。

ストーリー自体は、子供向けとのことだが、(子供の心を持った)大人が読んでも結構面白い。話しはクリスマス・イヴから始まっている。音楽を聴いている人でも、ストーリーを知る人は不思議と少ない。しばし、コロナ禍を忘れ、音楽を聞き、メルヘンの世界に浸るには格好の一冊といえる。







Contents
INTRODUCTION
CHRISTMAS EVE
THE PRESENTS
MARIE'S FAVORITE
STRANGE HAPPENINGS
THE BATTLE
MARIE'S ILLNESS
THE STORY OF THE HARD NUT
THE STORY OF THE HARD NUT CONTINUED
THE STORY OF THE HARD NUT CONCLUDED
UNCLE AND NEPHEW
VICTORY
THE LAND OF DOLLS
THE CAPITAL
CONCLUSION
ACKNOWLEDGEMENTS
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繁栄の意味を考える:黄金時代のオランダ文化

2020年12月14日 | 書棚の片隅から


Simon Schama, The Embarrassment of riches: An Interpretation of Dutch Culture in the Golden Age, Vintage Books, New York: NY., 1987, 698pp.
サイモン・シャーマ『富の恥ずかしさ:黄金時代のオランダ文化の解釈』
ニューヨーク:ヴィンテージ・ブックス、1987年、698ページ 表紙


Original: Jan Steen, The Burgher of Delft and his Daughter, 1655, "Private collection, United Kingdom"

“Let those who have abundance that they are surrounded with thorns, and let them take great care not to be pricked by them.”
John Calvin
Commentary on Genesis
13:5・7
(上掲書引用)

初めから終わりまでコロナに翻弄された一年となったが、終息の先はまだ見えない。他方、人生の終幕までにしておきたいことも少なからず残っている。

このブログを開設した動機のひとつとなった17世紀ヨーロッパ美術への好奇心は依然強く、もう少し追いかけてみたいことがある。

いくつかの関心事がある。唐突に聞こえるかもしれないが、そのひとつは、この時代、ヨーロッパの中心的存在であったオランダの評価である。スペインやポルトガル、フランスなどをしのいで繁栄を誇った。繁栄を享受、牽引する中心地は時代とともに変化する。

17世紀オランダはしばしば黄金時代と呼ばれるが、見方によると、ヨーロッパという「困窮の海に浮かぶ小さな繁栄する島」のような存在だった。多くの旅行者などが驚いたように、市民の住宅は小綺麗に飾られ、衣服、食べ物なども豊かであった。美術、科学、建築、印刷などの領域で優れた成果が目立った。

17世紀半ばまでにアムステルダムは、ローマのサンピエトロ寺院、スペインのエスコリアル宮殿、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿だけが規模や壮大さでそれに匹敵するほどの大きさの新しい市庁舎を建設した。富、力、文明の高水準を達成した象徴ともいうべき建物である。



Gerrit van Berckheyde, The Dam wuth the Town Hall, Amsterdam, Rijksmuseum

人口200万未満の三角州に、膨大な富が吸い込まれていった。地理学的には決して恵まれた場所ではない。そこで膨大な富と繁栄を生み出したものはなにだったのだろうか。富を追い求めること,そして富んでいること自体は恥ずかしいこと、当惑することではないのか。サイモン・シャーマ(ハーヴァード大学歴史学教授)が、本書で掲げるこの問は、現代にも通じるテーマでもある。刊行された当時、一度通して読んだことがあったが、その後は辞書のようにほとんど10年近く、机の上に置かれ、折りに触れ開かれてきた。

本書が目指したものは、17世紀黄金時代といわれるこの時期のオランダの政治経済的地位と文化の解釈である。シャーマの学問的蓄積、学殖の豊かさが十分に発揮された作品に仕上がっているといえる。圧倒的な視野の広さとバランス感覚に驚かされる。この時代のオランダ絵画というと、フェルメールばかり思い浮かぶ人があるかもしれないが、それがいかに偏っているかが分かる。それほどにこの時代の美術の広がりは多岐にわたる。本書でも美術史の範疇に入る叙述は多いが、シャーマは独学であるという。

上記の問に答える形で、シャーマはこうした膨大な資料的蓄積の上にこの作品を完成したが、通常の歴史書という範疇には入り難い。むしろ、ヨハン・ホイジンガが試みた「17世紀のオランダ文明」の遺産に関する図像的スケッチに近い。それでも、彼の壮大な研究は、オランダあるいは芸術の歴史の領域をはるかに超えている。

魅力的なパノラマ
17世紀以来、今日に継承されているオランダの宗教的規律、道徳と家庭経済の関係の探索は本書を貫くテーマである。オランダの富とその誇示的消費はシャーマの関心事であり、厳格なカルヴァン主義がもたらす抑制とこの国に生まれた富をいかに考えるかというテーマが追求されている。


Jan Steen, Saying Grace: National Gallery, London
Quoted from Scharma p.485
ヤン・スティーン 『食前の祈り』

シャーマがスポットライトを当てた点は数多い。普通のオランダ人の日常生活、飲食、衣服、個人的な持ち物、愛、礼儀などローカルな慣行、社会的問題、銀行や株式取引、家族、とりわけ子供の存在、など多彩にわたる。



Pinter Claesz., Still Life with Herring, Roemer, and Stone Jug. Boston Museum of Fine Arts, Quoted from Scharma p.160 
ピンター・クラエズ『鰊のある静物画』

それらは、多かれ少なかれ統一されたカルヴァン主義の社会における道徳的文脈の中で取り上げられ、論じられている。個々の解釈は多岐多彩にわたるが、シャーマは強制はしていない。いかなる対象も反対解釈は可能であり、その余地は残されている。

シャーマはマックス・ウエーバーの資本主義とカルヴィニズムの関係の解釈をかなり改めるとともに、黄金時代の新たな文化的解釈を提示している。オランダ人の自己認識は、神の選民に相当し、旧約聖書のイスラエルのように位置づけている。興味深いのは、地理的版図としては小国の部類に入りながらも、そこに展開する領域の振幅の大きさである。宗教的基盤という意味でも、カルヴィニズムにとどまらない。オランダのほぼ中央部に位置す 
ユトレヒトには14世紀以来の塔が残るが、カトリックの流れは、イタリアから戻った北方カラヴァジェスティの作品画風とともに、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールなどに独自の影響力を発揮した。

スペインそして自然との戦い
試練(または信仰の試練)の後には、贖いと繁栄(恵みのしるしとして)が続いた。それは彼らの叙事詩であり、カルヴァン主義の「道徳的地理」(シャーマの言葉)の賜物であった。新しいカナンに入ったイスラエルの生まれ変わった子供たちでもある。試練(または信仰の試練)の後には、贖いが続く。

オランダの道徳的地理は、絶え間ない恐れと警戒を要求した。自由と水防(水力工学)は密接に関係していた。時々、堤防はスペイン人に対して(1574年ライデンの包囲)または100年後にルイ14世の前進する軍隊に対抗するものだった。時々、堤防は外圧に耐えきれず崩壊し、土地を氾濫させた。1726年と1728年の壊滅的な洪水は、ソドムの兆候と解釈された。1731年までに、北海沿いの巨大な堤防が崩壊した。

貧しい人々、病気の人々、孤児、不自由な人々、ハンセン病患者、老人、弱者のための慈善団体が国民を支えた。オランダの社会福祉は、世界の他の多くの地域の羨望の的となった。

オランダ人はとりたてて好戦的ではない。19世紀まで、この国には騎馬像はなかった。しかも、彼らは最も非典型的である。英雄的な記念碑は単にオランダ人ではありません。地元の民兵グループは、ハールレムのフランス・ハルスによる有名なシリーズのように最も華やかなものでさえ、実際には「武装した民間人」のグループの肖像画だ。

スピッツベルゲン島からタスマニア、ニュージーランドまで、オランダ人は常に素晴らしい旅行者だったが、海外に定住したいという衝動を感じた人は比較的少数だった。ニューヨーク、とりわけマンハッタン島はニュー・アムステルダム Nieuwe Amsterdamといわれたが、そこに住んだのはジョークの的にされるようにアメリカ人だった。

サイモン・シャーマは、彼の縦横に描かれた本「富むことの恥ずかしさ」に込められた芸術的な富について恥じることはないだろう。この大著に掲載された幾多の文化遺産の絵画、写真は飽きることがない。惜しむらくはカラーではないことだ(このブログではカラーで掲載した)。

いかなる斬新な試みも逃れがたいが、この大著にも批判がないわけではない。たとえば、本書はオランダ共和国についての恣意的、選択的歴史であり、重要な歴史的視点が欠けているともいわれる。とりわけ、オランダの植民地活動の多くが捨象されており、スペイン、ポルトガルを上回る奴隷貿易のもたらしたものをほぼ無視しているという指摘である。確かに奴隷貿易、そして東インド会社の活動の側面は、ほとんど登場してこない。

しかし、この大著は通常の歴史書とは言い難く、オランダ文化の華麗な集積とその側面としての富の具体像についての華麗な展示ともいうべき存在に思える。698ページという大著であり、一見手に取ることをためらわせるが、興味を惹く分野から読むことも可能であり、新型コロナウイルスが強いる閉塞感を忘れさせる楽しさを深く秘めている。



Judith Leyster, "Yellow-Red of Leiden! from Tulip Book, Frans Hals Museum, Haarlem



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ゲームセンターのマルクス:デジタル資本主義のひと駒

2020年12月09日 | 書棚の片隅から


Jamie Woodcock, MARX at the Arcade: Consoles, Conttrollers, and Class Struggle: Consoles, Controllers, and Class Struggle, Hay MarketBooks, Chicago, Illinois, 2019
ジャミー・ウッドコック『ゲームセンターのマルクス: コンソール、コントローラー、階級闘争』(邦訳なし)


現代資本主義のプラットフォーム(舞台)が急速にデジタル社会へと変化しつつある。産業革命以降、資本主義の中枢部分を構成する産業は段階を追って変化してきたが、いまその中軸はデジタル化という次元へと移っている。

ビジネスや教育の場でのオンライン化は、予想を上回る規模と速度で展開している。新型コロナウイルスの感染拡大はその動きを加速化している。在宅勤務、テレワークやオンライン教育など、当初の予想を超えて浸透した動きもある。他方、コロナ禍拡大の前から見られた変化だが、労働環境の劣悪化が憂慮されている動きもある。

年末、アメリカ人の友人とのやりとりの中で、現代の労働に関するいくつかの本が話題となった。その中から興味深い1冊(上掲)を紹介してみよう。

『ゲームセンターのマルクス』
意表をつくテーマだが、ビデオゲーム産業をマルクス経済学の視点から分析を試みた作品である。マルクスもエンゲルスも現代のビデオゲームとはまったく関係ない。彼らが生きていた時代には存在もしなかった産業である。しかし、著者のウッドコックはマルキストの経済学者として、本書でれらを結びつけようと試みた。

著者はオックスフォード大学のインターネット研究所に所属するリサーチャーだが、これまでにもイギリスのコールセンターで働く労働組合組織化などの研究で知られてきた。マルクス主義の立場からビデオゲーム産業とそこに働く人々を分析することを目指した著作である。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
*
ビデオゲーム*(Video game)とは、英語圏における「据え置き・携帯機(コンソール)ゲーム、テレビゲーム」「アーケードゲーム」「PCゲーム」などの総称である。「テレビゲーム」に限定される言葉ではない。
DFC Intelligenceの調査によると、2020年半ばの時点で*ビデオゲーム*の消費者数が約31億人に上っていたことが明らかになった。 全世界の人口*は約80億人なので、人口の約40%がなにかしらのビデオゲーム*をプレイしていることになる。 このうち最も急増しているのは、スマートフォンだけでゲームをする層である。本書で主として取り上げられているのはアメリカだが、アメリカ、イギリス、日本などでも実態は近似している。日本については、下掲の分析などを参照されたい

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最初にビデオゲームが世に出たのは1940年代だった。現実に退屈した技術者たちは、コンピュータの上でゲームをすることに夢中になってきた。結果としてビデオゲームは急速に世界中へ広がった。Forbes誌からの引用として、今日ではPOKEMON GOの遊戯人口のおよそ69%は、仕事中に遊んでいるという。新しいゲームは、しばしば2億人のスマホ画面に登場している。アメリカではエンターテインメントに費やす金額の51%はビデオゲームだとも言われている。音楽産業への支出の3倍近い。気づかないうちにビデオゲームはグローバル文化で大きな領域を占有している。

本書は2部に分かれる。I 部:Making Videogames 歴史、産業の実態、II部:Playing Videogames: ゲームである。産業の実態がもっとも面白いと感じたので、その部分を少し紹介しよう。目次は下掲。


現実に飽きて
ゲーム産業は現実の世界のアイロニーだ。ビデオゲームがまだ初期の段階だった頃、ゲームの開発者たちは「働くことや、規律、生産性向上などが嫌いな」連中だった。時間表に合わせての生活も嫌いで、レジャーと快楽主義に耽っていた。反体制的な若者も増えた。

彼らがプレイするゲームもきわめてイデオロギー化し、政治的な方向性を含むものとなる。有名なゲーム「モノポリー」Monopoly も最初の億万長者の地位に「技能」と「幸運」で到達することを目指す形から、「私的財産」が手段に含まれ、さらに「階級闘争」、「社会主義」(労働者が勝つ!)、「Barbarism 」(The Capitalist Win!)など、現実の世界に近づけ、政治的思想を盛り込んだものも現れるようになった。

資本主義を律するルールも時代とともに変わった。ビデオゲーム産業で働く人は、仕事の内容を公表しない協定 NDA: Nondisclosure agreement にサインすることなしには、雇用主は採用面接に応じない。労働者側から提示される情報は少ない。はっきりしていることは、無権利の苦汗労働への後戻りなのだ。何千という企業がゲームを開発している。そして彼らは全てひとつのプレイブックに従って行動し、労働者は雇われ、仕事をしている。

彼らは当初、まずまず decent と思われる給料でデベロッパーとして雇われるが、その後は手当のようなものもなく、週90時間はフルに働かせられる。その結果、実質給料は半減以下となる。ロイヤリティも仕事の保証もない。こうした厳しい拘束期間(crundh クランチ)が終わり、指定された製品が完成すると、労働者はクビになる。彼らはまた新しい製品の開発計画があると、以前の仕事とは無関係に雇われることになる。

クランチとは、新作ゲームのリリース前に、ときに強制的に行われる過酷な長時間労働。ゲーム産業では広く見られる。

劣悪な労働だが
この産業はレイシズムとセクシズムで満ちている。女性は見下され、15%は低い賃金で雇われる。労働者は製作工程をきわめて狭く区分され、仕事をしているので、自分が作っているゲームには誇りも持てず、出来上がったゲームにクレディットもつかない。最後にいかなる製品になるのかもわからないのだ。労働者の仕事は、フォード・システムの自動車組み立てラインの一部を割り当てられているようだ。最終的にどんな作品の一部となるかも分からない。仕事へのモティベーションなどなく、フラストレーションだけはきわめて高い。

しばしば週100時間を越える長時間労働や残業代の未払い、会社都合の大量レイオフなど、劣悪な労働環境が横行するゲーム産業だが救いはあるだろうか。

実際、これは100年以上前の産業革命当時の仕事の仕方であり、異なるのはそこに新技術が加わっているだけだ。シリコンヴァレーの億万長者が生まれる背景は、現代ではしばしばこうした労働を背景にしてのことなのだ。なんだ! これでは昔と変わりがないではないか。表題にマルクスが出てきたのはこのことか。

歴史は繰り返す
この本にわずかな明かりが見えるとしたら、労働者が自らが対面している問題に気づき、交渉力強化のために組織化を企てていることだ。主要な組合は目もかけないが、ニッチの組合が組織化の方法を教えたりしている。

こうした歴史が繰り返すということはきわめて残念なことだ。解決への方法も代わり映えしないではないか。著者ウッドコックはなにを言いたいのか。

ビデオゲーム、コンピューターゲーム、電子ゲームなどの名前で呼ばれるゲームは、いつの間にか20世紀を構成する資本主義のパラダイム媒体となりつつあった。

ウッドコックの著書は、ビデオゲーム産業において人々が各持ち場でいかにプレイし、生産し、利潤を生み出しているか、そして現代資本主義においてビデオ産業が果たしている役割の拡大を、ラディカルな視点から分析している。一見、表題から判断しかねないキワモノではない。しっかりとした論理と考証で裏付けられている。

ビデオ産業は、現代アメリカでは3240万人がかかわり、推定収益は1084億ドル以上を稼ぎ出すといわれ、映画や音楽をはるかに凌いでいる。しかし、これまで他の形式の芸術や娯楽産業と同様に調査・分析されたことはなかった。さらに、ビデオ産業では、劣悪な労働状態が広く蔓延していた。そのため、労働者のさまざまな抵抗や組織化が行われてきた。著者ジャミー・ウッドコックはマルクス主義の枠組みでアーティスト、ソフトウエア開発者、工場や出荷・配送などの労働者による広大なネットワークが形成されてきた実態を分析した。

ラディカル・アナリストとして知られる著者は現代の若者世代に人気のゲーム産業の隠れた現実に踏み込み、とてつもなく膨大な製品群の中で働く目に見える、あるいは隠れて見えない労働者の流れに注目する。そして、未だ十分には認識されていないこの産業が経済や仕事の世界で果たしつつある役割に注目する。

ギグ・エコノミーの実態は
ここに取り上げたビデオ産業などで急速に拡大している新たな働き方は、「ギグ・エコノミー」といわれるようになったインターネットを活用したフリーランスとしての働き方だ。「ギグ」とは、音楽業界で活躍するアーティストなどにみられる、その場かぎりの単発のライブを指す言葉として使われてきた。それから転じて、インターネットを経由して単発の仕事を受注する働き方、そしてそれに基盤をおいた経済のあり方を「ギグ・エコノミー」と称するようになった。また、こうしたスタイルで働く人達を「ギグ・ワーカー」と呼ぶようになった。

 インターネットの発達は、かつて雇用の主流であった企業に所属して長期的にそこで働くというワークスタイルにも大きな変化をもたらし、今後の労働市場のあり方を決めることになっている。ギグ・エコノミーでは個人のスキルに着目し、企業とフリーランスが単発で仕事を受発注することで成り立っている。ギグ・ワーカーといわれる新たな労働者、そして働き方がどれだけの比率を占めるかは未だ不確定だが、今後の仕事の世界の構図に大きな変化をもたらすことは確実である。

テレワークなどのオンラインの仕事への移行は、予想外に浸透・拡大したが、医療や教育の分野ですでに露呈しているように、行き過ぎてて破綻している部分もある。パンデミックの終息とともに、望ましい状態への復元努力が必要になることは必至と思われる。

コロナ後の仕事の世界、労働市場がいかなる形で再構成されるか。表題にとらわれずに読めば、本書はコロナ後の産業や仕事のあり方についていくつかの重要な論点を提起している。




CONTENTS
Introduction
Part I: Making Videogames
A History of Videogames and Play
The Videogames Industry
The Work of Videogamers
Organizing in the Videogames Industry


Part II: Playing Videogames
Analyzing Culture
First Person Schooters
Role-Playing, simulations, and Strategy
Political Videogames
Online Play
Conclusion: Why Videogames Matter

Reference
柳川範之・桑山上「家庭用ビデオ産業の経済分析ー新しい企業結合の視点=











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あるがままに写す

2020年12月02日 | 午後のティールーム




この写真、なんの瞬間を撮影したものでしょうか。日本人とみられる6-7歳の女の子が、胸に手を当てている。よく見ると他の子供たちも同様にしているようだ。子供たちの人種的背景は多様なようだ。さらに後方を見ると、背後には大人も立っている。どうもなにかの宣誓のポーズをとっているようだ。さらに写真もカラーではなく、モノクロで撮られていることもご注目。

苦難の時のアメリカを写した女性写真家
そこで、この写真に関わる歴史をふりかえってみる。
1966年ニューヨークの近代美術館(MOA)は、女性写真家ドロシア・ラングDorothea Langeの回顧展を開催した。この女性写真家単独の展示としては初めての試みだった。ランゲの残した写真は、今ではアメリカ大恐慌期の貴重な写真資料の一部となっている。

皆さんの中には、
出稼ぎ(移民)労働者の母親 Migrant Mother として知られるこの写真を見たことのある人が多いのではないか。1936年にカリフォルニアで撮影された。農業労働者のキャンプでひとりの女性が子供を胸に抱き、他の子どもたちと座っている写真は、アメリカ合衆国の歴史において最もコピーが作られた写真の一枚である。




しかし、彼女の大不況期とダストボウルに苦労する移住者の写真以外にも、ラングは20世紀アメリカの歴史的出来事に関する多くの映像を残した。その中には、大戦中に実施された日本人の強制収容所の状況、ブラセロ・プランとして知られるメキシコからの農業労働者の姿などが写されている。しかし、これらの写真の多くはアメリカ政府によって没収されており、長い間公開されなかった。

撮影活動中のドロシア・ランゲ




MoMAの写真部長が1960年代初め、公開を打診した当時、ラングは70歳近く、食道がんの療養中だった。しかし、理由は今日まで定かではないが、彼女は公開に応じなかった。自分が苦労して撮影した写真約800枚が公開を許されず、アメリカ政府によって国家に批判的であるとして没収されてしまったことへの抗議の意味もあったのかもしれない。そして、時が経過した。ラングの没後、写真はアメリカ議会図書館が所有することになり、閲覧が可能となった。

2020年2月、MoMA美術館は「ドロシア・ラング:言葉と写真」と題した個展を開催した。その中に同館が所有する上掲の一枚も含まれていた。アメリカ人の子供たちと共に星条旗に忠誠を誓う日本人(日系人)の子供たちの写真も含まれていた。

子供たちがアメリカ国旗の星条旗に向かい、胸に手を当て忠誠を誓っている光景なのだろう。それが何の意味があるのか理解できずに見様見真似で胸に手を当てている。その表情が示すように、そこにはアメリカに対するいかなる敵意も感じられない純真無垢な子供の表情が写されている。

実際には1942 年4月、カリフォルニア州のWeill Public Schoolで国旗に宣誓する集まりの時に撮影されたらしい。日本人の中には後に日系人強制収容所に入れられる人も含まれていたようだ。


写真に付された説明文には次のように記されていた。

Dorothea Lange: One nation indivisible, San Francisco, 1942
「分かちがたきひとつの国」




Reference
Things as They Are by Valeria Luiselli, Dorothea Lange:Words and Pictures, an exhibition at the Museum of Modern Art, New York City, February 19, 2020, Catalogue of the exhibition, MoMA, 170pp.



追記:2020年12月4日
1920年代末以降の大恐慌期については、America in Color (BS1)が生き生きと当時の状況を伝えている。
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