どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

猿供養寺の人柱・・新潟

2022年10月26日 | 昔話(北信越)

       新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年

 

 猿供養寺の村は、毎年毎年、春先の雪解けのころや、雨がいっぱい降る秋の終わりごろになると、きまったように地面が動いて、田畑がこわれたり、家がくずれたりしていた。

 この年も春先の地すべりがはじまり、村の人たちは、いままで動いたことがない松の木屋敷で、地面が止まるまでおいのりをはじめた。三日もいのり続けても地面の動きは止まらず、だんだんひどくなって、どろ土に巻き込まれる家も出てきた。村じゅうで、おしよせる土を取りのぞく仕事が四日も続き、地すべりがはじまってから八日目に、地の神さまに、生きたまんまの人をうずめて、おまいりするしかないと、相談がまとまりました。

 わかい娘や年寄りが名乗りをあげますが、さてだれにするかで少しもきまらない。そこにやってきた旅のぼうさんが、地すべりがはじまってからのことを聞くと、「わしが人柱になろう。わしにその役目をさせてくれんか。なかのよい村のしゅうをだれひとりなくしてもいけねえ。わしは、仏につかえる身じゃ。こんなよい人たちのお役に立てれば本望じゃ。」といいます。

 つぎの朝、ぼうさんは身を清め、白い着物を着て最後のお経をとなえます。それから、ほってある穴にはいります。村の人は、涙ながらにかたくかたく土をかぶせました。

 それから何日もしないうちに、大地の動きはすっかり止まりました。

 

 1937年松の木屋敷から瓶が発見されました。このなかに、おいのりしている人のすがたがあり、調べてもらうと、ハ百年も前の旅のおぼうさんだろうという。村の伝説が本当らしいという後日談は興味深い。ただ人柱が本当にあったとすると複雑な気持ちです。