3年 鷲田茜
7月に野外でシカの解剖を行う機会を与えられた。野外で行ったのでとても暑く、ハエも飛び交うという中での作業だった。それは私にとってはとても貴重な時間であった。
解剖といえば、大学1年生の時にヤギの解剖実習があったとき、私は解剖に対し抵抗があり、泣きながら血抜きを行った。ただ、奇妙なもので、ヤギが死んでからは、自分から率先してヤギの喉元からメスを入れ、体を開いていた。その時に、胃の大きさ、そして4つある胃の内容物がそれぞれ違うことにとても驚いた。解剖を行う前に、臓器や体の構造などについては講義で習い、各自レポートも書いていた。しかし、実際に動物の“中身”を見るということは全く違っていた。感触や重さなどは、自分の手で触れてみないと分からないものであった。教科書に臓器のサイズは書かれているが、読んだだけではその大きさにピンとこなかった。しかし、自分の目で見て、たとえば第一胃の大きさに驚かされた。
私は今まで動物の動き(外側)だけを見て、可愛い、おもしろいと感じて、体の中にある臓器や血などは不気味なものと思っており、解剖は怖いと感じていた。しかし、怖がっていた解剖は、動物を内側から見ることのできるおもしろさを気づかせてくれた。一つ一つの小さな骨から大きな骨までがパズルのように組み合わされ、体を動かすことのできる仕組みとなっていた。動物が食べるエサによって、臓器の大きさや働きが違っていた。その動物の特性に合わせて、骨や臓器が作られているということに、とても感動した。そして、生きるためにどれほど重要なものか学ぶことができた。
一般的にあまり良いイメージを持たないであろう、糞や胃内容物、骨などは、研究にとても必要な試料である。私は調査場所などで死体や骨、糞などを見ると、何の動物だろうとワクワクしてしまう。動物の行動を外側とすると、それを見るだけでなく、「内側」つまりその行動を起こすメカニズムも見ることで、多くの発見ができる。今回の体験で、動物の内側を知り、もっと動物が好きになった。
7月に野外でシカの解剖を行う機会を与えられた。野外で行ったのでとても暑く、ハエも飛び交うという中での作業だった。それは私にとってはとても貴重な時間であった。
解剖といえば、大学1年生の時にヤギの解剖実習があったとき、私は解剖に対し抵抗があり、泣きながら血抜きを行った。ただ、奇妙なもので、ヤギが死んでからは、自分から率先してヤギの喉元からメスを入れ、体を開いていた。その時に、胃の大きさ、そして4つある胃の内容物がそれぞれ違うことにとても驚いた。解剖を行う前に、臓器や体の構造などについては講義で習い、各自レポートも書いていた。しかし、実際に動物の“中身”を見るということは全く違っていた。感触や重さなどは、自分の手で触れてみないと分からないものであった。教科書に臓器のサイズは書かれているが、読んだだけではその大きさにピンとこなかった。しかし、自分の目で見て、たとえば第一胃の大きさに驚かされた。
私は今まで動物の動き(外側)だけを見て、可愛い、おもしろいと感じて、体の中にある臓器や血などは不気味なものと思っており、解剖は怖いと感じていた。しかし、怖がっていた解剖は、動物を内側から見ることのできるおもしろさを気づかせてくれた。一つ一つの小さな骨から大きな骨までがパズルのように組み合わされ、体を動かすことのできる仕組みとなっていた。動物が食べるエサによって、臓器の大きさや働きが違っていた。その動物の特性に合わせて、骨や臓器が作られているということに、とても感動した。そして、生きるためにどれほど重要なものか学ぶことができた。
一般的にあまり良いイメージを持たないであろう、糞や胃内容物、骨などは、研究にとても必要な試料である。私は調査場所などで死体や骨、糞などを見ると、何の動物だろうとワクワクしてしまう。動物の行動を外側とすると、それを見るだけでなく、「内側」つまりその行動を起こすメカニズムも見ることで、多くの発見ができる。今回の体験で、動物の内側を知り、もっと動物が好きになった。
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