時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり:EU難民問題の行方(14)

2016年01月28日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


突然の逆風:アンゲラ・メルケル首相は耐えうるか
 新年を迎えたばかりの1月22日、エーゲ海でまた難民・移民を乗せたボート3隻が転覆、子供を含む45人が溺死した(追記:1月30日にも、子供5人を含む30人の難民がボート転覆で死亡)。この他にも数十人の行方が不明と伝えられている。スエーデン、オーストリアなど、これまで難民、移民に寛容といわれてきた国々の対応が厳しくなった。しかし、ヨーロッパを目指す人々の流れが減少する兆しは見えない。新年に入って、ヨーロッパ全体ではすでに3万人を越えた。

難民受け入れに主導的役割を果たしてきたメルケル首相は、2015年大晦日から新年にかけて、恒例の年頭演説で、昨年およそ110万人の難民申請者がドイツにやってきたことを指摘した。さらに、彼ら難民はドイツの経済と社会に利益をもたらす「明日につなぐチャンス」であると強調した。メルケル首相は、難民は戦後ドイツが掲げる人道的立場と成果に期待していると述べて、英語とアラビア語で文書配布も行った。

メルケル首相は、依然として「難民の受け入れ人数には上限を設けない」としている。他方、ドイツのガウク大統領は、難民政策の再検討を進めていることを明らかにした。今回に限らず、難局に出会うと、メルケル首相は決まって、wir schaffen das ”なんとかします”という常套句とタフな対応で解決してきた。しかし、今回は、予想外の出来事に翻弄され、政策対応も遅れ、政治的にもかつてなく追い込まれている。実はメルケル首相だけが問題を背負い込むことはないはずなのだが、フランスなどの主要加盟国、そしてブラッセルのEUがあまりに非力なのだ。

予想を上回った難民数
  問題を悪化させた要因の一つは、その数の多さであった。これだけ多数の難民が流出したことについては、シリアなどの破滅的環境悪化が最大の要因だが、メルケル首相のやや非現実的な寛容さが流出を加速したことも事実だ。事態の急変を認識したメルケル首相は、受け入れの上限設定は否定しながらも、具体的には現実ベース realpolitik で対応しようとしている。

彼女がもっとも期待をしているのは、EUによるトルコへの資金支援などを通して、EUへの難民流入をなんとか減少させる仕組みをつくることだ。しかし、トルコの政治環境の不安定化もあって、思うようには進行していない。この間にEU加盟国は、国益重視で個別に難民対策を導入してきた。たとえば、現時点では各国ごとに次のような措置が導入されつつある。

­­ハンガリーは、セルビアなどの国境にフェンスを設置。
ドイツ、オーストリア、スエーデンは国境審査を復活。最長2年まで延長できるように準備中。ドイツは連立与党は制限的な保護の下にある入国者の本国からの家族呼び寄せを認めないとの合意。モロッコ、アルジェリア、チュニジアからの庇護申請者は難民と認めないことで合意した。
スエーデンは受け入れ数に上限を設定、国境審査を導入。難民と認定できない約16万人を創刊本国へ送還予定だが、今年はそのうち8万人送還する予定。
オーストリアは難民受け入れに上限設定。
デンマークは難民の資産(一定限度以上)の没収。およそ2000ポンド(17万円)を上回る現金、貴金属。家族の呼び寄せ3年間禁止。

域内移動の自由を認める「シェンゲン協定」(1985年に署名)加盟国は、治安など深刻な脅威が存在する場合にかぎり、原則6カ月まで国境審査を一時的に復活できる。現在、この国境審査を最長2年まで継続できるよう準備中である。EUのトゥスク大統領は3月中旬に開催されるEU首脳会議までに有効な枠組みが導入できなければ、EUの理念は揺らぎ、分裂・壊滅につながると見ているようだ。
 
難民受け入れに決定的打撃を与えたケルン集団女性暴行事件
 メルケル首相が新年の演説で、難民受け入れの必要を強調していたのと同じ頃、彼女の立場にさらに大きな一撃を与えるような事件が展開していた。大晦日から新年にかけて、ドイツのケルン中央駅と有名な大聖堂の間の広場で、千人近いアラブ系、北アフリカ系の移民・難民によるドイツ人女性に対する集団的性的暴行・強盗事件が行われた。報道された事実から推定するかぎり、事件に関与した暴徒は、シリアなどからの難民が中心ではなく、北アフリカからの難民・移民が多かったようだ。彼らは半ば暴徒化し、群衆に花火やボトルなどを投げ込んだ。こうした乱暴、暴行の実態について、ドイツ側当局はしばらく正確な実態を発表せず、公共放送ZDFも速やかな報道を行わなかった。

こうした難民をめぐる議論は、被害対象になった女性には屈辱的で許しがたい内容を含んでいるのだが、全般にメディアは大きくとりあげることをしなかった。この段階で、移民・難民への立場を明確にすると、難民受け入れについての賛成派、反対派の双方から激しい攻撃を受けることが多いことを恐れて報道を差し控えたのだろう。ドイツ政府はこの事件を受けて、犯罪行為に加担した移民・難民を送還すする法律の整備に入った。外国人が犯罪にかかわった場合、強制送還することができるよう罰則強化の検討に入った。
 
危ういアンゲラ・メルケル首相の政治基盤
  一時はEUの主要国から強い支持を得ていたかに見えたアンゲラ・メルケル首相の立場は、昨年後半から急速に低下してきた。とりわけ、上述の女性への集団暴行事件についての判断と政府など関係者の対応の硬直さも影響して、ある世論調査ではメルケル首相の支持率は2015年12月の54%から37%まで急激に低下した。

ドイツ国内では地方都市を中心に急速に難民の受け入れについての反対がたかまっている。難民としての認定が済むまで国内に平均的に受け入れられるのではなく、人口比などで中央政府から割り当てられる。突然町にやってきた多数の見慣れない外国人に、地域住民は当惑し、受け入れ施設の整備、教育、医療、財政などの面で、負担増に戸惑い、クレームをつけている。政党も急速にメルケル首相への反対を強めていて、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)は支持率を大きく増加した。

メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」(CDU)、連立与党の「キリスト教社会同盟」(CSU)内部からも、批判が高まっている。とりわけ、難民と日々接することになる地方州議会レベルでCDUの支持率が低下しつつある。メルケル首相にとっては、自らの政治生命にかかわる問題である。

保守化するEU諸国
  メルケル首相に向けて向かい風は国内ばかりでなく、EU諸国の間にも急速に広がった。全体として、各国の国内における国民の難民受け入れへの不安感を巧みに取り込んだ極右政党が急速に支持率を上げている。その口火を切ったのは、東欧ハンガリーですでに最初の段階から難民・移民に対して厳しい立場をとり、国境の封鎖などを行ってきた。

さらに、ドイツの隣国ポーランドでも極右政党「法と正義」が勢力を拡大している。昨年10月から政権についたシドゥウォ新首相は、政策として、大幅減税、最低賃金引き上げ、年金制度拡大などの政策を掲げるとともに、同党(党首ヤロスワフ・カチンスキ-)の半ば独裁路線に沿った政治へと移行しつつある。憲法裁判所の判事の選任などの点でも、EUの掲げる路線から離反するとみられている。ただ、ポーランドがとってきた反ロシアという体制が、今後どれだけEUと協調してゆけるかを定めることになりそうだ。

メルケル首相は多数の難民を国外流出しているシリアの内戦を収束させることに加えて、ヨーロッパへの難民流出をできるかぎり抑止するため、昨年来トルコとの関係を強めている。トルコ国内の難民収容施設などへEUが支援を行い、ヨーロッパ側への流出を早急に減少させたいとの政策だ。EU加盟を期待してきたトルコにとっても、絶好の機会と見られている。しかし、トルコも内外に問題を抱え、空転状態になっている。ブラッセルのEU官僚はプランは描けても、政治的実行力に欠けるため、結局メルケル首相のような実力を備えた政治家の力に頼ることになる。

 EUが創設当時描いた理念に沿った道に早期に戻りうるとは考えがたい。移民・難民の問題で、成否の鍵を握るのは彼らを受け入れる地域、そして国民の判断次第といえる。地域住民と新たに加わる難民・移民が相互に理解し合い、共存する状況が形成されるには長い年月を要する。ひとたび崩れかけたこの関係を復元し、平穏な市民環境を形成することは容易ではない。「信頼の壁」は壊れやすく、築きがたい。


 
 
 
Reference
'Cologne's aftershocks' The Economist January 16th 2016.
'An ill wind,' The Economist January 23rd, 2016
ZDF daily report 
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再会:アフガニスタンの輝き

2016年01月24日 | 絵のある部屋

 

 


 「長い旅路でしたね! お疲れさまでした」と言いたい美術展に出会うことになった。
『黄金のアフガニスタン」と題する特別展(九州国立博物館開館10周年記念特別展、2月14日まで)である

実は、ほとんど10年近く遡る2006年6月から07年4月まで、パリのギメ東洋美術館で開催された同一テーマの特別展について、このブログに記したことがあった。その当時、学芸員の人から聞いた話では、2-3年のうちに日本へも巡回しますよとの答だった。ギメの特別展での印象があまりに素晴らしかったので、ぜひもう一度見たいと思っていた。しかし、いつになっても日本へ巡回してくる気配がなかった。その後、分かったのは大変な人気で、多くの国々を巡回し、このたびやっと日本で特別展開催の運びとなったようだ。

9.11の同時多発テロの後、アフガニスタンが戦火に巻き込まれて以来、カブール(Kabul 現地の発音はカーブルに近い)の国立美術館に所蔵されていた貴重な所蔵品の9割近くは、焼失、散逸、窃盗などで失われたといわれていた。その中で同館館員の献身的な努力で、宮殿・中央銀行の地下室深くに密かに移転されていた秘宝があった。それらは25年の間、人の目に触れずにいたが、上述のパリの企画展で初めて公開された。2001年にイスラーム主義タリバンが偶像破壊の名目で2000点を越すといわれた文化財を破壊したことを考えると、こうした展示品が生き残り、目の前にすることができるのは奇跡としかいいようがない。いいかえると、戦争は多くの人命を奪うばかりか、人類が営々と築きあげてきた文明の成果(文化財)を抹消してしまう許しがたい行為なのだ。

博物館員たちの懸命な努力で地下室に隠匿されていたアフガンの名品は、再び人の目に触れられるまでになった。文字通り、東西文明の交差点にあった、この国に残っていた秘蔵品の精髄とも言うべき品々だ。数はないが、見る者の目を奪う素晴らしさだ。ギメ東洋美術館で公開された時の人々の驚嘆を思い起こす。決して多くはないが、息をのむような華麗で優雅な出土品の数々に、声を失い、魅了された。出展された品々は、西暦前2000年から西暦5世紀くらいまでの選り抜かれた名品である。

今回、九州国立博物館での展示品は、カタログで見るかぎり、ギメ展の出品と一部重なるが、同じではないようだ。特記すべきは、アフガニスタンから海外に流出し、日本が保管し、展覧会後にアフガニスタンに返還される作品が出品されることだ。また、特別出品として平山郁夫画伯の紙本彩色も2点展示される。

かつて、東西文明が交差し繁栄をきわめた土地アフガニスタン、その栄華の一端を偲ぶことができ、文字通り目を奪われる展示である。




 東京国立博物館(4月12日ー6月19日)へ巡回

References

Afganistan: Hidden Treasures from the National Museum, Kabul, edited by Fredrik Hiebert and Pierre Cambon. Washington: National Gallery of Art, 2008

Afghanistan les trésors retrouvés: Collections du musée national d'Afghanistan
Musée des arts asiatiques Guimet, 6 décembre 2006 - 30 avril 2007



追記(2016年1月20日 「ドラゴン人物文ペンダント」『朝日新聞』 九州展紹介
この記事のペンダントは、本ブログのどこかに掲載されています。 

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タイムマシンで見る近未来?

2016年01月14日 | 午後のティールーム

"The Great European Disaster Movie" Official Film TRAILER @Springshot Productions


The Great European Disaster Movie (2015)
Springshot Productions, ARTE, BBC
NHK BS1で放映
 

タイムマシンから見た近未来ヨーロッパ? 

 ロンドン発ベルリン行きの航空機の中で、中年の男が隣り合わせた少女の質問に答えているシーンが映る。使い古したユーロ紙幣を見せながら、ヨーロッパにはかつてEUという共同体があったという話をしている。ベルリンの空港に近づくにつれて機体は激しく揺れる。機内はなんとなくざわめいて不穏な雰囲気でもある★1SFの世界を多少ご存知の方なら、これだけで、この航空機H.G.ウエルズの『タイムマシン』をモデルにしたものだと分かるはずだ(ウエルズの代表作『タイムマシン』(1895)には、実際にこれに似た情景が出てくる)。機内に映し出された時期は現在からさほど遠くない近未来らしい。

ウエルズの『タイムマシン』では、「タイム・トラヴェラー」は通常一定の方向性を持った(物理学でいう)「高速(velocity)」で、光のような速さで飛行するため、リスクは生じないが、着陸時など速度が低下する際(近時点)には機体が個体状(solid)のものに対するため激動に遭遇することになっている。

機内では機長アナウンスがあり、ベルリン空港には電力不足で着陸できなくなり、オランダのアムステルダム空港に方向変更し着陸すると告げられる。しかし、まもなく、それも不可能になりパリに向かうとのアナウンスだ(筆者も何度か空路でベルリンを訪れたことがあるが、この土地固有の気流の関係かあるいは偶然か、いつも航空機が大きく揺れたことを思い出す。東西ベルリンに分かれていた頃は、日本から低コストで行けたのは、アエロフロートという少し勇気のいる?航空機でモスクワ経由だった。機材のイリューシンはもともと軍用機として開発されたこともあって、後部座席に行くほど狭くなり、結露した水が天井から落ちてきたことを思い出した。前方のファーストクラスにはソ連の制服組をしばしば見かけた。東西ドイツ統一前の時期は、到着はかつての東ベルリン、シェーネフェルト空港だった(その後はアエロフロート以外はテーゲル空港、現在、ブランデンブルグ国際空港として拡大建設中、完成は2016年か)。
 

閑話休題。画面は大英帝国でチャーチル首相が活躍していた盛期の映像から始まり、世界大戦を経て今日の混乱した情景、かつて存在したEU(「ヨーロッパ連合」)が、ギリシャ、スペイン、イタリアなどの財政破綻、EUの主導国の役割を担うドイツから要求される緊縮財政への不満、増加する移民・難民とそれに対応できない受け入れ側の衝突など、近年深刻な課題が次々と画面に登場する。

説明するまでもなく、すでに過ぎ去った過去となった時代を近未来のある時を飛行しているタイムマシンから、回顧するという設定だ。そして航空機が飛んでいるのは、EUが崩壊したという設定でのヨーロッパであり、大きな混乱の中にあり、政治的には極右や極左の政党が勢力を拡大している。フランスでは国民戦線党首のマリーヌ・ルペンが首相の座についていた。ドイツはペギーダが一大勢力になっていた。

未来予測のひとつの前提は、過去、現在に存在したものは近未来においても、存在する可能性が高い。2030年という近未来では、現在の世界と比較して大きく違ったものは見えてこない。現在は存在しないものが、突如として予測される可能性は低い。21世紀になってからは不安なマイナス材料が多いから、当然暗い未来として投影される。

この点に関連して、19世紀後半から20世紀前半、世界を知的に独占したようなH.G.ウエルズの想像性の豊かさとその次元の大きさには、改めて驚嘆させられる。文字通り時代を超えた「知の巨人」であった。SFフィクションから始まり、ユートピア思想、科学や社会思想、政治経済学、世界戦争、そして日本国憲法の原案にまで影響を与えた。憲法のことを論じる人でも、ウエルズの思想との関連を知る人は少ない。最近ではウエルズの私生活、とりわけ奔放な女性との交際関係が話題となったが、この点はこの希有な人物が活動していた当時からかなり知られていた事実であった★2。結核、腎臓病、糖尿病、肝臓がんなど多くの病と闘いながらも、この「知の巨人」は79歳まで生きた。ウエルズについては、その生涯と作品、思想をもう一度見直してみたいのだが、筆者にはその時間はない。しかし、人生のさまざまな折に頭に浮かんでくる偉大な存在であることに変わりはない。

 

 

★1

 H.G.Wells の『タイムマシン』で、タイムトラヴェラーが時空の構成を次のように説明している:

“Clearly.” The Time Traveler proceeded, “any real body must have extension in four directions: it must have Length, Breadth, Thickness and ― Duration…. There are really four dimensions, three which we call the three planes of space and, a fourth, Time. There is, however, a tendency to draw an unreal distinction between the former three dimensions and the latter”

―Herbert George Wells (1866-1946), The Time Machine (1895)

邦訳はH.G.ウエルズ作(橋本槇矩訳)『タイム・マシン他9篇』 1991年、岩波文庫

★2 

 David Lodge, A Man of Parts, Harville Secker, 2011(デイヴィッド・ロッジ 高瀬進訳『絶倫の人:小説H.G. ウエルズ』 2013年、白水社

 

 


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終わりの始まり: EU難民問題の行方(13)

2016年01月06日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

ロレーヌ、リュネヴィル城郭地図(17世紀)


劣化する文明の兆候

 2016年の新年は、世界規模での大きな波乱で始まった。中国経済の減速、中東の大国イランとサウジ・アラビアの突如の国交断絶、さらに1月6日には北朝鮮が水爆の実験を実施したと発表。こうした動きを反映して、世界各地の株式市場は年初から株価下落、総崩れとなった。不安に満ちた年明けである。

EUの難民は文字通り「問題」のレベルへと深刻度を深め、昨年はほとんど沈静化への対応を提示できないままに、新年へ持ち越された。難民以外にも、昨年は世界的に多くの問題が生まれた(DER SPIEGEL chronik 2015の巻頭論説は、2015年を回顧し「新しい不安」 Die neue Angstと題して、歴史に特記される年としている)。

シリア難民、そしてこのたびのイラン・サウジアラビアの国交断絶に象徴される問題の根源となった宗教(派)間の争いは、しばしば激烈な様相を見せ、平静化には長い時間を要する。シリア内戦の行方が見えない状況で、今回の中東の両大国の衝突によて、中東情勢はさらに混迷し、新たな火薬庫が生まれるような危機感がある。世界各地で報じられる異常気象などの問題を含めて、21世紀は「危機の時代」というべき特徴が、すでに多方面で露呈している。

この「終わりの始まり」と題するシリーズは、当面EUにおける難民・移民問題を対象としているが、実はかなり広い問題領域を想定している。人類そしてそこに生まれた文明が「進歩」(progress) していると手放しにいえる時代は、すでに過去のものとなった。今世紀に入っても自然科学の一部を別にすれば、さまざまな「文明の劣化」、「歴史の退行現象」ともいうべき事態が多数発生している。難民問題へのEU諸国の対応を見ても、そのことは歴然としている。

現在EUに起きている以上の問題が、突如として日本や周辺諸国に起こる可能性も十分考えられる。しかし、この国の受け取り方には、報道のあり方を含めて、しばしばあたかも「対岸の火事」であるかのように、問題を離れて見ているような、あるさめた感じを受ける。これまで長年、かなり多くの移民・難民の調査、その映像記録などを目にしてきたが、今回のEUにおける難民問題のドキュメンタリーな記録にしても、BBCや他のヨーロッパ諸国の作品は、概して現場に密着した迫真力がある。それに比して、このたびの問題についての日本の報道は、切迫感、臨場感がない。番組自体が他国のメディアの力を借りて、隙間を埋めているようにも見える。ひとたび、こうした事態が日本に起きれば、いかなる問題が生まれ、対応をどうすべきか。真剣に考えるべき問題であると思う。年初でもあり、これまでの記事との重複を覚悟の上で、状況を整理してみよう。

戦争が惹起した難民昨年、2015年にヨーロッパを目指し中東やアフリカ諸国などから移動した移民・難民の数はおよそ100万人、そのなかで地中海をトルコやアフリカからボートなどで渡った数は約972千人、陸路をたどった数は34千人に達したと推定されている。そして特に海上では3,771人が地中海で命を落とした(UNHCR, IOM)。すでに20世紀末くらいから地中海は「移民・難民の海」と化してきた。ILOなどの場で、議論はされたが、実効性のある対応はながらくイタリア、ギリシャなど当事者となった国まかせであり、EUが本格的に関与するようになったのは比較的最近のことである。

問われる政治家の責任
 今回のEUへの難民の大規模な流入は、ある時期からメルケル首相の人道主義的発言で急速に加速化した要素がある。しかし、パリ同時多発テロによって、難民に紛れてテロリストが、入り込む危険が明らかとなった。現在は有効なてが打てぬままに泥沼化し、膠着状態になっている。

EUの主導的な政治家となったドイツのメルケル首相の立場、そして評価も急激に変化した。早い段階で、難民の受け入れに天井はないと明言していたメルケル首相だが、その人道主義的発言は、EU加盟国、そして足下の国内から沸き上がった強い反対に、短時日に取り下げざるをえなくなった。たとえば、チェッコ共和国の首相ボフスラフ・ソボトカは、メルケル首相が寛容な受け入れ方針を掲げたことが、中東、アフリカからヨーロッパへの不法移民・難民に期待感を抱かせ、大移動を誘い、拡大させたと批判した。これまでの経緯を見る限りでは、経験豊かなメルケル首相にしては、事態を楽観視していたとの評価も下せるだろう。

確かに、シリアなどからの難民が到達目標とする国はドイツが圧倒的に多い。推進力を失いつつあるEUをなんとか支えてきたドイツとしては、歴史的背景もあって、際だって突出することなく、しかし実質的にEUを主導し、支えてきた。受け入れを渋る加盟国を説得し、多数の難民・移民を率先受け入れてきた。

人道的観点から独自の寛容さを示してきた加盟国にも限界が見えてきた。これまで国民ひとり当たりの外国人受け入れでは、EUでも突出していたスウエーデン、デンマークも、新年早々1月4日に、移民の流入を抑制するため国境管理の導入に踏み切った。オーレスン・リンクといわれる両国間に横たわるエーレスンド海峡を結ぶ、鉄道道路併用橋と併用海底トンネルの通行を制限することになった。

刻々と変化する状況の下、難民は少しでも可能性があると見られる地を目指す。ドイツまで行けば、しばし祖国の戦火を忘れ、子供の教育を含め、安住することができるのではとの不確かな情報の下に、2000km近い旅をしている。その流れは、ドイツといえども入国管理を厳しくし、受け入れの許容度が不透明となった現在も進行中である

 国境が復活するEU域内
 シリア内戦などで戦場と貸した祖国を離れた難民は、EUの予想をはるかに上回り、しかも受け入れなどの準備などが整わない前に目的とする地へ到達してしまった。政治・経済上も不安定なバルカン・東欧諸国は、突如として押し寄せ、入国を求める難民の流れに対応できず、国境管理を強化し、急造の有刺鉄線、バリケードなどで実質的な国境封鎖に踏み切った。

事態の変化はドイツでも急速に進んだ。絶え間なく押し寄せ、言葉もよく通じない難民に対応することになった地域住民の反対も高まった。移民・難民問題の難しさのひとつは、地域的な偏在であり、住民の負担も平均化しないことにある。(南バヴァリアのヴァッサーシュタインでは、旧臘クリスマス・イヴに、2つの難民を収容したホステルで放火と思われる火災が発生、12人が被災、負傷した 。犯人はたたちに逮捕された。2015年だけでもドイツ国内の難民収容施設へのいやがらせや放火事件は200回を越えた。2015年12月24日 BBC)。

メルケル首相も、自らの与党である中道右派政党CDUの内部からの批判に答えて、12月中旬にはドイツは「はっきり分かるくらい難民を減らす」と言わざるをえなかった。政治家としての現実認識の弱さを突かれ、メルケル首相の国民の評価も急速に低下した。わずか3ヶ月ほどの間での激変である。それでも「政治はタフな仕事」、「難民危機はヨーロッパにとっての’歴史的危機‘」と彼女は感想を語っている。

退行するEUの理念
 ヒト、モノ、カネ、サービスの国境を越えての自由な移動は、EUの掲げてきた共同体としての理想であった。しかし、この国境なきヨーロッパ実現の理想は、難民(移民)、テロリズムを抑止する目的のために、断絶を余儀なくされている。国境管理の強化という形で、かつての国境が復活し、EUの理念は大きく後退しつつある。

近年、ユーロの破綻がEUを破滅させるといわれてきたが、今回の難民・移民問題の方がEUを分裂させ、歴史のスケールを逆行させる危険性をはらむことが明らかになった。EUはシェンゲン協定(EU域内のヒトの移動のフリーゾーン、1974年には域内で国境を越えた人は170万人)、ダブリン協定(難民は最初に到着した国で難民として庇護申請する)の一時的な停止との考えをとっているが、域内各国は自らの国や地域の利益を最重視する方向に移りつつあり、短時日にEUの理想を目指す、以前の状態に戻るとは考えがたい。EUは地域住民や国民の利益擁護を前面に出した国々によって、国境の復活を図り、各国が17世紀の城砦都市のごとく、国境を復活させ、分断化の道を歩む可能性が高い。

EUの基本的理念の柱が大きく揺らぎ、後退することで、苦難を強いられるのは、行き場を失うことになる難民である。国境という壁で遮られる域内諸国で、彼らは戦火が収まらない祖国へ戻る術もなく、域内をさまよい歩くロマ(ジプシー)人のごとき漂泊の民となる。


下記のいずれもNHK BS1で放映
'A long Jourey' (2015, 制作 BBC)

'The Crossing’ (2015, 制作 
Norway)




text copyright(a) Yasuo Kuwahara 2016

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謹賀新年:2016年 

2016年01月01日 | 午後のティールーム

 

謹賀新年

HAPPY HOLIDAYS 

21世紀、波乱と緊張の第2クオーターが始まります。
どこまで見届けられるか。
今年もどうぞよろしくお願いします。 

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