観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

頑固さ:モンゴル牧民のデールをみて思ったこと

2013-08-24 11:32:27 | 13.8
教授 高槻成紀

 今年もモンゴルに行って来た。これまで南部のゴビでのモウコガゼルの調査、東部草原での群落調査、北部森林ステップでの放牧影響、フスタイ国立公園(中部)でのタヒ、マーモットの調査などをしてきた。だいたいは日本の研究者や学生とのチームに通訳をつけての調査で、いってみれば日本社会をモンゴルに持ち出したようなものだった。その中で北部のブルガンではチョロンさんという人のお宅にお世話になったので、いろいろとモンゴルの生活について話を聞くことができた。ただチョロンさんは気象台の所長をした人で、奥さんのスレンさんも学校の先生をしていた人なので、どちらもインテリで、話がわかりやすく違和感を感じない人たちだった。
 今年はモゴッドというところに行った。同じブルガン県にあるので、自然環境はなじみのものだったが、牧民のゲルに泊めてもらったので、これまでとは少し違う体験ができた。というのは、今回の調査は明治大学の森永先生のプロジェクトの一環で、アイラグ(馬乳酒)についての調査だったからだ。私はアルコールがだめなので、その意味ではふさわしくないメンバーだが、私に求められたのは、馬の食性とその生息環境の把握ということだった。
 お世話になったのはニルグイさんという人のお宅で、この人は伝統的なアイラグ作りの名人ということだった。風貌も印象的な、今の日本にはいなくなった威厳のある父親という雰囲気のある人だった。ニックネームは「ボロ」さんということだったが、これは茶色という意味で、チョコレート色によく日焼けしているかららしい。話をすると空気が震えるような太い声だった。


「ボロ」(茶色)さんことニルグイさん

 私たちはひとつのゲルを借りて使わせてもらったが、それはボロさんのところから30メートルほどのところにあり、歩いてすぐ行ける距離だった。私たちのゲルの隣に一まわり小さいゲルがあり、そこにはバトユンさんという若い女性がいたが、この人は鳥取大学の大学院を終えて、今は研究生をしている。自分のアイラグの科研費で春から滞在して調査をしているということだった。バトユンさんには2歳になるアミナという女の子がいて、お母さんといっしょによく私たちのゲルに来て遊んでいた。人懐っこい子で、すぐに私の膝の上に座っていた。
 ゲルには南側にドアがあり、そこから外が見える。ちょうど視野の先に馬と牛の搾乳をする場所が見える。昼間は家畜が草を食べに出かけるのでいないが、朝夕には戻ってくるので、にぎやかになる。牛が夕方戻ってくると子牛のいる柵に行く。「モー、モー」と鳴きながら、ときには走って来る。早くお乳があげたいようだ。そうするとボロさんの娘さんが乳搾りを始めるのだが、初めに子牛を母牛に近づける。そうすると母牛の乳房が張って泌乳が促され、そこで子牛を引き離して搾乳をする。まさに「搾取」だ。その前に軽く母牛の足をひもでしばる。足が動くとミルクを容器に受けにくくなるからのようで、こうしたちょっとした技術を見るとき、伝統のすばらしさを感じる。
 その娘さんはとてもおしゃれで、Tシャツやセーターの好みもすばらしかったが、少し寒くなるとデール(モンゴルの伝統衣装)を着ていた。日本の農民の服装を考えると、豪勢な感じがしたが、草原にはよく似合っていると思った。


牛の搾乳をする娘のサラさん

 お父さんのボロさんはいつでもデールを着ている。これにもいろいろあるようで、ウランバートルで見るのは立派なもので、カウボーイハットをかぶっている粋な人もいたりするが、牧民たるボロさんは普段着としてのデールで、それだけに家畜を扱うときのボロさんは草原の景色の一要素のように完全になじんでいた。


馬を扱うニルゲイさん

 デールは袖が長い。私は袖の長いシャツが大嫌いで、そういうのはすぐに袖口を折ってしまうし、もともと半袖のほうが好きだ。個人的にそういう好みなのだが、その大きな理由は日本の湿った空気にあると思う。要するに「うっとうしい」のだ。だが、モンゴルの空気はカラッとしている。暑い日にカッパを着ていても、蒸れるということがない。それに、モンゴル草原では真夏でも突然寒くなり、ときに雪が降ることさえある。「一日のうちに四季がある」ということばがあるほどだ。そうであれば、袖が長い理由も理解できる。あれは夏に着ていてもうっとうしくなく、寒くなれば両手を合わせれば手がかじかむこともない。裾は膝の下くらいまであって、ガウンのような使い方もするようだ。着物との共通点も多く、帯をする。ただ日本の帯のような面的なものではなく、ただの長い布という感じである。ところが、これがなかなかおしゃれで、オレンジ色とか、浅葱色だったりして、アクセントになっている。モンゴルの衣装と着物との大きな違いは、足下である。多湿な日本では伝統的には下駄を履いた。だがモンゴルではブーツである。なんといってもマイナス40℃にもなる厳寒の地である。足下が暖かくないと凍傷になってしまう。浴衣にゴム長靴だと訳のわからない組み合わせになるが、デールと皮ブーツの組み合わせは実にすばらしい。
 小雨が降って少し肌寒かった日の朝、いつものようにアミナが遊びに来たのだが、なんとデールを着ていた。こんな小さな子にもちゃんとデールがあるのだ。実にかわいらしかった。その日は午後にはよい天気になったのだが、夕方アミナはヤギの群れの中で遊んでいた。


ヤギの群れの中で遊ぶアミナ(2歳)

 思えば今は21世紀になって10年あまりが経っている。私たちにとって着物は実に距離の遠い衣類になってしまった。私も正月に着物を取り出すくらいだし、夏祭りに浴衣を着ている若い女性がいるが、高校生くらいの子はスニーカーを履いていたりする。卒業式に着物を着る大学生は一生にそのときだけだろうし、着物を着るのは数年に一度という頻度ではなかろうか。私が子供の頃、親世代はもっとよく着物を着ていた。ちょっとしたハレのとき、たとえば学校の参観日や卒業式とか、気の張る集まりなどでは着物を着るのがふつうであったし、私の父は夏は浴衣をよく着ていた。もうひとつ古い世代では日常的に着物を着ていたと思われる。「二十四の瞳」という戦後の映画があるが、あそこに描かれる子供たちは学校に着物を着て通っていた。つまり、この数十年のあいだに私たちは着物を脱ぎ捨てたといってよいだろう。
 それを思えば、モンゴルの牧民は頑固というか、頑なというか、頑としてデールを着続けている。モンゴル人があらゆる意味で頑固であるかといえば、そういうことはないと思う。自動車やバイクはその例で、便利なものを取り込むという意味ではまったく頑固ではないと思う。おそらくデールは実用的にも代替物がないから着続けているのであろう。ただ、それがすべてではなく、伝統的な衣装に対する好みもあるだろう。子供のデールはそうであるに違いない。
 そういうことを考えると、日本人の「脱ぎ捨て」のほうが特異なのかもしれないと思う。どこの国でも若い女性の民族衣装を大切にするもので、実際よく似合う気がする。ベトナムのアオザイとか、インドのサリーなど、やはり着ている人と衣装がよく似合うという気がする。白人から見れば私たちのジーンズ姿は違和感があるに違いない。もちろん振り袖を着て日常生活はとてもできないが、夏の浴衣などは日本の気候にはふさわしいのではないか。
 もっとも衣装はそれだけを切り出して考えることはできない。近代的なビルを下駄で歩くわけには行かないだろうし、浴衣のそではパソコンのキーボード操作にじゃまになるだろう。そう思うと、モンゴル牧民が遊牧生活を続けているということ自体の意味を考えなければならない。牧畜生活は外目には牧歌的でのんびりと楽しげに見えるが、もちろんそのようなことではない。私が泊まったモゴッドでは、アイラグのために馬の乳搾りをするが、作業は2時間おき、一日に数回もおこなわなければならず、もちろん牛もヤギもいて、その世話もしなければならない。しかも乾燥地というのは、気象の変動が大きく、現にこの十年ほどのあいだに数回のゾドが襲っている。ゾドとは典型的には異例に寒い冬、とくに雪が降って家畜が餌を食べられなくなって餓死する現象で、ボロさんの場合、120頭いた牛が3頭にまで激減したことがあるということだった。それでも牧畜生活を続けるというのはたしかに頑固といえるかもしれない。一訪問者にとって牧民の深層心理は知るよしもない。この生活がいつまで続くだろうか漠然とした不安を感じているのかもしれない。
 それでも私が強く印象づけられたのは、家族が一日中、いっしょに作業をすることの温かな雰囲気である。馬の乳搾りをするときは、男は馬の動きをコントロールする。力仕事だから額に汗がにじんでいた。女は乳搾りに忙しい。馬の状態を見て、先にしたほうがよい個体を見つけては急いでそこに行って乳搾りをする。そうした慌ただしい作業を終えると、ミルクの入った容器を二人で持ちながらゆっくりとゲルに戻る。楽しげに話をし、男たちは肩を組んだりしている。子供たちはこの作業には参加できないが、牛の搾乳などは手伝うことがあるので、嬉々として手伝う。大人のする作業はあこがれなのだ。何でも知っていて、何でもできる大人は羨望と尊敬の的だ。


搾乳作業を終え、ゲルにもどる家族

 私たちが「脱ぎ捨て」たときに、失ったものもたくさんあったはずだ。こうした家族の共同作業もそのひとつであろう。その喪失は、経済的に豊かになることに比べれば無視できるほど小さいものなのかもしれない。少なくとも戦後の日本では、家族の在り方などは問題とせず、楽で高給な仕事を選ぶのが当たり前であった。そういう大きな流れの中にいて、とくにおかしなこととも思わないできたが、モンゴルに行くようになって、そうしたことの意味を考えるようになった。日本人の「脱ぎ捨て」の見事さと、モンゴル牧民の「頑さ」は現実にある。それは「民族性」といわれるようなもので説明できるのだろうか、それとも政治や教育によって決まるものなのだろうか、というようなことを。

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