どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

すなはまのバレリーナ

2022年10月04日 | 絵本(日本)

    すなはまのバレリーナ/川島京子・文 ささめや ゆき・絵/のら書店/2022年

 

 絵本を通じて、これまで全く知らなかったことにきずかされることも多い。バレエには全く関心がなかったが、日本のバレエのはじまりは、ひとりのロシア人の存在があったという。

 牧阿佐美バレエ団は、名前だけ知っていましたが、牧阿佐美さんのお母さん橘秋子さんがはいったのは鎌倉の七里ガ浜につくられたバレエ学校。
 
 この学校をつくったのは、ロシアから亡命したエリアナ・パヴロバ。
 
 きびしい練習のなかで すなはまでひとりで練習した橘秋子さんは、先生からバレエ学校をひらくよういわれます。
 
 戦争が激しくなって外国の人や芸術にきびしい目がむけられ、バレエ学校の看板に石をぶつけられるようになると、エリアナ・パヴロバは学校をつづけるために名前を「霧島エリ子」にかえ着物をきるようになります。
 
 それだけでなく、戦地慰問にもでかけたエリアナ・パヴロバは、中国でのきびしい旅を続けて、二か月が過ぎるころ、病気にかかり、その地で亡くなってしまいます。
 
 橘秋子さんは、バレエをやろう、バレエを伝えようと、その後何百人ものバレリーナを育て、今日の基礎をつくったといいます。
 
 
 ロシア革命のあと、日本に亡命したエリアナ・パヴロバさんが、バレエ学校をひらくことができたのは、日本で援助した人がいても不思議はありませんが、絵本ではこのあたりのことは触れられていません。
 
 革命、戦争で翻弄されたようにも見えますが、残した種は、確実に花を開いています。
 
 

 「鎌倉パブロワ記念館」が平成8年まであったといいますが、どんな事情で閉館されたのでしょうか。