どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

鬼の面

2022年12月21日 | 昔話(日本)

・鬼の面(かたれやまんば/藤田浩子の語り 第四集/藤田浩子の語りを聞く会/2000年初版)

 貧しい母と娘の二人暮らし。母が無理をしたので稼げなくなり、娘は町の大尽のところに、子守奉公いくことに。母は娘におたふくの面をもたせます。

 娘は奉公先で一日の仕事が終わると、行李に入ったおたふくの面に向かって、語りかけます。
 この様子をみた奉公人の仲間が、娘をからかってやろうと行李のお面を鬼の面にかえてしまいます。
 鬼の面をみた娘が、母親に何かがあったのではないかと、奉公先のおかみさんにお願いして、様子をみるために家にかえることに。

 気がせいていた娘は、その晩に奉公先から家に向かい、途中、博打うちに見つかって火のばんをすることに。
 生木が多くてなかなか火がもえないし、煙だけでて、煙くてしかたないので、鬼の面をかぶってぷーぷー吹き始める。
 博打うちたちが、ひと博打うって、娘の方をみると、鬼がじいーとみているので、博打うちは大判小判もそこらにおいて逃げ出す。
 
 娘が面をとってみると、博打うちはいない。
 翌日までまっても、博打うちがもどってこないので、娘は大判小判を集めて、母のところに帰る。
 そのお金で、娘は奉公先にはもどらず、母と二人で仲よくくらすことに。

 子守奉公とか博打うちは、うまく子どもにつたわるか心配になるが、藤田さんの語りは、そんな心配をこえて、昔話の世界に引き込んでくれそうである。

 すこし、じんとくるのが、娘がおたふくのお面にかたりかけるところ。
 「おっか様ぁ 今日も一日 みててっくちゃがン あぁ おっか様は にこにこしてっから 達者でいらんだべなン」。
 娘と母親の絆がでていて、他の昔話には見られないところ。

 自分の言葉で、自分の思いで語ってくださいという藤田さんのメッセージがあるので、何とか語ってみたい話。

 

・鬼の面(兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟/日本標準/1978年)

  お多福の面で、ぼうやの子守をするよういいつけられたおひさ。おひさは病がちの母親のために薬代をと、分限者の家で年季奉公していました。

 おひさは、ひとりになると自分の荷物の上に、お多福の面をおき、泣いたりわらったりしていました。のぞき見したご新造さんが、心配して、お多福の面の代わりに鬼の面と取り替えます。母親が恋しくて泣いているとおもったのでした。

 鬼の面をみたおひさは、親に何か変わったことが起きたのではないかと心配し、二日間のひまをもらい、急ぎ足で分限者の家をでます。

 夜になって、あかりのほうにいくと、そこにいたのは盗人。小屋につれこまれ、魚を焼くよう言いつけられ、薪を燃やしますが、夜露にぬれた薪はなかなか燃えず、くすぶるだけ。

 風呂敷から鬼の面をだし、それをかぶって、ふうふう火をふいていると、大男がやってきて「もうさかなやけたか」と、声をかけました。

 ふりむいたおひさの鬼の面をみた盗人は、おどろきあわててにげだします。夜が明けて、筵の上の大判小判をみたおひさは、それを代官所にとどけます。代官所では、親を思うおひさの心に感心して、ほうびをどっさり。

 こまかなところで、違いがありますが、昔話には珍しい人情話です。

 

・鬼の面(大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年)

 親孝行の男の子が主人公。船場のお店で、働いていた十歳の庄吉という子が、おこずかいをためておいて、長い間かかって買った「おたふくめん」。ほかの奉公人にかくれて、離れて暮らしている母親代わりに、おたふくめんに いつもあいさつをしていた。

 様子を見ていたほかの奉公人が、いたずらで、おたふくめんを鬼の面にとりかえてしまいます。

 箱のふたをあけ、鬼の面が入っているのをみた庄吉は、母親になにか変わったことがあったのではないかと、二日のひまをもらって、母親のもとへ急ぎます。

 山道で、焚火をしている男にあい、弁当を食べるためお茶を所望すると、焚火番を条件に、男は、おやすいごようだといいます。焚火のそばにすわっていた庄吉は、焚火の熱さを防ぐため鬼の面をかぶります。

 「おーい」と、山の上から声がすると、庄吉は、土瓶と湯のみをもって山の上へ。焚火をしていた男から、そういわれていました。

 山の上では、小屋の中で六人がばくちをしていましたが、鬼の面をかぶった庄吉をみて、鬼がきたと、逃げていきます。そこには、お金が、あたり一面にちらばっていて、このお金をもって焚火のところにもどります。

 焚火をしていた男は、ばくちの見張り番で、この男も庄吉をみて逃げていってしまいます。ようやく自分の面に気がついた庄吉は、母親にそのことをはなし、お金を持ち主にかえそうとしますが、庄屋が、ばくちの金をわすれていったものは、とりにくるようと、村中にふれまわりますが、だれひとりあらわれず、お金は庄吉親子のもとへ。

 庄吉親子は、そのお金で、おもち屋の店をだし、大変繁盛したという。

 

 博打の金であっても、すぐ自分のものにするのではなく、返そうとする正直な庄吉で、おもち屋の看板商品が、「おたふくもち」というのも大阪らしい話。

 

 落語絵本にもなっています。


・おにのめん/文・絵:川端 誠/クレヨンハウス/2001年

 河内屋という荒物屋で奉公中のお春。
 道具屋で見かけたおめんが、おかんにそっくり。お金がないというお春に、道具屋は気前よく、大事にしいやとただであげます。

 それから仕事のあいまに、たんすの引き出しをあけて、さびしさをまぎらわしていたお春。それをみた若旦那の徳兵衛が、いたずらで、鬼の面をかわりにさしいれます。

 いつものようにたんすをあけたお春が、鬼の面をみて、おかんに大変なことがおこっとと思いこみ、大人の足で半日はかかる家にむかいます。

 誰にも行き先をつげずにでたので、河内屋はおおさわぎ。向かいの近江屋に手伝いをたのみますが、近江屋は泥棒に入られて、それどころでありません。

 お春が、暮れかかった道を急ぐと、いいにおい。かれたススキが顔にあたり、痛いと、鬼の面を顔につけすすみます。草原の真ん中で焚火をしていた三人の男は、「おにがでた」と、ころがるようににげていってしまいます。

 家に着いたお春が、あくる日、おとんと草原を通りかかると、そこには、風呂敷包み。この荷物をもってかえると、近江屋の印。近江屋から盗まれたものでした。

 もちろん近江屋さんはおおよろこび。年あけにはお礼をさしあげたいというと、鬼の面が笑っていました。

 奉公にでるのはまだまだ子ども。道具屋も大騒ぎする河内屋も、大八車にお春をのせて、河内屋にむかうおとんも優しく、あったかい話です。

 「来年のことをいうと 鬼が笑う」というオチ。   


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