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甲斐道をゆく

2009-12-22 22:48:08 | ハコモノ

うかうかしていたら、12月も終わり…。
11月の終わりにいってきた企画展の話をするのを忘れていましたので、今日はそのことを書きましょう。
11月30日まで、山梨県立博物館では『甲斐道をゆく ~交流の文化史~』というものです。

山梨県の旧国名は甲斐国というのは、ご存じかも知れません。
その語源は、一昔前までは山と山に挟まれた谷を表す「峡」(かい)だといわれていましたが、今ではいろいろは道の交流点を表す「交い」という言葉から転じたというのが、今では有力な説だそうです。
今回の企画展は、そんな「道」に主眼を置いたものです。
山梨の代表的な道といえば、甲府を中心として御坂から河口湖、山中湖を経て御殿場・鎌倉に至る鎌倉往還。
中道から九一色・精進湖・本栖湖を経て富士宮・富士へ至る中道往還。
甲府から鰍沢・増穂・南部を経て清水に至る駿府往還。
それから、新宿から上野原、甲府を経て小淵沢、諏訪・松本に伸びる甲州街道などが有名です。
山梨の道で、真っ先に発達したのは鎌倉往還(御坂路)です。
鎌倉に幕府があった時代は、鎌倉往還から東海道に合流して鎌倉に向かうために重宝されたのです。
次に中道往還です。これは俗に塩の道でして、沼津あたりで上がる魚介や塩がこの道を通って甲府はもちろん、遠くは諏訪・松本あたりまで届けられたのです。
山梨の高級なおみやげとして名高い「鮑の煮貝」は、この道を通ってできたといいます。
駿府往還は、交易路というよりは久遠寺参詣のための"祈りの道"でした。
もちろん、清水などに上がる新鮮な魚介も運ばれてきたはずですが、駿河への行き来は富士川を使うことが主だったようです。
江戸時代に入り、幕府は俗に五街道といわれる道を整備しました。
これは中学校でも習うはずなのでご存知だと思いますが、東海道・中山道と日光道中・奥州道中。そして、甲州街道こと甲州道中です。
山梨という土地は意外に要所でしてね。前にも、甲府徳川家があったんだよというような話をしたこともあります。
その断絶後には五代将軍・綱吉の側用人として活躍した柳沢吉保に与えられ、彼の息子が大和郡山へ移封されると天領…つまり、幕府の所有となったのです。
甲州街道沿いには甲府はあるし、八王子はあるしで大変強固な守りだったようです。

道といえば宿場が付きものですが、その宿場や本陣などの展示も行われていました。
それから、近代にはいると「鉄の道」…鉄道が発展してきたということで、中央線身延線富士急行線の歴史をたどったり、道の未来の姿・リニア新幹線についても言及されていました。
歴史的には、日本武尊が筑波山から酒折まで辿った道や、武田信玄の軍用道路である棒道などにも話が及んでいました。

コンセプトも良かったですし、展示方法も見やすかったです。
思うんですが、やはりこういう人の生活に根付いた展示が素晴らしいですね。民俗関係の展示をもっと見ることが出来ればいいんじゃないかと思います。