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ちはら屋~沖縄暮らしのステキなものたち vol.9 千原礼子

2009年10月27日 | 火曜(2009年9~10月):千原礼子さん
みなさま、こんにちは。

今回は通っている紅型教室のお話です。
まだ始めて半年ですが、毎週楽しく教えていただいています(^-^)

紅型を始めたきっかけは、知人の結婚式でした。
新婦が着ていた美しい振袖。
きけば、沖縄のお母様が染めた紅型だというではありませんか。
しかも、職人さんというわけではなく、趣味で続けているとのこと。
私もいつか娘に・・・。妄想が膨らんでいったのでした(^o^;

もちろん、現実はそんなに甘くなく、着尺を染めるには10年かかるそうです。
今は半年後の帯制作を目指しています☆

紅型はその鮮やかな色彩に特徴のある染物で、
王朝時代に王家や貴族の礼服として発展しました。
また、輸出が盛んになったことで、その技術が磨かれたとも伝えられます。
簡単に紅型の工程をご紹介します。
(綿素材、白地の場合。)

1、スケッチ(花など、自然物を図案化するとき)
2、デザイン
3、図案を型紙に写す(写真は、写した図案を先生が手直ししてくれているところ)

4、型紙を彫る(黒い線のところを彫ります)

5、紗(絹の網)を張る
6、型置き(糠ともち米で糊をつくり、型を使って糊を置きます)
7、豆引き(ごびき。豆をミキサーにかけて漉し、薄めて布全体に塗ります。)
8、色差し(デザインによって色数が変わります)

9、2度塗り
10、隈取り(筆を2本使って、ぼかしをいれます)

11、蒸し(色止めのため)
12、水元(ぬるま湯につけて、糊を落とします)

13、乾かしてアイロンがけ
14、できあがり



安里から首里へと続く長い坂を上り、
首里城を横目に見ながらもう少し行くと首里公民館があります。
王宮の職人たちも暮らした首里で、紅型のお稽古がはじまります。

教えて下さるのは
やふそ紅型工房の屋富祖幸子先生。
伝統工芸士であり、琉球びんがた事業協同組合の理事もつとめておられます。
そんな忙しい先生がどうしてわざわざ素人に教えてくださるのか・・・。
それには理由があります。

先生のモットーは「生活の中の伝統工芸」。
慌ただしい生活のなかでも、ひとつの工芸の存在が、潤いや癒しをくれる。
紅型がそんな存在であってほしいという思いで、
一般の方にも学ぶ機会をつくり、
生活の中に紅型を取り入れる提案をされています。

クッションカバーや日傘、バッグやかりゆしウェア、
毎年教室のみんなで作るおそろいのTシャツなど、身近なものから、
帯や着尺など、本格的なものまで、
その人の経験にあわせて教えてくれます。

先週の教室の様子を紹介します。
それぞれ、首里公民館祭りの出品作を作ったり、
近くの小学校の子供たちに教える教材の準備をしたりとみんな大忙し。


先生が顔料を混ぜ合わせて、
あっという間に、たくさんの色を作って下さいます。
まるで魔法☆
「やってみて。」と言われて挑戦するも、全然同じようにできません(T-T)。


顔料はすべて、岩絵の具など自然の素材が使われています。
岩絵の具に豆汁(大豆をミキサーにかけて漉したもの)をまぜて作ります。
材料はすべて、先生の工房で使われているのと同じ本格的なもの。


型置きをしているところです。
この図案は、近くの城西小学校の子供たちに
紅型を教えるときの教材になります。


一方、ベランダでは、タペストリーの地色を染める作業や、


麻の暖簾に、豆引き(にじみを防ぐための作業。左)する作業をしています。
左奥に見えているのは首里城です。
力強い沖縄の日差しであっという間に乾きます。
ここで作業をすると、いつも、太陽が似合う染物だなあと思います。

帰り際には、
美しく細やかなものに触れさせていただいた幸せな気持ちで
先生にお礼を申し上げ、帰途に。
少し涼しくなった夕暮れの中、坂を下って那覇へ帰るのでした。


『ちはら屋~沖縄暮らしのステキなものたち』は今回で最終回となります。
まだまだ、沖縄を語るには「ひよこ」のような私ですが、
沖縄の空気を、少しでもご一緒に感じて下さったら嬉しいです。
今まで読んで下さったみなさま、本当にありがとうございました\(^O^)/

それから素敵なタイトルを考えてくださった担当の砂川様、
色々とお世話になり、ありがとうございました。


(おまけ)

すみっこで先生にぬりえをおしえてもらっている娘。ありがたや。



text :千原 礼子




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